自分が小学生の頃、毎週月曜日の朝は全校生徒が集合する朝礼がありました。
おそらくどこの小学校でも、同じような朝礼があったと思います。
その中で、最も苦痛だった時間は「校長先生のお話」でした(笑)
しかし、そんな校長先生の話の中で、なぜか今でもよく覚えている話があります。それは、以下のような話です
※胸を打ついい話、、ではありません。
「みなさんは、ご飯を食べるとき、どういう順番で食べますか?先生は、まず最初に一番おいしそうなものから食べます。次に2番目においしそうなものを食べ、その次に3番目。。。そうやっておいしい順に食べていけば、最後までおいしく食べられるものです。
ご飯の食べ方一つでも、よく考えて、工夫して行動するのです。」
それを聞いた自分は、言い返したくて仕方がありませんでした。
なぜなら、自分の場合はまず嫌いなものから食べる、という方法をとっていたからです。
なぜ嫌いなものから食べていたかと言えば、嫌いなものを最後まで残しておいたらまず食べられなくなってしまうので、その対策として、空腹時に勢いに任せて、また、好きなものを混ぜたりして嫌いな味を打ち消しながら食べるといった工夫をしなければ、食べられなかったからです。
このことについては、その後もずっと考え続けました。
「なぜ校長先生は、好きなものから食べるという方法がベストだと思ったのだろうか。」「きっと大前提として、嫌いなものというのがないからではないだろうか」
「ではなぜ校長先生および同世代の人達は、嫌いなものがないのだろうか」「彼らが小さかった頃は敗戦直後の時代だったはずだから、食べたくても食べられない、常にハングリーな状態で、とても好き嫌いなど言っていられない時代だったからではないだろうか」
「そして校長先生の世代の人達は、今の子供たちが食べることに関して困っていないこと、そしてむしろ、食べたくないときに食べたくないものを無理矢理食べさせられることで、好き嫌いを冗長していることに、気がついていないのではないだろうか」
「敗戦直後当時の教育を、今の時代に適用するのは無理があるのではないだろうか」
という内容のことを、もちろん使う単語はもっと単純なものでしたが、小学生ながらぐるぐると考え続けていました。
そして、それと同レベル以上のことを、周囲の同級生たちは普通に考えていました。
今にして思えば、自分たち小学生が当時本当に内々に考えていたレベルのことを、大人たちが認識していたかは疑問です。
つまり、小学生の思考能力というものを、もっと単純でレベルの低いものと思われていたのではないかと思います。
ただ、そう思う気持ちもよくわかります。
今、大人になった自分たちは、ひらがなもまともに読めない子供たちを見て、短絡的に「その思考能力も当然相当低いもの」と決めてかかってしまう傾向にあると思います。
しかし、実は子供の思考能力というのは大人が思っているよりもずっと高く、しかも記憶力に関しては大人の比ではない、というのが事実なのではないかと思います。
ただ残念ながら、子供はどうしても自分が思ったこと、感じたことを大人に正確に伝えられる「論理的な表現力」を持ち合わせていないため、いくら頭の中では高度なことを考えていても、結局泣きわめくなどの方法でしか表現できず、大人から見れば「深く考えていない」というようにしか映らない場合も少なくないかと思います。
実際に深く考えていないことも(※大人もそうだとおもいますが)あるため、難しいのですが、少なくとも「子供の考えることは常に単純で、間違っている場合が多い」という固定観念は持つべきではないと、自分に言い聞かせている日々です。
うーん、Surfacebookの購入は早まってしまったか。。。と、このVAIO S13を見て、思わずにはいられませんでした。
http://www.sony.jp/vaio-v/products/s131/

正直、このVAIO S13は自分としては理想的なマシンです。非の打ちどころがありません。
もちろん、人によってPCに対して求める性能や機能に違いがありますから、だれにとってもVAIO S13が最高というわけではないと思いますが、自分の場合は、現在ほぼすべての希望を満たしている唯一のマシンです。
「え?Surfacebookは理想的ではなかったのか?」
というツッコミが聞こえてきそうですが、もちろんSurfacebookは素晴らしいマシンなのですが、いくつか自分にとっては問題点があります。
