ROAD OUT "TRACKS” | walkin' on

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アナログレコードのレビューを中心に音楽に関するトピックスを綴っていきます
 歌詞の和訳や、時にはギターの機材についても投稿します

レコード番号:SRCL 3472(Sony) 1996年

 

 

 浜田省吾のディスコグラフィの中で、もしかしたら最も地味な印象のアルバムかもしれません。ライヴトラックとオールディーズナンバーのカバー、過去作のリメイクを寄せ集めただけに見えるかもしれません。しかし、この”ROAD OUT 'TRACKS’”(以下ROT)までの省吾の歩みをご存じの方であれば、このアルバムの意味をお分かりいただけると思います。

 

 

 

 

 1991年の”誰がために鐘は鳴る”、その3年後の”その永遠の一秒に”のリリースにともなうフォローアップツアー”ON THE ROAD”のそれぞれ’91と’94を経て、省吾の元には大量のライヴ映像や音源がストックされていました。

 

 この頃、親友にして右腕ともいうべき町支寛二氏が脳腫瘍の手術を受けることになりツアーの予定にブランクが出来たことで、それらのストックを観ているうちにライヴヴィデオの制作を思いつきました。

 

 また、1986年から省吾を撮り続けている田島照久氏が、この時期に撮影したカットに添える文章を省吾に依頼、自身は「長い長いラヴソング」のつもりで書いた短編小説に”ROAD OUT”と名付けたことが、このライヴアルバムの制作のきっかけのひとつにもなっています。

 

 

 

 

 このROTに収録されている楽曲を、カバーリメイクライヴで色分けしてみると;

 

 

A PLACE IN THE SUN
夏の終り
今夜こそ

ベイ・ブリッジ・セレナーデ
悲しみは雪のように
ラストショー

少年の心
いつかもうすぐ
IN THE STILL OF THE NIGHT 〜 MAYBE
MAINSTREET
J.BOY

最後のキス
サイドシートの影
我が心のマリア -Maria-

 

 

 オープニングを飾るのはカバー、「日のあたる場所」の邦題で知られるスティーヴィー・ワンダーの1966年のヒット曲です。アルバム”愛の世代の前に”に”日のあたる場所”という曲を収録していること、また”Hello Rock&Roll City”の中で

♪はじめて歌ったRhythm&Blues 

と出てくることからも分かるように、省吾にとって大きな意味を持つ曲です。

 

 この時点での最新作が”その永遠の一秒に”だったこともあり、そのフォローアップツアーでのライヴ音源から”ベイ・ブリッジ・セレナーデ””最後のキス”か収録されていますが、興味深いのは”悲しみは雪のように”のすぐ後に”ラストショー”がおかれていること。ともにアルバム”愛の世代の前に”に収録されており、90年代に入ってリメイクされたという共通点もあります。

 

 そしてこのROTの中でこの時期の省吾の心情が最も色濃く出ているのがリメイクされた楽曲でしょう。

 ”夏の終わり”と”サイドシートの影”はともに”誰がために鐘は鳴る”の収録曲で、リリースからわずか5年しか経っていないのにこのROTでリメイクされています。

 いずれも90年代前半の流行だったアコースティックギター主体のアンサンブル、アンプラグドスタイルで演奏されており、特に”サイドシートの影”はオリジナルバージョンにわずかに残されていたロマンティシズムも削り落とされたような、荒涼とした感触さえあります。ここまで虚無感をリアルに歌った曲も、そうたくさんは無いようにおもいます。

 

 

 

 

 

 今回ROTを聴きなおして気づいたことがふたつあります。

 

 ひとつは、収録曲のほとんどがアルバム”HOME BOUND”以降のものであることです。

 自身の作詞作曲したストレートなロックに回帰した”HOME BOUND”が彼にとっての起点になっていることが、この収録曲からうかがえます。

 

 厳密にいえば”いつかもうすぐ””HOME BOUND”のひとつ前のアルバム”君が人生の時…”に収録されているのですが、この曲は1989年の、自身初となるヴィデオソフト”ON THE ROAD 'FILMS’”の中に、代々木オリンピックプールの無観客のステージでほんの少しだけ歌うトラックがありましたから、もしかしたらそのつながりを暗示する意図があったのかも、と考えています。

 

 

 

 もうひとつは、カバーでもリメイクでもライヴトラックでもない曲が一曲だけ収録されていることです。

 それが、先の収録曲のリストの唯一の黒字、”少年の心”です。

 厳密には”誰がために鐘は鳴る”のオリジナルバージョンのリミックスなのですが、テンポもキーもアレンジも変えていないこの曲を、しかもリリースからまだ数年しか経っていない、さらにいえばシングルカットもされていないこの曲を収録したところに、省吾の想いが込められているように思えてなりません。

 

 

 

 

 人間は50歳を過ぎると誰でも自伝を書きたくなる、とはよく言われることですが、1996年当時44歳だった省吾はこのROTで、音楽的な自伝を残すような意図がどこかにあったのではないでしょうか。

 少年時代に憧れたスティーヴィー・ワンダー、20代の終わりでつかんだロッカーとしての成功の端緒、ヒットチャート首位を獲得した2枚組アルバム、終わりなき疾走を続け、今ふと自分の歩みを振り返ってみる…成功の代償として抱えてしまった不安や孤独が”サイドシートの影”に、生まれ育ったDaddy's Townの悪友達がたむろしていた”Mainstreet”

 

 その中で、懐かしい切なさとともに思い出す”少年の心”がどれだけ大きな意味を持っていたのかは、この後の省吾が折に触れて15歳頃のことを歌に綴ることをふまえると、おぼろげながらですが分かるような気がします。

 

 

 

 

 ROAD OUT という題には、”ON THE ROAD”のツアーに明け暮れてきた自身がそこから離れる(out)という意味の他に、load out つまり重荷を肩から降ろすという含みもあるといいます。

 

 ROTのヴィデオ版である”ROAD OUT 'MOVIE'"を観るとよく分かりますが、がテーマとして登場します。

 ただのネイムレス、フェイスレス・マンになれる気楽さから海外旅行を好むという省吾ですが、1996年当時でソロデビューから20年目のロックシンガー、ソングライターとして走り続けてきた自身の名声や重圧をいちど肩から降ろすためにもこのROTを創らねばならなかったのかもしれません。

 

 

 このアルバムがリリースされた頃にはSAND CASTLE””WASTED TEARS””EDGE OF THE KNIFE”に続く過去作のリメイク集とオリジナルアルバムの制作を同時進行で進めており、後に前者は”初夏の頃 〜IN EARLY SUMMER〜”として、後者は後に省吾自身が最高傑作とまで評した”青空の扉 〜THE DOOR FOR THE BLUE SKY〜”としてリリースされます。不安と迷いの中で過ごした90年代の終盤、浜田省吾は再び歩きだしたのです。

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