ラヴ・ミー・テンダー | ウルトラマン・Hの ひとりごと

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ラヴ・ミー・テンダー」は、1956年10月、「エルヴィス・プレスリー」が唄ったシングルです。


ビルボード誌のチャートで、5週間連続で第1位を記録しました。


元になった曲は「オーラ・リー」という米国民謡で、小学校の音楽のテキストにも載っています。


何でも、タイトルを「ラヴ・ミー・テンダー」にすると、著作権が発生するそうで、「オーラ・リー」なら古い民謡なので、それが発生しないから、テキストに使うことが出来た、と、そういうことらしいです。


この「オーラ・リー」に、全く新しい歌詞を当てはめたのが「ラヴ・ミー・テンダー」で、エルヴィス・プレスリーの同タイトルの初主演映画のテーマ・ソングとして作られました。


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映画のタイトルは、原題は「ザ・レノ・ブラザーズ」で、後に「ラヴ・ミー・テンダー」に改名されました。


ラヴ・ミー・テンダー」は、シングル発売前の9月に、エルヴィス・プレスリーが「エド・サリヴァン・ショー」に初出演した際に唄ったところ、RCAレコードに注文が殺到して、あっという間に、オーダーだけで100万枚を超えてしまったといいます。


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原曲の「オーラ・リー」は、1861年、米南北戦争が起こった頃に、オハイオ州シンシナティで出版されました。


作曲者は「ジョージ・R・プールトン」といいます。


南北戦争の真っ只中、北軍の兵士達が、故郷に残してきた最愛の恋人のことを思って唄った、愛の歌です。


エルヴィス・プレスリーは、映画の中で、愛する人のために、ギターを爪弾きながら、甘い歌声で唄っています。


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エルヴィス・プレスリーは、1954年、白人でありながら黒人の持つビートで、感情を曝け出して唄うシンガーとして、彗星のように登場しました。


若者達は、彼の歌とパフォーマンスに熱狂しましたが、保守的な白人社会の多数の大人達は、彼を「反抗的」 「挑戦的」とののしり、受け入れようとしませんでした。


そんな批判を彼に浴びせ続けていた大人達が、彼の唄う「ラヴ・ミー・テンダー」を聴いたとき、冷たく凍ったままだった大人達の心に、暖かいお日様の光が当たったのでした。



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優しく 愛して 甘く 愛して

決して ボクを 放さないで

ボクの 人生を 満たしてくれた

キミを とても 愛してるよ


優しく 愛して 本当に 愛して

夢は すべて 叶えられた

ボクの ダーリン 愛してるよ

いつまでも 変わることなく


優しく 愛して いつまでも 愛して

ボクを 君の 心の中に 入れておくれ

そこが ボクの 居場所なのだから

そうすれば ふたりは いつまでも 一緒だよ




1982年、B・B・キングが、アルバム「ラヴ・ミー・テンダー」の中でカバーしています。


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1988年、RCサクセションがカバーした際に、反核・反原発的な内容の歌詞だったことで、アルバムが発売中止になるなどの騒動がありました。


ラヴ・ミー・テンダー」は、我がバンドのレパートリーのひとつです。


エルヴィス大好きのボーカル「シェリー」が、感情いっぱいのパフォーマンスで熱唱しています。


大事にしていきたい1曲です。





つづく