世界遺産・世界遺産検定をきっかけに、いろいろ知りたい私のまとめ

世界遺産・世界遺産検定をきっかけに、いろいろ知りたい私のまとめ

世界遺産。なんとなく味わうのもいいけど、どうせならクリアに自分の知識にしたい。「勉強」って空気感、嫌いじゃない。
ということで、地味に自宅ノートにまとめているものを公開してみることにしました。2014年9月スタート

Amebaでブログを始めよう!
最近、ネパールの方とちょっと知り合いになったのをきっかけに。
そして、ネパールには世界遺産が4つと、勉強しやすい量なので。

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【ネパールの自然遺産】2つ
 ◆サガルマータ国立公園
 ◆チトワン国立公園


雪山

サガルマータは言わずとしれた、世界最高峰エベレスト(8848m)を中心としたエリア。
(ベタ過ぎて、普通には検定にでないんじゃなかろうか…。)

世界の屋根ヒマラヤのあるネパールの自然は、山々と雪の織りなす大自然なんだろうな…と、思いますが

しかし! 

もうひとつの自然遺産 
チトワン国立公園 は、標高50m~200m程度しかない亜熱帯気候なのです!


注 
※50~200mはウィキペディアのチトワンの説明より。
  しかし、同じウィキペディアの国別最低標高地点情報では、ジャパ・Kanchan Kalanが70mで最低とされています。 ん? 50mはどこからきた?
 ジャパ・ケチャナカランの60m ジャパ・ケチャナ村6区かチャンカバルの63mという情報もありますが、どれも、おそらく近くの場所をさしているようです。 
 チトワン国立公園は非常に広大で東西80km、南北23kmもあり、この中に最低標高地点があるか、近くにあるのではないかと推測されます。
 
 内陸部の標高は測定がより難しいでしょうし、諸説ありってことで置いておいて。
 まあ、ネパールは 国内での標高差が8700m以上ある国ってことは理解OK!

電車
ちなみに山手線で一番標高が高い駅は新宿駅で 約37m
静岡の富士宮市中心部は標高130m位
チトワンは、なんかわりと身近な標高ですね。

ちなみに 首都カトマンズは標高1300m位。

そろそろ、標高から離れましょう・・・・・・・。

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今回は、ネパールにある ◆チトワン国立公園 と、サイ について

チトワン国立公園
は、もともと ロイヤル・チトワン国立公園 と呼ばれていましたが、2006年の国王の権力停止に伴い(1996-2006 ネパール内戦)、「ロイヤル」が除かれて、「チトワン」だけになりました。

チトワンは、かつてより王家の狩猟地であったため、開発を逃れ、不法な移住や森林伐採、乱獲などの問題にも、ネパール発の国立公園に指定された事で対処でき、動物の楽園が守られました。

ロイヤルでありがとうなのですが、今はもうロイヤルではないわけですね。


40種以上の哺乳類、500種の鳥類や、
インドサイ、ベンガルトラ、ヒョウ、ヌマワニ等の絶滅危惧種が生息しています。
サイ とら ひょう ワニ 翼ひろげて。

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世界には5種類のサイが現存しています
 
 チトワンに居る
インドサイ 一時期200頭以下に減ったが、現在2500頭ほどに回復

シロサイ 
 アフリカのサバンナに生息 ミナミシロサイは数千頭
 亜種キタシロサイは絶滅寸前 
 2014年現在6頭
  ※追加情報(2014/12/14)
  アメリカ・サンディエゴ動物園にいた高齢のオスが死亡。
  残り5頭になってしまいました。

 世界遺産 ガランバ国立公園(コンゴ民主共和国)は、キタシロサイの保護区だが2006年以降目撃が途絶えている
 ………密漁により1960年代~1980年代の20数年で、2000頭→15頭に激減
    保護活動で2倍に回復したが、1996年~2003年のコンゴ内戦・・・
    保護活動ができなくなり、絶滅寸前に。

 
クロサイ サハラ以南のアフリカ大陸に分布 数千頭に回復しているが、楽観できる状況ではない
 世界遺産 ンゴロンゴロ保全地域(タンザニア) にも生息

ジャワサイ
 かつては東南アジアの広い範囲に分布していたが、インドネシア・ジャワ島と、ベトナムにのみ残っていた。しかし2011年ベトナムで絶滅。現在ジャワに50~60頭のみ。
 このジャワサイの生息地は、世界遺産 ウジュン・クロン国立公園 

スマトラサイ マレーシアやインドネシア、ミャンマーなどの山岳の密林地域に生息 400頭以下と考えられる


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サイはその角が漢方薬の材料となることから高く売れるので、密漁により個体数が激減してきました。
しかし、サイの角の主成分は人の髪や爪と同じケラチンなので,若干の解熱作用程度の効用らしいです…。
ウソかマコトか、昔、中国に毒を持った鳥が居て、その毒を解毒できるのがサイの角という話に尾ひれがついて、サイの角が万能薬として珍重されはじめ、さらにユニコーンの角伝説になったとか、ならないとか。

ユニコーン

タンザニアには、奴隷貿易に関係のある世界遺産とされるものが2つあります。

◆ザンジバル島のストーン・タウン
◆キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群


どちらも、奴隷貿易行われていたところですが、
立地がよいことなどから重要な交易地として栄え、時代の流れの中で奴隷も扱い、アラブ・イスラム・アフリカ・ヨーロッパが関わりあってきた歴史を感じさせる物件で、ゴレ島(セネガル)クンタキンテ島(ガンビア)のように まさに奴隷貿易の負の遺産・・・というものとは異なります。

