虹の戦士からのメッセージ -18ページ目

虹の戦士からのメッセージ

~ 倖せになる方法 ~

痴呆症との闘い。



戦後満州から引き上げてきて、貧乏のどん底を味わってきた父でしたが、クリスチャンでおしゃれな、明治生まれの気骨のある、かくしゃくとしていた父でしたので、父が痴呆症になるなんて信じられない思いでした。




まだらボケから始まりますので直ぐには気づきません。2年位たってから、今までの父の考え方とは明らかに違う言動が増えてきて気づきました。



雑誌やテレビ、映画などで、何がなくなったとか、俳諧などいろんな認知症についての症状が知られていますが、12年間も見ていますと、そのほとんどを体験しました。



認知症だと気づくまでが父に対しての私の葛藤でした。そんな父ではなかったはずの父が、少しずつ現実の現象として現れてくるのです。子育て中の妻はもっときつかったかもしれません。



エピソードを一つお話しますと、私は仕事に出かける寸前でしたが、妻がおかしいのです。洗面所でガタガタ震えながらしゃがみこんでいるのです。



父がウーウーといいながらずっと妻の後をついて来るのです。ひと時も離れないのですから妻としては精神的にたまったもんではありません。



妻は震えるだけでなく頭の中は混乱し、様子は尋常ではありません。



私は父をほったらかしにして、直ぐに妻を抱えて家を出て、近くの病院に助けを求めました。



私はその時何を考えたかと言いますと、
・妻がここでおかしくなって家庭崩壊したら、以前の父だったら喜ばないだろう。
・父が後追いしてきて、たとえ交通事故に遭っても相手に文句を言わないし、それどころかこちらから謝ろう。 
・仕事は今日は休む。
      そのようなことを考えていました。


近くの内科病院で順番を待っている間に、妻も精神的に落ち着きを取りもどし震えもとまっていました。



先生から国立菊池病院精神科を紹介され、その足で菊池病院を訪ねました。



精神科の先生に父の様子を話すと、妻と私の様子から察して信じていただき、父を診ることなくセレネースという抗精神病薬を処方していただきました。



本人を診ることなく処方していただけるような薬ではありませんので、そのときの私達の様子は尋常ではなかったのでしょう!大変助かりました。



薬を飲みたがらない父のために液薬を処方してくれました。



最近気が荒くなっていた父を妻は恐れていました。その父に、セレネース液をご飯にかけて飲ませると以前のやさしい父に戻っていったのです。



その時ほど、化学薬品のありがたさを痛感したことはありません。



しかし、弛緩するとか副作用も沢山あることが分かっていましたので、症状が落ち着いた頃、一ヶ月もしないうちに中止しました。



エピソードを書き始めたらきりがありませんので、ウンチ隠し事件とか、着物にネクタイ3本とか、いつか機会がありましたらまた書きたいと思います。

とにかく私は父の46歳の時の子供ですので、周りの友達より早く子育てと同時期に老人介護をはじめていました。

正確には34歳から47歳までの12年半です。

父の介護を通じて多くのことを学びました。

父をどこかに捨ててくるわけには行かないのです。いつまで続くか分かりません。ですので、何も考えず毎日毎日を淡々と!を学びました。

そんな父ではなかった父から、自分の人格をなくしてまでも、私に人生の哲学を学ばせてくれました。今思うとありがたい存在でした。

まだまだ、沢山のことを学ばせてくれました。


    続きは次回

8月1日、2日と税務署から5年ぶりの税務調査がありました。


結局何もなかったのですが、二日間仕事も十分にできず大変迷惑しました。


調べる方と調べられる方、どちらがいいですか?


私はどちらもいやですが、調べられる方(私)は自分にやましいところがなければ単なる自分自身の気持ちの問題です。


調べる方(税務署員)は、調べられる人の思い、いやな奴らだと思う気持ち(負のエネルギー)を浴びるわけですから気の毒だと思って二日間過ごしました。


私が画いた負のエネルギーは私自身にも影響します。しかし、二日間だけです。


税務署から来られた方々は少なくとも税務署を辞めるまでは、調べる先を疑いながら毎日毎日過ごし、調べる先が変わるだけで、負のエネルギーを常に相手先から浴び続けています。


エネルギーは目に見えませんので、何も感じないと言う方も多いかもしれません。でも目に見えないけど、調べると分かる放射能、放射線は怖いですね。


近未来には負のエネルギーを測定できる世の中が出現するかも知れませんよ!


