ビッグ・ボッパー | ウルトラマン・Hの ひとりごと

ウルトラマン・Hの ひとりごと

音楽について語りたくてたまらないんです。

リッチー・ヴァレンスと共に散った三人目のロックンローラー「ビッグ・ボッパー」について語りましょう。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


ビッグ・ボッパー」は、1931年生まれの米国のシンガーソングライターです。

体重が130キロを超える巨漢であったため、「ビッグ・ボッパー」と呼ばれていました。

本名は、「ジャイルス・ペリー・リチャードソン」といいます。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

陽気なキャラと巧みなパフォーマンスで、元々はラジオのDJとして活躍していました。

1958年「シャンティリー・レース」をリリース、それが発表の13週間後には、全米チャート第6位という大ヒット曲になりました。

それほど強いインパクトはないものの、聴き易いコミカルでポップなロックンロールとして受け入れられたのでしょう。

この年の全米トップ10の中に、連続して22週間もチャートインしました。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

シャンティリー・レース」とは何かというと、ランジェリーやウエディングに用いられるゴージャスな透かし模様のレースのことです。

1950年代に、このレースを素材とするフラミンゴ・スカートが流行したそうです。

ちなみに、このレース、かなりの高額なんだとか・・・。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

ビッグ・ボッパー」は、他に「ビッグ・ボッパーズ・ウエディング」のヒット曲があります。

また、ジョニー・プレストンの歌で1959年大ヒットした「悲しきインディアン(ランニング・ベア)」も、「ビッグ・ボッパー」の作曲です。(この曲の日本での発売は、彼の死後になってしまいました。)


そして、1959年、「ビッグ・ボッパー」23歳の時、運命の飛行機に搭乗するのです。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

1959年1月下旬から始まったツアーは、「リッチー・ヴァレンス」「バディ・ホリー」「ディオニ・ディムーチ」らと組んだウインター・ダンス・パーティーでした。

このツアーは、コンサートが終ると、出演者全員が大型バスで各地を移動するというものでした。

ところが、デブ(失礼!)の「ビッグ・ボッパー」には、バスでの移動は大変苦痛なものだったのです。

しかも、バスはかなりのポンコツで、ヒーターも効かず、ついには風邪をひいてしまいます。

そんな悪条件に我慢出来なくなった「バディ・ホリー」が、一人36ドルで三人乗りのセスナ機をチャーターしました。

セスナに乗りたい者がホリーを含めて三人を超えたので、コイン・トスをして決める事になりました。

そして、その賭けに勝ったのが「リッチー・ヴァレンス」とザ・クリケッツのギタリスト「ウェイロン・ジェニングス」でした。

しかし、ザ・クリケッツの仲間意識から、ジェニングスは、「ビッグ・ボッパー」に、その権利を譲ってしまうのです。

こういうのを「貧乏くじ」というには、あまりに悲しいですね。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

人の運命とは、何時、何処で、どうなるのか、誰にも分かりません。

明日のことは、約束など出来ない」という事なのです。

今日、今の命を、一生懸命生きなければなりません。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


偉大な三人のロックンローラーの冥福をお祈りしながら・・・


南無・・・



つづく