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ウルトラマン・Hの ひとりごと

音楽について語りたくてたまらないんです。

2007年、シカゴで開催された「クロスロード・ギター・フェスティバル」での「ジェフ・ベック」の映像を観ていました。

すると、小柄な可愛い女の子がベース・ギターを担いでステージに立っていました。

やがて、ベックの演奏が始まると、何と、その女の子がベースを弾いていました。


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それも、驚きのフェンガー・テクニックです。叫び


彼女の名前は、「タル・ウィルケンフェルド」。


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1986年生まれといいますから、今年、24歳はてなマークビックリマーク

きゃあ~っ、まいった!!


2009年、ファースト・リード・アルバム「トランスフォーメーション」が日本で発売されました。

もちろん、買っちゃいましたよ。


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1曲目から、その驚愕のテクニックに圧倒されてしましました。


彼女がギターを手にしたのが14歳、その3年後、「ジャコ・パストリアス」、「アンソニー・ジャクソン」に影響を受けてベースに転向しました。


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ファースト・アルバムを出したのが20才ですから、ベースに転向してからわずか3年足らずで、このテクニックを身につけたことになりますね。


それに、このアルバム、作曲、アレンジ、プロデュースまでやってくれちゃってます。


前出のシカゴのライヴでジェフ・ベックと共演した時、ベックが「悲しみの恋人たち」で、タルの強烈なベース・ソロをフィーチャーしました。


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会場の45000人の観客が、タルの卓越したテクニックに度肝を抜かれたのです。


彼女は、「オールマン・ブラザーズ」、「チック・コリア」、「ハービー・ハンコック」、「ウェイン・ショーター」等、ビッグ・ネームのミュージシャン達と共演しています。


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脅威といえるフィンガー・テクニック、実にメロディアスなベース・ライン、時折見せるスラップ等、光り輝く超絶リズムで聴かせてくれます。

この可愛さでこのテクニック、まさに「天才ベーシスト」ですね。


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2008年、ベース・プレイヤー誌の人気投票で、最優秀新人賞も獲得しています。


つづく






「ティンタレラ・ディ・ルナ~ 蒼い お月様~」

日本では、「森山加代子」さん、「ザ・ピーナッツ」さんの歌でおなじみですね。


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1959年、「ミーナ」が唄って、イタリアでNO.1ヒットを記録しました。

「ミーナ」は、本名「アンナ・マリーア・マッツィーニ」といって、1940年生まれのカンツォーネの歌手です。

デビューは1958年で、翌年のサンレモ音楽祭で唄われた「ネッスーノ」という曲をカバーして大ヒットしています。


「ミーナ」は、写真のとおり、抜群のスタイルと美貌とで、一躍トップ・スターとなりました。


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1965年のイタリアのLPレコード売り上げランキングでは、

第1位が、ミーナの「Studio Uno」で、「砂に消えた涙」が収録されていました。

第2位と3位が、ビートルズの「For Sale」と「In Italy」でした。

そして、第4位が、ストーンズの「Around And Around」でした。


つまり、「ミーナ」は、イタリアでは、「ビートルズ」や「ローリング・ストーンズ」よりも人気が高い歌手だったということです。


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ミーナの曲は、「月影のナポリ」、「砂に消えた涙」、「別離」等、多くが日本でもヒットしました。

砂に消えた涙」も多くの歌手がカバーしていますね。

私は、「弘田三枝子」さんのカバー曲が好きです。


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月影のナポリ」は、日本では、前出しましたが、「森山加代子」さんと「ザ・ピーナッツ」さんの競作となりました。

シングルも「月影のナポリ/白鳥の恋」という同じカップリングでした。


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両方とも作詞が岩谷時子さんなのですが、歌詞がぜんぜん違うのです。

当時は、両方の曲の歌詞をチャンポンにして唄っていた人が多かったようです。

テンポは、「森山加代子」バージョンの方が少しスローテンポですね。

この曲、実は、日本で初めての「流行歌ステレオ・バージョン」ではないかと言われています。


売り上げは、6対4くらいで、「森山加代子」さんに軍配が上がりました。


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ちなみに、「ティンタレラ・ディ・ルナ」というのは何のことかというと、「月光浴」という意味です。