1. 何といっても重い。
キーボード部分を装着すると1.5kgというのはさすがに持ち歩くには重く、また、キーボード部分を外してしまうとUSBが使えなくなり、バッテリーも減ってしまうため、現実的にはキーボード部分は常につけておく必要があると思います。
2. 解像度が高すぎる。
解像度が高くて(267DPI)表示情報量が多いのはうれしいことなのですが、老眼が進んでいる今の自分には、そのままの解像度では文字が小さすぎて読めないのです。。
したがって、表示文字等を200%で常に拡大表示する設定にして使っていますが、その設定が生きない部分もあり、結構苦労しています。
また、解像度自体を落としてしまうと、この13.5インチの液晶画面の縦横サイズに合わなくなり、使用されない部分がかなりできてしまいます。
さらに、外部ディスプレイを接続すると、これは多分Bugなのではないかと思いますが、時々設定した解像度で表示されないことがあります。
3. 外部ディスプレイを接続する際に、アダプタが必要になる。
本体からはミニD-SUBの出力端子しかないため、D-SUBの外部ディスプレイを接続したり、HDMIのディスプレイを接続するしたりするには必ず変換アダプタが必要になります。
何といっても、これは会社で会議室に行く際に不便です。会議室での共有モニタはD-SUBかHDMI端子なので、いつも変換アダプタを持ち歩く必要があります。
(※なお、近年発売された薄型のノートPCはほとんどがそうなっているので、これはしょうがないと思っていました。)
4. USB端子が2つしかない。
まあSurface Pro 3は1つしかありませんでしたから、それに比べればいいのですが、追加外部記憶装置としてUSBメモリを常につけていると、実際には1つしか空いていない状態になります。
5.SDカードスロットにカードをさすと、本体から半分カードがはみ出た状態になる
SDカードを一時的にさすだけならば問題ないのですが、自分のように大容量SDカードを差しっぱなしにしてDドライブとして常時使う、ということだと本体からはみ出るのはNGです。
・・ところが、VAIO S13は、上記の問題をすべてクリアしているのです。
重量は1.1kg程度、ディスプレイと解像度は必要十分な13.3型ワイドの1920x1080(163DPI)、そしてD-SUBポートとHDMIポート、有線LANポートまでついており(すべてアダプタ不要)、おまけにUSBポートが3つあり、極めつけにSDカードが本体にすっぽり収まるのです。
また、基本性能的にも決して悪くありません。
何といっても、SSDに第二世代ハイスピードSSD(PCI Express x 4)を選択することができ、最大で512GBの容量を選択することができます。
CPUには第6世代のCore iプロセッサであるSkylakeを搭載し、Surfacebookにも引けを取らないCore i7-6500U(2.50GHz)を選択できます。
メモリも、最大で16GBを選択できます。
・・つまり、基本性能ではVAIO S13はSurfacebookに負けていません。
では、VAIO S13がSurfacebookに負けているのはどこかと言うと、
1. 本体とキーボードを分離できない。つまりタブレット化することはできません。(液晶タッチパネルは搭載可能です)
2. 液晶画面のサイズは、0.2インチの差ではありますがSurfacebookの方が大きいです。なお、解像度もSurfacebookの方が上ですが、先に書いたとおり、解像度の高すぎがかえって自分にとっては問題になっている状況です。
3. 実は自分はあまり活用していないのですが、Surfacebookのペンが素晴らしいです。購入してすぐに、紙のメモが必要なくなる、自然な使用感で使える素晴らしいSurfaceのペンですが、VAIO S13にはありません。
4. Surfacebookの独立型のGPUは、VAIO S13の比ではありません。3DゲームなどをPCでやりたいのであれば、文句なしにSurfacebookの方が上だと言えると思います。
5. ログイン時の顔認証機能が、VAIO S13にはありません。実はこれがすごく便利で、席を立ったりする度にPCをロックしますので、一日に何十回もロック解除するのですが、顔認証は本当に楽です。おそらく将来的には多くのビジネス系のノートPCで採用されると思いますが、現状VAIO S13にはついていません。
