痴呆症との闘い。
戦後満州から引き上げてきて、貧乏のどん底を味わってきた父でしたが、クリスチャンでおしゃれな、明治生まれの気骨のある、かくしゃくとしていた父でしたので、父が痴呆症になるなんて信じられない思いでした。
まだらボケから始まりますので直ぐには気づきません。2年位たってから、今までの父の考え方とは明らかに違う言動が増えてきて気づきました。
雑誌やテレビ、映画などで、何がなくなったとか、俳諧などいろんな認知症についての症状が知られていますが、12年間も見ていますと、そのほとんどを体験しました。
認知症だと気づくまでが父に対しての私の葛藤でした。そんな父ではなかったはずの父が、少しずつ現実の現象として現れてくるのです。子育て中の妻はもっときつかったかもしれません。
エピソードを一つお話しますと、私は仕事に出かける寸前でしたが、妻がおかしいのです。洗面所でガタガタ震えながらしゃがみこんでいるのです。
父がウーウーといいながらずっと妻の後をついて来るのです。ひと時も離れないのですから妻としては精神的にたまったもんではありません。
妻は震えるだけでなく頭の中は混乱し、様子は尋常ではありません。
私は父をほったらかしにして、直ぐに妻を抱えて家を出て、近くの病院に助けを求めました。
私はその時何を考えたかと言いますと、
・妻がここでおかしくなって家庭崩壊したら、以前の父だったら喜ばないだろう。
・父が後追いしてきて、たとえ交通事故に遭っても相手に文句を言わないし、それどころかこちらから謝ろう。
・仕事は今日は休む。
そのようなことを考えていました。
近くの内科病院で順番を待っている間に、妻も精神的に落ち着きを取りもどし震えもとまっていました。
先生から国立菊池病院精神科を紹介され、その足で菊池病院を訪ねました。
精神科の先生に父の様子を話すと、妻と私の様子から察して信じていただき、父を診ることなくセレネースという抗精神病薬を処方していただきました。
本人を診ることなく処方していただけるような薬ではありませんので、そのときの私達の様子は尋常ではなかったのでしょう!大変助かりました。
薬を飲みたがらない父のために液薬を処方してくれました。
最近気が荒くなっていた父を妻は恐れていました。その父に、セレネース液をご飯にかけて飲ませると以前のやさしい父に戻っていったのです。
その時ほど、化学薬品のありがたさを痛感したことはありません。
しかし、弛緩するとか副作用も沢山あることが分かっていましたので、症状が落ち着いた頃、一ヶ月もしないうちに中止しました。
エピソードを書き始めたらきりがありませんので、ウンチ隠し事件とか、着物にネクタイ3本とか、いつか機会がありましたらまた書きたいと思います。
とにかく私は父の46歳の時の子供ですので、周りの友達より早く子育てと同時期に老人介護をはじめていました。
正確には34歳から47歳までの12年半です。
父の介護を通じて多くのことを学びました。
父をどこかに捨ててくるわけには行かないのです。いつまで続くか分かりません。ですので、何も考えず毎日毎日を淡々と!を学びました。
そんな父ではなかった父から、自分の人格をなくしてまでも、私に人生の哲学を学ばせてくれました。今思うとありがたい存在でした。
まだまだ、沢山のことを学ばせてくれました。
続きは次回