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ウルトラマン・Hの ひとりごと

音楽について語りたくてたまらないんです。

私の大好きな曲に「パーリースペンサーの日々」というのがあります。

ご存知でしょうか。


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初めて聴いたのは、レーモン・ルフェーブル楽団が1972年に出したシングル、「シバの女王」のB面に収録されていたもので、インストルメンタルの演奏でした。


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何を隠そう、実は、このシングルジャケットの表紙のお姫様(?)に一目惚れして買ったレコードなのです。


で、B面に針を落としてみてびっくり、完全に魅了されてしまいました。

ギターのメロディにストリングスが絡んできて、ファズを効かせたエレキが唸ります。

ドラマティックな盛り上がりは、さすがレーモン・ルフェーブルの名アレンジですね。

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調べてみると、「パーリースペンサーの日々」は、1967年に、英国のフォークシンガー「デビッド・マックウイリアムス」と言う方が作詞・作曲して唄ったものでした。

が、本当のところは、デビッドの知り合いのホームレスが作詞して、そのオリジナルの詞をデビッドが少し手直しして曲を付けたものだとか。(事実はよく分かりません。)


この曲、ヨーロッパでセンセーションを巻き起こしたとか書いてありましたが、英国チャートのトップ100には入っていないようですね。


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1971年に、「グラスルーツ」がこの曲をカバーしていました。

「グラスルーツ」は、1967年に「今日を生きよう」を大ヒットさせたグループです。


1969年にリリースしたアルバム、「Lovin' Things」の中から、日本でだけシングルカットされた「PAIN」のB面に収録されていたのがこの「パーリースペンサーの日々」でした。(何故かこちらもB面です。)


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グラスルーツ」の曲は、ドラムが大きく入っていて、ちょっとロック調ですかね。

サビのところをハンドマイクで唄っているのが何ともいいですねえ。

日本で「グラスルーツ」を知るきっかけになったのは、この「PAIN」を聴いてからという人が多いかも知れませんね。


パーリースペンサーの日々」の原題は「The Days of Pearly Spencer」といいます。

意味もそのとおりでしたね。


そもそもこの「パーリースペンサー」って、誰なのでしょうね、と言うか、何なのでしょうね?


つづく




ギルバート・オサリバン」は、アイルランド出身のシンガーソングライターです。

本名は、「レイモンド・エドワード・オサリバン」といいます。



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1960年代、彼は、オリジナル曲のデモテープをありとあらゆる音楽出版社に売り込みをしました。

しかし、最初のうちはどこの社も全く相手にしてくれませんでした。

それでも1967年、CBSレコードに何とか拾われてデビュー・シングル「Disappear」を発表しましたが、陽の目を見ることはありませんでした。


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1969年になって、トム・ジョーンズのマネージャーだったゴードン・ミルズに認められてMAMレコードと契約、翌年、シングル「ナッシング・ライムド」をリリースしました。

これが全英チャートの第8位となるヒットになりました。

また、この曲を収録したアルバム「ヒムセルフ」は、全英チャート第5位となり、その後86週間に渡ってランクインするロングセラーとなりました。


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1972年、あの名曲「アローン・アゲイン」を発表、世界的な大ヒットとなったオサリバン生涯の名曲です。

この曲、全米ビルボード・チャートで6週間連続第1位を記録、同年の全米年間チャートでも第2位となるなど、記録的な大ヒットとなりました。

この曲を収録したアルバム「バック・トゥ・フロント」は、全英のアルバム・チャート第1位を獲得しました。


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アルバム「バック・トゥ・フロント」の日本版は、当初「クレア」が収録される予定になっていたのですが、発売前に「アローン・アゲイン」に差し替えられ、アルバム・タイトルも「アローン・アゲイン」でした。


イントロから流れる古臭いホンキートンクの香りがするピアノの響き、全般的に起伏の少ない、どちらかと言えば地味~な曲です。

間奏のノスタルジックなギター、哀愁と優しさに満ちたメロディは、40年経った今でも少しも色褪せていません。


ところでこの曲、ピアノの曲なのですが、ギターで弾こうとすると、なかなかやっかいなんですよ。

何処を弾いても「これだ」と言える決まったコードが見つからないのです。

つまり、maj7とかm6とか(b5)とか、曖昧なはっきりしないコードが多いのですね。


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オサリバンは、親日家というよりは、どちらかというと、日本との関わりが多くあったようです。

