長い出張から帰ってきました。途中の休日を利用して日光東照宮まで足を伸ばし徳川家康(東照大権現)にご挨拶をしてきました。
父は元気な頃、何度か日光行きを計画したのですが、天候の都合でとうとう行けませんでした。というより行かせてもらえなかったのかも知れません。
今回は天気に恵まれただけでなく、白龍、毘沙門天、薬師堂、観音様、開運表札とさまざまな出会いが準備(印籠)されており、行ったというより行かされた気がしてなりません。
またゆっくり写真なども添付したいと思います。
No.8 彼女は腎臓病
フォークグループでシグナルの代表曲「二十歳のめぐり逢い」という曲が流行っていた頃、私も20歳、大学で私はギタークラブの部長をしていました。部長特権というか、その頃彼女がいなかった私は、可愛い新入生とお付き合いを始めていました。
ある日、朝からデートをしていているとやがて、彼女が「私もう帰らなくちゃ!」と言い出すであありませんか!せっかくのデートなのに。わけを聞くと「今日はすごくむくむの」というのです!
むくむ理由を教えてくれました。
腎臓からひどいときには蛋白が+4出ているそうなのです。
腎臓機能が弱く、高校2年生の時から体育の授業を受けていなく、ドクターから「就職はあまり机を動かなくていい職種に就きなさい。」、「結婚はいいけど、赤ちゃんは産まないほうがいいよ!」とまでいわれたというのです。
毎月定期的に総合病院で蛋白検査をしている彼女に、早速ガジュツ
を飲ませ始めました。すると彼女はやがてむくまなくなり、その後大学病院へ3回ほど蛋白検査にいったのですが、「もう病院には行かない、むくまないから蛋白は出ていなと思う」と言い出すぐらい元気になっていました。
そうなのです、当時尿蛋白を調べるだけなのに病院に行けば半日つぶれるのです。
彼女はそのとき以来、腎臓関係で病院に行ったことがありません。また、就職は動き回らなければならない旅行社にお勤めしました。
私が22歳の時「22歳の別れ」という風の曲が流行りましたが、私達は分かれることもなく、ガジュツ
が接着剤となりご想像通り彼女は私の妻になりました。
その後子供も三人授かり、三人目の赤ちゃんは、主産した産婦人科開院以来の4,300gという大きな男の子でした。
勿論タンパクは出ませんでした。
私と出逢わなかったら「今頃腎臓透析していて、子供も持てなかったかもな!」という私に「あなたと出逢わなかったら、もっと良いくすりに出会ったかもしれない!」という妻もなかなかしたたかです。(笑)
私はこれもシナリオで、二人は出逢うべくしてであうという印籠が準備してあったとのだと思います。
続きは次回




