「カーペンターズ」は、リチャード・カーペンター(兄)とカレン・カーペンター(妹)の兄妹ポップス・デュオです。
1969年、「カーペンターズ」としてA&Mレコードと契約しました。
当時は、ビートルズやローリング・ストーンズ、ジミ・ヘンドリクス、ジャニス・ジョプリン等の、コテコテのロック・グループが主流の時代でした。
しかし、カーペンターズは、自分達の路線を頑なに変えようとはせず、ファースト・アルバム「オファリング」を発表します。
その中で人気を博したのが、ビートルズのオリジナルをバラードにアレンジした曲、「涙の乗車券」でした。
この曲、チャート・ベスト20に入るヒットとなり、このヒットを受けて、タイトルを「涙の乗車券」に変更して、アルバムが再発売されたのでした。
1970年、バート・バカラックとハル・デビッドの共作による、「遥かなる影」を発表、4週間にわたってチャート第1位に輝きました。
もちろん、同曲を収録したアルバムは、ベストセラーとなったのでした。
このアルバムからは、もう1曲、「愛のプレリュード」がシングルカットされ、ゴールド・ディスクに認定されています。
この曲は、ポール・ウィリアムスとロジャー・ニコルスがTVのCMソングとして作った曲で、リチャードが逸早くそのヒット性に気付き、レコーディングしたもので、チャート第1位を7週間独占するヒットとなりました。
作者のポールとロジャーにとっても、記念すべき初ヒット曲となったのでした。
また、「ふたりの誓い」という映画を観ていたリチャードが、結婚式のシーンで流れた同タイトルの曲が気に入り、アレンジして発表した「ふたりの誓い」が、ゴールド・ディスクに輝きました。
リチャードは、音楽的センス、ヒットを見抜くセンスが抜群で、特にアレンジャーとしての才能は、世界屈指だと思います。
続いて発表した「雨の日と月曜日は」は、ポールとロジャーの2作目となりますが、チャート第2位となり、ゴールド・シングルに輝きました。
ちなみに、その時の第1位は、キャロル・キングの「イッツ・トゥー・レイト」でした。
レオン・ラッセルとボニー・ブラムレットが作った「スーパースター」は、チャート第2位となり、カーペンターズの代表曲となりました。
翌1971年、この曲を収録したアルバムは、米国だけで400万枚以上のセールスとなり、カーペンターズにとって最も売れたアルバムとなりました。
1972年、リチャードのオリジナルのバラード曲、「愛にさよならを」を発表するにあたって、ギタリストのトニー・ペルーソを招聘、エレキギターの大胆なソロを取り入れました。
これが斬新で大成功し、トニーはその後、1983年までカーペンターズのバック・ミュージシャンとしてギターを弾く事となります。
同年に出した「トップ・オブ・ザ・ワールド」は、チャート第1位を獲得、カーペンターズにとって最大のヒット曲になりました。
全世界を通じての最大のヒット曲は、「プリーズ・ミスター・ポストマン」だそうです。
ちなみに、日本での最高売り上げは、「シング」と「イエスタディ・ワンス・モア」だそうで、これは、アルバム「ナウ・アンド・ゼン」に収録されています。
このアルバムのジャケットは、あの長岡秀星がデザインしていますね。
カーペンターズについては、とても1000字では書ききれませんね。
と言うわけで、次回「パート2」へ、・・・つづく