会話の中でついつい言っちゃいました。


私の会社を調べるよりも、特別会計をむさぼっている天下り法人関係を、あなたたちプロの目で調べた方が沢山の税収があるかもしれませんね!と。



2011年8月は「毎月のお便り」としてお客様に
商品と共にお届けしているメッセージです。

2011年8月


倖せになる方法・・・正直に素直に生きる

一つの時代が収束するときは急速に時間が短くなっていきます。

「応仁の乱」のあった1467年から徳川家康が幕府を開き豊臣家を滅ぼした1615年までの約150年続いた戦国時代も、天下分け目の関が原の戦いから約15年で終わっています。

江戸時代は約250年続きましたが、(安政の大獄)大老井伊直弼が桜田門外で暗殺されてから明治維新が成し遂げられるまで約7年で終わりました。

その後開国し幕府政治から明治新政府になったものの封建制度は残っており、八〇年間の軍支配政権も第二次世界大戦の約3年半で終わりました。

気づきませんか?一つの時代が何百年間続こうと、収束する期間は短いのです。

もう一つ気づきませんか?収束する期間ですら短くなっていることを!

収束するにはきっかけがあります。(関が原の戦い)(安政の大獄)(第二次世界大戦勃発)

私は今回起こった東日本大震災?原発事故?何がきっかけかは未来に行って検証しなければ分かりませんが、もしそうだとしたら、あと約1年半くらいで今の時代が収束するのではないか?と思えるのです。。

また、新しい時代は今までとは違う時代なのですから、個人的都合をはずし、深層心理に近い本心、本音で毎日を過ごしていなければ倖せにはなれないでしょう!

原発の爆発によるメルトダウンも最初から起こっていたことが後でばれるし、先月ニュースになっていました九州電力の裏工作もばれて、いずれも会見による言い訳は実に恥ずかしいばかりです。

まだ表に出ていませんが、医療も同じです。まともに研究している方が医療現場の裏事情の実態を知ってノイローゼになったりしています。

今新聞やマスメディアを通して流される情報のみを真実と信じている方は是非自分の知っている情報とまるっきり違う情報にも耳を傾けてください。

自分にとって都合の悪いことを言う人ほど大事な情報源かもしれません。そう思いませんか?

何故なら、嫌われることを分かっていてわざわざ言ってくれる人なのですから。

もしかしたらその人は一番身近なご主人や奥様かもしれませんね!

あなたの未来が健やかで明るいことを思いながら、また、次回。
6時間働くということは、私にとって残りの時間にゆとりを持つことができました。

普通自分で商売をしていたら大概の方は、もっと長時間働かれるのかも知れません。

私の人生哲学からして、一日を四つに分ける人生に気づいた以上、他人にそのことをお話しする上において、それに沿うような生き方をしなければ空論に過ぎません。

当然早く帰宅することになります。早いときには3時ごろには帰宅ているのです。

妻から世間体が悪いので「もう少し遅く帰ってきて欲しい」と頼まれました


妻は「もう少し遅く帰ってきて」といったのであって、決して「もっと働いて」とか「もう少し稼いできて」とは言わなかったのです。


私が働くことを嫌だったわけではないのです。その頃は酒も飲まず、贅沢もしないのですから食べていくだけなら収入は十分ありました。


お金より子供と遊んでいるほうが私にとっては充実していたのです。子供たちは私が全員(3人)最後までお風呂に入れました。


それにしても3時帰宅は早すぎるということで、やがてボーリング場に寄り道するようになり、3時ごろですので広いボーリング場でたった一人で3,4ゲーム投げて帰っていました。


