ウルトラマン・Hの ひとりごと -15ページ目

ウルトラマン・Hの ひとりごと

音楽について語りたくてたまらないんです。

ウルトラマン・Hの ひとりごと


今日、10月4日は、「ジャニス・ジョプリン」の命日でした。


もう亡くなってから40年くらい経つのかなあ? 確か、享年は27才だったと思います。

ちょうど「ジミ・ヘンドリクス」と同じ頃現れて、同じ頃、同じような原因で去っていきました。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

ジャニスがデビューした当時、あの独特のしゃがれ声で歌うブルースを聴いたリスナーは、てっきり黒人のブルース歌手が唄っていると思ったと言います。

白人があんな風に歌えるなんて、信じられない」と言ったのは、ポール・マッカートニーでした。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

ジャニスの名前が一躍全米中に知れ渡ったのは、1967年のモンタレー・ポップ・フェスティバルへの出演でした。

ジミ・ヘンドリクスと共に、フェスティバルを盛り上げ、観客を総立ちにさせたのでした。


翌年リリースしたライヴ・アルバム「チープ・スリル」は、全米で8週間連速第1位という大ヒットとなりました。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

1970年、ジャニスの求めていた理想のバンド、「フル・ティルト・ブギー・バンド」が結成されました。

早速、ジャニスは、アルバムの作成に入りましたが、ほぼレコーディングが完成しかかった10月4日、ハリウッドのホテルの一室で死体となって発見されたのでした。


使用したヘロインの純度が高かったことで、致死量を越えてしまったことが原因と言われています。

ジャニスは、1963年ころからヘロインの常習者であったといいます。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

最後に残されたアルバムは、ジャニスのニック・ネームから、「パール」とネーミングされました。

1971年にリリースされ、全米で9週間連続第1位を記録しました。

ジャニスの遺作となったこのアルバムは、ジャニスの最高傑作と言われています。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

収録曲「メルセデス・ベンツ」は、ジャニスがアカペラで仮録音した声をそのまま使っています。


また、「生きながらブルースに葬られ」は、ジャニスの声が収録できないままとなってしまい、この1曲だけが演奏のみのインストゥル・メンタル・ナンバーとして収録されています。

何だか、ジャニスの未来を見通したようなタイトルですよね。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

シングル・カットされた「ミー・アンド・ボビー・マギー」は、初の全米チャート第1位を獲得しました。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

ドラッグ  セックス  ロックンロール

これだけあればいい


そう言っていたロックの歌姫、「ジャニス・ジョプリン」は、9月に逝ったジミ・ヘンドリクスの後を追うように、その1ヶ月後に逝ってしまいました。

残された遺産は、2,500ドルでした。

葬儀の夜は、友人が200人集まって、その金で一晩中飲み明かしたといいます。


つづく







ウルトラマン・Hの ひとりごと


ミスター・ロンリー」は、「ボビー・ヴィントン」が、1964年に歌って全米第1位に輝いた大ヒット曲です。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


1967年からFM放送でやっていた、「ジェット・ストリーム(夜間飛行)」っていう番組を思い出された方も多いと思います。(こっちの方が、日本では有名かなあ?)

そのオープニングとして使われていましたね。

城達也さんの渋いナレーションを思い出します。(城達也さんは、1995年亡くなりました。)

ここで使われていたのは、「フランク・プウルセル・グランド・オーケストラ」の、インストゥル・メンタルの演奏でした。



寂しい  ボクは寂しん坊だ

ボクには 誰もいない  ひとりぼっち

そう ボクは 兵士だ  家から遠く離れて 戦場にいる

だから ひとりぼっち

手紙をくれる人もいない

誰か 電話できるような相手が欲しい

家に 帰りたいよ



ミスター・ロンリー」は、ベトナム戦争に駆り出された若き青年兵士の、孤独で寂しい気持ちを歌ったものです。


この曲、鬼才ハーモニー・コリン監督の同名映画の主題歌に使われていました。


映画は、M・ジャクソンのものまね芸人(男)が、M・モンローのものまね芸人(女)と恋をするというストーリーで、私は観たことはないのですが、某氏曰く、「つまらない映画ベスト5」に入る内容だとか。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


さて、唄っている「ボビーヴィントン」ですが、1935年生まれの、米国ペンシルベニア州出身の正統派・バラード・シンガーです。


1960年にデビュー、1962年、「涙の紅バラ」が、ビルボード第1位を4週間独占するヒットとなりました。


翌年、「ブルー・ベルベット」が全米第1位の大ヒット。(この曲、1986年、デビッド・リンチ監督の同名映画の挿入歌として使われました。)


ウルトラマン・Hの ひとりごと


続いて出した曲が、「ミスター・ブルー」、「ブルー・オン・ブルー」ということで、ボビーのことをミスター・ブルーと呼んでいました。

そして、1964年、「ミスター・ロンリー」の大ヒットと、ヒット曲を連発しました。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


この時代、「ボビー御三家」というのがあって、「ボビー・ヴィントン」、「ボビー・ライデル」、「ボビー・ヴィー」の三人だそうです。(ボビー・オロゴンは違います。)