つまり、タブレット型にしてペンで絵をかいたり、GPUの性能がものをいう3Dレンダリングをしたりといった使い方、どちらかといえばクリエイター系のユーザーにはSurfacebookの方が向いており、ビジネス系のユーザーにはVAIO S13が向いていそうな気がします。(顔認証は別ですが)
VAIO S13の宣伝文句が「ビジネス ストレスフリー」となっていますが、まさに看板に偽りなし、ビジネスでの使いやすさを、自分が見る限りどのPCよりも真剣に追及された、極めて完成度の高いマシンだと思います。
しかも値段が、本体性能を惜しみなく最高スペックにしてオーダーしても、税抜き274,800円ということで、Surfacebookよりも安いですし、一番安いスペックならば114,800円と、決して高くはない部類に入ると思います。
うーん、買い替えもアリか・・・と思っています (苦笑)
そうですね、言うならば、「VAIO S13は完成しつくしているマシン」であり、「Surfacebookはまだ粗削りで欠点も見えるがポテンシャルが高く、これからさらに成長していくマシン」という違いがあるような気がします。
バリバリ伝説でいえば、VAIO S13はヒデヨシで、Surfacebookはグン、みたいな感じでしょうか。(古くてすみません)
それにしても、VAIO株式会社さんは、世間一般には目立っていないかも知れませんが、予想以上にいい仕事をしていると思います。
VAIO Zもそうでしたが、VAIO株式会社オリジナルで出してきたマシンは、どれも細部までこだわり抜いて作られたものばかりで、全く妥協がないマシンが多いと思います。
今の傾向では、コストバランスの観点から、どうしてもDELLさんなどのPCを大量導入する企業が多いと思いますが、本来もっと、今のVAIOさんのPCはシェアが広がるべきだと思います。
http://www.sony.jp/vaio-v/products/s131/

正直、このVAIO S13は自分としては理想的なマシンです。非の打ちどころがありません。
もちろん、人によってPCに対して求める性能や機能に違いがありますから、だれにとってもVAIO S13が最高というわけではないと思いますが、自分の場合は、現在ほぼすべての希望を満たしている唯一のマシンです。
「え?Surfacebookは理想的ではなかったのか?」
というツッコミが聞こえてきそうですが、もちろんSurfacebookは素晴らしいマシンなのですが、いくつか自分にとっては問題点があります。
1. 何といっても重い。
キーボード部分を装着すると1.5kgというのはさすがに持ち歩くには重く、また、キーボード部分を外してしまうとUSBが使えなくなり、バッテリーも減ってしまうため、現実的にはキーボード部分は常につけておく必要があると思います。
2. 解像度が高すぎる。
解像度が高くて(267DPI)表示情報量が多いのはうれしいことなのですが、老眼が進んでいる今の自分には、そのままの解像度では文字が小さすぎて読めないのです。。
したがって、表示文字等を200%で常に拡大表示する設定にして使っていますが、その設定が生きない部分もあり、結構苦労しています。
また、解像度自体を落としてしまうと、この13.5インチの液晶画面の縦横サイズに合わなくなり、使用されない部分がかなりできてしまいます。
さらに、外部ディスプレイを接続すると、これは多分Bugなのではないかと思いますが、時々設定した解像度で表示されないことがあります。
3. 外部ディスプレイを接続する際に、アダプタが必要になる。
本体からはミニD-SUBの出力端子しかないため、D-SUBの外部ディスプレイを接続したり、HDMIのディスプレイを接続するしたりするには必ず変換アダプタが必要になります。
何といっても、これは会社で会議室に行く際に不便です。会議室での共有モニタはD-SUBかHDMI端子なので、いつも変換アダプタを持ち歩く必要があります。
(※なお、近年発売された薄型のノートPCはほとんどがそうなっているので、これはしょうがないと思っていました。)
4. USB端子が2つしかない。
