ウルトラマン・Hの ひとりごと -24ページ目

ウルトラマン・Hの ひとりごと

音楽について語りたくてたまらないんです。

仏国で誕生した「ミッシェル・ポルナレフ」は、5歳の頃からピアノの英才教育を受け、パリ音楽院入学時には天才ピアニストと云われて、将来のクラシック界を背負っていくだろうと、誰もが期待していました。 

ところが、ある日のこと、米国のロックンロールをラジオで聴いた瞬間、彼は、クラシック音楽から180度の方向転換をしてしまいます。 叫び


1966年、「ノンノン人形」を発表、これがデビュー・ヒットとなりました。

この曲は海外でも評価が高く、「花のサンフランシスコ」の「スコット・マッケンジー」もカバーしています。


同年、「愛の願い」も続いてヒットし、暮れにはファースト・アルバム「愛と青春のトルバドゥール」を発表しました。

このアルバムには、後に「レッド・ツェッペリン」のギタリストとなる「ジミー・ペイジ」と、ベーシストの「ジョン・ポール・ジョーンズ」がバック・ミュージシャンとして参加しています。

それから、「プロコル・ハルム」の「キース・リード」も、作詞で参加しています。目


1971年、「シェリーに口づけ」を発表、日本だけでも40万枚をセールスする大ヒットとなりました。

それが縁で、翌年、初来日を果たしています。

東京厚生年金会館でのライヴ(当時は実況録音と言ってました)が、アルバム「ポルナレフ・ア・トーキョー」として日本だけで発売されています。


彼が「仏国と日本ではウケる曲が全く違うのが面白い」と言うように、

日本で大ヒットした「シェリーに口づけ」は、本国仏国ではアルバムにも収録されていませんし、シングルはあるもののB面扱いなのです。

セカンド・アルバム「ポルナレフの世界」は、仏国で大ヒットし、シングルも数曲カッティングされていますが、日本でこのアルバムからA面扱いとしてカッティングされた曲はありません。


1972年、「愛の休日」が日本で大ヒットした事もあって、次のアルバム「ポルナレフ革命」を、日本が世界に先行して発売しようというプランが持ち上がりました。

翌73年、アルバム用のマスター・テープのコピーが、パリから日本へと空輸されます。 飛行機

しかし、運の悪いことに、その飛行機がハイジャックされてしまったのです。 叫びドクロ

そして、大事なテープは、犯人による機の爆破によって焼失してしまったのでした。 爆弾

結果、日本でのアルバムの発売が世界で一番遅くなったと云う逸話が残っています。 (ノ_-。)


ちなみに、この事件、「ドバイ空港での日航機ハイジャック事件」でした。


もうちょっとおしゃべりしたいところですが、紙面の関係でこのつづきは次回へ・・・。


つづく 




プロコル・ハルム」は、1967年、「ゲイリー・ブルッカー」(ボーカル)と詩人の「キース・リード」を中心に結成された、ブリティッシュ・ロック・バンドです。


バンド名の「プロコル・ハルム」は、プロデューサーが飼っていた猫の名前なんだとか。にゃー


彼らを一躍有名にしたデビュー曲「青い影」は、1967年4月に発表されるや、2週間で40万枚を売り上げ、英国のヒット・チャートで6週間連続第1位に輝く大ヒットとなりました。

この曲、ヨーロッパだけでなく、米国でもヒット・チャート第2位に入り、世界中で大ヒットしました。


彼らのサウンドの特徴は、何と言っても、「ゲイリー・ブルッカー」のピアノと、「マシュー・フィッシャー」のオルガンからなるツイン・キーボードです。 打ち上げ花火


オルガンによる宗教音楽風なイントロが印象的な「青い影」ですが、このレコーディングでは、教会にある本物のパイプオルガンを使用しています。


このイントロ、実は、「バッハ」の曲がモチーフになっていると言われています。

カンタータ140番、114番、G線上のアリア・・・等、諸説あるようですが、要は、バロック的なコード進行(ベースによる下降ライン)を参考にしたというところでしょうか。


この「青い影」について、誰もが口にするのが、「歌詞を読んでも意味が解らない」という言葉です。

作詞したキースでさえが、意味はよく解らないとインタビューでコメントしています。はてなマーク!?