ちなみに、米国人には「ボビー」という名前が多いそうで、「ボビー」とか「ボブ」というのは、「ロバート」の略称だそうです。


話しが横道に逸れてしまいました。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


ミスター・ロンリー」は、1970年、「レターメン」がカバーしてヒットしました。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

そうそう、「レターメン」といえば、ボビー・ビントンの「涙のくちづけ」もカバーヒットさせていますね。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


2005年、米国のヒップ・ホップ・シンガーの「エイコン」が、このオリジナルの「ミスター・ロンリー」をサンプリングして、「ロンリー」をリリース、全英チャート第1位になっています。


ミスター・ロンリー」、聞いているだけで、涙がでそうになりますね。

寂しい、寂しい、ひとりぼっちの歌です。


つづく






1974年、カーペンターズは、アルバムを1枚も発表しませんでした。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

その代わりに、2年前のアルバム、「ア・ソング・フォー・ユー」から、「愛は夢の中に」をシングル・リリースしました。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


これは、ポール・ウィリアムスロジャー・ニコルスの作品で、チャート11位となりました。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

また、ハンク・ウィリアムズが作った「ジャンバラヤ」を、アップ・テンポにアレンジしてリメイク、全米をはじめ多くの国でヒットしました。


その後リリースした、「プリーズ・ミスター・ポストマン」が、ビルボード第1位、

オンリー・イエスタデイ」も第4位まで上昇しています。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


「プリーズ・ミスター・ポストマン」は、1961年にマーヴェレッツの歌でチャート第1位になった曲のカバーでした。


これまで全てにおいて大成功を収めてきた「カーペンターズ」でしたが、1970年代後半になって、少しずつ翳りが見え始めます。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

それでも、1976年のアルバム、「見つめ合う恋」は、ゴールド・ディスクに認定されました。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


シングル・カットされた「見つめ合う恋」は、ハーマンズ・ハーミッツの曲のカバーでしたが、チャート第12位となりました。


彼らのサウンドが時代の先端をいっていたのは、リチャードのクラシックの知識に基づいたオーケストラ・アレンジと、多重録音のテクニックを用いた驚異的とも言えるコーラス・ハーモニーがあったからです。

そんな中で生み出された高度なサウンドは、今も決して色褪せる事はありません。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


1979年頃、リチャードは、薬物依存症になったようで、リハビリ施設に入っていました。

その間にカレンは、ニューヨークでソロ・アルバムの制作に取り掛かり、翌年完成したアルバムは、何故かA&Mがいい顔をせず、不幸にもお蔵入りになってしまいました。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

カレンは、1981年、トーマス・ジェイムズ・パリスと結婚しますが、1年も経たぬうちに別居します。

その頃、カレンは、かなり重症の拒食症を患っていたのでした。

1982年、ニューヨークの病院で治療を行いましたが、急激な体重の増加が弱っていたカレンの心臓に負担を掛ける事となってしまいます。

そして、1983年、32才という短い生涯を終えてしまったのでした。

死因は、拒食症からくる心臓麻痺でした。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

カレン・カーペンターのあの美しい歌声は、アルバムの中だけの存在になってしまいました。

しかし、カレンが亡くなって以降、「カーペンターズ」を越えるポップ・グループは出てきていません。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

A&Mの方針で、オールディーズ的なポップスにこだわった結果、時代に取り残されていった「カーペンターズ」でしたが、リチャードの才能を持ってしても、決められたイメージから飛び出すことは許されなかったのです。

もっと自由に音楽活動が出来ていたら、彼らはどんな音楽を作り上げていたでしょうか。

素晴らしいヒット曲が多過ぎるだけに、やたら悲しく聞こえてきてしまいます。


つづく




カーペンターズ」は、リチャード・カーペンター(兄)とカレン・カーペンター(妹)の兄妹ポップス・デュオです。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


1969年、「カーペンターズ」としてA&Mレコードと契約しました。


当時は、ビートルズローリング・ストーンズジミ・ヘンドリクスジャニス・ジョプリン等の、コテコテのロック・グループが主流の時代でした。

しかし、カーペンターズは、自分達の路線を頑なに変えようとはせず、ファースト・アルバム「オファリング」を発表します。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


その中で人気を博したのが、ビートルズのオリジナルをバラードにアレンジした曲、「涙の乗車券」でした。

この曲、チャート・ベスト20に入るヒットとなり、このヒットを受けて、タイトルを「涙の乗車券」に変更して、アルバムが再発売されたのでした。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

1970年、バート・バカラックハル・デビッドの共作による、「遥かなる影」を発表、4週間にわたってチャート第1位に輝きました。

もちろん、同曲を収録したアルバムは、ベストセラーとなったのでした。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

このアルバムからは、もう1曲、「愛のプレリュード」がシングルカットされ、ゴールド・ディスクに認定されています。

この曲は、ポール・ウィリアムスロジャー・ニコルスがTVのCMソングとして作った曲で、リチャードが逸早くそのヒット性に気付き、レコーディングしたもので、チャート第1位を7週間独占するヒットとなりました。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