まあSurface Pro 3は1つしかありませんでしたから、それに比べればいいのですが、追加外部記憶装置としてUSBメモリを常につけていると、実際には1つしか空いていない状態になります。
5.SDカードスロットにカードをさすと、本体から半分カードがはみ出た状態になる
SDカードを一時的にさすだけならば問題ないのですが、自分のように大容量SDカードを差しっぱなしにしてDドライブとして常時使う、ということだと本体からはみ出るのはNGです。
・・ところが、VAIO S13は、上記の問題をすべてクリアしているのです。
重量は1.1kg程度、ディスプレイと解像度は必要十分な13.3型ワイドの1920x1080(163DPI)、そしてD-SUBポートとHDMIポート、有線LANポートまでついており(すべてアダプタ不要)、おまけにUSBポートが3つあり、極めつけにSDカードが本体にすっぽり収まるのです。
また、基本性能的にも決して悪くありません。
何といっても、SSDに第二世代ハイスピードSSD(PCI Express x 4)を選択することができ、最大で512GBの容量を選択することができます。
CPUには第6世代のCore iプロセッサであるSkylakeを搭載し、Surfacebookにも引けを取らないCore i7-6500U(2.50GHz)を選択できます。
メモリも、最大で16GBを選択できます。
・・つまり、基本性能ではVAIO S13はSurfacebookに負けていません。
では、VAIO S13がSurfacebookに負けているのはどこかと言うと、
1. 本体とキーボードを分離できない。つまりタブレット化することはできません。(液晶タッチパネルは搭載可能です)
2. 液晶画面のサイズは、0.2インチの差ではありますがSurfacebookの方が大きいです。なお、解像度もSurfacebookの方が上ですが、先に書いたとおり、解像度の高すぎがかえって自分にとっては問題になっている状況です。
3. 実は自分はあまり活用していないのですが、Surfacebookのペンが素晴らしいです。購入してすぐに、紙のメモが必要なくなる、自然な使用感で使える素晴らしいSurfaceのペンですが、VAIO S13にはありません。
4. Surfacebookの独立型のGPUは、VAIO S13の比ではありません。3DゲームなどをPCでやりたいのであれば、文句なしにSurfacebookの方が上だと言えると思います。
5. ログイン時の顔認証機能が、VAIO S13にはありません。実はこれがすごく便利で、席を立ったりする度にPCをロックしますので、一日に何十回もロック解除するのですが、顔認証は本当に楽です。おそらく将来的には多くのビジネス系のノートPCで採用されると思いますが、現状VAIO S13にはついていません。
つまり、タブレット型にしてペンで絵をかいたり、GPUの性能がものをいう3Dレンダリングをしたりといった使い方、どちらかといえばクリエイター系のユーザーにはSurfacebookの方が向いており、ビジネス系のユーザーにはVAIO S13が向いていそうな気がします。(顔認証は別ですが)
VAIO S13の宣伝文句が「ビジネス ストレスフリー」となっていますが、まさに看板に偽りなし、ビジネスでの使いやすさを、自分が見る限りどのPCよりも真剣に追及された、極めて完成度の高いマシンだと思います。
しかも値段が、本体性能を惜しみなく最高スペックにしてオーダーしても、税抜き274,800円ということで、Surfacebookよりも安いですし、一番安いスペックならば114,800円と、決して高くはない部類に入ると思います。
うーん、買い替えもアリか・・・と思っています (苦笑)
そうですね、言うならば、「VAIO S13は完成しつくしているマシン」であり、「Surfacebookはまだ粗削りで欠点も見えるがポテンシャルが高く、これからさらに成長していくマシン」という違いがあるような気がします。
バリバリ伝説でいえば、VAIO S13はヒデヨシで、Surfacebookはグン、みたいな感じでしょうか。(古くてすみません)
それにしても、VAIO株式会社さんは、世間一般には目立っていないかも知れませんが、予想以上にいい仕事をしていると思います。
