お知らせ
8月からブログは、月・木・土を中心に更新していきます。
書きたいことがある時は増刊します♫
UPしたらインスタでお知らせします✨


こんばんは♫ぜっきーです。

気づいたらお盆に突入していました(笑)。

暦が好きなのに、曜日も忘れて生きています。

 

 

昨日は久しぶりに
朝から近所のカフェにいきました。

いつも引きこもりで家から全く出ず
四六時中、インコたちと一緒の生活ですが
 
たまに環境変えると、すっごく楽しいし
何より仕事がはかどります🍀
メルマガ7本書いた・笑

 

水面下でいっぱい文章綴ってます。

またお知らせするので楽しみにしていてください。

 

 


さて。
前回の記事、最後にこんなことを書きました。

 

ところが私たちは
いつの間にか
その大切な選択を
自分以外の誰かに
渡してしまうことが、あるのです。

 

 

価値観や世間のルール

人目や「こうあるべき」という概念

自分に貼り付けた役割のラベル。

 

 

そんなものがまるで

「リアルな現実」であり

「権力を持っている」かのように

 

それらに、全てを渡してしまう。

 

 


今日は
この話を少し詳しく語ろうと思います。


「自分の人生の主人公になる」
というと

ものすごく目立つことをするとか
積極的に行動するとか

派手な感じで堂々と公に出るとか

人前で歌うとか

なんかパフォーマンスするとか

 

芸能人みたいな
そんなイメージを持つかもしれませんが(笑)

私がここで言っている
「主人公」とは

もちろん
そういう意味ではありません。



「主人公になる」ことと
見た目や

何を「しているか」ということは

一切、関係ない。

 

 

大事なのは

どんな意識で

今ここで、どうあるか。



 

バリバリ仕事もしていて

自分でいろいろ決めて
どんどん行動していて

会いたい人に積極的に会いにいって

いきたいところにいろいろ行って

毎月海外でリゾート泊まってるとか(イメージ力よ・笑)

まさしく

やりたいことどんどんやってる(ように見える)人がいたとしよう。

 

 

そういう人って

「自分の人生の主人公生きてるなー」って感じ、するでしょう。

 

 

自主的に

積極的に
自分の人生を

存分に謳歌しているように見える。

 


ただしそれは
傍から見ればの話。



でも、もしその人が

自分の内側、見えないところで

 


何かをやるたびに
 

これやってたら、すごい人に思われるとか

 

これ持ってたら憧れられるとか

 

ここ行ってたら成功者に見えるとか

 

 

反対に

「こんなことしたら周りからどう思われるだろう?」とか
「私クラスだと、普通はどうするんだろう」とか
「失敗しないのはどっちだろう」
「この年齢ならこうするべき」
「こういう人間だからこれはやめておこう」


そんなふうに
自分以外の何かに


全ての判断基準を委ねているのだとしたら。

 

 

そりゃーもう

地獄のデスロードです。

(ナリくんに捧ぐ・笑)そういえばゆるキャン△にも出てきたな、この言葉(笑)

 

 

 

 

一見

自分で決めているようで

 

実は

世間が決めている。

常識が決めている。

人の目が決めている。

役割が決めている。

過去の自分が決めている。

 

 

おっそろしいことに



自分の物語なのに
その決定権を

何かに明け渡している。

 

 

 

 

これが
「脇役」になっている状態です。




よくよく考えてみて?

 



世間の価値観も
役割も

前提も設定も
「こうあるべき」も
「こうせねば」も


それ自体が
直接、私たちに命令しているわけではありません。


「絶対に従え」

「絶対服従しろ」
なんて


それらが目の前に立ち塞がって
私たちを脅してるわけではない。


VIVANTの「F」みたいにな!!(爆)。

画像お借りしています。好きなんですVIVANT…



なのに私たちはなぜか


それには
従わなければならない。


それを破ったら
大変なことになる。

そっちのほうが
正しいに決まっている。

 

そうしないと

こうならない。


まるで

それが絶対的な「真実」で
自分よりも
大きな権力を持っているかのように扱うのです。

 

 