単語をひとつずつ拾って繋げていくと、「客船で旅をする男と女が、ダンスして、カードで遊んで、その内船酔いをして、夜になったらアレをして・・・」みたいな内容なんですかねえ。

それにしても支離滅裂だなあ。

これって、キースが作詞してる時、ドラッグをやってたんじゃないですかねえ、そうとしか思えませんね。


でも、素晴らしい1曲には違いありません。

生前、「ジョン・レノン」が、この曲を奏して、「人生でベスト3に入る曲」と言っていました。

また、1967年の発表当時には、「今の音楽業界で青い影以外は聴く価値が無い」とまで言っています。


日本でもその影響は大きく、松任谷由美さんは、この曲を聴いたことがきっかけで、ソング・ライターの道を歩むようになったといいます。クラッカー


「プロコル・ハルム」は、メンバーの交代を繰り返しながら、8枚のアルバムを残して1977年、解散してしまいました。


彼らは、1972年、「テン・イヤーズ・アフター」とのジョイント・コンサートで初来日しています。

また、2003年には、再度来日して、「四人囃子」と共演をしました。


1991年、「プロコル・ハルム」は再結成され、現在も活動しています。合格


つづく

ディヴ・クラーク・ファイヴ」の「ビコーズ」と言えば、「ビートルズ」の「イエスタデイ」と言っているようなもので、オールディーズ・ファンには外せない1曲です。


この「ビコーズ」、団塊の世代前後の方々はだいたい知ってる度高いと思いますが、若い方々には知名度がグッと低いと思います。

これは何故かと言いますと、リーダーのディヴ・クラークが、楽曲の権利をしっかり押さえてまして、なかなかレコードの発売を許可しなかったからです。ドクロ

ですから彼らのシングル盤っていうのがほとんどないんですね。(ベスト盤はありますが・・・。)

今ではCDなんか手に入れるのは難しいかも知れません。

これじゃあ聞きたくても聞けないじゃないか・・・、ってことなんです。


ディヴ・クラーク・ファイヴ」は、ドラムのディヴ・クラークを中心に1963年デビューした、英国の5人組のロック・バンドです。

1964年、「グラッド・オール・オーバー」を発表して、当時のビートルズを抜いて全英チャート第1位になった事で、一気に注目を集めるようになりました。叫び

その時の第2位の曲は、ビートルズの「抱きしめたい」でした。叫び


リバプール・サウンドの雄「ビートルズ」に対抗して、彼らの音を、彼らの出身地から「トッテナム・サウンド」と呼ばれていましたが、今聞いてみると、どちらも似たような音ですよね。


ディヴ・クラーク・ファイヴは、どちらかと言うと本国英国よりも米国の方で人気があったようです。

1964年に発表された彼らの代表曲「ビコーズ」は、米国でチャート第3位になりました。

しかし、英国で「ビコーズ」は、チャート10位になった何とかいう曲のB面扱いでして、ほとんどヒットしていないのです。(A面の曲名忘れました。)


もうひとつ、米国で唯一NO1・ヒットになった「オーバー・アンド・オーバー」と言う曲がありますが、英国では何とチャートの最高が45位だったのです。


このように、ディヴ・クラーク・ファイヴのヒットの傾向には、ちょっと面白い事実があるのです。

1967年、米国で彼らは、「青空の恋」をヒットさせてベスト10に入っていました。

同じ頃、本国英国では、「エブリバディ・ノウズ」がチャート第2位を記録しています。

そして、日本では、バラードの「ビコーズ」がヒットしていたのです。

違ったイメージの曲が、それぞれの違った国でヒットするという、珍しい現象が起きたのでした。


「ディヴ・クラーク・ファイヴ」のライヴでは、ドラムが最前列にデンと控えていて、ディヴ・クラークが目立ちたがりだったのか、とにかくドラムのやかましいバンドだったそうです。

