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ウルトラマン・Hの ひとりごと

音楽について語りたくてたまらないんです。

大好きなカントリー・ソングの中に、「ミスター・ボージャングルス」という曲があります。


初めて聴いたのは、「ニッティ・グリッティ・ダート・バンド」というユニークなバンドでした。


1968年、「ジェリー・ジェフ・ウォーカー」という当時23才だったカントリー・シンガーが作りました。


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この歌に出てくる「ボージャングル」って、いったい誰なの? と、調べてみると、ありました。

1920年代、黒人タップ・ダンサーだった「ビル・ロビンソン」という人がその人ではなかったか、と、言われています。

あの人間風車で有名なプロレスラーではありませんよ。


確かに、「ビル・ロビンソン」は、「ボージャングル」の愛称で呼ばれていた、実在する人物には違いないのですが、実は、「ジェリー・ジェフ・ウォーカー」が歌った「ボージャングル」は、彼とは全く別人なんだそうです。


1965年、ウォーカーは、酔っ払ってブタ箱に入れられてしまいました。

そこに先客で入っていたのが、妙に味のある一人のじいさんで、自ら「ボージャングル」と名乗り、滑稽なダンスを踊りながら、ウォーカーに人生を語って聞かせたそうです。

じいさんは、ボードビリアンだったのですね。

その話に感動したウォーカーは、出所するとすぐに「ミスター・ボージャングルス」を書き上げたのでした。


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本家「ボージャングル」の「ビル・ロビンソン」は、当時の黒人芸人としては珍しいほどの恵まれた生活をしていました。


しかし、ウォーカーの歌に出てくるじいさんはと言うと、

老いぼれ犬を連れて、貧しい米国南部をドサ回りしながら、

場末の安酒場でビールを飲むためのチップを貰うために、滑稽なダンスを踊る、

呑んだくれの田舎芸人だったのです。


ミスター・ボージャングルス」の歌詞の中にこんな件(くだり)があります。


ボージャングルは、今日も酒場の片隅でうなだれている。

ただ頭を振っていると、誰かが声を掛ける。

プリーズ! ボージャングルじいさん、踊って見せてくれよ。

高くジャンプして、カカトを鳴らしておくれよ。

よれよれのシャツをひらひらさせて、俺達を笑わせてくれよ。

誰か、ジューク・ボックスに、コインを入れてくれ。


ボージャングルじいさんの姿が、目に浮かびませんか?


15年連れ添った犬が、老いぼれて死んじまったんだ。

あれから20年も過ぎるのに、俺はまだ悲しいんだ。


犬好きな人には、じいさんのこの気持ち、きっとわかるのでしょうね。

(ちなみに私は、オバケのQ太郎でして、犬はさっぱりニガテなんです。でも、この気持ち、分かります。)


ウォーカーは、友人の「デビッド・ブロンバーグ」(カントリー・ギターの名手です)と組んで、この曲をレコーデシングしましたが、ヒットにはいたりませんでした。


1970年になって、「ニッティ・グリッティ・ダート・バンド」が、アルバム「アンクル・チャーリー」に収録して、シングルカットするや、たちまちビルボード第9位の大ヒットとなったのでした。


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ニッティ・グリッティ・ダート・バンド」のライヴでは、この歌を唄う時、両脚を横にジャンプして、カカトをぶつけるパフォーマンスを見せてくれていました。


この曲、いろんなミュージシャン達がカバーしています。

ジョン・デンバー」、「フランキー・レイン」、「ニーナ・シモン」、「サミー・デービスJr」・・・。

いろいろ聞き比べてみるのも面白いと思います。


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「サミー・デービスJr」、懐かしいですねえ、サントリーのCMを思い出しますね。(古いなあ)


つづく





「酒黄良さん」から「リフ」って何? と、コメントいただきました。

お答えしたいと思います。


音楽における「リフ(RIFF)」とは、繰り返されるコード進行、音型、旋律の音型である。

主にリズムセクションを担当する楽器によって演奏され、楽曲の基礎や伴奏として成立するものを言う。

と、Wikipediaに説明が載ってました。


ちょっと難解ですよねえ。


要するに、「リフ」とは、「リフレイン」の略のこと。

曲のイントロや、ソロのアドリブ等、曲の随所で、ギターやキーボード(ピアノ)等によって反復して演奏される、印象的なというか、かっこいいフレーズの事を言います。


ソロを引き立てるための、ごく短い小節の反復の事で、曲の中で一定のフレーズを繰り返すことで、その曲のイメージを強くしたり、親しみを持たせたりする役目を持っています。