自分がどうしたいかよりも

そっちのほうが大事だと思い込んでいる。




これは自分自身に貼った
「役割のラベル」でも同じことが起きます。

私は母親だから。
私は会社員だから。
私はこの年齢だから。
私はこういう性格だから。
私は昔からこうだから。

私は前にこうだったから。

 


最初はただ
自分という個体を説明するための
ひとつの情報だったはずです。


ところが
いつの間にかそれらは

自分を縛る鎖と化す。


「だから私はこれを選べない」
「選んではいけない」
という見えない命令に変わっていく。


その貼り付けたラベルが
自分の代わりに
人生の選択をし始めるのです。



本当は
自分が主人公なのに
自分で作った設定に

自分が従う側へ回ってしまう。

 

 

それは

「脇役に成り下がる」ということ。

 

それは

「あなたである必要がなくなる」ということでもあるんです。

 

 

 

レストランに行って
「君はこれ食べた方がいいよ」って

周りから言われてるようなもんです(笑)。



そうやって
外側のものを基準に選び続けていると

だんだん自分のことが
わからなくなってきます。

 

 

そりゃそうだ。

自分の気持ちよりも

外の基準の方が大事だと思ってるんだもの。

 


そうすると、感度が死んでいきます。

 

 


「本当はどうしたかったんだっけ?」
「何が好きだったんだっけ?」
「何がやりたかったんだっけ?」






前回、
自分という個体には
好みを知らせてくれる
「個体のセンサー」がある、と書きましたが


これは
そのセンサーが

作動しなくなっている状態です。

 

センサーが消えたわけではない。

でも、反応しなくなっている。

 



世界には
たくさんの選択肢があるのに
自分以外の何かに選択させている。


そこから少しずつ
「私」が薄くなっていく。

 

自分の人生なのに。

 

 

 

 


では、
どうしたら
自分の物語の「主人公」に戻れるでしょうか?

 

 

大事なのは

それらに決定権を

無理やり奪われているわけではなく
自分で渡してしまっている、ということ。


まずは、そこに気づくこと。

力を与えているのは

自分自身だということです。

 


まず、まっすぐ

明らかに見てみることです。

何かを選ぶ時
「私は今、誰に決定権を渡している?」

頭の中で鳴り響く

「世間はどう言う?」
「周りはどう思う?」

「近しい人は嫌な思いしない?」
「普通はどうする?」

それがはじまる、その一歩前に。


一度だけでいい。
自分に聞いてみてください。



「私は、どうしたい?」



主人公になるとは
何でも思い通りに我を通すことではありません。



まず、

自分の人生に起こる選択について
自分の本心、本音をに聞くこと。


そこから、全てが始まります。


自分の人生なのに、
自分以外のものに
決めてもらう必要はないのです。

 

 


私たちは
思っている以上に
たくさんの場面で
自分の物語の主人公を
降りているのかもしれません。

 


でも
その決定権は
いつでも自分に戻すことができる。



「私は、どうしたい?」

物語の主人公に戻る道は、
そんな小さな問いから始まるのです。
 

 

 

 

朝晩、暑さが和らいできた感じがしますね。

お盆過ぎたら秋の気配になりそうな予感。

 

私はこの、夏の中にうっすらと感じる秋の気配が大好き。

 

この季節の移り変わりもまた、

存分に味わいたいですなー。

 


それではみなさま、
今日もよき日をー♫

 

START HERE
はじめての方へ|ぜっきーについて
これまでのこと、今伝えていることをまとめました。
はじめましての記事を読む  →
FREE EMAIL COURSE
 
お金の“こじらせ”を
終わらせる5日間
お金の悩みを生んでいる
「思い込み」を見つける無料メール講座
無料メール講座を受け取る  →
OFFICIAL LINE
ぜっきー公式LINE「空道」
ブログ更新・インスタライブ・講座など、
大切なお知らせをお届けしています。
公式LINEに登録する  →
INFORMATION
ぜっきーの各種ご案内
無料講座・Instagram・公式LINE・
これから公開するコンテンツはこちらから。
各種ご案内を見る  →
 
すべては、すでにある。
だから自由に生きよう。