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まずは、

◆ザンジバル島のストーン・タウン 登録基準 2.3.6
※公式テキストで扱いが大きいです

について。


・ザンジバル島は、沖縄本島の1.4倍位の島で、タンザニアの沖40kmにある
・4~9月にはザンジバル→アラブ方向、11~3月にはアラブ→ザンジバルへと吹く季節風が 島とアラブの国々を結んだ

・古くから(起源は紀元前)栄えた インド洋の貿易拠点
・東アフリカでは特異な、3階建て以上の石造建築物群

・奴隷・象牙・金などの輸出、胡椒・クローブなどのスパイス栽培と販売、東西貿易の中継地として栄えた byアラブ商人
・何本もの入り組んだ細い路地が網の目状に張り巡らされた町並み
・19世紀には東アフリカ最大の奴隷市場が置かれていた 
 (奴隷市場跡には今、実際に使われていた鎖をつけた奴隷のモニュメントがある)

帆船舵帆船

アフリカ、ヨーロッパ・アラブ・インド等の影響をうけた文化や建物、長い長い東西交流の歴史が感じられるあたりが世界遺産に登録された理由なのでしょう。
特に 登録基準(2)

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(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。

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現在では、観光地・リゾート地としての側面が強いように思われるザンジバル(特にストーンタウン)
物価も高く、客引きも多く、超目玉の建物もなく・・・気軽に海外旅行ができ映像も情報もTVやインターネットからいくらでも手に入るので、異国の風景に慣れているこのご時世、

「ふうん、ここが世界遺産なの?普通だね。」

という風に感じられる方も居るみたいです。
が、
どこかで見たことのある風景、人、宗教の影響が、東アフリカのその町で、ミックスされて2000年以上も息づいている事がすごいんだということを、感じてみたいものです。

しかし、、、日本からはなかなか遠いところですね。

また、明治~大正時代 日本人の商人、また、からゆきさんと呼ばれた日本人娼婦たちが、景気のよさ・多くの船が寄港することからザンジバルに渡っており、アフリカで一番多くからゆきさんがいたのはザンジバル島とのこと。

ドル
ここで大金を稼いで、故郷に現在の価値で1億円ほどを送金した者や、商売人として成功した者も居たそうです。

フレディ
あと、世界遺産には関係ないですけど、
クイーンのボーカル、
フレディ・マーキュリー
(Freddie Mercury 1946-1991)は、ストーンタウン生まれ。
両親は、ペルシャ系インド人であるパールシー(ゾロアスター教信者・裕福な層
が多く、教育や文化度が高い)

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キルワキシワニ・ソンゴムナラ
は、公式テキストでの扱いも小さく、インターネット上の日本語のサイトでは、あまり情報もなく

たいして書くことないかも・・・

と思っていたのですが、調べているうちに
「結構、深追いできそう。」
と言う事に気付いてしまい、長くなりそうなので、
別で⑥として書くことにします。


クローバー
ネパールには世界遺産が4つ。 内2つが自然遺産。
ひとつは、前に書いた ◆チトワン国立公園


で、もう1つが、

◆サガルマータ国立公園

アルプス

 世界屈指の高峰が連なるヒマラヤ山脈にある国立公園として、雄大な自然が評価され世界遺産に登録されている
 よって登録基準は 
 (7)
ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの

 ただし、ユキヒョウジャコウジカなどの絶滅が危惧される動物の生息地となっていることが公式テキストでも赤字で強調されているが、登録基準(10)はなし
 これらの動物はここだけにorここを中心に生息しているわけではないからかな?


"サガルマータ"は、ネパール側からの呼称 ネパール語で「世界の頂点」の意味

"チョモランマ"
は、中国側からの呼称 チベット語で「大地の母神・世界の母神」の意味

"エベレスト"
は、インドがイギリス植民地だった時代、
インド測量局で測量計算が行われ 世界最高峰が判明した時(1852年)にインド測量長官だった ジョージ・エベレスト(1790-1866) にちなんでつけられた英語名 
※ジョージ・エベレスト本人はこれをよく思っていなかったらしい

この3つは、すべて同じ かの山の頂を指しているわけです。


★・・・・・・☆・・・・・・★・・・・・・☆・・・・・・★


ここでちょっと脱線


上でかいた ジョージ・エベレストは、1806年にインドに渡り、その後も長く滞在して 三角測量・子午線測定などを実施。地球の外形を計算した人らしい。
インド南端からネパールまでの、2,400kmに及ぶ子午線弧に沿った測量を、ウィリアム・ラムトンという人が責任者になってはじめたのだが、この測量を完成させたのがエベレスト。


さて、測量といえば 伊能忠敬!! (生1745-1818没)
1800-1816にかけて、かの有名な『大日本沿海輿地全図』をつくるための測量を行っています。

伊能忠敬45歳のとき、エベレスト誕生!


まだ世界各地の地理や、地球全体の大きさなどが、はっきりとはわかっていなかった頃
老いはじめた伊能忠敬が日本中を歩き続けていた頃
若きエベレストはインドに渡り、伊能忠敬が亡くなった年に、インドの測量を行っているのです。

なんか、浪漫。


伊能忠敬のほうは、エベレストを知らぬまま亡くなったでしょうが、
シーボルトが1840年に伊能図を修正して刊行し、ヨーロッパの一部では日本の測量技術の精度の高さが知られていたようなので、
エベレストの没年(1866年)から考えると、きっと、エベレストは伊能図を見たんじゃないかな、なんて。・・・浪漫。


シリーズ最終!
「奴隷貿易に関する世界遺産 アフリカ編①」 であげた9か所の、9個目です。

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タンザニアにある
◆キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群 

公式テキストでの扱いは控えめで、観光に行く人も(特に日本人では)少ないようで、情報があまりない!

