さて、所蔵品展。・・・いやー大満足でしたよ。ちょっと子連れでのんびりじっくりは鑑賞しきれなかったですが、それでも楽しめました。


島田章三の「ノイローゼ」や

清宮質人(なおぶみ)のガラス絵もとても良かったです。

さて、僕がこの日気に入った作品のベスト5の発表です!


第五位 高松次郎 「紙の単純#324」(1971)


これは、多分黒い紙をちぎって、それを貼り付けている作品ですね。

画像なくて申し訳ないですが、ただ貼っているだけでなく、小さな白い点が沢山ついているかのように、小さな白い麻布の地肌が点々と残されているんですよね。

これが、僕には、人間いくら外面を飾り立てても、人間の本質って必ず垣間見えるものなんだよって、カッコつけ人間を皮肉っているように感じました。

高松次郎さんは、作品をみずから明確にシリーズ分けして制作したことで知られているんですってね。
その分類は厳密なもので、同時期に違うシリーズを平行して手掛けることはほとんどなかったらしいですね。


この「単体」シリーズは、1969年から71年にかけて制作されたもので、紙の単体以外にも、木や石を素材とした作例があるそうです。

いずれの場合も、素材そのままの状態と手を加えた状態との対比的に示すことで、「紙」なら「紙」という名前が、どのような状態のものを指す言葉なのかを見るものに問う作品になっているそうです。

高松次郎さんは、練馬区美術館にもその所蔵品があるのでなんか親しみを感じていて、いつか、大回顧展は見てみたいなーって思います。



第四位 中村彜(つね) 「少女」 (1913・大正2)

 




中村彜が、相馬俊子を描いた絵は、いくつか見ていますが、いやー、これは凄いなー。
これ、まだ中学生の相馬俊子なんだよね。

彜も、26歳ぐらい?かな。

相馬俊子とは、恋仲だった?のか、よくわからないけど、確か同じ時期(違いますか??)俊子の母親の相馬黒光(こっこう)と恋愛関係にあったんじゃなかったでしたっけ??違いましたっけ??

確か、黒光の嫉妬で、俊子との恋愛は成就しなかったんじゃなかったでしたっけ?事実関係間違っていたらごめんなさい、ご指摘ください。


事実関係はよくわかりませんが、中村彜と相馬俊子は相当な強い信頼関係があったのは間違いないでしょうね。
で、この作品を見ると・・・、僕は俊子の方がより積極的だったのではないかってこの作品を見て思いました。


中村屋サロン所蔵の「小子」の作品の印象が強いので、その作品を見ると、僕は俊子はまだあどけなくて、彜の方が積極的だったのかな?って思っていたのですが、

 




この横須賀美術館の「少女」を見ると、・・・この目線は、中学生とは思えない。

で、おっぱい出しているって、もし彜の方が積極的だったら、中学生におっぱい出させるって、ちょっと俺的にはありえない。彜のこと嫌いになってしまうよ。


この絵を見ると、俊子の方が、彜に対して積極的だったと感じる。
この挑発的な積極的な目線は凄いよ。

愛知県美術館には、中村彜が描く、相馬俊子の上半身裸の絵もあるんですよね。


僕は知りませんが、もしかしたら、俊子全裸の絵もあるのかも??僕は発表はされていなくても、あるような気が、この横須賀美術館の作品を見ると感じますね。



第三位 三岸好太郎 「金魚」 (1933)



三岸好太郎作品って、この作品のように、

 

 

フレームから飛び出すような、なんか、自由への飛翔というか、見知らぬ世界へのあこがれというか、自由さを凄く感じるけど、


この「金魚」もなんか、内なのか、外なのかわからない浮遊感が凄いんだよね。

単純な描き方にも関わらず、金魚が水の中にいるのか、それとも外に浮いてしまっているのか、なんかただよっているように感じるんだよね。これいいなー。


この作品好きです。

Tシャツや、マグカップなどのグッズがあれば買うね!



第二位 朝井閑右衛門 「薔薇(嘉靖青花唐子文中壺・・かせいせいかからこもんちゅうこ)   1983年 絶筆

 




横須賀美術館と言えば、横須賀ゆかりの画家、朝井閑右衛門。

今回も朝井閑右衛門作品がたっぷり鑑賞できました。

今日見た作品、結構「明るいジョルジュ・ルオー」って感じの、ルオーに似た感じの作品多かったなー。

練馬区美術館でも、朝井閑右衛門展やりましたが、
https://ameblo.jp/warabemonjya401/entry-12472520328.html


その時見た作品たちより、今日の作品郡の方が良かった気がしました。

さて、そんな中でも、やっぱり一番良かったのは、練馬区美術館でも感激したし、前回横須賀美術館に来た時も見て感激した、

絶筆のこの作品ですね。


画像だとわかりにくですが、この質感本当に凄い!

