「クリフ・リチャード」は、「英国のプレスリー」と呼ばれた国民的人気ボーカリストです。
1940年、インドで生まれ、幼少期に英国に移住しました。
甘いマスクで、アイドルとして一世を風靡しました。
16才の時、プレスリーの「ハート・ブレイク・ホテル」に衝撃を覚え、ロックン・ローラーになろうと決意します。
翌年、仲間を集めてバンドを結成、ロンドンのカフェ・バーに出演し話題を集めました。
1957年、本名「ハリー・ロジャー・ウエップ」から芸名「クリフ・リチャード」とし、バック・バンドに「ドリフターズ」を従えてデビューしました。
「ドリフターズ」は、もちろん米国のR&Bバンドではありません。(日本のでもないです。)
後に「シャドウズ」と改名して、英国音楽界に君臨するのです。
1958年、デビュー曲「ムーヴ・イット」を発表するや、たちまち英国ヒットチャート第2位の大ヒットとなりました。
この後、クリフの発表する曲がことごとく英国チャート第1位にランクインするのです。
「リビング・ドール」 「トラベリン・ライト」 「プリーズ・ドント・ティァーズ」 「ザ・ヤング・ワン」 「ザ・ネクスト・タイム」と、第1位ヒットを連発し、1962年までに英国チャート・ベスト20に、何と21曲もの楽曲を送り込みました。
しかし、これだけのヒット曲を持ちながら、米国のチャートに入ったのは「リビング・ドール」ただ1曲のみで、それもチャート30位止まりでした。
英国でこれだけの活躍をしていても、米国で成功するのがいかに難しいことであるか分かると思います。
1963年、怪物「ビートルズ」が登場しましたが、クリフの人気は衰えることを知りません。
「サマー・ホリデイ」が英国チャート第1位、「ラッキー・リップス」がチャート第4位、「恋のゲーム」が第2位と、ヒットを放ち続けました。
1967年には、初来日もしているようですね。ライヴ版が残っています。
1970年、「デビル・ウーマン」を発表、英国チャート第9位でしたが、クリフにとっては初めて米国で第6位にランクインしました。
「クリフ・リチャード」は今年で70歳になるのでしょうか、今でも第一線で活躍しているようです。
個人的には、「コングラッチュレーションズ」と「しあわせの朝」が好きですね。
つづく