つまり、そんなに掘り下げなくても、例えば、世界遺産検定の点取りのためならスルーでいいんじゃない? 
というような感じも最初はうけましたが、

いやいや、こういうマイナー物件(失礼)にこそ、浪漫があるのよ~

ということで、雑学まじえながら勉強していきたいと思います。


"キルワ・キシワニ""ソンゴ・ムナラ"は、どちらも島の名前です。
大陸にかなり近い所にあり、ロドリゲス(コチラ参照)のような孤島ではありません。
小さい島で検定テキストの地図ではわかりにくく、インターネットの地図で探してみると、2014年10月現在、googleMAPの地図は曖昧で、島の形もよくわかりません。
yahooの地図だと、島の輪郭がはっきりわかります。参考まで。

どちらも小さな島で、5kmほど離れて隣り合っています。
特に ソンゴ・ムナラは、直径1.5kmほどのいびつな円形の島で、地図をいっぱいいっぱい拡大して、「これかぁ~」という感じ。


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1981年 登録
2004年 危機遺産リストに登録される
【理由】熱帯特有の気候や植生によって遺跡の侵食や破壊が顕著な反面、それへの対策が不十分なため
2014年 危機遺産リストはずれる
【理由】政府による管理と保護策が向上したということを評価

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"キルワ・キシワニ"

・8~15世紀 金、鉄、奴隷、香辛料、象牙等の交易などで栄えた。

・12世紀末~ 
 主にジンバブエ産出の金→ソファラ(モザンビークにある南部アフリカ最古の港)
 →アラブ・ペルシャ地域への中継港として発展  

 13世紀には、東アフリカ沿岸部最大の都市に

都市国家キルワは、
イブン=バットゥータ(700年ほど前に、世界大旅行をした人)が、以下のようにほめまくっていますので、相当すばらしい都市たったのでしょう。

 
「様々な都市の中で最も華麗な町の一つであり、最も完璧な作りである。」
 「世界で一番美しい整然とした町の一つで町全体のつくりが上品である」
 などなど、おそらくは、訳の違いでいろんな表現あり。

 (イブン=バットゥータが訪れた1330年頃、キルワはこの地域最大の都市)

金金金 
・ジンバブエのモノモタパで産出される金の貿易を独占して栄える


・1498年 バスコ=ダ=ガマ船団の進出。キルワの交易権は次第に奪われる
・1505年 重要な港ソファラをポルトガルが占領
 →徐々に衰退

・1512年まではポルトガル支配下
・1512年 アラブ人が奪回

・1569年に訪れたイエズス会の神父の言葉
 「かつては町に人々があふれ繁栄していたが今は貧しく権力も失われてしまった。」

 (ここらで少し盛り返す・奴隷貿易も行われていた)

ミルトン(イギリスの、17世紀の詩人)「失楽園」に登場

・1840年 島自体打ち棄てられる

★代表的な建物は 大モスク跡・ムクティニ宮殿跡


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"ソンゴ・ムナラ"

・記録はほとんどなく、14世紀から15世紀頃に繁栄していたらしいということが分かっているのみ
・ソンゴは海面、ナラは塔という意味らしい


◆キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群 
 登録基準は、わかりやす~い。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠


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★★★おまけ★★★

イブン=バットゥータ
(1304-1368) について
・現在のモロッコでうまれた イスラム法学者・旅行家
約30年に渡る大旅行をした

ラクダ
 
北アフリカ、イラク、ペルシア、アラビア半島、ソマリア、スワヒリ海岸
 黒海沿岸地区、中央アジア、インド、東南アジア、中国
 北アフリカ、スペイン、西アフリカ
 (一部 行っていないとされる地域もある)
月の砂漠

・マルコ・ポーロ(1254?-1324)と並び称されているが、日本では、黄金の国ジパングをヨーロッパに紹介したことでマルコポーロのほうがはるかに有名
 …生没年から考えると、マルコが亡くなった時 イブンは20歳。
  翌年 1325年 イブン21歳の時に旅立ち、その後30年各地を旅行しているので、彼もジパングの噂はどこかで聞いたかな?


・1355年 当時のマリーン朝の君主の命で口述を行い
     『諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物』 完成
     通称リフラRihla
     日本語では『大旅行記』『三大陸周遊記』と訳されいてる。


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さらにおまけ 

「ワクワク伝説」
 中世アラブの伝説
 ワクワクに関する現存最古の文献は、9世紀半ばのもの
 東方の彼方にあり、黄金に富むと考えられていた土地。
 ワクワク島・ワークワーク・ワク などと呼ばれる。
 日本の「倭国」に由来するとする説が有力

 



ついにアフリカ編も④  今回は、

◆ル・モーンの文化的景観 (モーリシャス)  ついて。 
 +その周辺の地理をじっくりと。

さあ、まずは、モーリシャスがピンとこない。
なんとなくはわかっても、聞いた事はあっても、ね~。 えーと、どの島だったっけ?