例えば、そうですねえ、

チャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」のイントロ。

それから、有名なところでは、

ザ・ナックの「マイ・シャローナ」のイントロ。

このフレーズが始まると、「ああ、あの曲か」と、すぐ分かっちゃうでしょう。


リフ」ってだいたい4小節くらいのフレーズがほとんどです。

ライヴで、印象的なイントロが流れ始めただけで、観客が「わぁ~っ!」と歓声を上げるシーンがよくあるでしょう。

これなんですね、「リフ」っていうのは。

こんな短いフレーズ一発でリスナーの心をキャッチしてしまうのですから、凄いとしか言いようがありません。


他にも例を上げると、

ビートルズの「デイ・トリッパー」、それに「バースディ」、

スティービー・ワンダーの「スーパー・スティション(迷信)」、

ディレク&ドミノスの「いとしのレイラ」等、

シンプルで実にかっこいい「リフ」ですよね。


それから、ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」、

       クリームの「サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ」、

       ローリング・ストーンズの「サティスファクション」等、

ハード・ロック系の曲に、ド派手でかっこいい「リフ」がたくさんありますね。


イントロを聴いただけでその曲を思い出してしまうのは、やはり「名リフ(名曲)」ってことなんです。


こうして考えてみると、ギターの「リフ」といえば、やっぱりハード・ロックなんですかねえ。


クラシックで言えば、ベートーベン交響曲第5番「運命」の【ジャジャジャジャーン】ってやつ、これはクラシック界で最優秀賞の「リフ」じゃないでしょうか。


少し細かい事を言えば、「リフレイン」の本来の意味は、「反復句」といって、繰り返し演奏される同じメロディや同じ歌詞の事をいうので、ここでいうところの「リフ」とは少しニュアンスが違うのですけどもね。

まあ、細かい事は抜きにしましょう。


ジョニー・B・グッド」、「ロール・オーバー・ベートーベン」等、超有名な曲に見られる独特のイントロ、それから、アドリブに見られるあのテテテ、テケテケテケという独特のフレーズは、「チャック・ベリー」が残した偉大な「リフ」なんですね。


この「リフ」に著作権があったならば、「チャック・ベリー」は億万長者になっていただろうという訳です。

それだけ使用頻度が高いのがベリーのフレーズだったのです。


リフ」って何か、分かってくれたかなあ?


つづく






前回のブログに取り上げた「チャック・ベリー」は、ギターのロックンロールの元祖でした。

今回取り上げる「リトル・リチャード」は、ピアノのロックンロールの元祖と言えます。


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リトル・リチャード」は、1932年、米国南部のジョージア州で生まれました。

彼の祖父がキリスト教の牧師だったことで、幼い頃から厳しく育てられたそうです。

でも、彼には大きな秘密がありました。

彼は、実は、「ゲイ」だったのです。

その後、ドラッグ中毒で収容されてもいます。


当然、厳格な両親の元では生活できなくなって、家を出て、メディスン・ショーという黒人達による大道芸のグループに入って、歌やダンスを勉強しました。

ゲイ」だったために家出をして「」の世界に入った、なんて言うとダジャレになりますねえ。

ブルースやR&Bが米国全土に広まったのは、このショーによるところが大きいと言われています。


15才の頃、彼は、ピアノと歌で、ミュージシャンとしての才能をすでに認められていました。

16才の時、彼は、ラジオのタレント・オーディションの番組で見事に優勝、レコーディングのチャンスを掴みました。

しかし、いくつか出したR&Bのシングルは、さっぱりセールスにはなりませんでした。


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1955年、スペシャルティー・レコードからお呼びが掛かって、ニューオリンズのスタジオでレコーディングが始まりました。