VAIO Zもそうでしたが、VAIO株式会社オリジナルで出してきたマシンは、どれも細部までこだわり抜いて作られたものばかりで、全く妥協がないマシンが多いと思います。
今の傾向では、コストバランスの観点から、どうしてもDELLさんなどのPCを大量導入する企業が多いと思いますが、本来もっと、今のVAIOさんのPCはシェアが広がるべきだと思います。
自分たちが10代だった頃は、男子が美容院に行くというのはまず考えられませんでした。
美容院とは女性の独壇場であり、女性であっても小学生や中学生になったばかりくらいの子になると床屋さんに行くのが常識になっていたと思います。
そういえば昔「サザエさん」で、ワカメちゃんがおしゃれをしたくて美容院に行ったのですが、入ろうとしたら美容師さんに「あれ、ワカメちゃん、どうしたの?お姉ちゃんなら今日はきてないわよ?」と言われて相手にされず、恥ずかしそうに出て行くという話がありましたが、昔はそんな感じだったのだと思います。
しかし自分たちが20代になるころ、「男子が美容院に行く」ということがちょっとしたブームのようになり、また、当時自分が住み込んで働いていた新聞屋さんのメンバーが集団で、とある新橋の美容室のカットモデルになっており、みんなで閉店後にカットモデルとして(要するにタダで)やってもらうという習慣があったため、自分も便乗して美容室に行くようになったのでした。
ちなみに当時はタダということに便乗して、きつめにパーマをかけていました。
「パーマをかけると、朝の整髪の手間が省ける」という周囲の人達の入れ知恵に乗ってかけたのですが、それは間違った認識でした。
パーマは社会人になってからはかけるのをやめましたが、美容院に行く習慣はいまだに続いています。
もっとも、今ではすっかり美容院に対する認識も変わり、統計的にも美容院を利用する人の男女比率は、だいたい50%:50%くらいなのだそうで、男子が美容院に行くことなど全く普通の時代となったかと思います。
そういえばうちの子は男の子ですが、最初からずっと美容院でカットしてもらっており、将来床屋に行くようになる気がしません。
そもそも、今住んでいる街や職場の周辺、その他の街をみる限り、美容院の数はおびただしい数ですが、いわゆる「床屋」は圧倒的に少なくなったと思います。
さて、今行っている美容院ももう10年近く同じところになるのですが、一つ問題があります。
それは、だいたい数年で、いつも担当してもらっていた美容師さんがやめてしまう、ということです。
通常、同じ美容室に通って同じ美容師さんを指名することのメリットは、よっぽど髪型を変えるなどの冒険をしない限り失敗がない、ほぼいつもと同じような仕上がりになることが期待できる、ということではないかと思います。
しかし、美容師さんの勤続年数というのはそんなに長くないのが通常なのか、長くても3年くらいでいなくなってしまうのです。
今の美容院でも、最初に担当してくれていた人は新人の頃からやってくれていたのですが、3年くらいで地元の友人が美容室を開くことになったのでそこを手伝うことにしたと言って辞めてしまいました。
次の人も2年くらい担当してもらっていましたが、何でも長期休暇にはいるとかで指名できなくなり、
3人目の人も、2、3年後に海外で働くという夢を叶えるためにワーキングホリデーでオーストラリアに行くと言って辞めてしまい、
4人目の人が今担当してくれている人ですが、妊娠して産休に入るということでもうすぐ指名できなくなります。
それでも同じ美容院に行っている理由は、一応担当者の変更時には「引き継ぎ」をしているということなので、全く新しい美容院に行くよりはリスクが少ないと思ってのことなのですが。。
そもそも、美容師さんという仕事は、あまり息の長い仕事ではないのかも知れません。
もちろん労働条件や待遇に関しては、店による違いが大きいのかも知れませんが、一般に知られている美容師さんの状況というのは、長時間労働で休みが少なく、収入も高くはない、というものではないかと思います。
一時期、「カリスマ美容師」が注目され、人によっては年収数千万の方もいたと思いますが、現実にはそういう人が極まれなのではないかと思います。
しかも美容師さんたちの話を聞いていると、もちろん店による差異はあると思いますが、店の中の人間関係は結構体育会系のノリで、上下関係が厳しく、いわゆる新人に対する風当たりが強かったりといった世界観があるようで、とても定年まで働き続けられる雰囲気ではないように思えました。