彼らのライヴは見た事がないので、本当かどうかは分かりませんけどね。


ライヴといえば、このディヴ・クラーク・ファイヴ、1966年にビートルズが来日するよりも前に、日本公演の話があったそうです。

しかし、商売上手なディヴ・クラークが、法外なギャラを提示したらしく、来日の話は決裂してしまいました。(ノ_-。)


ちなみにこの「ディヴ・クラーク・ファイヴ」、ビートルズと同じ1970年に解散してしまいました。

そして、2008年、ロックの殿堂入りを果たしています。


そうそう、1985年、ジョン・レノンの息子の「ジュリアン・レノン」が、スローなテイクでカバーしていましたね。


そんなこんなで、リアル・タイムで彼らを知っているオジさんには、「ビコーズ」は、オールディーズの大事な1曲なんです。 (もちろん我がバンドのレパートリーです。)カラオケ

ビコーズ」、イントロから(G・G+5・G6・G7・・・)と流れるコード進行がたまらなく良いのです。

これに優しくキーボード(オルガン)が被さってきて、・・・う~ん、うっとりしてきますねえ。(^ε^)♪


つづく

リトル・エヴァ」と「グランド・ファンク」によって、2度全米チャート第1位に輝いた「ロコ・モーション」。合格


同じ曲が、違うアーティストによって、2度も全米ナンバー・ワンになった楽曲は、長い音楽の歴史の中でも、たった9曲しかないそうです。(その9曲が何なのか、知りたいところですが・・・。)

その中のひとつが、この「ロコ・モーション」なのです。 爆弾


ところで、「グランド・ファンク」は、以前は「グランド・ファンク・レイルロード」と名乗っていました。

「レイルロード」という、鉄道に関連したネームを持つバンドが、蒸気機関車の「ロコ・モーション」を取り上げたのは、果たして偶然だったのでしょうか。


そうそう、オリジナルを唄った「リトル・エヴァ」は、2003年、59歳の若さで亡くなっています。叫び

その時の新聞の見出しには、「世界一有名なベビー・シッター、逝く」と書かれていたそうです。目


「ロコ・モーション」を作曲した「キャロル・キング」は、今思えば、実に人(男性)との出会いに恵まれていました。


ハイ・スクール時代には、先輩に「ニール・セダカ」が居ました。

音楽の英才教育を受けてきたニールが、キャロルに作曲の技法を教えています。


クィーンズ・カレッジへ進学すると、後に夫となる「ジェリー・ゴフィン」と出会います。

ジェリーが作詞し、キャロルが曲を付けるというソングライター・カップルが誕生しました。


このカレッジには、あの「ポール・サイモン」も在籍していて、すでにプロとして活動していたポールから、デモ・テープの作り方や多重録音の技法を教わっています。


1960年、娘を出産したキャロルは、シンガーでの活動を休止、作曲に専念することになります。

その年の暮れ、黒人女性グループ「シュレルズ」に提供した「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ」が、全米第1位の大ヒットとなりました。 キスマーク

この「シュレルズ」、その後の「ロネッツ」や「シュープリームス」等のガールズ・グループ・ブームの火付け役になったのでした。


バック・コーラスを得意とする女性グループ「クッキーズ」へも、「チェインズ」という曲を提供してヒットさせています。(「チェインズ」は、ビートルズのアルバム、「プリーズ・プリーズ・ミー」にもカバーされていますよ。)

この「クッキーズ」でリード・ボーカルを取っていたのが、「リトル・エヴァ」なんですね。

それでリトル・エヴァは、キャロル夫妻のベビー・シッターもするようになるのです。


人の「運命」って、どこでどうなるか、分からないものなのですねえ。ベル


「ロコ・モーション」は、実は、「D・D・シャープ」という女性シンガーが唄う事になっていたそうです。

契約の問題が発生して、彼女が唄えなくなって困っていた時、ベビー・シッターのリトル・エヴァが、部屋で楽譜を見つけて、鼻歌混じりに唄っていたところを、キャロル夫妻が見初めた。