島
「アフリカの右にある島がマダガスカル、インドの右にある島がスリランカ
あたりから再確認 

で、もう一歩。 
アフリカの右横がマダガスカル、その右横に レユニオン→モーリシャス→ロドリゲス

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まずは "レユニオン"
この島は、フランスの海外県。なので "レユニオン"という国ではないのです。
フランスには、95の県と、13の海外県・海外地域圏・海外準県・海外領土があります。
フランス

特徴としては、
・コーヒーの原種のひとつ、
ブルボン種の原産地
 (もともとこの島は、ブルボン島と呼ばれていました)
・火山島 その自然美から2010年に
"レユニオン島の尖峰群、圏谷群および絶壁群"という
「漢字で書きなさい」という問題だったら、なんか漢字を間違いそうなとっつきにくい名前で登録されています。
圏谷(けんこく)とは、カール(氷河の侵食作用によってできた広い椀状の谷)のことです。

 日本語訳、もっとなんとかならなかったのかと思いましたが、英名を見て、私ならどう訳すか考えた結果、これでも仕方ないな、と思いました。英語に興味のある方は調べてみてね。

まあ、レユニオンには、とんがった山、えぐられた谷、そして絶壁があり、美しい、と。

ちょっと違和感ありますが、
"レユニオン島の尖峰群、圏谷群および絶壁群"フランスの世界遺産です。

奴隷貿易に関係のある世界遺産はありませんが、ここでも黒人奴隷がコーヒーやサトウキビのプランテーション労働に従事させられていたようです。


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次に モーリシャス
この島は、モーリシャス共和国という国で、イギリス連邦加盟国
観光業・繊維産業・多民族国家の多様性を利用した積極的な外交で、独立後発展し、一人当たりの国民所得ではアフリカで最高水準の豊かな国。
イギリス
世界遺産
◆ル・モーン(ル・モルヌ)の文化的景観 がある島です

かつて、砂糖の栽培が大がかりに進められていたモーリシャス。
モザンビークやマダガスカルから奴隷が連れてこられていました。

「ル・モーン」 とは半島の名前。
この半島にはル・モーンという岩山(556m)があり、
森や切り立った崖、洞窟があります。
脱走奴隷(マルーン)は、モーリシャス島の南西端にあるこの半島に逃げ込みました。
これが
ル・モーン・ブラバン(Le Morne Brabant)
脱走奴隷がなんとか逃げ込んだ自然のシェルターです。

悲しいことに、モーリシャスで奴隷制度が廃止された時、警察が「君たちは自由になった」と呼びかけたが、誤解した奴隷たちは飛び降りて亡くなってしまったとか。

なんとか身を隠していたとはいえ、地図でみてみると、4㎢程度の大きさしかない狭い隠れ家。
大勢で本気で捕まえに来られたら、到底かなわないと思ったのでしょうか。

「自由を求めた奴隷たちの戦いのシンボル」と評価され、世界遺産に登録されました。


ハイビスカス ハイビスカス ハイビスカス
また、ここには絶滅危惧種の植物、マンドリネットが生息しています。
マンドリネット・・・ピンク色のハイビスカスのような花 
日本の検索サイトで カタカナ「マンドリネット」で画像検索しても、楽器のマンドリンとか別のものばかりが表示されれてしまいす。
Mandrinette で検索してみてください。赤のようなピンクのようなきれいな花が見られます。
ハイビスカス ハイビスカス ハイビスカス

また、モーリシャスは、不思議の国のアリスに登場するあの不思議な鳥のモデル、モーリシャスドードーが、昔、生息していた島です。絶滅動物のシンボルとして知られる、人間の発見から100年足らずで絶滅してしまった飛べない鳥。
1598年頃に発見→1681年頃絶滅


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最後に 右(東)にある ロドリゲス

これは、レユニオン・モーリシャスに比べると、かなり小さい島で、
東西約20km、南北約10km程度しかありません。

ロドリゲスは、国ではなく モーリシャスの属領

世界遺産はありませんが、マダガスカルやアフリカ本土からから奴隷として連れて来られた、あるいは移住してきた人の子孫が住んでいます。


部分的な地図で見ると、距離感がわかりにくいのですが、
マダガスカル~ロドリゲスは、鹿児島~青森くらい。なかなか遠いのです。


あと、ドードーについて。
ドードーはモーリシャスドードーが有名ですが、このロドリゲス、そしてレユニオンにも生息していました。それぞれが独自のの進化を遂げた貴重な孤立種でしたが、すべて絶滅しています。


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地図右上の「?」って、どこかわかりますか?






正解は、”インド洋の真珠” セーシェル
これまた、名前はきくことがあるが、「どこかのきれいな島でしょ」というイメージだけあって、どうも正確な場所がインプットされてなくて・・・
ここにも2つの自然遺産 (ヴァレ・ド・メ自然保護区、アルバイトダブ~環礁) かありますが、それはまた別のお話ということで。


◆ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群 

は、とりあえず名前が長くてややこしい。
そういや、ガーナ・トーゴ・ベナンあたりを中学の地理でやった時も、ややこしい~と思ったな。
(あ、世界遺産に関係ないです。単に「あのややこしいアレ」繋がりで記憶しようとしている)

まあ、単に、たくさんある城塞群の所在地(州)の羅列のようですが。

この世界遺産、英名は
Forts and Castles, Volta, Greater Accra, Central and Western Regions
そう、上↑のそのまんま。
でも日本では、「ガーナのベナン湾沿いの城塞群」と訳されることもあり(そのほうがピンとくるから?) 世界遺産検定公式テキストでも、こらちが使われています。

まあ、ガーナのベナン湾沿いってのも、そのまんまながら 
0.5秒後に「ああ、そうか、ベナン湾ってのがベナン沖だけじゃなくて、ガーナ沖もベナン湾だからか。"の"の使い方がそういうことね。 千葉の東京湾沿いの地域、みたいな。」
となる名前ですが。(え?私だけ?)