ところが、録音が上手く運ばず、苛立った彼が悪態をつきます。

ワッパブ・ル・バッパ・ワッパッパ・ブーン

この意味無しフレーズが、「トウッティ・フルッティ」の誕生に繋がったのですから面白いですね。

この曲、発売と同時に、R&Bチャートで全米第2位、ポップ・チャートでも第17位になる大ヒットとなり、ロックン・ロール史上でも、最も重要な曲のひとつとなったのでした。


これがきっかけで、一気に「リトル・リチャード」の時代が到来します。

1956年、「のっぽのサリー」がR&Bチャート第2位、「スリッピン・アンド・スライディン」が同じく第2位。

同年に出した「リップ・イット・アップ」は、チャート第1位と、続けざまに大ヒットをとばしました。


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1957年、「ルシール」がR&Bチャート第1位、「センド・ミー・サム・ラヴィン」が同じくチャート第3位。

ジェニ・ジェニ」、「キープ・ア・ノッキン」がそれぞれチャート第2位、「グッド・ゴリー・ミス・モリー」が第4位と、止まるところを知りません。


彼のヒット曲は、ビートルズやプレスリー、ストーンズ、CCR等、無数の白人ロック・シンガー達に受け入れられ、ロックのスタンダード・ナンバーとしての地位を確立したのでした。


1957年の暮、彼は、突然、ロックンローラーとしての活動に終止符を打ちます。

「地球が炎に包まれてしまう地球最後の日を夢で見たから」とか、「ツアーの飛行機が墜落しかけて九死に一生を得たから」というのが、その理由だったそうです。

その後、同性愛やドラッグを否定し、ロックンロールという音楽までも否定するようになり、世界中で布教活動を行いました。

当然、ロックンロールを唄う事はなくなり、専らゴスペルを唄う毎日だったといいます。


そんな彼が、1962年、突如としてロックンロールの世界にカムバックして、ツアーを慣行しました。

この時のツアーのバックバンドの中に、ギタリストとしてあの「ジミ・ヘンドリクス」が参加していました。


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その後、再びゴスペルの世界に戻っていきますが、ミュージシャンとしての輝きは、その後再び光を放つ事はありませんでした。


ギターの「チャック・ベリー」と並んで偉大な功績を残したピアノの「リトル・リチャード」なのですが、イマイチ認知度が低いのは何故なのでしょうね。


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つづく







1926年、カリフォルニア州サンホセで「チャック・ベリー」は生まれました。

幼い頃は、それほど音楽に触れてはいなかったようで、17才の時、車の窃盗罪で3年間少年院に入ります。

出所後、彼は、セントルイスでミュージシャンの道を歩む事になります。


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ビリー・エクスタインナット・キング・コールマディ・ウォーターズチャーリー・クリスチャン等、憧れのヒーロー達の影響を受けながら、プロのミュージシャンとして活動を続けました。


ある日、シカゴのクラブで演奏をしていると、そこへやって来たのがブルース界の大物、「マディ・ウォーターズ」でした。

チャックの演奏を気に入ったマディは、チャックにチェス・レーベルのオーディションを受けさせます。


そこで演奏したのが、「ウィー・ウィー・アワーズ」と、「アンダー・レッド」という彼のオリジナル曲でした。

そして、「アンダー・レッド」を焼き直して、記念すべきデビュー・シングル「メイベリーン」が発売されました。

B面に、「ウィー・ウィー・アワーズ」が収録されました。


この曲、当時の人気だった伝説のロックンロールDJ、「アラン・フリード」が、ラジオでかけまくった事もあって、全米第5位の全国的大ヒットとなりました。

それまで黒人にしかなかったR&Bを、「ロックンロール」という言葉で広めたのも、「アラン・フリード」でした。


これから「チャック・ベリー」は、ヒット曲を連発することになります。

1956年、「ロール・オーヴァー・ベートーベン」、これは全米29位でした。

1957年、「スクール・ディ」、全米第3位の大ヒットでした。

同じく、「オー・ベイビー・ドール」が全米57位、「ロック&ロール・ミュージック」は全米第8位でした。

1958年には、「スウィート・リトル・シックスティーン」が全米第2位の大ヒット、そして、「ジョニー・B・グッド」が全米第8位と、立て続けに大ヒット曲をチャートに送り込みました。


