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ウルトラマン・Hの ひとりごと

音楽について語りたくてたまらないんです。

ウルトラマン・Hの ひとりごと


デキシー・カップス」は、ニューオリンズ出身の女性ボーカルグループです。

プロデューサーのジョー・ジョーンズによって見出されました。


メンバーは、  バーバラ・アン・ホーキンズ

          ローザ・リー・ホーキンズ

           (バーバラとローザは姉妹)

          ジョアン・マリー・ジョンソン

           (ホーキンズ姉妹の従妹)

            の3人です。


結成は1960年代初めで、結成当時は「リトル・ミス&マフェッツ」と名乗っていました。


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1964年、ファーストシングル「チャペル・オブ・ラヴ」をリリースしました。

これが、全米R&B部門チャート第1位に輝く大ヒットソングとなりました。


チャペル・オブ・ラヴ」の作者は、ジェフ・バリー&エリー・グリニッチの黄金コンビに、フィル・スペクターを加えた3人の共作ということになっています。

(フィル・スペクターは、多分、印税欲しさに一味に加担しているだけだと思いますけどね)


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チャペル・オブ・ラヴ」という曲は、フィル・スペクターのプロデュースで、ロネッツダーレン・ラヴが、先にレコーディングしていたものを、バリー&グリニッチがプロデュースして、「デキシー・カップス」にカバーさせたものでした。


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結果、最もセールスを伸ばしたのは「デキシー・カップス」で、フィル・スペクターよりもバリー&グリニッチのプロデュースの方に、軍配が上がったということになりました。


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1964年、「People Say」(全米12位)、

You Should Have Seen The Way He Looked At Me」という長いタイトルの曲(全米39位)、

Little Bell」(全米51位)と、小ヒットを重ねました。


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1965年になって「IKO IKOアイコ アイコ)」をリリース、全米チャート第20位のヒットとなりました。


この曲、実はカバー曲で、1953年にジェイムズ・クロフォードがレコーディングしていました。

その時のタイトルは「Jockomo(冗談の好きな人という意味)」で、名前も、レコードクレジットには、幼い頃の愛称から、シュガーボーイ・クロフォードとなっているようです。


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IKO IKO」は、他にも、シンディ・ローパードクター・ジョンがカバーしています。

日本では、チャーさんと石田長生さんのユニットがカバーしていました。


また、2000年の映画「ミッション・インポッシブル2」の中で、ザップ・ママが唄っています。


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デキシー・カップス」といえば、やはり「チャペル・オブ・ラヴ」ということで、


元々ウエディングソングのこの曲、


Springu is here   Sky is blue

Birds are singing   Sun will shine


というフレーズが出てくるように、


春のうららかな日差しの中で、飛ぶ鳥のさえずりを聞きながら、「チャペル・オブ・ラヴ」を聴くと、ベリーグッドな気分になりますねえ。


大事にしたい1曲ですね。




つづく




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シルヴィ・バルタン」は、1944年、ブルガリアのバルカンの町に生まれました。

(だからバルタン? ダジャレかい!)


彼女が7才の時に、共産党政権から逃れてフランスへ渡っています。


1961年、17才の時に、RCAの音楽プロデューサーだった兄エディに呼ばれて、デュエット曲の代役として初レコーディングをしました。


この曲は、フランキー・ジョルダンの名義だったため、彼女の名前は表に出ることはありませんでしたが、シングルはミリオンセラーとなり、彼女は、RCAからレコードを出すことになりました。


1963年、オリジナルシングル「おセンチな17才」をリリース、大ヒットとなりました。


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翌年、「アイドルを探せ」をリリース、これもまたまた大ヒットとなりました。


日本では、安井かずみさんが日本語の歌詞を書いて、大ヒットとなりましたね。


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一躍スターになった「シルヴィ・バルタン」は、オランピア劇場に出演、ビートルズと共演をしました。


しかし、その時の観客は、「シルヴィ・バルタン」やトリニ・ロペスには熱狂するものの、ビートルズには全くの無関心だったといいます。


当時まだ、フランスにビートルズブームは、やって来てなかった訳なんですね。


私が「シルヴィ・バルタン」を知ったのが、確か「オールナイト・ニッポン」というラジオ深夜放送だったと思います。

パーソナリティにカメさんとか、今仁のテッちゃんとかがいましたね。(古い話やなぁ)


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仏語で唄う「アイドルを探せ」が妙に耳に焼き付いて、試験勉強そっちのけで、リクエスト葉書をせっせと書いていたのを思い出します。


仏語って、日本語と同じで、ロックのリズムには合わないと、よくいわれていますが、どうなんでしょう。


シルヴィ・バルタン」も、「ミッシェル・ポルナレフ」も、ロック、ロックしてるじゃないですか。


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そう、それに、ブラスロックのシカゴが来日した時に、「ロウダウン」という曲を、日本語で唄ったじゃないですか。


