「サム・クック」は、1931年、ミシシッピ州で生まれました。
その後、シカゴに移住したクックは、バプティスト教会でゴスペルを歌いながら歌唱力を磨きました。
その頃、シカゴで人気のゴスペル・カルテット、「ソウル・スターラーズ」のリード・ボーカルがソロデビューした事もあって、当時若干19才のクックが、その後継者として抜擢されました。
そして、彼の甘いマスクと、黒過ぎない肌の色が幸いして、人気が爆発、ゴスペル・グループのトップの地位を得たのでした。
クックの甘いソフトな歌声と甘いマスクからは想像も出来ない力強いシャウトが、ゴスペル・ライヴの様相を一変させてしまいます。
多くの女性ファンがクックの歌を聴く為に教会に殺到して、黄色い声をあげるようになったのです。
1957年、ゴスペル界のアイドル、「サム・クック」は、周囲の反対をよそに、R&Bの歌手としてソロデビューしました。
(もしも、R&Bの世界でクックが失敗したならば、ゴスペルと両方のファンからそっぽを向かれる恐れがあると、周囲が心配して反対したのでした。)
デビュー曲、「ユー・センド・ミー」は、R&B部門でNO.1のヒットを飾りました。
クックの音楽は、それまでの黒人歌手のスタイルとは一線を画した洗練された音楽性が持ち味で、白人からの人気も高かったようです。
その後、エルヴィス・プレスリーもいた会社RCAに移籍、次々とヒットを飛ばすのです。
「キューピット」、「ツイストで踊り明かそう」、「アナザー・サタデー・ナイト」、「テネシー・ワルツ」・・・。
さらには、ニューヨークの高級クラブ「コパカバーナ」でショーも行いました。
(このクラブは、黒人がステージに立つなどということは、太陽が西から昇るようなものだと言われていました。)
クックが活躍したのは、1950年代、まだ人種差別が当然のように行われていた時代です。
クックは、持ち前の負けん気と計算力で、夢を実現させていったのでした。
1964年、ロサンゼルスノモーテルで、クックは33才という若すぎる死を迎えます。
モーテルに連れ込んだ売春婦に金品を全て盗まれてしまい、管理人室に逃げ込んだ女を全裸で追いかけて行ったところ、管理人から銃で射殺されてしまったのでした。
管理人と売春婦はグルだったとか、諸説噂がながれましたが、警察は、単なる不良黒人のどこにでもある死として扱ったのでした。
「サム・クック」は、彼の歌手としての活動があまりに短かったせいか、日本ではあまり知られていないようです。
しかし、彼の残した楽曲は、今でもオールディーズ・ファンを喜ばせています。
「Twistin' The Night Away(ツイストで踊り明かそう)」は、もちろん我がバンドのエンディングを飾る1曲です。
つづく






