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もしも「ギターのリフ」に著作権があったならば、「チャック・ベリー」は億万長者になっていたと言われています。

それ程、彼の生み出したギター・リフは、無数の楽曲で使われています。


キース・リチャーズ(ローリング・ストーンズ)」のギターは、まるでチャック・ベリーのコピーですよね。

ビーチ・ボーイズの「サーフィンUSA」は、「スウィート・リトル・シックスティーン」を焼き直ししたものである事は有名です。

「ロール・オーヴァー・ベートーベン」、「ロック&ロール・ミュージック」は、ビートルズがカバーしました。


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「トゥー・マッチ・モンキー・ビジネス」は、エルヴィス・プレスリーがカバーしました。


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「ジョニー・B・グッド」などは、ジミ・ヘンドリクス他、どれだけのバンドがカバーしたか数えられないくらいです。


エルヴィス・プレスリーは、「ロックンロール」を、白人達に広めた貢献者でした。

チャック・ベリーは、「ロックンロール」を、世界中の若者達に広めた貢献者と言えます。


もうひとつ、チャック・ベリーの功績を高く評価した人達に、NASAがありました。

1989年、ボイジャー2号に乗せた宇宙人へのお土産の中に、「ジョニー・B・グッド」をデジタル録音したディスクが収められました。(バッハの曲も収められていましたね。)

そのボイジャーは、太陽系を飛び出して、遥か外宇宙へと旅立って行きました。


ヴェートーベンを超えて、バッハと肩を並べるなんて、まさに「ロックンロールの神様」と呼ばれるにふさわしい大スターですよね。


チャック・ベリー」、御歳70才を越えた今も、世界中を駆け回るロックンローラーなのです。


つづく




リッキー・ネルソンは、1940年生まれの米国のシンガー・ソングライターです。

とにかくイケ面で、1950年代は、あのエルヴィス・プレスリーに次いで人気があったと言います。


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音楽一家に生まれた彼は、ガールフレンドに自慢したいばかりに、ロックンローラーになりたいと、当時スイング・ジャズのバンマスだった父に頼み込みます。

父の働きかけで、ジャズ・ギタリストのバニー・ケッセルを介してデビューを飾ります。


親の七光りでデビューした「リッキー・ネルソン」でしたが、シンガーとしては天性の才能を持っていました。


1957年のデビュー・シングル、「アイム・ウォーキン」は、いきなり全米チャート第2位の大ヒットとなりました。

日本では、あの天才少年、ポール・アンカの影に隠れてしまっていましたね。


翌58年、「ロンサム・タウン」を発表しますが、この曲、亡くなったリンダ・マッカートニーが大好きだったらしくて、ポール・マッカートニーがライヴでこんなMCをしていました。


二人が出会うずっと昔、「ロンサム・タウン」という歌が大好きで、大西洋を挟んだ違う空の下で、お互い同じ曲を聴いていたんだね。


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リンダに捧げる最高のMCじゃござんせんか。(T▽T;)


1961年、「トラベリン・マン」が、全米チャート第1位になりました。


このB面に収録されていたのが、「ハロー・メリー・ルー」で、日本では、こちらの方がヒットしたようです。

この曲、作ったのは、「ルイジアナ・ママ」の「ジーン・ピットニー」なんですね。


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ハロー・メリー・ルー」もベスト10に入りましたから、いわゆる両面ヒットというやつです。


この曲、カントリー・タッチで軽快なノリの良い作品で、間奏で流れる「ジェームス・バートン」のかっこいいギター・ソロは名人級ですよね。


1962年になって、「リッキー」という子供っぽい名前を止めて、「リック・ネルソン」と改名します。

そして、日本で最大のヒットとなった「ヤング・ワールド」を発表しました。


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彼は、1957年のデビューから1985年にかけて、米国で48曲、英国で19曲がチャート・インしています。

その中でベスト10に入ったのは、米国で14曲、英国で4曲ありました。


運命とは悪戯なもので、1985年、コンサート会場へ向かう自家用飛行機が墜落(叫び)(ドクロ


還らぬ人となりました。(享年45才でした。)


つづく