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ウルトラマン・Hの ひとりごと

音楽について語りたくてたまらないんです。

コーヒールンバ」は、アルパ奏者の「ウーゴ・ブランコ」の演奏で世界的に有名になった曲です。


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これが「アルパ」という楽器です。


原曲は、1958年、ブランコの叔父、「ホセ・マンソ・ペローニ」が作詞・作曲した「モリエンド・カフェ」という曲で、タイトルの意味は、(コーヒーを挽きながら)という楽曲です。


「ルンバ」と題が付けられているが、実際はルンバではなく、「オルキデア」というブランコが造り出したリズムだそうです。


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日本では、1961年、「西田佐知子」さんと、「ザ・ピーナッツ」のカバー版が競作されました。


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この2曲、作詞した人がそれぞれ違うので、歌詞が違っています。


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西田佐知子さんの方は、最初「欲望のブルース」のB面としてプレスされたのですが、1969年の再発盤では、「コーヒールンバ」がA面に差し替えられました。


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1992年、「YO-CO」なる歌手がカバーしましたが、この覆面歌手は、「荻野目洋子」さんでしたね。


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2001年には、「井上陽水」さんがカバーして、リバイバルヒットしました。


♪ 昔 アラブの 偉い お坊さんが ~


コーヒー文化の発祥の地はアラブであったとされています。

そのコーヒーの発見者は、イスラム教とキリスト教の修道僧だといわれていますから、(偉いお坊さん)という歌詞は、まんざら嘘ではない訳です。


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ところで、「アントニオ古賀」さんという方を知っていますか?

(1・2・3 ダーッ! のアントニオさんではありませんよ。)


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彼は、故古賀政男さんの弟子で、ギターの名手なんです。


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彼が唄っていた「クスリ・ルンバ」という曲、大好きなんですよ。


要するにこの曲、西田佐知子さんの「コーヒールンバ」の替え歌なんですけどもね。

それも、ただ単にその当時発売されていた薬の名前を列挙しただけというものなんです。

もちろん、意味なんてありません。


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アリナミン エスカップ オロナイン パンビタン

オロナミン グロンサン ルピット チオクタン

アスパラ サモン ポリック ロイヤルゼリー

リポビタン ルル エースパンシロン マミアン ベンザ


マスチゲン マムシゲン アクロマイシン キャベジン

新グロモント コルゲンコーワ クロロマイセチン


こんな歌でした。(唄ってみてください、おもろいでしょう?)


ちなみに、2006年にチロルチョコから、「コーヒールンバ」というチョコレート菓子が発売されました。

パッケージには、西田佐知子さんのジャケットが印刷されていたそうです。


つづく







1986年に公開された同名の映画、「スタンド・バイ・ミー」のテーマソングとして使われました。


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唄っていたのは、「ベン・E・キング」で、1961年に全米ヒットチャート第4位の大ヒットとなった曲です。


映画は、12才の少年4人の行動や心理を描いたもので、元々は、スティーブン・キングのホラー小説、「ザ・ボディー」を映画化した作品です。


あらすじは、森の奥にあるという事故で死んだ男の子の死体を捜しに行くというストーリーで、4人の少年達の冒険旅行を通して、友情や訣別を描いたものです。


この映画、実は、女性のキャラクターが一切出てきません。

ですから、当然、男と女の恋愛のシーンも皆無なのです。


そもそもこの映画は、女性の目線で作られているもので、男中心の作品になっているのはそのためです。


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さて、、「スタンド・バイ・ミー」を唄った「ベン・E・キング」についてですが、


ベンは、1958年、リードボーカルとして、ドゥ・ワップのグループ、「ドリフターズ」に加入しました。

決して、いかりやさんがいたグループではありませんよ。


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ダンス・ウィズ・ミー」、「ラストダンスは私に」等、ヒット曲を放っています。


1960年、ドリフターズを脱退して、ソロ・シンガー「ベン・E・キング」としてデビューしました。

翌年のデビュー曲が、「スタンド・バイ・ミー」でした。


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この曲は、映画の公開によって知ったという方がほとんどだと思います。


映画が公開されたのが1986年ですから、25年の月日を経てリバイバルヒットしたことになります。


この映画で主役だった、クリス・チェンバース役の「リバー・フェニックス」が、最近ドラッグ中毒で亡くなりました。

彼は、イケ面で将来を有望視されていた俳優でしたが、このクリスという役を生涯越えることができず、そのストレスから麻薬に手を出してしまったと言われています。


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ベンが抜けた後の「ドリフターズ」ですが、リード・ボーカルに「ジョニー・ムーア」や「ルディ・ルイス」が新たに加入して活動を続けています。

