フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン | ウルトラマン・Hの ひとりごと

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音楽について語りたくてたまらないんです。


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フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」は、1954年、バート・ハワードが作詞、作曲した楽曲です。

ポピュラー音楽史上に残る名曲といえます。


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同年、ニューヨークのキャバレー”ブルー・エンゼル”で、フェリシア・サンダーズが演奏したのが初お披露目でした。


この時、曲名は「イン・アザー・ワーズ」といって、訳すと「言い換えると」とか「言い換えれば」という意味で、曲調もワルツ(4分の3拍子)だったのです。


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1954年、「ケイ・バラード」のボーカルで、デッカ・レーベルで初のレコーディングがされました。


しかし、レコードは全くヒットしなかったものの、楽曲そのものには注目が集まりました。


1956年、「ポーシャ・ネルソン」がアルバムに収録します。


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同年、「ジョニー・マティス」がこの曲を収録する際に、タイトルを、歌詞の一部をとって、「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」としました。


しかし、曲自体は、現在耳にするアレンジとは、かなりかけ離れたものでした。


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1962年になって、ピアニストの「ジョー・ハーネル」が、4分の4拍子のボサノヴァ風にアレンジして、現在よく耳にする「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」が完成しました。


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ボーカルでは「フランク・シナトラ」が、


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ジャズでは「オスカー・ピーターソン」などがカバーして、爆発的な大ヒット曲となったのでした。


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当時、米国では、”アポロ計画”の真っ只中にあって、「私も月に行けるかもしれない」という話題に便乗した恰好で、セールスが伸びたのでしょう。


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1963年に「ジュリー・ロンドン」が、


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1964年に「アストラッド・ジルベルト」が、


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1965年に「トニー・ベネット」と、カバーをしたミュージシャンを挙げるときりがないほどです。


また、インストゥルメンタルの曲としても、名演が多い名曲中の名曲です。



あたしを 月に 飛んでいかせて

そして 星の間で 遊ばせて

木星や 火星の 春は

どうなっているか 見せて欲しい

これを 言い換えれば

キスして 欲しい ってことよ


あたしの ハートを 歌で 満たして

そして いつまでも 唄わせて

あなたは あたしの 永遠の

あこがれと 望みの すべて

これを 言い換えれば

ずっと 傍に いて欲しい ってことよ


これを 言い換えれば

つまり あなたを 愛してる ってことよ


フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」は、我がバンドのレパートリーの1曲です。

ボサノヴァのアレンジで演奏しています。

しっかり演奏して、ずっと大事にしたい1曲ですね。



つづく