つまり、世界遺産検定のテストで○をもらいたいだけなら、このややこしいほうの名前は無視していいということか・・・いやいや、そんなの、つまらない!
ということで、ちょっと州についてみていきましょう~。

色をつけてあるところが、ガーナ共和国。それぞれの州はカタカナで書いてみました。

Volta,     Greater Accra,     Central      Western
ヴォルタ州、
グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州

↑登録名と地理的な並びが逆だ・・・。どうでもいいのかもしれないけどさ。

ウエスタンは西だからウエスタンだ。セントラルも海際の中で真ん中。
グレーター・アクラは、きっと首都アクラがあるから。

ヴォルタだけがちょっとよくわからない。 黄色のヴォルタ州左上部分の、ヴォルタ湖はもともと川で、これをせきとめて人造湖にしたもの。なんと世界最大の人造湖。
でも、なんでヴォルタという名前か不明。 
第一次大戦後にイギリスがつけた名前が
Trans Volta Togoland で、そこからきているんだろうけど、じゃあなんでその時、イギリスがそういう名前をつけたのか・・・すみません、きりがないわ。

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砂のお城

そのうち、名前にある、この4つの州にある城塞群(11件)が
世界遺産に登録されてい・・・・ないのです。

この名前があがっている4つの州のうちの、
セントラルとウエスタンの2つの州にある11件が登録されているのです。


15~18世紀にヨーロッパ人によって築かれた城塞は海沿いに いーーーっぱい あり、最盛期は60か所と言われ、そのうち現存するのは3分の1くらい(20位)で、それらは、4つの州に点在しており、 そのうちの11が世界遺産登録されていて、その11は2つの州に集中している、と。

いじわる正誤問題ででそうなオーラ。
× 4つの州に11の世界遺産登録された城塞が点在している  

金金金
ガーナはかつて金の産地であり、かつてはゴールドコーストと呼ばれていました。
それを目当てにやってきたヨーロッパ人が、金・香辛料・象牙 そして奴隷などを扱ったのです。

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特に有名なものは、

・エルミナ城
 1418年 エンリケ航海王子がアフリカ沿岸調査を派遣
 1471年 エルミナに到達 
       ポルトガル人がヨーロッパ人で最初に黄金海岸を発見→金の貿易開始
 1482年 サハラ以南で最古のヨーロッパ建築 エルミナ城建てられる BYポルトガル人
 
17世紀 大西洋奴隷貿易の主要交易地だった
 1637年 オランダ人に占領される→奴隷貿易は継続された
 1871年 大英帝国が占領

・ケープ コースト城
 1653年 最初の建物が木で作られた BYスウェーデン
       →後に石に
 1663年 デンマークに奪われる
 1664年 イングランドが征服

 木材と金の貿易を目的として建設され、その後 奴隷貿易に使用された。



「この9つの世界遺産 どれがどれでしょう?」 の続きです。

【以下の9つ、から選んで~ どれがどれ?】

 ◆ゴレ島    ◆サン=ルイ島    ◆モザンビーク島 
 ◆キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群   ◆クンタ・キンテ島と、関連遺跡群 
 ◆ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群 
 ◆ル・モーンの文化的景観    ◆ザンジバル島のストーンタウン  
 ◆リベイラ・グランデの歴史地区シダーデ・ヴェーリャ 


今回は、左(西)側4つの世界遺産について一気に。

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椰子の木
 まずは、大西洋に浮かぶ島国 カーボヴェルデにある
 ◆リベイラ・グランデの歴史地区シダーデ・ヴェーリャ
 (カーボヴェルテ初の世界遺産)

 かつては リベイラグランデ と呼ばれていた
 18世紀末に シターデヴェーリヤ 現在の名前に変更された。 
 (同名の町との混同を避けるため)

え?じゃあ、「元リベイラグランデ・現シターデヴェーリヤ」なのに、何、その名前。
リベイラ・グランデの歴史地区シダーデ・ヴェーリャって変じゃない? 
と思ったら、リベイラ・グランデ・デ・サンティアゴという地方自治体の中にあるからみたい。
ややこしいわい。

1444年  ポルトガル人がこの島を発見
       熱帯地域に初めて建設されたヨーロッパ入植地
1450年代 奴隷貿易はじまる
はじめの頃の奴隷貿易は、戦争捕虜や現地の奴隷をポルトガル商人に売却するというもの


エンリケ航海王子
(1394-1460)がアフリカの西海岸の探検事業に着手 
大航海時代のはじまりです!

ポルトガル目線だとワクワクしますが、その後ここから送り出されていった奴隷側からすると・・・・まあ、歴史ってそういうものですよね。

【シターデ・ヴェーリヤ まとめ】

・カーボベルデ唯一の世界遺産
・1520年に建てられた マヌエル様式の さらし台 が残る 
 (罪人を晒しものにするために使われた)
レアル・デ・サン・フェリペ要塞 町が見下ろせる高台(海抜120m)にある 
 1590年建造の要塞
 海賊・フランス・イングランドから町を守る為に建てられた
・ヴァスコ・ダ・ガマ と コロンブス も立ち寄っている
・奴隷船の中継拠点となり、奴隷貿易で栄えたが、海賊の来襲で街は破壊された。
 今ある街は、18世紀後半に新しく作られたものだが、教会や砦、晒し台広場など、16世紀当時の雰囲気を残す街路が残る。

舵帆船舵

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次は、セネガル・ガンビアにある世界遺産について~


上(北)から

◆サン=ルイ島 / セネガル  (モーリタニアとの国境近く)
◆ゴレ島 / セネガル  (とんがったところあたり)
◆クンタ・キンテ島と関連遺跡群 / ガンビア  (ガンビア川河口) 


