「スリー・ドッグ・ナイト」は、1967年にロサンゼルスで結成されたバンドです。
メンバーは、「ダニー・ハットン」 「チャック・ネグロン」 「コリー・ウェルズ」の3人のボーカリストをヒューチャーして、4人のバック・バンドを従えた7人編成のユニークなバンドでした。
グループ名の「スリー・ドッグ・ナイト」は、オーストラリアの先住民アボリジニの間の言い伝えからきています。
”寒い夜には1匹の犬、より寒い夜には2匹の犬、さらに寒い夜には3匹の犬と寝ろ”
というものです。
私は、当初、ドラえもんじゃないですが「3人の犬の騎士(ナイト)」だとばかり思ってました。
そういえば、「スリー・ドッグ・ナイト」の「ナイト」は「Night(夜)」ですよね、「Knight(騎士)」ではないですよねえ。
ステージ・デビューは、1962年、ロスの「ウイスキー・ア・ゴー・ゴー」でした。
超満員の観客は、新しいスタイルの新しいサウンドに大喝采を贈ったのでした。
1968年、デビュー・アルバム「ワン」をリリース、シングルカットされた「ワン」は、全米第5位の大ヒットとなりました。
翌年、2枚目「融合」からは「イージー・トゥ・ビー・ハード」がシングルカットされ第4位となりました。
続いて発表した「白熱のライヴ」も、アルバムチャート・ベスト10に入りました。
1970年、4作目「イット・エイント・イージー」からリリースされた「ママ・トールド・ミー」が、初の全米NO.1に輝き、これから彼らの快進撃が始まるのです。
同年、5枚目「ナチュラリー」からリリースした「喜びの世界」が、6週間連続チャートNO.1となり、レコード・セールス200万枚のビッグヒットとなりました。
1971年リリースの「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」は、全米チャート第8位でした。
翌年、「ブラック・アンド・ホワイト」をリリース、再び全米NO.1ヒットとなりました。
1973年には、2枚目のライヴ・アルバムも発表しています。
ヒット・チャートの常連となった「スリー・ドッグ・ナイト」は、1975年までに発表したシングルカット23枚のうち、ビルボード・チャートにランクインしなかったのはたったの2曲でした。
残り全曲がベスト40に入っており、そのうちの18枚がベスト20に入っています。
これは快挙といって言い過ぎではないと思います。
1976年、リーダー格の「ダニー・ハットン」が脱退を表明しました。
続いて、「チャック・ネグロン」が麻薬不法所持で逮捕されて、解散の危機が訪れました。
新メンバーを入れて巻き返しを狙いましたが、ダニーがいた頃の人気は得られず、「スリー・ドッグ・ナイト」の栄光が一気に消えていった瞬間でもありました。
最近、TV-CMで「喜びの世界」や「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」が使われているので、耳にされた方も多いと思います。
日本では「喜びの世界」が唯一ヒットしていますので、一発屋だと思っている人は多いかも知れませんね。
「スリー・ドッグ・ナイト」の曲は、基本的に外部の作曲家の手による作品です。
彼らがヒットを飛ばす事で、多くの隠れた逸材が発掘されました。
「ワン」のハリー・ニルソン、「ママ・トールド・ミー」のランディ・ニューマン、他にレオ・セイヤー、ポール・ウイリアムス、ローラ・ニーロなどがいます。
つづく