つづく

1977年8月16日の朝、「エルヴィス・プレスリー」が死んだ。

今年でもう33年にもなるんですね。

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テネシー州ナッシュビルのサン・スタジオで、超一流スタジオ・ミュージシャンを集めて、初のレコーディングが行われたのが、エルヴィス21才の時でした。


レコーディングの顔ぶれは、

スコッチ・ムーア(ギター)、 ビル・ブラック(ベース)、 D.C.フォンタナ(ドラム)、 チェット・アトキンス(ギター)、 フロイド・クレーマー(ピアノ)、 ゴードン・ストーカー(コーラス)、 ベン・スピアー(コーラス)、 ブロック・スピアー(コーラス) という、当時のナッシュビルの素晴らしいスタジオ・ミュージシャン達でした。


他に、プロデューサーにスティーブ・ショールス、 エンジニアがボブ・フェリスでした。


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その時すでに超一流ミュージシャンだったギタリストのチェット・アトキンスは、31才、ピアニストのフロイド・クレーマーは、何と22才でした。


そこでレコーディングされた「ハートブレイク・ホテル」と「アイ・ウォズ・ジ・ワン」が、発売と同時に大ヒットし、まもなく世界中のファンを獲得し、大統領よりも有名な男になっていくのです。


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ロック」の歴史に大きな影響を与えた白人アーティストといえば、

エルヴィス・プレスリー、 ザ・ビートルズ、 そして、ボブ・ディラン くらいでしょうか。


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エルヴィスは、「ロック」という新しい音楽の歴史を大きく塗り替えただけでなく、1950年代の米国の文化そのものを根本的に変えてしまうような、大きな役割を果たしました。


だからこそ、彼は、死んでもなお米国文化の象徴として、未だに語り継がれているのだと思います。


彼は、死ぬ前の7年間に1000回以上のライヴを行いました。

寝る暇もないくらいのハード・ワークだったことでしょう。


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彼の死因は、ライヴとその移動による過労と、

偏った食事(ピーナツ・バターのサンドイッチが好物でした。)による糖尿病

そして、常用していた睡眠薬のデメロール、覚せい剤のアンフェタミン、ステロイド系の鎮痛薬等による薬物ショック死ではないかと思います。

正式な発表は、心臓麻痺でしたね。


エルヴィスは、雑巾のようにボロボロになった肉体を引き摺りながら、エンターテナーの道を歩み続け、そして、燃え尽きたのでした。


エルヴィスがわずか42才の若さで亡くなったにもかかわらず、今でも何処かで生きているかのような印象を持つのは、あまりに死後の「後日談」が長すぎたからかも知れませんね。


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そうそう、まるで、あの「ブルース・リー」と、何だか似ていますよね。


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1年前に他界した「マイケル・ジャクソン」も、10数年経つと、同じように語られるのでしょうね。

きっと・・・。


つづく





ジャズ」が生まれてからだいたい100年くらいになるそうです。


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米国ルイジアナ州ニューオリンズの街で、ポップスのひとつの形態として生まれたといわれています。

南北戦争が終わって、軍の楽団がいらなくなった管楽器を放出、それが黒人達の手に渡り、「ジャズ」というニューオリンズ独特の音楽文化に発展したものだそうです。


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ニューオリンズでは、「JASS」と呼ばれていました。

シカゴでは、これと区別するために「JAZZ」と呼んでいたそうです。

今で言う「ジャズ」は、どうやらシカゴが語源のようですね。


そして、20世紀半ば頃には、人種の枠を越えた音楽のひとつのジャンルとして認識されました。


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ジャズ」とはつまり、作曲されたひとつの楽曲ではなくて、その曲をどのように演奏するか、その演奏のやり方をいうのではないかと思います。


ジャズの魅力は、何といっても「アドリブ」です。

これは、ラテン語の「自由に」という言葉、つまり「ad libitum」が語源になっています。

プレイヤーの感覚、感性で、瞬間的に創作して自由にプレイする「即興演奏」のことをいいます。


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日本にジャズが入ってきてポピュラーになった頃、ジャズ喫茶の片隅で、難しい顔をして、いかにも(俺はジャズを聴いてるぞ)ってな感じで陶酔していた奴をよく見かけたものでした。

