今日、10月4日は、「ジャニス・ジョプリン」の命日でした。
もう亡くなってから40年くらい経つのかなあ? 確か、享年は27才だったと思います。
ちょうど「ジミ・ヘンドリクス」と同じ頃現れて、同じ頃、同じような原因で去っていきました。
ジャニスがデビューした当時、あの独特のしゃがれ声で歌うブルースを聴いたリスナーは、てっきり黒人のブルース歌手が唄っていると思ったと言います。
「白人があんな風に歌えるなんて、信じられない」と言ったのは、ポール・マッカートニーでした。
ジャニスの名前が一躍全米中に知れ渡ったのは、1967年のモンタレー・ポップ・フェスティバルへの出演でした。
ジミ・ヘンドリクスと共に、フェスティバルを盛り上げ、観客を総立ちにさせたのでした。
翌年リリースしたライヴ・アルバム「チープ・スリル」は、全米で8週間連速第1位という大ヒットとなりました。
1970年、ジャニスの求めていた理想のバンド、「フル・ティルト・ブギー・バンド」が結成されました。
早速、ジャニスは、アルバムの作成に入りましたが、ほぼレコーディングが完成しかかった10月4日、ハリウッドのホテルの一室で死体となって発見されたのでした。
使用したヘロインの純度が高かったことで、致死量を越えてしまったことが原因と言われています。
ジャニスは、1963年ころからヘロインの常習者であったといいます。
最後に残されたアルバムは、ジャニスのニック・ネームから、「パール」とネーミングされました。
1971年にリリースされ、全米で9週間連続第1位を記録しました。
ジャニスの遺作となったこのアルバムは、ジャニスの最高傑作と言われています。
収録曲「メルセデス・ベンツ」は、ジャニスがアカペラで仮録音した声をそのまま使っています。
また、「生きながらブルースに葬られ」は、ジャニスの声が収録できないままとなってしまい、この1曲だけが演奏のみのインストゥル・メンタル・ナンバーとして収録されています。
何だか、ジャニスの未来を見通したようなタイトルですよね。
シングル・カットされた「ミー・アンド・ボビー・マギー」は、初の全米チャート第1位を獲得しました。
「ドラッグ セックス ロックンロール
これだけあればいい」
そう言っていたロックの歌姫、「ジャニス・ジョプリン」は、9月に逝ったジミ・ヘンドリクスの後を追うように、その1ヶ月後に逝ってしまいました。
残された遺産は、2,500ドルでした。
葬儀の夜は、友人が200人集まって、その金で一晩中飲み明かしたといいます。
つづく






































