今日の新古今【先入観と闘う】 | わたる風よりにほふマルボロ

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梶間和歌プロフィール小説

 

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new現代短歌新聞2021年4月号

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「源氏で紡ぐ和歌便り」

2021年4月分掲載new

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及ばぬ高き姿を体現する

子宮系歌人 梶間和歌です。

 

 

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#今日の新古今

#今日の京極派

#今日の生殖の海

 

のまとめ、解説記事です。

 

 

夏の終わらぬうちに、

夏の後半の歌も

紹介しておきたい。

 

実際には暑さの厳しい

日本の7月、そして8月ですが、

歌から心に

涼を取りたいものです。

 

 

鑑賞上、また詠歌上

気を付けたい事も

折々述べましたので、

 

自身歌を詠むよという方も

目からうろこなり涙なりを

落としてくださいませ。

 

 

 

6月最後は鵜飼の歌。

 

 

その瞬間の勝ち負け

長く語り継がれる価値

は、一致しない。

 

さらにいえば、

 

その瞬間の勝ち負け

歌の神的なものの心に

適うか、適わないか、

 

はまったくの別レイヤー。

 

 

歌を詠む者として、このことは

決して忘れたくないですね。

 

 

ここから7月のツイート。

涼しげな歌の紹介が増えます。

 

 

体言止めだけでなく、

本説の漢詩が

歌の緩みを防いでいる

という面もある。

 

漢詩を本説に取っても

だらしない歌というものは

もちろんあるのですが、

 

少なくともこの歌は

しっかり締まって見えます。

 

 

 

洗練された有心の序詞が

嫌味なく好ましい。

 

「にける」も適切。

 

 

慈円も新古今時代に活躍した

歌人ではありつつ、

 

世代ゆえなのか、

少しだけ前時代の気配も

歌に併せ持っている。

 

 

 

「こそ」を強意の係助詞とのみ

捉えてしまうと

つかみ損ねるニュアンスがある。

 

 

 

「こそ」の使われ方の変遷を

辿ると

とてもおもしろいですよ。

 

「こそ」に限らず、

和歌や古典作品に頻出する

語については

 

辞書その他を丁寧に引き

語源や使用例をきちんと体に

叩き込んでおきたいもの。

 

 

 

音からも

何かの起こりそうな気配、

夕立の不穏な気配が

感じられる。

 

「あ」「お」段は明るい

ということは、

理屈ではなく当然の感覚として

持っておいてくださいね。

 

 

 

失敗例とは言えないが、

とても難しい型には違いない。

 

むやみに真似しないように

してほしい。

 

 

体言止めは、初学のうちは

 

「……の……する○○」

「……で……である○○」

というシンプルな形、つまり

 

体言を

その前の修飾語で修飾する

体言止め

 

から取り組むように

してほしいです。

 

 

「夕立の」のような、

文の述部を削って

体言止めにした体言止め

は、上級編。

 

 

 

ここから恋歌を挟みます。

 

 

初句切れも、初学のうちは

避けるようにしてほしい型。

 

するなとは言わない。

練習は大いにしてほしい。

 

が、自身の腕が

未熟であればあるほど

それが成功している可能性は

ほぼない、と考えてほしい。

 

 

家隆や定家の、

それもよく知られた歌は、

 

たとえ難しい型を選択していても

それを成功させるだけの要素が

きちんと盛り込まれており、

うまいなあ、と思わされます。

 

 

 

みんな大好き西行の、

とても成功例とは思えない恋歌。

 

 

あの、皆さん、

「この人の歌はうまいらしい」

という先入観で

 

歌の意味も理解せず

情緒も何もない訳を読んで

理解した気になって

 

「ああ、さすが西行」

「ああ、『万葉集』はいいなあ」

 

なんて感想を抱く怠慢は、

全力で、避けましょうね。

 

 

古典和歌は、

現代の私たちの使う日本語とは

異なる言葉を使っているから、

 