美容師さんの世界というのも、本当に厳しい世界で、また過酷な労働状況にあって、長年にわたって続けることがきっと難しい世界なのでしょうね。
美容院とは女性の独壇場であり、女性であっても小学生や中学生になったばかりくらいの子になると床屋さんに行くのが常識になっていたと思います。
そういえば昔「サザエさん」で、ワカメちゃんがおしゃれをしたくて美容院に行ったのですが、入ろうとしたら美容師さんに「あれ、ワカメちゃん、どうしたの?お姉ちゃんなら今日はきてないわよ?」と言われて相手にされず、恥ずかしそうに出て行くという話がありましたが、昔はそんな感じだったのだと思います。
しかし自分たちが20代になるころ、「男子が美容院に行く」ということがちょっとしたブームのようになり、また、当時自分が住み込んで働いていた新聞屋さんのメンバーが集団で、とある新橋の美容室のカットモデルになっており、みんなで閉店後にカットモデルとして(要するにタダで)やってもらうという習慣があったため、自分も便乗して美容室に行くようになったのでした。
ちなみに当時はタダということに便乗して、きつめにパーマをかけていました。
「パーマをかけると、朝の整髪の手間が省ける」という周囲の人達の入れ知恵に乗ってかけたのですが、それは間違った認識でした。
パーマは社会人になってからはかけるのをやめましたが、美容院に行く習慣はいまだに続いています。
もっとも、今ではすっかり美容院に対する認識も変わり、統計的にも美容院を利用する人の男女比率は、だいたい50%:50%くらいなのだそうで、男子が美容院に行くことなど全く普通の時代となったかと思います。
そういえばうちの子は男の子ですが、最初からずっと美容院でカットしてもらっており、将来床屋に行くようになる気がしません。
そもそも、今住んでいる街や職場の周辺、その他の街をみる限り、美容院の数はおびただしい数ですが、いわゆる「床屋」は圧倒的に少なくなったと思います。
さて、今行っている美容院ももう10年近く同じところになるのですが、一つ問題があります。
それは、だいたい数年で、いつも担当してもらっていた美容師さんがやめてしまう、ということです。
通常、同じ美容室に通って同じ美容師さんを指名することのメリットは、よっぽど髪型を変えるなどの冒険をしない限り失敗がない、ほぼいつもと同じような仕上がりになることが期待できる、ということではないかと思います。
しかし、美容師さんの勤続年数というのはそんなに長くないのが通常なのか、長くても3年くらいでいなくなってしまうのです。
今の美容院でも、最初に担当してくれていた人は新人の頃からやってくれていたのですが、3年くらいで地元の友人が美容室を開くことになったのでそこを手伝うことにしたと言って辞めてしまいました。
次の人も2年くらい担当してもらっていましたが、何でも長期休暇にはいるとかで指名できなくなり、
3人目の人も、2、3年後に海外で働くという夢を叶えるためにワーキングホリデーでオーストラリアに行くと言って辞めてしまい、
4人目の人が今担当してくれている人ですが、妊娠して産休に入るということでもうすぐ指名できなくなります。
それでも同じ美容院に行っている理由は、一応担当者の変更時には「引き継ぎ」をしているということなので、全く新しい美容院に行くよりはリスクが少ないと思ってのことなのですが。。
そもそも、美容師さんという仕事は、あまり息の長い仕事ではないのかも知れません。
もちろん労働条件や待遇に関しては、店による違いが大きいのかも知れませんが、一般に知られている美容師さんの状況というのは、長時間労働で休みが少なく、収入も高くはない、というものではないかと思います。
一時期、「カリスマ美容師」が注目され、人によっては年収数千万の方もいたと思いますが、現実にはそういう人が極まれなのではないかと思います。
しかも美容師さんたちの話を聞いていると、もちろん店による差異はあると思いますが、店の中の人間関係は結構体育会系のノリで、上下関係が厳しく、いわゆる新人に対する風当たりが強かったりといった世界観があるようで、とても定年まで働き続けられる雰囲気ではないように思えました。
美容師さんの世界というのも、本当に厳しい世界で、また過酷な労働状況にあって、長年にわたって続けることがきっと難しい世界なのでしょうね。
