シルヴィ・バルタン  「アイドルを探せ」 | ウルトラマン・Hの ひとりごと

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音楽について語りたくてたまらないんです。


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シルヴィ・バルタン」は、1944年、ブルガリアのバルカンの町に生まれました。

(だからバルタン? ダジャレかい!)


彼女が7才の時に、共産党政権から逃れてフランスへ渡っています。


1961年、17才の時に、RCAの音楽プロデューサーだった兄エディに呼ばれて、デュエット曲の代役として初レコーディングをしました。


この曲は、フランキー・ジョルダンの名義だったため、彼女の名前は表に出ることはありませんでしたが、シングルはミリオンセラーとなり、彼女は、RCAからレコードを出すことになりました。


1963年、オリジナルシングル「おセンチな17才」をリリース、大ヒットとなりました。


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翌年、「アイドルを探せ」をリリース、これもまたまた大ヒットとなりました。


日本では、安井かずみさんが日本語の歌詞を書いて、大ヒットとなりましたね。


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一躍スターになった「シルヴィ・バルタン」は、オランピア劇場に出演、ビートルズと共演をしました。


しかし、その時の観客は、「シルヴィ・バルタン」やトリニ・ロペスには熱狂するものの、ビートルズには全くの無関心だったといいます。


当時まだ、フランスにビートルズブームは、やって来てなかった訳なんですね。


私が「シルヴィ・バルタン」を知ったのが、確か「オールナイト・ニッポン」というラジオ深夜放送だったと思います。

パーソナリティにカメさんとか、今仁のテッちゃんとかがいましたね。(古い話やなぁ)


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仏語で唄う「アイドルを探せ」が妙に耳に焼き付いて、試験勉強そっちのけで、リクエスト葉書をせっせと書いていたのを思い出します。


仏語って、日本語と同じで、ロックのリズムには合わないと、よくいわれていますが、どうなんでしょう。


シルヴィ・バルタン」も、「ミッシェル・ポルナレフ」も、ロック、ロックしてるじゃないですか。


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そう、それに、ブラスロックのシカゴが来日した時に、「ロウダウン」という曲を、日本語で唄ったじゃないですか。


・・・う~ん、そういわれれば、少し違和感あるかなぁ。


しかし、「シルヴィ・バルタン」が、ロックとは無縁なシャンソンにロックを取り入れたことで、フランス独特の音楽文化として、あの「イエイエサウンド」が生まれたのだと、ある文献に書いてありました。


そして、このフランスのサウンドを世界中に広めたのも、「シルヴィ・バルタン」だったのです。


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そうそう、TVの「ウルトラマン」(シリーズ2作目)に登場する「宇宙忍者バルタン星人」の語源が、「シルヴィ・バルタン」だと、ずっと思っていたのですが、脚本家の飯島敏宏さんによると、実は「バルカン半島」に由来しているのだそうです。(知らなかったなぁ)


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話しが脱線しました。


1965年、「シルヴィ・バルタン」は、初来日をしています。


その時、レナウンのCMに出演して、「レナウンの唄」を唄いました。


その歌詞の中に出てくる「イエイエ」が当時大流行して、彼女は、「イエイエ娘」とか「ワンサカ娘」とか呼ばれました。


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1968年リリースの「あなたのとりこ」、それから、1981年の「愛はジタンの香り」は、特に好きな曲ですねぇ。


ソフトバンクのCMに使われていたと思いますが、さて、どっちの曲だったっけ?。


それから、俗にいう「アイドル」っていう言葉、語源はもちろん、「アイドルを探せ」なんです。





つづく