・・・う~ん、そういわれれば、少し違和感あるかなぁ。


しかし、「シルヴィ・バルタン」が、ロックとは無縁なシャンソンにロックを取り入れたことで、フランス独特の音楽文化として、あの「イエイエサウンド」が生まれたのだと、ある文献に書いてありました。


そして、このフランスのサウンドを世界中に広めたのも、「シルヴィ・バルタン」だったのです。


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そうそう、TVの「ウルトラマン」(シリーズ2作目)に登場する「宇宙忍者バルタン星人」の語源が、「シルヴィ・バルタン」だと、ずっと思っていたのですが、脚本家の飯島敏宏さんによると、実は「バルカン半島」に由来しているのだそうです。(知らなかったなぁ)


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話しが脱線しました。


1965年、「シルヴィ・バルタン」は、初来日をしています。


その時、レナウンのCMに出演して、「レナウンの唄」を唄いました。


その歌詞の中に出てくる「イエイエ」が当時大流行して、彼女は、「イエイエ娘」とか「ワンサカ娘」とか呼ばれました。


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1968年リリースの「あなたのとりこ」、それから、1981年の「愛はジタンの香り」は、特に好きな曲ですねぇ。


ソフトバンクのCMに使われていたと思いますが、さて、どっちの曲だったっけ?。


それから、俗にいう「アイドル」っていう言葉、語源はもちろん、「アイドルを探せ」なんです。





つづく

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ラヴ・ミー・テンダー」は、1956年10月、「エルヴィス・プレスリー」が唄ったシングルです。


ビルボード誌のチャートで、5週間連続で第1位を記録しました。


元になった曲は「オーラ・リー」という米国民謡で、小学校の音楽のテキストにも載っています。


何でも、タイトルを「ラヴ・ミー・テンダー」にすると、著作権が発生するそうで、「オーラ・リー」なら古い民謡なので、それが発生しないから、テキストに使うことが出来た、と、そういうことらしいです。


この「オーラ・リー」に、全く新しい歌詞を当てはめたのが「ラヴ・ミー・テンダー」で、エルヴィス・プレスリーの同タイトルの初主演映画のテーマ・ソングとして作られました。


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映画のタイトルは、原題は「ザ・レノ・ブラザーズ」で、後に「ラヴ・ミー・テンダー」に改名されました。


ラヴ・ミー・テンダー」は、シングル発売前の9月に、エルヴィス・プレスリーが「エド・サリヴァン・ショー」に初出演した際に唄ったところ、RCAレコードに注文が殺到して、あっという間に、オーダーだけで100万枚を超えてしまったといいます。


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原曲の「オーラ・リー」は、1861年、米南北戦争が起こった頃に、オハイオ州シンシナティで出版されました。


作曲者は「ジョージ・R・プールトン」といいます。


南北戦争の真っ只中、北軍の兵士達が、故郷に残してきた最愛の恋人のことを思って唄った、愛の歌です。


エルヴィス・プレスリーは、映画の中で、愛する人のために、ギターを爪弾きながら、甘い歌声で唄っています。


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エルヴィス・プレスリーは、1954年、白人でありながら黒人の持つビートで、感情を曝け出して唄うシンガーとして、彗星のように登場しました。


若者達は、彼の歌とパフォーマンスに熱狂しましたが、保守的な白人社会の多数の大人達は、彼を「反抗的」 「挑戦的」とののしり、受け入れようとしませんでした。


そんな批判を彼に浴びせ続けていた大人達が、彼の唄う「ラヴ・ミー・テンダー」を聴いたとき、冷たく凍ったままだった大人達の心に、暖かいお日様の光が当たったのでした。



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優しく 愛して 甘く 愛して

決して ボクを 放さないで

ボクの 人生を 満たしてくれた

キミを とても 愛してるよ


優しく 愛して 本当に 愛して

夢は すべて 叶えられた

ボクの ダーリン 愛してるよ

いつまでも 変わることなく


優しく 愛して いつまでも 愛して

ボクを 君の 心の中に 入れておくれ

そこが ボクの 居場所なのだから

そうすれば ふたりは いつまでも 一緒だよ




1982年、B・B・キングが、アルバム「ラヴ・ミー・テンダー」の中でカバーしています。


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1988年、RCサクセションがカバーした際に、反核・反原発的な内容の歌詞だったことで、アルバムが発売中止になるなどの騒動がありました。


ラヴ・ミー・テンダー」は、我がバンドのレパートリーのひとつです。


エルヴィス大好きのボーカル「シェリー」が、感情いっぱいのパフォーマンスで熱唱しています。


大事にしていきたい1曲です。





つづく


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フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」は、1954年、バート・ハワードが作詞、作曲した楽曲です。