どれも、
奴隷貿易が行われた場所・奴隷貿易で発展したことのある場所です。

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◆サン=ルイ島

・セネガルにおけるフランス最初の恒常的拠点
・1872年から1957年の間、セネガルの首都だった
公式テキストには、小説「星の王子様」を サン・テグジュペリがここで執筆したかのように書かれているのだが、ちょっと微妙・・・
星

テグジュペリは、飛行士。
1927年サハラ西部で不時着(2日後に救出)、1935年リビア砂漠で遭難(3日後隊商に救われる)、他、多くの命にかかわるようなことを経験しており、その経験をもとに、1942~1943年 亡命先のアメリカで、執筆(完成)・出版されたらしい。

ツゥルーズ-カサブランカ / カサブランカ-ダカール間の郵便物輸送(飛行)をしていたのは1927年ごろらしいので、おそらく このサン=ルイ島に滞在していたのもこの頃(正式に執筆・出版される15年ほど前)ではないかと・・・ 
(サン=ルイ島はサハラ砂漠を越えてきた飛行機の中継基地)

あ~なんかすっきりしない。誰か詳しい人、おーしーえーてー!



◆ゴレ島

・立地の良さから、覇権争いがおこり、所有国がころころいれかわった。
最終的には、1783年~1960年の独立までフランスが統治。

ザ・奴隷貿易の歴史を示す負の遺産! 

・出航前の奴隷を収容した「奴隷の家」が残り、今は博物館になっている。
・登録基準は(6)のみ


◆クンタ・キンテ島と関連遺跡群

・ゴレ島とならぶ奴隷貿易の拠点
・英仏の派遣争い+海賊で、要塞築かれ破壊され、島自体放棄されたり、まあ、いろいろと大変だった島
・もともと ジェームズ島 という名だったが、アレックス・ヘイリーの小説「ルーツ」で、ヘイリーの先祖 (曽曽曽曽祖父) として描かれた"クンタ・キンテ"がガンビア河口(おそらくはこの島)からアメリカへ連行されたということにちなんで、2011年 クンタ・キンテ島に改名された。

・「関連遺跡群」のほうは、島ではなく本土に6つある。
  首都バンジュールにある 六連砲台
  バンジュールの対岸に、六連砲台の欠点を補うために建設された バレン要塞
  15世紀にホポルトガル人が交易のために建てた サン・ドミンゴの廃墟
  ポルトガル人の礼拝堂
  フランス西アフリカ会社の店舗兼住居の廃墟 CFAOの社屋
  20世紀初頭に西アフリカで増加したレバノン系商人の拠点 モーレル兄弟の商館

時代も国も内容も結構バラバラです。
深追いしたい方は検索してみてね。ウィキペディアとかに詳しくのってるよ。

ちなみにガンビアは、アフリカ大陸最少の国。
海以外全てセネガルに囲まれ、ガンビア川沿い、東西に細長い変わった形。
セネガルあたりを統治していたフランスと、ガンビアあたりを統治していたイギリスが争って、川から約200マイルをイギリス領ときめたのがはじまりだとか。

アフリカ編③ につづく

奴隷貿易に関する世界遺産 はじめに
からの続きです。

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アフリカにある 奴隷貿易に関係のある世界遺産について 
アフリカ編①


奴隷貿易ときくと、白人が黒人を捕まえている様子を勝手に想像しますが、実際はそういった事は稀だったようで、
黒人同士 部族間の争い等で捕虜になった者を奴隷として売る
・海岸沿いの有力部族(黒人)・アラブ商人が、内陸に住む人々を売るために捕まえてくる
 →奴隷を売って武器を買い、さらに強くなってまた内陸の人を狩りに行く・・・
と、いう感じだったみたい。
主に、黒人が別の地域・部族の黒人を「商品」として狩ってきて、ヨーロッパの業者・アラブ人がそれを扱っていたんですね。


はい。ここで小テスト!どれがどれでしょう?
9つがあるので、下から選んでみて~

 ◆ゴレ島 
 ◆キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群 
 ◆クンタ・キンテ島と、関連遺跡群 
 ◆サン=ルイ島
 ◆ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群 
 ◆ル・モーンの文化的景観
 ◆リベイラ・グランデの歴史地区シダーデ・ヴェーリャ 
 ◆ザンジバル島のストーンタウン 
 ◆モザンビーク島

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それでは、どれがどれなのか、問題を解く感じで、説明していきたいと思います。
(なので、ハイ、これが答えです。単純暗記で!とはいきません)

まず、"モザンビーク"って国の名前ですよね。
で、モザンビークの世界遺産は現在ひとつ、これだけです。

上の地図の緑のところがモザンビーク共和国
その中にある
 ●
のところが モザンビーク島 (約3.5km沖のインド洋上)

……★…… ~ ~ ~ ……★…… ~ ~ ~ ……★…… 

◆モザンビーク島・・・ポルトガル植民地時代の中心的都市 
……★…… ~ ~ ~ ……★…… ~ ~ ~ ……★……

10世紀頃~ アラビア商人がインド洋貿易の拠点としていた 
1498年    ヴァスコ・ダ・ガマ上陸 
1507年     ポルトガルが港と海軍拠点を建造 
1522年    南半球における現存最古のヨーロッパ建築と見なされている 
       ノサ・セニョラ・デ・バルアルテ礼拝堂
が建てられた
17世紀半ば以降 ポルトガル インド西海岸の植民地失う
        ポルトガルにとっての島の重要性は失われる
18世紀後半 奴隷貿易で経済復活 
 (↑ユネスコのHPにかいてあるんだけど、アラブ商人のイスラム-奴隷貿易のこと?)
1898年    現在のマプトが首都となり、港湾機能もナカラ港(モザンビーク島の北50kmあたり)に移され、モザンビーク島は重要性を失った
1991年    世界遺産に登録される 