というのが、リトル・エヴァのソロ・デビュー逸話なのです。

ちなみに、リトル・エヴァの「ロコ・モーション」のバック・コーラスは、「クッキーズ」のメンバーなんですよ。


そうそう、キャロル・キング自身が唄った「ロコ・モーション」は、あの大ヒットとなった「つづれおり」はもちろん、その後のアルバムにも収録されませんでした。

それは、1980年リリースされたアルバム、「パールズ」に初めて収録されました。リボン


それから、この「ロコ・モーション」は、1988年、「カイリー・ミノーグ」によってカバーされ、三度目、ヒット・チャート上位に名前を連ねました。


Everybody's doin' a brand new dance now. 音譜


Come on baby, do the Loco-Motion. 音譜



つづく















ロコ・モーション」は、1962年にリリースした、「リトル・エヴァ」のデビュー・シングルです。

この曲は、発表後見る間にヒット・チャートを駆け上り、全米第1位に輝く大ヒットとなりました。

作詞は「ジェリー・ゴフィン」、作曲は「キャロル・キング」の、ソングライター夫妻でした。合格


リトル・エヴァは、もともとキャロル・キング夫妻の家に雇われていたベビー・シッターでした。

エヴァが、二人の子どもをあやしながら唄っているのを、耳にした夫妻は、この「ロコ・モーション」を書いてデビューさせたのでした。カラオケ


日本では、1962年、伊東ゆかりさんが、あらかわひろしさんの訳詩でカバーしています。

「ロコ・モーション」とは、実は、スチーブンソンが発明した「蒸気機関車」のことです。ガックリ

機関車のピストンの動きを取り入れた「ロコ・ダンス」を、「ロコ・モーション」の歌と共に、伊東ゆかりさんがTVで紹介しました。

しかし、折しも「日劇ウエスタン・カーニバル」で「ツイスト」が大流行しており、ロコ・ダンスは残念ながらポピュラーにはなりませんでしたね。


この曲、1974年に、「グランド・ファンク」によって、ハード・ロックにアレンジされてカバーされ、週間ランキング第1位になっています。 流れ星

つい最近まで流れていたソフト・バンクのTV-CMは、このグランド・ファンクの曲を使っていました。

確か、「シルヴィー・ヴァルタン」もフランス語でカバーしていたと思います。


2000・・・何年だったか憶えていませんが、「オレンジ・レンジ」というグループが、彼らのオリジナルと言って、「ロコローション」という、似たようなタイトルの曲を発表しましたが、結局これもカバー曲でしたね。


「ロコ・モーション」と言えば、「キャロル・キング」と言うことで、彼女について少し触れましょう。


「キャロル・キング」は、1958年、16才の時にシンガーとしてデビューしました。クラッカー

1960年になって、最初の夫「ジェリー・ゴフィン」とのコンビで曲作りを始め、「ロコ・モーション」「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ」等、後世に残る名曲を数多く送り出しています。

しかし、ビートルズの米国上陸を境に翳りが見え始め、1968年、終には離婚までしてしまいました。


1970年から、ソング・ライターとしての才能を花開かせ、翌1971年、彼女の歴史的名盤「つづれおり」を発表。

全世界で2,200万枚以上のセールスを記録しました。

このアルバムは、15週間に亘って全米アルバム・チャートの第1位に輝き、その年のグラミー賞を獲得しています。


以前、ブログにも書きましたが、ニール・セダカの「おお キャロル」は、このキャロル・キングの事を歌ったもので、お返しにキャロル・キングは、ニール・セダカの事を歌った「おお ニール」を発表しています。恋の矢

ちなみにこのふたつの曲、歌詞が違うだけで、メロディは同じなんですよ。


キャロル・キングの歌は、五輪真弓さんや、ユーミンこと松任谷由美さんらに大きな影響を与えています。


音譜さあ さあ ダンスの ニュー・モード

音譜カモン ベイビー ドゥー ザ ロコ・モーション・・・


つづく