1974年、カーペンターズは、アルバムを1枚も発表しませんでした。
その代わりに、2年前のアルバム、「ア・ソング・フォー・ユー」から、「愛は夢の中に」をシングル・リリースしました。
これは、ポール・ウィリアムスとロジャー・ニコルスの作品で、チャート11位となりました。
また、ハンク・ウィリアムズが作った「ジャンバラヤ」を、アップ・テンポにアレンジしてリメイク、全米をはじめ多くの国でヒットしました。
その後リリースした、「プリーズ・ミスター・ポストマン」が、ビルボード第1位、
「オンリー・イエスタデイ」も第4位まで上昇しています。
「プリーズ・ミスター・ポストマン」は、1961年にマーヴェレッツの歌でチャート第1位になった曲のカバーでした。
これまで全てにおいて大成功を収めてきた「カーペンターズ」でしたが、1970年代後半になって、少しずつ翳りが見え始めます。
それでも、1976年のアルバム、「見つめ合う恋」は、ゴールド・ディスクに認定されました。
シングル・カットされた「見つめ合う恋」は、ハーマンズ・ハーミッツの曲のカバーでしたが、チャート第12位となりました。
彼らのサウンドが時代の先端をいっていたのは、リチャードのクラシックの知識に基づいたオーケストラ・アレンジと、多重録音のテクニックを用いた驚異的とも言えるコーラス・ハーモニーがあったからです。
そんな中で生み出された高度なサウンドは、今も決して色褪せる事はありません。
1979年頃、リチャードは、薬物依存症になったようで、リハビリ施設に入っていました。
その間にカレンは、ニューヨークでソロ・アルバムの制作に取り掛かり、翌年完成したアルバムは、何故かA&Mがいい顔をせず、不幸にもお蔵入りになってしまいました。
カレンは、1981年、トーマス・ジェイムズ・パリスと結婚しますが、1年も経たぬうちに別居します。
その頃、カレンは、かなり重症の拒食症を患っていたのでした。
1982年、ニューヨークの病院で治療を行いましたが、急激な体重の増加が弱っていたカレンの心臓に負担を掛ける事となってしまいます。
そして、1983年、32才という短い生涯を終えてしまったのでした。
死因は、拒食症からくる心臓麻痺でした。
カレン・カーペンターのあの美しい歌声は、アルバムの中だけの存在になってしまいました。
しかし、カレンが亡くなって以降、「カーペンターズ」を越えるポップ・グループは出てきていません。
A&Mの方針で、オールディーズ的なポップスにこだわった結果、時代に取り残されていった「カーペンターズ」でしたが、リチャードの才能を持ってしても、決められたイメージから飛び出すことは許されなかったのです。
もっと自由に音楽活動が出来ていたら、彼らはどんな音楽を作り上げていたでしょうか。
素晴らしいヒット曲が多過ぎるだけに、やたら悲しく聞こえてきてしまいます。
つづく



