奴隷貿易に関する世界遺産 はじめに | 世界遺産・世界遺産検定をきっかけに、いろいろ知りたい私のまとめ

世界遺産・世界遺産検定をきっかけに、いろいろ知りたい私のまとめ

世界遺産。なんとなく味わうのもいいけど、どうせならクリアに自分の知識にしたい。「勉強」って空気感、嫌いじゃない。
ということで、地味に自宅ノートにまとめているものを公開してみることにしました。2014年9月スタート

奴隷貿易に関係のある世界遺産は、以下の3つにわけるとわかりやすいです。

①アフリカ・・・奴隷の積み出し拠点
②中南米・・・受け入れ先や中継地点(特に大西洋奴隷貿易の場合)
③その他奴隷貿易に関係のあるところ


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奴隷貿易というと、時代も場所も幅広いのですが、
特に 大西洋奴隷貿易 について、かなりざっくり言うと

ヨーロッパの国々が中南米で植民地を作る
→最初 現地のインディオが奴隷にされるが、インディオの人口が減って奴隷が足りなくなる
 白人入植者の人口も増加しない
→プランテーション等で働かせる為にアフリカで捕まえた奴隷を運んでくる
→積み出し港や中継点が栄える
 (もともと栄えていた港町で奴隷もいち商品として扱われたパターンと、奴隷貿易の拠点として発展したパターンがある)
→劣悪な環境で奴隷も自然増加はしないため、どんどん連れてくる
 (これが長い間続く 16世紀~18世紀に多く行われた)
→場所によるが、19世紀前半 奴隷貿易 / 19世紀中ごろ 奴隷制度 の廃止
 人道的理由(博愛主義)・経済的理由(奴隷価格の高騰・作物の価格低下)によると言われる

と、こんな感じに私は理解しました。
ざっくりね。

また、アラブ人による奴隷貿易もかなり広い範囲で、長い期間行われており、650年~1900年間に、1000万~1800万人のアフリカ人が奴隷にされたと推測されています。
また、アフリカ人だけではなく、地中海沿岸諸国や北ヨーロッパで捕えられたヨーロッパ人も奴隷にされ、奴隷たちは 中東の諸地域・南アジア(主にパキスタンとインド)に運ばれました。

・大西洋奴隷貿易→新世界へ供給
・アラブ人の奴隷貿易→イスラーム教徒世界へと供給
 (イスラーム教以前に始まり、1000年以上も続いた)


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ちょっと量が多いので、まずはリストにして整理してみようと思います。
ガッツリ関係あるものと、そこそこ関係あるもの 混ざってますけど。


①奴隷の積み出し拠点 inアフリカ 
 【特に奴隷貿易の拠点としての要素が強いもの】【負の遺産として扱われるもの】
 ◆ゴレ島 (セネガル)
 ◆クンタ・キンテ島と、関連遺跡群 (ガンビア)
 ◆リベイラ・グランデの歴史地区シダーデ・ヴェーリャ (カーボベルデ)
 ◆ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群 (ガーナ)
  ↑ 「ガーナのベナン湾沿いの城塞群(要塞群)」と訳されることも


 【奴隷貿易と関わりのあるもの・奴隷貿易も行っていたところ】
 ◆ザンジバル島のストーンタウン (タンザニア) 
 ◆キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群 (タンザニア)
 ◆サン=ルイ島(セネガル) 
 ◆モザンビーク島 
(モザンビーク)

 【上記とはちょっと違う・・・】

 ◆ル・モーンの文化的景観 (モーリシャス)
  絶滅危惧種のひとつであるマンドリネットの、3つしか残っていない生育地のひとつ
  19世紀に逃亡した奴隷たちが隠れ家とした 「自由を求めた奴隷たちの戦いのシンボル」


②奴隷が連れていかれた場所や中南米での奴隷貿易拠点 
◆トリニダとロス・インヘニオス渓谷 (キューバ)
ブリッジタウン歴史地区とギャリソン (バルバドス)

◆ポトシ市街 (ボリビア)
◆カルタヘナの港、要塞、歴史的建造物群 (コ
ロンビア)

◆キュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区
 
ベネズエラの北約60kmカリブ海に位置するオランダ王国の構成国
 (奴隷貿易で栄えていた時期があることは特に登録理由や概要説明では強調されていない)

③奴隷貿易と関わりのある都市

◆海商都市リヴァプール (イングランド)


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まあ、「それも? じゃあこれも関係あるんじゃいない?」とか言い出したら、きりがないわけですが。
とりあえずは、今あげたあたりの世界遺産をちょっと細かくみていこうと思います。
後日、追加や変更もあるかもしれません。