作者のポールとロジャーにとっても、記念すべき初ヒット曲となったのでした。


また、「ふたりの誓い」という映画を観ていたリチャードが、結婚式のシーンで流れた同タイトルの曲が気に入り、アレンジして発表した「ふたりの誓い」が、ゴールド・ディスクに輝きました。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

リチャードは、音楽的センス、ヒットを見抜くセンスが抜群で、特にアレンジャーとしての才能は、世界屈指だと思います。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

続いて発表した「雨の日と月曜日は」は、ポールとロジャーの2作目となりますが、チャート第2位となり、ゴールド・シングルに輝きました。

ちなみに、その時の第1位は、キャロル・キングの「イッツ・トゥー・レイト」でした。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

レオン・ラッセルボニー・ブラムレットが作った「スーパースター」は、チャート第2位となり、カーペンターズの代表曲となりました。

翌1971年、この曲を収録したアルバムは、米国だけで400万枚以上のセールスとなり、カーペンターズにとって最も売れたアルバムとなりました。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

1972年、リチャードのオリジナルのバラード曲、「愛にさよならを」を発表するにあたって、ギタリストのトニー・ペルーソを招聘、エレキギターの大胆なソロを取り入れました。

これが斬新で大成功し、トニーはその後、1983年までカーペンターズのバック・ミュージシャンとしてギターを弾く事となります。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

同年に出した「トップ・オブ・ザ・ワールド」は、チャート第1位を獲得、カーペンターズにとって最大のヒット曲になりました。


全世界を通じての最大のヒット曲は、「プリーズ・ミスター・ポストマン」だそうです。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


ちなみに、日本での最高売り上げは、「シング」と「イエスタディ・ワンス・モア」だそうで、これは、アルバム「ナウ・アンド・ゼン」に収録されています。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


このアルバムのジャケットは、あの長岡秀星がデザインしていますね。


カーペンターズについては、とても1000字では書ききれませんね。


と言うわけで、次回「パート2」へ、・・・つづく




ウルトラマン・Hの ひとりごと


ハーブ・アルパート」は、1935年、米国ロス出身のトランペッターであり、「ティファナ・ブラス」のリーダーです。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

そもそも彼は、作曲家としての才能が豊かで、ルー・アドラーと共作した「ワンダフル・ワールド」が、サム・クックのボーカルで大ヒットしました。


しかし、彼は、演奏家としてのスタイルにこだわり続け、「ドア・アルパート」の名でトランペットを吹いていました。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

1962年、彼は、親友の「ジェリー・モス」と二人で100ドルずつ出し合い、「A&Mレコード」を設立、「カーペンターズ」や、「キャロル・キング」、「セルジオメンデス」、「スティング」等を世に送り出しました。

ちなみに、「A]はアルパート、「M]はモスの頭文字です。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

さて、ニッポン放送の深夜番組、「オールナイト・ニッポン」をご存知でしょうか。

そのテーマソングに使われていたのが、「ビター・スィート・サンバ」というインストロメンタル・ナンバーです。

この曲、1967年からずっとテーマソングとして使われてきました。

おそらくこれが日本一有名な、ハーブ・アルパートと「ティファナ・ブラス」の曲ではないかと思います。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

ビター・スィート・サンバ」は、1965年リリースの大ヒットアルバム、「Whipped Cream & Other Delights」に収録されていました。

このアルバム、ホイップ・クリームのウェディング・ドレスを身にまとった女性のジャケットデザインが大変有名になりました。

写真のモデルは、「ドロレス・エリクソン」という人で、このジャケットの発売で、全米でその名を知られることになったのです。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

「ティファナ・ブラス」は、メキシコのマリアッチとポップスとジャズを融合させた、「アメリアッチ」という独特のサウンドを奏でるグループでした。

米国のロックに少し飽きてきた音楽ファンの心を掴み、ある時期、ティファナ・ブラスのアルバムがことごとくヒットチャートにランクインするという、「ブラス・フィーバー」が起こりました。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

1968年、バート・バカラックとハル・デビットの名作曲コンビによる、「ジス・ガイ・イン・ラヴ・ウイズ・ユー」を発表。

アルパートがボーカルを務めている珍しい作品ですが、初めてのシングル・チャート第1位に輝きました。


1979年、ディスコサウンドを大胆に取り入れたアルバム、「Rise(ライズ)」をリリース。

フュージョン・インストロメンタルのこのアルバムが、全米チャートを2週間第1位の大ヒットとなりました。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

「ティファナ・ブラス」を結成する直前に出した、「マルタ島の砂」という楽曲があります。

これは、ドイツ人の「ベルト・ケンプフェルト」が作曲した曲ですが、アルパートのイージーリスニング風なアレンジで、1970年頃でしたか、日本でもかなりヒットしましたね。


余談ですが、マルタ島は、イタリア地中海の真ん中に浮かぶ小さな島で、犬のマルチーズの発祥の地として知られています。

で、この「マルタ島の砂」の原題は、「The Maltese Melody」といって、何処にも「」は出てきません。

マルタ島へ行ったらお土産は「砂ね!」というのは、どうやら日本人だけのようですね。


つづく