先日は、誕生日なブログに沢山メッセージを

頂いて、嬉し恥ずかし朝帰り

わたし、はるかですUMAくん



ありがとうございました!



誕生日当日の一昨日は、

朝からバズーカを撃たれて始まりました爆笑


旦那くんから、

はるかちゃんの爆誕を祝うダンスをするから

見てみて〜と呼ばれまして。


謎のはるかちゃんダンスを披露した後、

おもむろにクローゼットから

バズーカ型の巨大クラッカーあんぐり

取り出す旦那くん。





うふふ、嬉しいな。


最近はね、嬉しいことが多いなって思う。


旦那くんがクローゼットに

バズーカを隠し持っていたことも、


ブログなどで沢山の方に

たんおめメッセージを頂いたことも、


イージークマ や

ナリ心理学認定アドバイザー養成講座7期

仲間と会って、


すごーーく心地よく過ごせることも、

嬉しい言葉のやり取りができることも。



それくらい、

新しい環境に飛び込んで

素敵な人たちと出会えたよかったなぁって

しみじみ思う。


わたしが変わっていくのを見守ってくれてる

旦那くんも、ハタラクマさんナリ心理学の講座に

送り出してよかったと言ってくれてる。



それから、

わたしが人の言葉を

そのままちゃんと受け取れるように

なってきたんだなぁ、って感じる。


今までのわたしは、

色んな人がくれる嬉しい言葉を

表面だけ受け取るだけで、


きっとお世辞だろう、とか、

勝手に思って、本気で受け取れなかった。



勿論、わざとそうしてた訳じゃなくて、

人の言葉にはその裏に何か行間があって、

表情や行動からその行間を読み取らないと

生きていけない。


そういう価値観を気付いた時から

持ってしまっていたんだよね。



それは、自分が育った環境に根付いていて、

わたしのお母さんは、

言った言葉以上のことを

読み取ってほしい人で、


読み取れなければ

「何で分からないの?普通は分かるでしょ」

ってなるので、


多分気が付いた時から、

言葉以上の何かを読み取る訓練を

無意識にしていたんだと思う。


世界はみんなそうなんだ、って

思って育ったんだと思う。



わたしが30歳を過ぎた頃、

父と母が深刻な喧嘩をして、

母が妹に仲裁を頼んだんだけど。


母が、母の心臓に病気が見つかったことは

父には言わないで、って頼んだんだよね。


で、妹がそのとおりにしたら、母は、

「なんでそんな大事なことを伝えないの?

 普通伝えるでしょ?!」

ってなった訳。



いやいやいやいやいや…。

ツッコみどころ満載すぎて。

妹も言いたいことがありすぎて、何も言えねぇ…って

感じだったろう。。


でも、その時のわたしは、

まぁお母さんの言うことにも一理あるわ、

と思ったんよね。


…価値観狂ってる不安不安不安



そんな当たり前の中で育ち続けたわたしは、

当たり前のように、

人の言葉のその奥には、

何かがあるに違いないって

もう無意識レベルで刷り込まれてた。


無意識レベルで

日々そんなことしてるもんだから、

そりゃ疲れるよね。生きづらいよね。



30代半ばで

その生きづらさにようやく気が付いて

わたしの価値観をつくったもの、

お母さんのこと、

お母さんとわたしの関係のこと、

と向き合ったり、



同じように人生をより楽しみたい人たちと

出会って交流してると、


やって欲しいことは言ってくれるし、

嫌なことは嫌って言ってくれるし、

嬉しい言葉はそのままの意味。


そういう人たちに溢れていたから、


人の言葉をそのまま受け取っていい。


そういうことに気付かせてもらった。



だからきっと、

最近、嬉しい言葉や人の好意を

そのまま受け取れるようになったのかな、


だから、嬉しかったりじーんとすることが

前よりも沢山あるのかな、


そういう素敵な人たちと出会えたこと、

そういう環境に身をおけたこと、

それがホントに嬉しいな、


って、そんなことを感じたお誕生日でした。