すでにボーリングブームは去っていた頃でしたので、友達にマイボール、マイシューズを買ったことがばれたら、思いっきり笑われてしまいました。


しかし、だんだん上達してくるではありませんか!すっかりはまってしまったのです。ちなみにその頃のアベレージは180以上で、スコアーシートにミスはほとんどなく、帰宅したら家族に自慢していました。


日曜日には家族全員でボーリングをして愉しんでいました。

そこのボーリング場はサービスタイムがあり、一回だけ何十レーンもあるレーン全体で、各レーンの代表が一回だけ投げてストライクが取れたら全員1ゲームタダ(無料)になるのです。


必ずストライクを取りました。子供たちから尊敬されるし、父としての面目を保てていたようです。


私は子供の心理とは、小学生くらいまでは、親の出世やお金ではなく、どれだけ一緒の時間を持ちスキンシップを多くもてるかではないかとその頃から思っていました。


                   続きは次回
和草堂こころ研究所・・・は私の信用を高めると同時に、私自身にも真理を探究させてくれました。

一般的に心理学や哲学は大学や本などで学んでいかれると思いますが、私はその類の本はほとんど読みませんでした。では何で学んだかといわれますと、自分自身で考えたのです。

心理学を専門で学んだ方からすれば、「あなたの心理学は科学的ではない」と言われそうですが、今回の原発事故から考えても、科学こそ絶対ではないことが証明されたのですから、科学的を宗教であるかのように思い込んでいる、科学こそ謙虚である必要があるように思います。

とにかく、その成りゆきも私自身が持って産まれたシナリオなのでしょう!いくらでも深く深く探求できます。

ですので、過去の賢者がどう言っているとか、ああ言っているとか言うことを知りません。本などを読んでの記憶力を必要とする知識はほとんどないのです。

私の考えた(気づいた)ことがどの程度の評価をいただけるかは分かりませんが、実生活にマッチしたことについて考えています。


例えば、本日のブログテーマの『一日を四つに分ける』について考えて見ましょう!


あくまで私の考えることであって皆さんに当てはまるかどうかは分かりません。


一般的に一日を、仕事家庭睡眠の三つに分けている方がほとんどだと思います。すると一つが8時間×3=24時間ですね。


心のどこかで仕事、家庭、睡眠の三つでは何かが足らないと感じるのです。その何かは科学では証明できないと思います。


自分のこころを探求した結果、四つに分けることを考えたのです。


もう一つは”ボーットする”ことです。


ですので、仕事時間もおのずと6時間になりますのでサボっている暇はなかったですね!


当然人によって各々条件が違いますのできっちりと分けることはできませんが、一つの目安として潜在意識にそのように書き込んでいったということです。


ボーットするとは何もしなく瞑想や座禅でもしているということではありません。
何にでもつかえる時間のことであって、基本はボーットすることです。


自分の生き方を試されている時間です。


              続きは次回



30歳代になった私は、20代で失敗したようなことを30代に繰り返していてはいけない。30代は信用づくりと考えた私は、つねづね父が言っていた言葉を実践したいと考えていました。

男は40歳になったら演壇に立てるような人に成らなければならない」です。

その言葉を心に秘めながら、何事にも一生懸命働きました。


結果信用信頼をしていただいたのだと思いますが、39歳11ヵ月のとき福岡県南筑後地区の退職教職者文化祭で、約80人の前で初講演をさせていただきました。



公演時間は1時間半くらいでしたが、演題を「自然からのメッセージ・・・。」として環境問題を話しました。そのあと健康相談会をして欲しいとの要望が出て、別室で15,6名の座談会を3時間以上行いました。


演題はなんでもよいと言われていたので、その頃関心のあった環境問題を演題に選んだのですが、結局私には皆さん健康関連の話を期待されていたようです。

とにかく何事にも一生懸命働いているとまつわる他人から信頼され、また、いろんな閃きや、勘、が働くようになります。

あるとき年格好が同じくらいの、検査結果も同じ程度の胃潰瘍の女先生お二人から相談を受けました。

お一人の先生はガジュツを飲んだだけであっさり快復されました。しかし、もう一人の女先生は全然効果がないと訴えられると同時に、同僚に言えない不満ごとを沢山吐き出されたのです。