と、こんな感じです。

【利用した人】 アラビア商人→ポルトガル人→再びアラビア商人
【商品】     金→象牙→奴隷

上のをさらっと読んだだけだと、おそらくは、心にも頭にも残らないので、いろいろとプチ情報を・・・。



★ 天正9年(1581年) ヴァリニャーノが信長に謁見した際に奴隷として引き連れてこられた 黒人 弥助(やすけ)は、このモザンビーク出身との説が有力
 (状況証拠より)弥助は、本能寺の変の時、信長の家来として本能寺に居たんですよ~。
その後の弥助の消息は不明。 遠い遠い所から日本に来て、信長に気に入られ 家来として仕えた黒人の弥助!多くの伝説が残っています。
また、 弥助のルーツを探しに当時モザンビークと呼ばれていた"モザンビーク島"に行ったところ、現地のマクア人男性に「ヤスフェ」という名前が比較的多いことが判明→これが「弥助」になったのでは?と 世界ふしぎ発見 で観ました。面白い!

天正遣欧使節の4人(伊藤マンショ・千々石ミゲル・中浦ジュリアン・原マルティノ) がヨーロッパからの帰路、1586年9月に喜望峰からモザンビーク島に着き、ここで船を乗り換え、風向きが変わるのを待って6か月間滞在

★ 
南半球における現存最古のヨーロッパ建築と見なされている 
 ノサ・セニョラ・デ・バルアルテ礼拝堂
 うーん、なかなか覚えにくい名前!
 そんな時は、それなりに意味とかを調べてみると印象に残ります。

ポルトガル語で、 Capela de Nossa Senhora do Baluarte

Capela・・・礼拝堂 
Nossa Senhora
 ノサ・セニョラ ・・・聖母

Baluarte
 バルアルテ 
・・・ 城塞、堡塁(ほうるい)  
 
 堡塁とは、敵の攻撃を防ぐために 石・土砂・コンクリートなどで構築された陣地のことうん、確かに 礼拝堂というよりは、小さな砦のような建物です。

★ 1752年まで、ゴア(インド南西岸の旧ポルトガル領)から統治を受けていたのでインドの影響もあり、キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教の建物等いろいろ。まさに、東西交流の歴史を残す島。

ひとつの世界遺産を学ぶのに、脱線脱線で、日々の生活のスキマ時間を利用して、1~2日はかかります。
でも、脱線するたびに、何かにつながる知識を得られるので、楽しいな、と。

奴隷貿易に関係のある世界遺産は、以下の3つにわけるとわかりやすいです。

①アフリカ・・・奴隷の積み出し拠点
②中南米・・・受け入れ先や中継地点(特に大西洋奴隷貿易の場合)
③その他奴隷貿易に関係のあるところ


~~☆~ ~ ~☆☆~ ~ ~☆~ ~ ~☆☆~ ~ ~☆~

奴隷貿易というと、時代も場所も幅広いのですが、
特に 大西洋奴隷貿易 について、かなりざっくり言うと

ヨーロッパの国々が中南米で植民地を作る
→最初 現地のインディオが奴隷にされるが、インディオの人口が減って奴隷が足りなくなる
 白人入植者の人口も増加しない
→プランテーション等で働かせる為にアフリカで捕まえた奴隷を運んでくる
→積み出し港や中継点が栄える
 (もともと栄えていた港町で奴隷もいち商品として扱われたパターンと、奴隷貿易の拠点として発展したパターンがある)
→劣悪な環境で奴隷も自然増加はしないため、どんどん連れてくる
 (これが長い間続く 16世紀~18世紀に多く行われた)
→場所によるが、19世紀前半 奴隷貿易 / 19世紀中ごろ 奴隷制度 の廃止
 人道的理由(博愛主義)・経済的理由(奴隷価格の高騰・作物の価格低下)によると言われる

と、こんな感じに私は理解しました。
ざっくりね。

また、アラブ人による奴隷貿易もかなり広い範囲で、長い期間行われており、650年~1900年間に、1000万~1800万人のアフリカ人が奴隷にされたと推測されています。
また、アフリカ人だけではなく、地中海沿岸諸国や北ヨーロッパで捕えられたヨーロッパ人も奴隷にされ、奴隷たちは 中東の諸地域・南アジア(主にパキスタンとインド)に運ばれました。

・大西洋奴隷貿易→新世界へ供給
・アラブ人の奴隷貿易→イスラーム教徒世界へと供給
 (イスラーム教以前に始まり、1000年以上も続いた)


~~☆~ ~ ~☆☆~ ~ ~☆~ ~ ~☆☆~ ~ ~☆~

ちょっと量が多いので、まずはリストにして整理してみようと思います。
ガッツリ関係あるものと、そこそこ関係あるもの 混ざってますけど。


①奴隷の積み出し拠点 inアフリカ 
 【特に奴隷貿易の拠点としての要素が強いもの】【負の遺産として扱われるもの】
 ◆ゴレ島 (セネガル)
 ◆クンタ・キンテ島と、関連遺跡群 (ガンビア)
 ◆リベイラ・グランデの歴史地区シダーデ・ヴェーリャ (カーボベルデ)
 ◆ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群 (ガーナ)
  ↑ 「ガーナのベナン湾沿いの城塞群(要塞群)」と訳されることも


