花園院 わがこころ | わたる風よりにほふマルボロ

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現代短歌新聞2021年4月号

作品掲載

 

new「源氏で紡ぐ和歌便り」

2021年8月分掲載new

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見月といふ事を

 

わがこころすめるばかりにふけはてて月をわすれてむかふ夜の月

 

花園院

風雅和歌集秋中611(601)

 

 

 

【現代語訳】

 

我が心が澄みきるほどまでに

夜は更け果てて、

もとより眺めていた月の存在を

忘れて向かう、それほどまでに

心を澄ませてくれる夜の月だ。

 

(訳:梶間和歌)

 

 

【本歌、参考歌、本説、語釈】

 

月はただすめるばかりの心にて空と水とに形をぞなす

伏見院 伏見院御集

 

すめるばかりに:

 澄んでしまうほどに。

 「澄む」の命令形「澄め」に

 完了・存続の助動詞「り」の

 連体形「る」が付き、

 副助詞「ばかり」、格助詞「に」

 の付いた形。

 一般に、

 「ばかり」に付く活用語が

 終止形である場合は

 「ばかり」は「ほど」の意、

 連体形である場合は

 「ばかり」は「のみ」を意味する。

 が、そうでない例もあり、

 特に平安時代後期以降

 両者の区別は

 より不明瞭になった。

 ここでも「り」の連体形「る」に

 「ばかり」が付いているが、

 文脈上どう考えても

 「澄んでいるのみに」

 を意味するものではない。

 

ふけはてて:(夜が)更けきって

 

月をわすれてむかふ夜の月:

 花園院の傾倒した

 禅の思想を前提とした表現。

 月を忘れ、

 月を眺めている己を忘れ、

 月と己が一体となっている意。

 

 

 

宗教的、理知的な花園院の

和歌の特徴が

良い形で表れた一首か

と見えます。

 

 

花園院と晩年の永福門院の

歌風、特徴については

以前こちらでも触れました。

 

理論にすぐれた花園院が実作面にもそれだけの力を有したか否かは疑問である。

 

宸記及び風雅集序にあらわれた院の和歌観をみるに、

和歌を政教諷喩、理世撫民の具と考え、

儒釈の義を歌道に通わせてこれを理解すべきものとする傾向が強い。

 

風雅集に入集した五十四首の作品を見ても、

 

ゆふだちの雲飛わくる白鷺のつばさにかけて晴る日の影 (四〇三)

空晴て梢色こき月の夜の風におどろくせみのひとこゑ (四一一)

 

のような印象鮮明な作、

 

我心すめるばかりにふけはてゝ月を忘れてむかふ夜の月 (六〇一)

暮やらぬ庭のひかりは雪にしておくくらくなる埋火のもと (八六八)

 

といった沈潜した味わいの作、

 

薬王品、是真精進是名真法供養如来といへる心をよませ給ける

つばめなく軒端の夕日影きえて柳にあをき庭の春風(二〇四六)

 

三諦一諦非三非一の心を

窓の外にしたゝる雨を聞なべにかべにそむける夜半の燈 (二〇五七)

 

等の特異な釈教歌にはさすがにすぐれた力量が認められるが、

 

概して理の勝った謹直な作風でうるおいやふくらみに乏しく、

感情の陰翳の言外にただようものが感じられない。

 

和歌を政道ないし儒教的道義と結びつける事は「浮艶・余情」への警告となり得るであろうし、

仏法との関連に於てこれを考える事は、対象の中に深く食い入って仏心一如の境地に至るための心の鍛錬の一方法として有意義であろう。

(略)

宸記に見る院の性格を思い合わせるに、所詮は院は理知の人、道義の人であって

歌人としての感性に於ては伏見院にも永福門院にも数歩をゆずらざるを得なかったというべきであろう。

 

優美繊細な感覚に富む永福門院の作風は、その豊かな天分にまかせて安易な方向をたどる場合、時に「浮艶・余情」のそしりを免れない。

理論的にはきわめて正しい花園院の歌風は、情感がそれにともなわず生硬で含蓄に乏しいものとなりやすい。

 

身をもって京極派和歌と共に生きた永福門院が最後までその正道をふみはずさず、よくこれを継承発展せしめて、真情にあふれた充実した秀作を数多く残しえたのは、

一方に為兼の主張を学問的に深く理解した花園院の批評眼のあった故であり、

 

花園院のすぐれた歌論もまた、

これを実作に具現する女院の数々の秀歌のうらづけを得て、一層の光をはなつものである。

 

この両院が相補い相助けて、伏見院・為兼なき後の京極派歌壇を指導して行かれた所に、

玉葉集から更に歩を進めた風雅集独特の内観性――ほとんど宗教的にまで深められた沈潜閑寂の美への開眼がなされたのである。

 

 

 

 

主に『風雅集』に

その結実の見られる

後期京極派の和歌は、

 

引用にもあるように

宗教的ともいえるほどに

内観性が深められています。

 

 

前期京極派の活動した

『玉葉集』の和歌には、

良くも悪くも

雑多な気配がありましたね。

 

後期京極派は

前期京極派を拡大ではなく

純化する方向に進み、

 

その結果の一端が

『風雅集』に表れています。

 

 

後期京極派の指導者であり

代表的歌人でもある花園院の

そこに果たした役割も、

言い尽くせるものでは

ありません。

 

どちらかというと実作より

歌論に優れていた院ですが、

 

だからといって

その存在感や存在意義が

実作に優れていた永福門院と

比べて小さかった、

とはいえないものです。

 

 

わがこころすめるばかりにふけはてて月をわすれてむかふ夜の月

 

 

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