するとどうでしょう!のち一週間もしないうちに胃潰瘍が治ってしまわれたのです。

そのとき私の心のどこかに病気の始まりは”こころ”にあることをはっきり確信しました。

それから名刺に”こころ研究所”と書きたいと妻に相談をしたら、時代はこころという言葉を今のように使われていない時代でしたので、「恥ずかしいからやめてよ!」と言われてしまったのです。

それでも私の心から”こころ研究所”の言葉は消えることはなくますます深まっていったのでした。

数ヶ月後いよいよ名刺がなくなる時だったのですが、やはり”こころ研究所”の文字を入れたいという私の熱意に、妻はそこまで思うなら書いたらという一言で「和草堂こころ研究所・・・」が始まりました。

続きは次回




潜在意識を活用するといっても何か特別なことをするわけではありません。

私がやり続けることですから大したことではないのです。

しかし、成功するシナリオになってない人は、こんな簡単なことですらしないようです。というか、成功していない私が潜在意識活用術を教えても信ぴょう性がないということかもしれません。

とにかく、欲しいものや、なりたいことなどを箇条書きにして毎日書くだけのことです。

・万調 皆善 無尽蔵 ・できる できる 必ずできる ・富裕 ・成功 ・幸福

このようなことを毎日書いていました。

今にして思うと、もっと目先の欲望(1000万円欲しい、高級車(社名も書いたほうがよい)に乗りたい、世界一周したいなど)を書いておけばよかったかな?とも考えたこともありました。

きっと叶ったでしょう!それが潜在意識です。

何故なら、バブルの時代もありましたし、今までの人生がもっと金銭的余裕のある人生を送れたのではないかと思われるからです。

でも今現在そのような気持ちはないですね。これで良かったと思っています。一生懸命100%で生きてきたので後悔がないのです。これが私のシナリオなのだと信じているからです。

そのほかにしたことは、毎月一日のお墓参りと、毎日仏壇へのお茶と線香ぐらいでした。

何かをするというより毎日何も考えず潜在意識に将来の夢を託し、ただ一生懸命生きていたように思います。

26歳の時、それまで何をするにも自信のなかった私の心に変化が起こり始めます。

その頃元NHKアナウンサー鈴木健二さんの著書で『30代に男がしておかなければならないこと』『男は20代に何をなすべきか』がベストセラーになっていました。

そのタイトルが私の心に変化を起こしたのです。

”できる できる 必ずできる”となぜ書いていたかといいますと、自信の持てない自分の心の裏返しを書いていただけなのです。

本のタイトルを知って何を考えたかといいますと、もし20代の若者の行動を30代、40代、50代の人が見たときどう思うだろうか?

たとえ失敗しても若造だから仕方ない、と思うだろう!私が年長者だったらきっとそう思うに違いない!と考えたのです。

そのときから一心不乱に今の自分にできることを躊躇することなくやりはじめていました。

結果は99%失敗の連続でした。しかし、何故か信用信頼されている自分に気づき始めていました。

100%で生きていると、実力が不足する分をお陰様(精霊、守護神など)がお手伝いをしてくれることが後に分かりました。

内緒ですが、お陰様は暇だそうです。護っている人のお手伝いをしたがっているらしいのです。しかし、100%で生きている人にしかお手伝いをしてくれないそうなのです。

いよいよこれからが30代です。

     続きは次回

 

彼女と付き合い始めてからの人生は、楽しい変化のある時代を過ごしました。四季で言うなら夏の時代です。


ベストセラー小説『アミ 小さな宇宙人』の中の少年ペデュリートと少女ビンカのごとく、彼女をソウルメイトとして人生の伴侶だと感じていましたので、私は彼女と幸せな人生を送るために成功したいと考え始めていました。