 【奴隷貿易と関わりのあるもの・奴隷貿易も行っていたところ】
 ◆ザンジバル島のストーンタウン (タンザニア) 
 ◆キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群 (タンザニア)
 ◆サン=ルイ島(セネガル) 
 ◆モザンビーク島 
(モザンビーク)

 【上記とはちょっと違う・・・】

 ◆ル・モーンの文化的景観 (モーリシャス)
  絶滅危惧種のひとつであるマンドリネットの、3つしか残っていない生育地のひとつ
  19世紀に逃亡した奴隷たちが隠れ家とした 「自由を求めた奴隷たちの戦いのシンボル」


②奴隷が連れていかれた場所や中南米での奴隷貿易拠点 
◆トリニダとロス・インヘニオス渓谷 (キューバ)
ブリッジタウン歴史地区とギャリソン (バルバドス)

◆ポトシ市街 (ボリビア)
◆カルタヘナの港、要塞、歴史的建造物群 (コ
ロンビア)

◆キュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区
 
ベネズエラの北約60kmカリブ海に位置するオランダ王国の構成国
 (奴隷貿易で栄えていた時期があることは特に登録理由や概要説明では強調されていない)

③奴隷貿易と関わりのある都市

◆海商都市リヴァプール (イングランド)


~~☆~ ~ ~☆☆~ ~ ~☆~ ~ ~☆☆~ ~ ~☆~

まあ、「それも? じゃあこれも関係あるんじゃいない?」とか言い出したら、きりがないわけですが。
とりあえずは、今あげたあたりの世界遺産をちょっと細かくみていこうと思います。
後日、追加や変更もあるかもしれません。




コーヒーと直接関係のある世界遺産は
コロンビアのコーヒー産地の文化的景観  2011年登録
キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観 2000年登録

コロンビアについては、その①
http://ameblo.jp/warisan-dunia/entry-11923737856.html
で書きましたので、
今回は、キューバについて+その他 

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キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観 

1804年1月1日 200年と少し前
ハイチは、アメリカ合衆国に続き、西半球で2番目の独立国となった。


「え?キューバの話なんだけど・・・。」と思われるかもしれませんが、キューバのコーヒー農園の歴史は、隣の島からはじまるのです。


18世紀、豊かな土地であった今のハイチ (イスパニョーラ島の西3分の1で、当時サン=ドマングと呼ばれた) では、アフリカから連れてこられた黒人奴隷を労働力として、コーヒー豆 世界総生産の半分を産出。(他の作物もたくさんとれた)

しかし、当時の奴隷の置かれた環境は劣悪。
自然な人口増加 (奴隷の子が生まれ育ち人口が増える事) がないほどの死亡率の高さだったため、アフリカから次々と新しい奴隷が送り込まれていた。
1789年のフランス革命をきっかけに、黒人奴隷達が主人達に対する反乱 ハイチ革命がおこり、1804年に独立。ほ
とんどの白人は、別の土地に移った。
(反乱軍の革命兵士に味方したポーランド人だけは別)

この時に隣の島 キューバに移る者たちが現れ、南東部マエストラ山地のふもとに、コーヒー・プランテーションの移入が試みられた。
鬱蒼とした森林が茂り開墾は困難。 しかし、次々とプランテーション経営が始まり、19世紀には多くの農園が作られたが、ハイチ伝来の伝統的手法に頼る経営は、ブラジル・コロンビア等との競争に負け衰退。

この時にできた大規模なコーヒー農園(プランテーション)跡地
は、開拓当時のコーヒー農園の形態を知る事が出来る世界で唯一の場所 トロッコなどの設備も残されている


ここまでくると、同じ "コーヒーに関係のある世界遺産" でも、コロンビア・キューバは、まったく違うことがクリアですよね。
背景も、現状も、登録基準もぜんぜん違います。
以下まとめ。


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コロンビアのコーヒー産地の文化的景観      登録基準 (5)(6)
 険しい自然環境を克服し、上質なコーヒー豆を作ってきた幾世代にもわたる生産者たちの営み
 アンティオキア植民地風の建築物と、コーヒー豆畑の広がる様子
 
  (5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例
 (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの



キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観  登録基準 (3)(4)
 
森林を開墾して作り上げた、苦闘の痕跡。
 (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
 (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。


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  しかし、キューバで全くコーヒー豆が作られなくなったわけではなく、19世紀ほどの量ではないにしろ現在でも、しっかりと作られております。
手に入らないほど希少なものでもないので、今度見つけたら、「キューバ、ふ~ん。」とスルーせずに、「おお!これが、あの苦難の歴史を持つ!」と感動しながら飲みたいと思います。


ちなみに、

 ★コロンビアコーヒーの上1~3%の良質なものが、エメラルドマウンテン
   エメラルドマウンテンのマウンテンは、アンデス山脈 (そして、メジャーな缶コーヒーは、ジョージア)
   +コロンビアが世界一のエメラルド産出国だから

 ★キューバコーヒーの 上3~4%の良質なものが、クリスタルマウンテン
  クリスタルマウンテンのマウンテンは? 
  (缶コーヒーはルーツ・・・2014.7.7発売 でも、まだ飲んでないな。今度さがしてみよう。)

  

クリスタルマウウテンの名は海抜1,000m以上の山岳地帯の水晶の産地に珈琲が栽培されたことが由来だそうですが、まあたぶんマエストラ山地(世界遺産になっているあたり) のこと?と、思いきや、中部のエスカンブライ産クリスタルマウンテンもあったりして、ちょっとよくわかりません!情報求む!