それを受け止めるために

訳や解説を読むなり

自分で読み解くなりの

ワンクッションが必要になります。

 

そのワンクッションが、

私たちに怠慢を誘発する。

 

ワンクッション挟んだものだから

「良いものに決まっている」

と決めつけたがる、

そんな心の弱さ

 

に自覚的になりましょう。

 

 

 

この歌は「百人一首」の歌では

ありませんが、

 

「百人一首」の歌など、ほとんどが

大勢の人のこうした怠慢の

蓄積によって

現在も過大評価されている、

あわれなそれですからね。

 

 

歌、ちゃんと読んだ?

読んで理解した?

理解したうえで

「ああ、心に沁みる恋歌だ」

とか本気で思ったの? この歌に? 正気で??

 

 

と問いたい言説は

枚挙にいとまがありません。

 

仮にきちんと読み

正しく理解したうえで

「ああ、心に沁みる恋歌だ」

と感じたとしたら

その感性ぶっ壊れているよ、

 

という恋歌その他が

ほとんどでしょう、「百人一首」は。

 

 

それでも、友人のひとりは

「え、「百人一首」って

 良い歌百選じゃないの!? 」

と驚いていました。

 

彼女は、その100首以外

知りませんからね。

 

 

一般ピーポーは

それでよいですよ。

一般ピーポーだもの。

 

それは

怠慢ではなく普通のこと。

 

フィギュアファンでもなければ、

私のスマホの待ち受けの

宇野昌磨を見て

 

「あ、羽生くん。フィギュア好きなんですか? 」

 

とか言いますよ。それが普通。

 

 

※言われた。

※いまの待ち受けはミハイル・コリヤダです。

 

 

 

が、この長くて怖いブログを

それでも読むくらいの方は、

 

自分の目で和歌が読みたいとか

自分でも良い歌が詠みたいとか

和歌に対する

何かしらの誠実さを持った、

または持ちたいと願う、

賢明な方でしょう。きっと。

 

 

それであれば、言いたい。

 

「百人一首」でも何でも

読むならきちんと読みましょうね。

 

「良い歌らしい」

「良い歌に決まっている」

という先入観に

負けないでください。

 

 

「百人一首」については

塚本邦雄先輩の著書もどうぞ。

 

 

「あろうことか良経の一首に

 「きりぎりす」のような凡作を採りやがった定家には

 殺意さえ覚える(意訳)

 

というあとがき部分には、もう

笑いが抑えられませんでした。

 

 

 

歌全体から

「作者は俊成です」

という主張がなされている。

 

体言止めという

新古今時代の定番の型を

選択しても、

歌の気配は間違いなく

ひと世代前の人のそれ。

 

しかし、

このくらいの述懐であれば

うるささも感じない。

やはり結句の体言止めが

緩みがちな雑歌を救っています。

 

 

 

院政期初期の歌。

やはり王朝和歌とは違う。

 

 

 

哀傷歌であり、

釈教歌に近いものも感じられる。

 

釈教歌と考えれば

芸術性の低さも致し方ない。

理屈のうるささも「そういうもの」と

受け止めるべきか。

 

 

 

宮内卿は、

4年ほどの活躍期間に

数々の季節の歌の秀歌と

恋の歌の凡作を残した。

 

 

理の歌を得意とした宮内卿。

 

理を前面に出すとうるさくなる

恋の歌は、彼女の特性と

相性が悪かったのでしょう。

 

 

 

いつも応援、

また金銭的なご支援も

本当にありがとうございます。

 

数ヶ月後に

引っ越しも控えているので

ご支援が本当に心強いです。

 

それぞれの及ばぬ高き姿を

それぞれの役割とペースで

追ってゆきましょうね!

 

 

いっそう和歌仕事に

集中できるよう、引き続き応援

よろしくお願いいたします。

 

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それでは、またね。

 

 

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