その頃の私は、人生を豊かに過ごすためには何か特別な資格を取得するか、他人より抜きんでた運動能力や楽器などの才能がなければ成功できなと思っていたのです。

しかし、私の人生のシナリオはそれらをことごとく阻んでいました。

ある日、父から薦められるまま、ダイヤモンド社から昭和29年に初版された『信念の魔術』という本を読んでみたのでした。

それには人生を成功に導くための、潜在意識活用の重要性について書いてありました。

ある会社の会長さんから「お前は”信念の魔術”という本を読んだか?」と聞かれ、ちょうど読み終わったときでしたので、「はい読みました」と答えたら「ヨシ!あの本は読んでおいたほうがいい」と言われたとき、やはりこの人も潜在意識の本を読んでいるんだと思ったことを覚えています。

それから私は3回読みました。本の詳しい内容は記憶力を削がれて産まれてきた私には、ほとんど頭に残っていないけど(-_-;)

あの頃TVモーニングショーで「宮尾すすむのああ日本の社長」という番組が放送されていて、数十回放送された中で、数人の社長さんが『信念の魔術』を読んで自分は変わったと言われていました。

あっ!これだ!私のような凡才以下の人間でも神様は平等に人生のシナリオをくれている、と私は確信し潜在意識活用に人生を賭けてみようと思ったしだいです。

世の中、成功している人は、自分自身で意識しようがしまいが、必ず潜在意識を活用していることをその頃知りました。

そのあとずっと潜在意識に関する本を私は探していたのですが、その頃はまだ潜在意識に関する本がありませんでした。すると、私にとっては不思議なことが起きるのです。

仕事帰りの国道沿いに、大きなショッピングセンターがオープンしていて、いつか立ち寄りたいと思っていたので、ぷらっと見物がてら立ち寄ることにしました。

表に駐車場があるのに、何故かわざわざウラの駐車場に止めたのです。

ウラ入り口からショッピングセンター内に入ると、入口の直ぐ横が本コーナーになっていました。

ショッピングセンター全体を見物したかった私が、また何故かどこにでもある本屋さんの、それもレジの正面の本棚の前に立ち、目にしたものが『マーフィー100の成功法則』という本だったのです。

その本をパラパラとめくると潜在意識の文字がいくらでも出てくるのです。これだ!と思った私は、¥1200でその本を買い求め、ショッピングセンターを後にしました。

新装オープンしたショッピングセンターを見たかったはずなのに、そんな気持ちはどこへやら?

人生のシナリオは印籠(決まっていること)を出すタイミングを間違えません。

これからが潜在意識活用、実践の始まりです。

    続きは次回

長い出張から帰ってきました。途中の休日を利用して日光東照宮まで足を伸ばし徳川家康(東照大権現)にご挨拶をしてきました。

父は元気な頃、何度か日光行きを計画したのですが、天候の都合でとうとう行けませんでした。というより行かせてもらえなかったのかも知れません。


今回は天気に恵まれただけでなく、白龍、毘沙門天、薬師堂、観音様、開運表札とさまざまな出会いが準備(印籠)されており、行ったというより行かされた気がしてなりません。

またゆっくり写真なども添付したいと思います。


No.8 彼女は腎臓病


フォークグループでシグナルの代表曲「二十歳のめぐり逢い」という曲が流行っていた頃、私も20歳、大学で私はギタークラブの部長をしていました。部長特権というか、その頃彼女がいなかった私は、可愛い新入生とお付き合いを始めていました。


ある日、朝からデートをしていているとやがて、彼女が「私もう帰らなくちゃ!」と言い出すであありませんか!せっかくのデートなのに。わけを聞くと「今日はすごくむくむの」というのです!

