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6つの「人生の目的」について

まとめておこうと思う。

 

 

6つの目的とは、下記の通りである。

 

1:現実をうまくいかせたい人

2:幸福になりたい人

3:「自分」を感じたい人

4:「自分」を知りたい人

5:「私」はなんなのかを知りたい人

6:「わたし」とは何なのかを、人生そのものを使って探求したい人

 

 

「創道」は「6」を目的としている。

 

 

本日は「5」について書く。

 

 

 

*ここからは、私の解釈が含まれること、ご理解ください*

 

 

 

5:「私」はなんなのか?を知りたい人

 

「1」から「4」までは、軸足は「自我」にある。

 

そして

「外側にある現実」を通した

「自分(自我)の世界の捉え方」に重点を置く。

 

つまり、どこまでいっても

「私(自我)」がいることが

大前提となる。

 

 

その「私」が、現実をどう経験するのか?

どう捉えるのか?

何を感じるのか?

どんな前提を持っているのか?——そこを見ていくことが目的となる。

 

 

 

それに対し「5」では、

その前提にしていた

「この私」そのものが問いになる。

 

 

「私が世界をどう創るか」

「私が世界をどう見ているのか?」

ではなく

 

 

「そもそも、その『私』って何なのか?」

になる。

 

 

「5」は現実というツールを使用しない。


正確には、

現実を「変える対象」や「自分を読み解くための対象」として

中心に置かなくなる。

 

 

このフェーズでは

「私」という存在そのものに対して

問いかけていくことになる。

 

 

当たり前に「私」だと思い込んでいるもの。

その「私」を形成しているもの。

「私」という輪郭を保っているもの。

 

 

この身体。

名前。

役割。

過去や未来。

時間。

思考・記憶・経験・概念・理解・環境・出来事など。

 

 

「私」を形成している「要因」だと

 

絶対的に信じていたものが


本当に「私そのもの」を証明するものなのか?


というところまで問いが及んでいく。
 

 

そして、ひとつひとつ

私だと思い込んでいた「もの」を

外していくと

 

初めて「自我=私のすべて」という前提が

本当に崩れ始める。

 

 

Happyちゃんの言葉を引用するなら

 

世界の構造を理解し

「自分」というものが固定した実体ではないことを理解する。

ということだ。

 

 

「あれ?じゃあ、私って何?」

となった時に

 

人は初めて、自我の消失の片鱗に触れる。

 

 

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私個人の話。

 

この「5」まで到達した時

 

「自我が存在しなくなる感じ」

「私だと思っていたものが私でなくなる感じ」

↑

この感覚がもう、恐怖でしかなかった。

 

 

自分、という個体を形成するものが実は

何ひとつ、根拠がないものだと気づくからだ。

 

 

今まで、人は瞑想やさまざまなワークを通じて

この「自我が薄くなる感じ」は

何度も体験してきた。

 

世界との境目がなくなってひとつになる体験。

全てが溶け合うし、そもそもひとつだったという体験。

 

しかし、それはあくまで

自我を形成した「私」が感じる感覚であり

 

 

その自我そのものが「消えていく」ことは

つまり

 

この世界から「私」が消える感覚となる。

実体は、もちろんある。

けれど、私が私だと思っていた存在が消失していく。

 

これは、自我にとっては恐怖でしかない。

存在理由がなくなるのと同義語だからだ。

 

じゃあ、どうやって周りの人たちと関わっていけばいいのか?

どうやって、この世界で生きていけばいいのか?

一瞬、わからなくなってパニックになる。

 

 

自我にとって、消失は死を意味する。

だから必死になって抵抗して

その存在を示してくるのだ。

 

脳の仕組みとしても、人間は全く同じ反応をする。

(作りが精巧で、非常に面白い)

 

 

 

 

私は「5」まで来て

この自我の消失が怖くて

何年も立ち止まっていた。

 

 

エゴとしての私をキープしたままで

なんとかうまくいかんもんかと、模索していた。

 

うまくいくはずなどなかった。

 

 

このエゴの消失の怖さは

幻なのだ。

 

 

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そして、私には

少し前から

「わからない」が生まれ始めた。

 

 

もともと理解は早いほう。

解説もできる。

分解してよりわかりやすく組み立てることができる。

 

その従来の「得意としていたやり方」ではもう

わからない領域に入った。

 

 

 

それこそが「6」の領域である。

 

 

 

私が今存在している「座標軸」からは

この先は見えない。

 

 

ここからはもう

カラダが必要になる。

 

だからこその、MOMEDなのだ。




一部抜粋します。
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MOMEDは、
“わからない”に触れたときに、
理解によって自分を守ろうとする私から、
存在そのものの座標へ身体ごと移動するための装置

として使うことができる。

探究が深くなるほど、
「わかった」が増えていくとは限らない。

むしろ最後には、

わからないものを、
わからないまま生きられるか。

そこが一つの境目になる。

そしてその境目で暴れているエゴを、
敵として消そうとするのではなく、

「ああ、今までの私ではここから先へ行けないんだ」

と気づく。

そこから、

頭で突破するのではなく、
身体を使って座標を変える。

 

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↑

今、やっているのは「これ」。

 

 

 

次回で最後です。

 

 

 

 

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