アップ・オン・ザ・ルーフ」、「オン・ブロード・ウェイ」、「アンダー・ザ・ボードウォーク」等、ヒット曲を放ちました。


つづく



スキーター・ディビス」は、1931年、ケンタッキー州に生まれました。

本名は、「メアリー・フランシス・ペニック」といいます。


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スキーター」とは、彼女の生地の方言で、「」のことをそう呼ぶそうです。

彼女は、幼い時、ちょこちょこと動き回り、ブンブンとうるさかったので、おバアちゃんが「スキーター」とあだ名を付けたそうです。


彼女は、ハイスクール時代に、友人の「ベティ・ジャック・ディビス」と二人で、「ディビス・シスターズ」を結成していました。

ディビス」というのは、その名残です。


スキーター・ディビス」といえば、1962年の大ヒット、「The End Of The World(この世の果てまで)」ですよね。

作曲は、「アーサー・ケント」、作詞は、「シルビア・ディー」という、米国のライターでした。


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1953年、カントリー・シンガーを夢見ていた彼女が、友人ベティとデュオを組んで、「I Forgot More Than You'll Ever Know」を発表して、これがその年のトップ・カントリー・ソングとなりました。


ところが、その年の夏、乗っていた自動車が大事故に遭遇し、パートナーだったベティが亡くなったのです。

もちろん、スキーター自身も、瀕死の重傷を負ってしまいました。


精神的にも、肉体的にも、傷ついてしまったスキーターは、唄う事を止めようかと考えます。


しかし、亡くなったベティのためにと、ソロ歌手としてデビュー、「この世の果てまで」を、ベティを偲んで唄ったのでした。


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この曲は、失恋の歌と思われがちですが、内容は、親しい人と死別してしまった時の気持ちを歌ったものなのです。


この曲は、多くの歌手にカバーされています。


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日本では、どちらかというと、「ブレンダ・リー」のカバーの方が有名かもですね。


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珍しいところでは、「カーペンターズ」もカバーしていました。


スキーター・ディビス」は、70才を越えてからも、カントリー・シンガーとして活動を続けていました。


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2004年9月、ナッシュビルのアライブ・ホスピスで、癌により他界しています。

享年72才でした。


つづく




1969年9月23日、イリノイ大学の「ノーザン・スター」という新聞に、こんな記事が掲載されました。


ポール・マッカートニーは、1966年11月9日(水)の早朝、

自動車事故で死亡していた。

今活動しているのはそっくりさんの替え玉だ。


このニュースはたちまち全世界を駆け巡りました。

1966年秋から1969年秋までの3年間に発表されていた、アルバムに隠されたメッセージを追ってみました。


○サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド


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ジャケットの墓地の花文字が、「BEATLES」と飾られている。

その下のベース・ギターは、左利き用であり、よく見ると「PAUL?」と読める。

赤い服を着せられた像は、死のシンボルであり、4本の腕の指は、実物と人形のポールを指差している。

ポールの頭の上にIssy Bonn氏の手が挙げられているが、この行為は、インドでは死のサインである。


ジャケット裏のポールの頭上に、「without you」と書かれている。

また、ポールだけが後ろ向きで写っている。(撮影時にポールが不在だったため、マル・エバンスが代役となって後姿で参加したそうです。)

ジャケット見開きのポールの腕に、「OPD」と書かれたワッペンが付いている。これは、「Officially Pronounced Dead」(正式に死を宣言した)の略である。(本当は、Ontario Provincial Policeなんだとか。)


「シーズ・リービング・ホーム」の中で、「ポールが水曜日の朝5時に死んだ」と唄っている。

「グッド・モーニング・・・」の中で、「お前を助ける術は無い」と唄っているが、「お前」とはポールの事である。

「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」に出てくる(自動車事故で死んだ男)とは、ポールのことである。


○マジカル・ミステリー・ツアー


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ジャケットでセイウチ(wolrus)のコスチューム姿がポールで、黒は死を表す。