むくむ理由を教えてくれました。
腎臓からひどいときには蛋白が+4出ているそうなのです。

腎臓機能が弱く、高校2年生の時から体育の授業を受けていなく、ドクターから「就職はあまり机を動かなくていい職種に就きなさい。」、「結婚はいいけど、赤ちゃんは産まないほうがいいよ!」とまでいわれたというのです。

毎月定期的に総合病院で蛋白検査をしている彼女に、早速ガジュツ を飲ませ始めました。すると彼女はやがてむくまなくなり、その後大学病院へ3回ほど蛋白検査にいったのですが、「もう病院には行かない、むくまないから蛋白は出ていなと思う」と言い出すぐらい元気になっていました。

そうなのです、当時尿蛋白を調べるだけなのに病院に行けば半日つぶれるのです。

彼女はそのとき以来、腎臓関係で病院に行ったことがありません。また、就職は動き回らなければならない旅行社にお勤めしました。

私が22歳の時「22歳の別れ」という風の曲が流行りましたが、私達は分かれることもなく、ガジュツ が接着剤となりご想像通り彼女は私の妻になりました。

その後子供も三人授かり、三人目の赤ちゃんは、主産した産婦人科開院以来の4,300gという大きな男の子でした。
勿論タンパクは出ませんでした。


私と出逢わなかったら「今頃腎臓透析していて、子供も持てなかったかもな!」という私に「あなたと出逢わなかったら、もっと良いくすりに出会ったかもしれない!」という妻もなかなかしたたかです。(笑)

私はこれもシナリオで、二人は出逢うべくしてであうという印籠が準備してあったとのだと思います。

                 続きは次回

父の人生を振り返れば何一つ偶然はなかった、とつくづく思います。


私の人生のシナリオは、今現在の平均寿命からすれば、半分を過ぎたぐらいといったところでしょうか!

私の人生の前半は・・・

父が貧乏でしたから当然私も貧乏生活でした。5歳半まで私にとって、父と母それに姉姉たちと一緒に暮らせる毎日に、何の不満もありませんでした。

しかし、5歳半の時母が入院し、四人兄弟の末っ子長男である私の生活は一変してしまいます。

家事全般が家族全員による共同作業です。小さい私にできることは限られたことだったのですが、それなりのお手伝いをしていました。

やがて7歳の時母が亡くなり、鍵っ子になっていた私は、勉強など一切しませんでしたので、成績はさっぱりです。

貧乏で、成績が振るわず、片親という三拍子そろっているわけですから、世間の大人の噂は言わずもがなでしょう!だが、いじめにはあわなかったですね。

ただ、マラソンだけは父に似たのか、その頃は早かったですね。頭脳は母似だったのでしょうか?母の名誉のために、母方の従兄弟は結構優秀ですので、私が特別なのでしょう!

バラドアジャ・リシの預言書にも書かれていたのですが、記憶力を削がれて産まれてきているとのことでしたので、記憶力が悪いというのは、私に別の何か人生の目的があってのことなのかと近年は思っています。

学校、学生時代は記憶力が良い方が住み良い世界のようですが、一生を四季で捉えれば、大まかに学生時代までは人生の前半にすぎず、長い人生というフィールドで物事を捉えれたとき、記憶力ではなく、如何に倖せに生きることのできる思考力を持っているか!ではないでしょうか?

また、私は一生懸命どんなに勉強しても二番でトップにはなれなかったし、まるっきり勉強しなくてもビリにもならなかった。これもシナリオ。

だから私は何事においても天狗になったことがありません。天狗になってはいけない、なれない運命・宿命なのでしょう!

小学校4年生の時、学年マラソン大会で二位になりました。
勉強はともかく父譲りというか、マラソンならば父を喜ばせることができると、来年は一位になろうと時々練習をしていました。

いよいよ翌年のマラソン大会当日がやってきました。
私は余裕で折り返し地点を一位でターンして運動場に戻ってきたのです。あとトラックを半周すれば念願の一位です。ところがです、今年転向してきた男が残り70メートルというところで私を抜き去ったのです。今でも覚えています。あいつさえ転校して来なければ!どんなに足を上げようとしても上がらないのです。
これもシナリオでしょうね!

いつも二位だったのですが、翌年はクラス別駅伝だったのですが、駅伝だと一位になる。バレーも個人的には下手なのに、組んだグループは優勝する。

何かそこにも、まつわる人は倖せになるというようなシナリオがあるような気がするのです。

どうのこうので二十歳を過ぎた頃から人生が変わり始めます。

父が人生を四季に例えたら一期が20年と言っていたことを思い出します。

             続きは次回