ポピュラー音楽史上に残る名曲といえます。


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同年、ニューヨークのキャバレー”ブルー・エンゼル”で、フェリシア・サンダーズが演奏したのが初お披露目でした。


この時、曲名は「イン・アザー・ワーズ」といって、訳すと「言い換えると」とか「言い換えれば」という意味で、曲調もワルツ(4分の3拍子)だったのです。


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1954年、「ケイ・バラード」のボーカルで、デッカ・レーベルで初のレコーディングがされました。


しかし、レコードは全くヒットしなかったものの、楽曲そのものには注目が集まりました。


1956年、「ポーシャ・ネルソン」がアルバムに収録します。


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同年、「ジョニー・マティス」がこの曲を収録する際に、タイトルを、歌詞の一部をとって、「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」としました。


しかし、曲自体は、現在耳にするアレンジとは、かなりかけ離れたものでした。


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1962年になって、ピアニストの「ジョー・ハーネル」が、4分の4拍子のボサノヴァ風にアレンジして、現在よく耳にする「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」が完成しました。


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ボーカルでは「フランク・シナトラ」が、


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ジャズでは「オスカー・ピーターソン」などがカバーして、爆発的な大ヒット曲となったのでした。


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当時、米国では、”アポロ計画”の真っ只中にあって、「私も月に行けるかもしれない」という話題に便乗した恰好で、セールスが伸びたのでしょう。


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1963年に「ジュリー・ロンドン」が、


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1964年に「アストラッド・ジルベルト」が、


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1965年に「トニー・ベネット」と、カバーをしたミュージシャンを挙げるときりがないほどです。


また、インストゥルメンタルの曲としても、名演が多い名曲中の名曲です。



あたしを 月に 飛んでいかせて

そして 星の間で 遊ばせて

木星や 火星の 春は

どうなっているか 見せて欲しい

これを 言い換えれば

キスして 欲しい ってことよ


あたしの ハートを 歌で 満たして

そして いつまでも 唄わせて

あなたは あたしの 永遠の

あこがれと 望みの すべて

これを 言い換えれば

ずっと 傍に いて欲しい ってことよ


これを 言い換えれば

つまり あなたを 愛してる ってことよ


フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」は、我がバンドのレパートリーの1曲です。

ボサノヴァのアレンジで演奏しています。

しっかり演奏して、ずっと大事にしたい1曲ですね。



つづく

ブロッサムズ


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前回のブログで紹介した「ダーレン・ラヴ&ブロッサムズ」は、ロスのハイスクールに通う生徒達によって、1954年に結成されました。

結成当時は、グループ名を「ドリーマーズ」と名乗っていました。


メンバーは、 ファニタ・ジェイムズ

        グロリア・ジョーンズ

        アネット  ナネット の ウィリアムズ姉妹

の4人です。


リードボーカルの「ダーレン・ラヴ」は、結成時のメンバーではありません。


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1955年、リチャード・ベリーのバックアップ・コーラスとしてデビューしました。

レコードもリリースしているようですが、ヒットには至っていません。


1967年、キャピトルに移籍、グループ名を「ブロッサムズ」に改名しました。


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翌年、「ダーレン・ラヴ」がリードボーカルとして加入、ウィリアムズ姉妹が脱退して、3人組のグループとなりました。

そして、グループ名を「ダーレン・ラヴ&ブロッサムズ」としました。


1961年、「Son-In-Law」をリリース、「ブロッサムズ」初のヒット曲となりました。

その後は、クリスタルズの代役でレコーディングするなど、フィル・スペクターにいいように扱われることになります。


また、フィル・スペクターの企画で、「ダーレン・ラヴ」は、「ファニタ・ジェイムズ」と2人で、ボビー・シーンとトリオを組まされ、「ボブ・B・ソックス&ブルージーンズ」という名でレコーディングもしています。


それから、「ダーレン・ラヴ」の名義で、数枚のシングルもリリースされているようです。




ピクシーズ・スリー


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さて、1950~60年代のガールズグループを聴きあさっていたら、「ピクシーズ・スリー」という、何とも可愛いネーミングのグループにたどり着きました。


私は、未だ、彼女達の歌声を、聴いたことはありません。


メンバーは、 ケイ・マックール

        デビー・スイッシャー

        ミッジ・ボリンジャー の3人です。


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アルバムは、1964年に、マーキュリー・レーベルから出した「パーティー・ウィズ・ザ・ピクシーズ・スリー」という、これ1枚っきり。(らしい)

アルバム・タイトルのとおり、パーティーをテーマにした楽曲が収められているようです。


もちろんレコードは廃盤で、中古屋さんにあるかなあと思って、調べてみると、何と、片手くらいのプレミヤがついていました。(手が出ぇへんわ)


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もっと調べてみたら、どうやら復刻版でCDが発売されている様子です。

(こりゃあ、早速、手に入れなくちゃあ! 早く聴きてぇ~っ!)





つづく