1970年代初期に放映されたTV番組「ソウル・トレイン」を、思い出しました。
ちょうどディスコブームが巷で流行っていた頃でした。
「スリー・ディグリーズ」は、この頃に生まれたグループかと思いきや、結成はもっと古い1963年で、フィラデルフィアで誕生したこともあって、後に「フィラデルフィアのセクシー・エンジェル」と呼ばれました。
オリジナル・メンバーは、「シーラ・ファーガソン」「フェイエット・ピンクニー」「バレリー・ホリデー」の3人娘でした。
1969年「シャンテルズ」のヒット曲「メイビー」をカヴァーして、R&Bチャート第4位になりました。
「スリー・ディグリーズ」は、その後、どの人が誰なのか分からなくなるくらい、とにかく何度もメンバーが入れ替わっています。
1973年リリースしたシングル「荒野のならずもの」がヒットしました。
この曲、本国の米国ではさっぱりだったのですが、日本のディスコシーンで火が点いて、大ヒットとなりました。
翌年リリースしたセカンドシングル「ソウル・トレインのテーマ」が、全米チャート第1位に輝きました。
TV番組では、日本に初お披露目だった「ブレイク・ダンス」が見られましたよね。(懐かしい!)
続けてリリースしたシングル「天使のささやき」が、米国、英国、そして日本で大ブレイク、三カ国でそれぞれチャート第1位を獲得、世界的な大ヒットとなりました。
米国では150万枚を超えるセールスを記録しています。
また、その年の東京音楽祭世界大会で、金賞を受賞しました。
「天使のささやき」は、白井章生作詞の日本語バージョンもありました。
イントロの洗練されたハーモニーは素晴らしく、まさしく(天使の囁き)です。
「セクシー・エンジェル」と呼ばれている「スリー・ディグリーズ」は、そのとおり天使のように華やかで、セクシーで、気品に満ちたグループでした。
本国以上に日本での人気が凄まじく、来日コンサートのポスターには、「完売」の文字がすでに印刷されていたといいます。
それにあやかってではないでしょうが、安井かずみ・筒美京平の「にがい涙」が、1975年「スリー・ディグリーズ」自信による特別企画としてリリースされ、ヒットしました。
「見てた はずよ 私の 気持ちが 少しずつ・・・」
と、たどたどしい日本語で唄っていましたね。
異色なところでは、松本隆・細野晴臣の「ミッドナイト・トレイン」という英詞の曲もありました。
仏国の歌手「クロード・フランソワ」が大ヒットさせた「恋はシャンソン」も、仏語でカヴァーしています。
3人娘のボーカルグループといえば、日本では「スリー・グレイセス」を、先ず最初に思い出します。
「わ わ わー 輪が みっつ」と唄っていたCMをご存知ですか?(歳がバレバレじゃん!)
それから、元祖「黄色いさくらんぼ」をヒットさせた「スリー・キャッツ(だったかな?)」もいました。
(三丁目の夕日)のあの時代にしては、お色気ムンムンだったことを覚えています。
他に・・・、「スリー・バブルス」とか、「スリー・ファンキーズ」・・・これは3人男でしたね。
話しが横道に逸れました。
「スリー・ディグリーズ」は、「世界の恋人達」とも呼ばれているように、世界中の最も多くの国でレコードを発売した歌手として、ギネスに認定されています。
また、今も活躍していることから、最も長く続いている女性グループとしても認定されています。
「スリー・ディグリーズ」は、歌も最高ですが、ルックスもまた最高でした。
2009年「フェイエット・ピンクニー」が61歳で亡くなったそうです。
ご冥福をお祈りしながら、「天使のささやき」を聴きましょう。
つづく