来生たかおさんを始めとして久保田利伸さん、杉真理さんなど、彼に影響を受けたミュージシャンは多いのです。

それから、サッポロ・ビールのCMソング「テイキング・ア・チャンス・オン・ラヴ」を書き下ろしてもいます。

また、1993年に唯一のライヴ・アルバムが出ているのですが、これは日本で収録されたものなのです。


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アルバム「バック・トゥ・フロント」に収録されている短編曲、

ギルバートのはじめのあいさつ」と「おわりのあいさつ」が何とも洒落ていて好きですねえ。


♪ 僕は また ひとりぼっちに なってしまった

♪ 当たり前のように・・・


つづく






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フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」というのは、ジャズのスタンダード・ナンバーの1曲です。

日本語に訳すと、「私を月に連れてって」ということでしょうか。


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1954年にバート・ハワードが作りました。

当初のタイトルは、「In Other Words」でした。

この言葉は曲の中にも出てきますが、日本語に訳すと、「言い換えると」となります。


私を 月に 連れてって

そして 星の 空間で 遊ばせてよ

木星や 火星の 春は どんなのか 見せて

でも これを 別の言葉で 言い換えると

手を つないでて っていう 意味なのよ

要するに キスして欲しい ってことなのよ



発表された当時は、曲調はワルツ(3拍子)で、今よく耳にするアレンジとは相当違っていたようです。

最初にレコーディングしたのは、「ケイ・バラード」でした。


フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」というタイトルが付けられたのは1956年のことで、「ジョニー・マティス」が収録した際に初めて付けられました。


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今よく耳にする「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」は、1962年に、ピアニストでアレンジャーだった「ジョー・ハーネル」が、曲調をボサノヴァにアレンジして発表したものです。


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それを「フランク・シナトラ」がカバーして、爆発的な大ヒットになったのです。


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その頃米国は、「アポロ計画」の真っ只中にあった時期で、人類の月旅行が目前に迫っていたこともあって、この曲が大ヒットしたと考えられます。


そんな訳で、1962年以前の録音は、ワルツで唄われているものが多いようです。

1955年にクリス・コナーやアニタ・オデイが収録したもののように、前半をワルツで、後半のリフレインをジャズ調の4ビートで唄っているものもあるようですね。


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1962年以降はボサノヴァのリズムのものがほとんどで、私の好きなジュリー・ロンドンやアストラッド・ジルベルト、その他数え切れないほどのシンガーがカバーしています。


ヒッキーこと宇多田ヒカルさんもカバーしていました。


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また、インストルメンタル・ナンバーとしても知られていて、オスカー・ピーターソンのジャズのアレンジが特に有名でしょうか。



私の ハートを 歌で 満杯にして

そして 永遠に 唄わせてね

あなたは 私の 永遠の 憧れ

全ての 尊敬と 崇拝

でも これを 別の言葉で 言い換えると

ずっと 傍にいて欲しい っていう意味なのよ

つまりはね あなたを 愛してる ってことなのよ



50年以上も前に作られた「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」、今聴いても色褪せた感じが全くしません。

後世に残る名曲ですよね。


つづく



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ホテル・カリフォルニア」は、1976年、「イーグルス」が放ったアメリカン・ロック史上に残る名アルバムです。

アルバムからシングルカットされた同名曲は、ビルボード・ヒット・チャートにおいて8週間連続で全米第1位に輝きました。(全英でもチャート第2位になりました。)

その年のグラミー賞最優秀レコード賞を受賞しています。


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ホテル・カリフォルニア」とは、実は架空のホテルだそうです。

作詞作曲は、イーグルスのメンバー「ドン・ヘンリー(ドラムス)」 「グレン・フライ(キーボード)」 「ドン・フェルダー(ギター)」の3人でした。


歌詞の内容はというと・・・、

麻薬(マリファナ)の香り立つウエスト・コーストの砂漠のハイウエイを何時間もぶっ飛ばしてきた主人公が、疲れを癒すために立ち寄ったホテル・カリフォルニア。

何日か滞在して楽しい日々を送ったが、快楽主義的な過ごし方をする他の滞在者を見るにつけ嫌気が差してきて、元の自分の生活に戻ろうと思いホテルを去ろうとしたが、離れるに離れられなくなった。

・・・みたいな内容でしょうか。


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歌詞の中に印象的な部分があります。

♪ 好みのワインを持って来てくれないか

♪ そのようなスピリットは 1969年以降 ご用意しておりません


「1969年」というのは、あの「ウッド・ストック」が開催された年で、それ以降、米国の音楽産業が商業至上主義、つまり「儲け主義」に変わっていきました。

「ロックの魂(スピリット)」を持った本物のアーティストは、それ以降現れていないのだと皮肉っているのです。


歌詞の最後では・・・、

♪ 自分の運命を受け入れるのです

♪ いつでもチェックアウトは出来ます でも ここを立ち去ることは 永久に出来ません


この歌詞の後に、ドン・フェルダーとジョー・ウォルシュの、あの有名なツイン・ギターのリフが始まるのです。


1969年のあのウッド・ストック世代のロック・スピリットは、いったい何処へ消えてしまったんだ?