この作品の壺の描き方も素晴らしいです。


朝井閑右衛門はこうおっしゃっています。

「戦後薔薇の花を描き続けている。薔薇の花も花だが、気に入った壺が入れば、絵はもう出来たも同じである。好い壺と取り組むと途中は難行しても必ず絵は出来上がる。だからよい壺が実に欲しい。」


うーん、絵を描かない僕にはよくわからないが、確かにこの絵の薔薇と壺は実によくあってますね。


朝井にとって、壺、そして陶器やガラスなどは、収集そのものが目的ではなく、身の回りに置き、制作へのインスピレーションをわかせることが重要だったようですね。


それにしても何度見ても素晴らしい絶筆です。


さて、そして本当に素晴らしかった第一位は!


第一位 佐伯祐三 「窓のある建物;パリ風景」 (1925・大正14)



この作品は、1924年にヴラマンクに、自身の作品を、「アカデミズム!」
と一喝された翌年、ヴラマンクに一喝された理由を自分でもよく理解しつつ、ヴラマンクの影響を受けながらも、ユトリロの作品に接し、ユトリロに感化されつつある時期の作品ですね。


画像がいいのがなくて申し訳ないのですが、ヴラマンクの影響を多分に受けながらも、ヴラマンクとはまた違う味が少し出ていて、ただ、まだユトリロの境地には達していないよう、でもそれはそれでこれもいいなと感じさせる作品で、個人的にはとても好きな作品でした。


僕は、ヴラマンクが大好きなんですが、ヴラマンクはまさに、スタン・ハンセンで、その重厚なうえでのスピード感がたまらないのですが、絵画という世界の中で、スピード感、時間の流れを見事にヴラマンクは表現していると思います。

で、僕がユトリロに感じるのは、同じように時間の流れを作品から感じるのですが、そのリズムが、ヴラマンクよりゆったりしていて、でもそのゆったり感がとてもいいのですよ。

プロレスでいうと、ユトリロには、ジャイアント馬場や、ハーリー・レイスを感じる。


馬場さんやレイスの試合は、どんな相手と戦っても、自分の世界観にいつのまにか引きずり込むようなリズム感がある。

レイスなんか、相手に好きなように攻撃させて、相手のペースで試合を運ばせながらも、なんと!攻撃ではなく、受け身で自分のリズム、世界観に相手を、そして観客全体、会場全体を引きずり込んでしまうんですよね。

一見、相手の独壇場のような試合展開なのに、でも実は実は、レイスの世界観で試合は行われている。
凄いよねー。誰と戦っても、ちゃんとレイスの試合にしてしまうんだからね。


僕は、ユトリロにはそうゆう、ハーリー・レイスの世界観を感じる。

わけのわからないうちに、ユトリロの世界に引きずり込まれる感じがある。


で、佐伯祐三は、ヴラマンクとユトリロの中間ぐらい。

プロレスでいうと、ジャック・ブリスコを感じる。

ジャック・ブリスコは、スタン・ハンセンのような重厚さ、スピード感もないし、強烈なフィニッシュホールドもない。

馬場さんやハーリー・レイスのような、ゆったりとしたリズム感の中で、試合のペースを自分に引きずり込むようなこともない。


でも、ブリスコって、フィニッシュにもっていくまでの過程の流れが凄く、キチッ、キチッとしているんだよね。

腕の取り合い、ロックアップ、ヘッドロック一つ一つ、どれもキチっとしているし、技の流れが完璧なんだよね。

この佐伯祐三の作品も、パリの目立ったフィニッシュホールド的な場面ではなく、そこに至るまでの普通の情景を、まさしくキチっと描いている。

そこには、この建物の歴史までも感じさせる、時間の経過までキチっと描いているかのよう。


僕には、佐伯祐三が、ヴラマンクから刺激を受け、そして、ユトリロに感化されて、さて、自分が描くべきものは何かを模索しているとき、そのヴラマンクが描こうとしたものと、ユトリロが描こうとしていたものの中間をしっかり描き切ろうとしていたのでは?なんて感じます。


ヴラマンクに似ているけどヴラマンクとも違う。ユトリロに似ているけど、ユトリロとも違う。自分自身の立ち位置を模索している感じを受けます。でもこの作品からは、まだこれぞ佐伯祐三だっていうオリジナリティーは弱い気がする。


そして、このあとなのかな?文字が絵に入ってくるのは?


この作品を見て、より佐伯祐三が好きになりましたし、もっともっと佐伯祐三のこと知りたいなって思いました。




いやー、横須賀美術館、いい作品持ってますねー。


(つづく)

 

 


 

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