リッチー・ヴァレンスと共に散った三人目のロックンローラー「ビッグ・ボッパー」について語りましょう。
「ビッグ・ボッパー」は、1931年生まれの米国のシンガーソングライターです。
体重が130キロを超える巨漢であったため、「ビッグ・ボッパー」と呼ばれていました。
本名は、「ジャイルス・ペリー・リチャードソン」といいます。
![ウルトラマン・Hの ひとりごと](https://stat.ameba.jp/user_images/20120126/15/weapon6013/b1/05/j/t02200221_0400040211756449482.jpg?caw=800)
陽気なキャラと巧みなパフォーマンスで、元々はラジオのDJとして活躍していました。
1958年「シャンティリー・レース」をリリース、それが発表の13週間後には、全米チャート第6位という大ヒット曲になりました。
それほど強いインパクトはないものの、聴き易いコミカルでポップなロックンロールとして受け入れられたのでしょう。
この年の全米トップ10の中に、連続して22週間もチャートインしました。
![ウルトラマン・Hの ひとりごと](https://stat.ameba.jp/user_images/20120126/15/weapon6013/bd/d4/j/t02030248_0203024811756452374.jpg?caw=800)
「シャンティリー・レース」とは何かというと、ランジェリーやウエディングに用いられるゴージャスな透かし模様のレースのことです。
1950年代に、このレースを素材とするフラミンゴ・スカートが流行したそうです。
ちなみに、このレース、かなりの高額なんだとか・・・。
![ウルトラマン・Hの ひとりごと](https://stat.ameba.jp/user_images/20120126/15/weapon6013/e9/ca/j/t02200220_0225022511756449481.jpg?caw=800)
「ビッグ・ボッパー」は、他に「ビッグ・ボッパーズ・ウエディング」のヒット曲があります。
また、ジョニー・プレストンの歌で1959年大ヒットした「悲しきインディアン(ランニング・ベア)」も、「ビッグ・ボッパー」の作曲です。(この曲の日本での発売は、彼の死後になってしまいました。)
そして、1959年、「ビッグ・ボッパー」23歳の時、運命の飛行機に搭乗するのです。
![ウルトラマン・Hの ひとりごと](https://stat.ameba.jp/user_images/20120126/15/weapon6013/47/44/j/t02200211_0229022011756449911.jpg?caw=800)
1959年1月下旬から始まったツアーは、「リッチー・ヴァレンス」「バディ・ホリー」「ディオニ・ディムーチ」らと組んだウインター・ダンス・パーティーでした。
このツアーは、コンサートが終ると、出演者全員が大型バスで各地を移動するというものでした。
ところが、デブ(失礼!)の「ビッグ・ボッパー」には、バスでの移動は大変苦痛なものだったのです。
しかも、バスはかなりのポンコツで、ヒーターも効かず、ついには風邪をひいてしまいます。
そんな悪条件に我慢出来なくなった「バディ・ホリー」が、一人36ドルで三人乗りのセスナ機をチャーターしました。
セスナに乗りたい者がホリーを含めて三人を超えたので、コイン・トスをして決める事になりました。
そして、その賭けに勝ったのが「リッチー・ヴァレンス」とザ・クリケッツのギタリスト「ウェイロン・ジェニングス」でした。
しかし、ザ・クリケッツの仲間意識から、ジェニングスは、「ビッグ・ボッパー」に、その権利を譲ってしまうのです。
こういうのを「貧乏くじ」というには、あまりに悲しいですね。
![ウルトラマン・Hの ひとりごと](https://stat.ameba.jp/user_images/20120126/15/weapon6013/7b/0e/j/t02200237_0366039511756450476.jpg?caw=800)
人の運命とは、何時、何処で、どうなるのか、誰にも分かりません。
「明日のことは、約束など出来ない」という事なのです。
今日、今の命を、一生懸命生きなければなりません。
偉大な三人のロックンローラーの冥福をお祈りしながら・・・
南無・・・。
つづく