付録の写真集で、軍曹に扮したポールの座る机には、「I Was」と、過去形のプレートが置いてある。

「ユア・マザー・シュッド・ノウ」で、ポールだけが黒いバラを付けている。

「ストロベリーフィールズ・フォー・エバー」のラストの方で、ジョンが「I buried Paul」(私がポールを埋めた)と言っている。

「アイ・アム・ザ・ウォラス」のラストにリア王の台詞が聞こえるが、「おお、こんなに早く死ぬのか?」と言っている。

また、コーラス部分を逆回転すると、「ハ、ハ、ハ、ポールが死んだ」と聞こえる。


○ホワイト・アルバム


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ジャケットを真っ白にしたのは、ポールの喪に服しているからだという。

「アイム・ソー・タイアード」で聞こえる「ムッシュウ、ムッシュウ・・・」という小さな声を逆回転すると、「ポールが死んだ、寂しい、寂しい・・・」と聞こえてくる。


○アビーロード


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横断歩道を渡る4人、ポールだけが裸足で、しかも、踏み出した足が皆と逆である。(ポールは、たまたまその日が暑かったからだと言っています。)

4人は葬式の行列になっていて、右から牧師(ジョン)、葬儀屋(リンゴ)、死人(ポール)、墓堀人(ジョージ)となる。

ポールは左利きなのに、右手にタバコを持っている。

ポールだけが目をつむって歩いている。


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ジャケット左に写り込んだフォルクス・ワーゲン(ビートル)のバック・ナンバーが、「28IF」で、これは、「IF(もしも)」ポールが生きていたら「28」才であると解釈できる。(実は、このワーゲンは、アビーロード・スタジオのスタッフの持ち物で、いつもこの場所に車を停めていたのだとか。)

アルバム1曲目「カム・トゥゲザー」の中で、「one and one ando one is three」と唄っている。ビートルズは4人なのに。


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この頃のビートルズは、ちょうど活動停止状態にあった時期で、4人はそれぞれソロ活動に専念していました。

当のポールはというと、スコットランドで家族水入らずの生活を送っていて、公の場に顔を出す事はほとんどなかったのです。

皆マスコミを相手にしなかったのですが、あまりに反響が大きいことから、ライフ誌の取材に応じるかたちで、ポールが公に姿を見せたことで、この「ポール死亡説」は終焉を迎えました。


全てこじつけなのでしょうけど、よく見つけたものですね。


つづく



レスリー・ゴーア」は、1946年、米国生まれの人気アイドルスターです。

父親は、ピーターパンという水着メーカーの社長で、裕福な家庭に育ったお嬢さんでした。


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10才の頃、いとこのジャズ・バンドで唄っているところを、マーキュリー・レコードのスタッフが見つけ、オーディションを勧めます。

レスリーのデモテープを聴いた「クインシー・ジョーンズ」が、250曲ものデモテープを抱えてレスリーの家を訪れます。

その、のっけに聴いた曲が、この「涙のバースディ・パーティー」でした。


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当時は、いろんな歌手のところに同じデモテープが回っていたようで、要は(早い者勝ち)みたいなところがあったのです。

事実、この曲は、「クリスタルズ」がすでに録音していると分かって、レスリーの声で急遽レコーディングして、緊急発売したといいます。


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デモテープを聴いたのが1963年の2月、3月にレコーディングして、ラジオから曲が流れたのが、それからわずか6日後のことだったといいます。

デビュー・レコードの発売は、4月末のことでした。


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美しい金髪をなびかせて唄う「レスリー・ゴーア」の曲は、たちまち大ヒットしたのでした。


涙のバースディ・パーティー」は、2週間連続全米第1位の大ヒットとなりました。


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2曲目の「涙のジュディ」は、全米第5位でした。


デビュー曲は、自分の誕生パーティーで、恋人のジョニーをジュディに横取りされてしまう、という内容で、レスリーのワザとらしいつっけんどんな唄い方が受けました。


2曲目は、ジョニーを取り戻し、今度泣くのはジュディ、あなたの番よ、という内容です。


自分の曲に、自分でアンサーソングを唄ったという、珍しいことですよね。


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3曲目の「ラッキー・ガール」も、全米第5位。


次に発表した「恋と涙の17才」は、全米第2位になったのですが、その時の第1位は、7週間連続のビートルズの「抱き締めたい」でしたから、大健闘といえますね。


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涙のバースディ・パーティー」は、1981年、ディブ・スチュワートとバーバラ・ガスキンのデュエットで、リバイバルしてミリオン・ヒットしました。



それから、内緒なんですが、レスリー・ゴーアは、実は同性愛者で、40才くらいから愛人の女性(?)と同棲していたそうです。


(ブログで書いといて、何が内緒やねん!)


つづく