こう歌い掛けているのでしょうか。


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このアルバム・ジャケットのホテルは、ロサンゼルス市サンセット通りにあるホテル「ビバリー・ヒルズ・ホテル」という実在する高級ホテルです。

ジャケットに使われて以来有名になり、観光スポットにもなっているそうです。

また、ジャケットの内側に使われた写真は、格下の安ホテル「リド・ホテル」の内装を撮影したもので、このホテルはとっくに廃業していて、今では賃貸アパートになっているそうです。


夢と現実の落差を表現したかったのでしょうか。


1982年、「イーグルス」は解散しました。


つづく



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スリー・ドッグ・ナイト」は、1967年にロサンゼルスで結成されたバンドです。

メンバーは、「ダニー・ハットン」 「チャック・ネグロン」 「コリー・ウェルズ」の3人のボーカリストをヒューチャーして、4人のバック・バンドを従えた7人編成のユニークなバンドでした。


グループ名の「スリー・ドッグ・ナイト」は、オーストラリアの先住民アボリジニの間の言い伝えからきています。

”寒い夜には1匹の犬、より寒い夜には2匹の犬、さらに寒い夜には3匹の犬と寝ろ”

というものです。


私は、当初、ドラえもんじゃないですが「3人の犬の騎士(ナイト)」だとばかり思ってました。

そういえば、「スリー・ドッグ・ナイト」の「ナイト」は「Night(夜)」ですよね、「Knight(騎士)」ではないですよねえ。


ステージ・デビューは、1962年、ロスの「ウイスキー・ア・ゴー・ゴー」でした。

超満員の観客は、新しいスタイルの新しいサウンドに大喝采を贈ったのでした。


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1968年、デビュー・アルバム「ワン」をリリース、シングルカットされた「ワン」は、全米第5位の大ヒットとなりました。

翌年、2枚目「融合」からは「イージー・トゥ・ビー・ハード」がシングルカットされ第4位となりました。

続いて発表した「白熱のライヴ」も、アルバムチャート・ベスト10に入りました。


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1970年、4作目「イット・エイント・イージー」からリリースされた「ママ・トールド・ミー」が、初の全米NO.1に輝き、これから彼らの快進撃が始まるのです。


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同年、5枚目「ナチュラリー」からリリースした「喜びの世界」が、6週間連続チャートNO.1となり、レコード・セールス200万枚のビッグヒットとなりました。



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1971年リリースの「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」は、全米チャート第8位でした。


翌年、「ブラック・アンド・ホワイト」をリリース、再び全米NO.1ヒットとなりました。

1973年には、2枚目のライヴ・アルバムも発表しています。


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ヒット・チャートの常連となった「スリー・ドッグ・ナイト」は、1975年までに発表したシングルカット23枚のうち、ビルボード・チャートにランクインしなかったのはたったの2曲でした。

残り全曲がベスト40に入っており、そのうちの18枚がベスト20に入っています。

これは快挙といって言い過ぎではないと思います。


1976年、リーダー格の「ダニー・ハットン」が脱退を表明しました。

続いて、「チャック・ネグロン」が麻薬不法所持で逮捕されて、解散の危機が訪れました。

新メンバーを入れて巻き返しを狙いましたが、ダニーがいた頃の人気は得られず、「スリー・ドッグ・ナイト」の栄光が一気に消えていった瞬間でもありました。


最近、TV-CMで「喜びの世界」や「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」が使われているので、耳にされた方も多いと思います。

日本では「喜びの世界」が唯一ヒットしていますので、一発屋だと思っている人は多いかも知れませんね。


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スリー・ドッグ・ナイト」の曲は、基本的に外部の作曲家の手による作品です。

彼らがヒットを飛ばす事で、多くの隠れた逸材が発掘されました。


「ワン」のハリー・ニルソン、「ママ・トールド・ミー」のランディ・ニューマン、他にレオ・セイヤーポール・ウイリアムスローラ・ニーロなどがいます。


つづく