私は、そういうの、嫌いです。


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ジャズって、本当は、売春宿の待合室や、クラブやキャバレー等の酒場のBGMだったのですよね。

何も難しい顔して聴くような音楽じゃないと、私は思うのです。


事実、「JASS」という言葉は、性行為を意味する隠語だそうで、売春宿のことを「JASS HOUSE」というのだそうです。


何だか話しが横道に逸れてしまいました。


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「ジャズ」は、いわゆるオフ・ビートというリズムが使われます。

分かりやすく4拍子でいえば、「いち にい さん しい」というふうに、偶数拍にアクセントをおくリズムです。

これは、黒人が先天的にもっているビートだそうで、白人や特に日本人にはなじみがないのだとか。


ライヴの時の手拍子、間違っていた事に気づきましたか?

炭坑節をオフ・ビートで・・・、いけませんよね。


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まあ、いろいろ言ってはみても、「ジャズ」は音楽のジャンルのひとつです。

難しく考えないで、気楽に、そう、BGMで聴いてみるのもいいかもですね。


つづく




プラターズ」は、1950年代に華々しい活躍をしていたドゥー・ワップの黒人グループです。

1953年、バスの「ハーブ・リード」をを中心に結成され、翌年、女性ボーカルの「ゾーラ・テイラー」を加えて、5人編成となりました。


メンバーは、    リーダーの「ハーブ・リード」(バス)、

        リード・ボーカルの「トニー・ウィリアムス」(テノール)

                   「デビッド・リンチ」(テノール)

                   「ポール・ロビー」(バリトン)

       そして、女性ボーカルの「ゾーラ・テイラー」でした。


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そもそも「The Platters」とは、「大きなお皿」、つまり「レコード」を意味する言葉です。


マーキュリー・レコードと契約した1955年、「オンリー・ユー」を発表、R&Bチャートで7週間連続第1位を記録する大ヒットとなりました。


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続いて出した「グレート・プリテンダー」も、全米ポップチャート第1位を獲得しています。


ところで、「プラターズ」というグループは、ひとつだけじゃない、複数存在するらしいのです。


こんな話があります。

2001年9月、ニューヨークでテロが勃発したのは、記憶に新しいところです。

その時、日本の「ブルー・ノート・トーキョー」で公演を予定していたタレントが、テロの影響で飛行機が飛ばず、来日出来なくなりました。

そこで、ちょうど日本でツアーをやっていたのが「プラターズ」で、その抜けた穴を埋めることになりました。

降って湧いたような話しですので、チケットを売る時間がありません。

誰でもいいからと動員かけて、何とか観客を集めて、ライヴが始まりました。

ところが、「プラターズ」のオリジナル写真のメンバーが誰一人居なかったのです。

ここに居る「プラターズ」は何者だ? という話になったそうです。


つまり、「プラターズ」は、米国で活動しているグループが最低でも「7つ」、英国や仏国で活動しているものも入れると、何と「20」くらいはあるというのです。


要は、「プラターズ」という名前が相当なビッグ・ネームであることを意味しています。


実は、メンバー・チェンジを繰り返すうちに、抜けていったメンバーが次々に新しいグループを作り、「プラターズ」を名乗るものですから、こんな結果になってしまったという訳です。


「プラターズ」というグループ名を使用する権利をめぐる裁判が、30年以上も続いているといいますから、これまた凄い話しですよね。


プラターズ」は、素晴らしい曲をたくさん残しています。


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1958年に発表した、「煙が目にしみる」がいいですよねえ。

この曲、1933年に「ジェローム・カーン」というシンガーによって世に出たものなのですが、「プラターズ」によってリバイバル・ヒットしたものなんですね。


他にも、「トワイライト・タイム」、「ユール・ネバー・ノウ」、「夕日に赤い帆」等、ミリオン・セラーの連発でした。


1990年、ロックの殿堂入りを果たしています。


女性ボーカルの「ゾーラ・テイラー」は、2007年に69才の若さで他界していました。

オリジナル・メンバーで生き残っているのは、バスの「ハーブ・リード」だけのようですね。


オンリー・ユー」で聴かれる、「トニー・ウィリアムス」の最高のボーカルに、酔いしれたいと思います。


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つづく