「この宇宙の始まりはビッグバンである」ということは、我々が子供のころからの一般常識として認識されてきたと思いますが、よく考えるとビッグバンというのは謎だらけの現象だと思います。

そもそも、なぜ今の時代の科学者が、宇宙は一点から始まったという科学的根拠を得られたのかが大いに疑問でした。
また、わずか90年も前であれば、ビッグバンという概念はまだなく(あったとしても根拠のない妄想の域を越えておらず)、宇宙は始まりも終わりもない、普遍的な一定の大きさの巨大空間だと考えられていたのだそうです。
しかし、その常識(宇宙は普遍的な存在である)を覆し、宇宙は一点から始まったというビックバン理論を今の定説としたのは、ハッブル氏でした。
彼が発見したのは、我々を取り巻く銀河はすべて、ものすごいスピードで遠ざかっているということでした。
しかも、遠くの銀河になればなるほど、その遠ざかるスピードは速い、ということが観測により発見されたのでした。
すべての銀河が遠ざかっている - それの意味するところはつまり、この宇宙は膨張している、ということでした。
この宇宙が膨張している、ということはつまり、この宇宙はもともともっと小さくて、それがどんどん膨らんで今の状態となっている、というように考えられます。
そして究極的には、宇宙は一点から始まって今なお膨張を続けているはずである、というのがビッグバン理論、というわけです。
しかし、そのビッグバン理論を受け入れるうえで、最大の疑問は「なぜ無から有が生まれたのか」ということになると思います。
別に1点でも2点でもいいのですが、なぜ、何もなかったところから、何かがある状態になったのかが実に不思議です。。
なぜ時間も空間もない、「無」の状態から、その一点というものが生まれたのでしょうか。。
現在の科学では、当然その謎(無から有になった理由)は解明されていません。
また、もう一つの大きな謎というか障害は、ビッグバン直後の宇宙の膨張スピードです。
計算上、その膨張スピードは、光のスピードよりも速かったことになってしまうそうです。
しかしながら、少なくともこの宇宙では、光よりも速いものは存在しないというのが大原則ですので、矛盾しているように思えてしまいます。
「ビッグバン直後の状態は、通常の物理法則が成り立たない」「空間の広がりは、物の移動という現象とは別と考えるべきで、光の移動速度よりも上になっても矛盾はしない」など、いくつかの見解があるようですが、もちろん、本当のところは分かっていません。
そもそも、この宇宙が唯一無二の存在であり、そのビッグバンという現象がただ一度の現象であったかどうかも疑問です。
現在の科学ではもちろん発見できていませんが、もしかしたら、「宇宙」というものは何千個、何億個、いや無数に存在するものであり、我々のいるこの宇宙はその中の一つに過ぎない、そしてビッグバンという現象も、今もどこかで(もちろんこの宇宙の外で)日常茶飯の出来事として起こっているのかも知れません。
・・もちろんそれは何の根拠もない想像はありますが、この世界が我々が思っているよりも、つまり137億光年という大きさよりも、はるかに大きく大量の宇宙が存在するという可能性はあるかと思います。
今からわずか100年程度前の科学では、この宇宙には銀河は一個しかない、この銀河系(天の川銀河)だけが唯一の銀河だと考えらていたそうです。
もっとも、それでさえも恒星の数が2000億個以上もある、気の遠くなるような巨大な存在なのですが。。
しかし今の科学では、この宇宙には大小さまざまな銀河が約1250億個もあるという証拠が見つかっており、100年前に考えられていた宇宙のスケールの数千億倍もの大きさ(もしくはそれ以上)であると考えらています。
また、わずか400年程度前までは、いわゆる天動説が科学の中心であり、地球より大きい星があることさえも信じられていなかったわけですから、この先、100年もすればまるでスケールの違う宇宙の構造が定説になるかも知れませんし、400~500年もすれば今の定説は基本的に根本から間違っていたということになっているかもしれません。
いつか、この宇宙が実際のところどうなっているのか、そして何のために宇宙があるのか、人類がたどり着けるときが来るといいですね。。

そもそも、なぜ今の時代の科学者が、宇宙は一点から始まったという科学的根拠を得られたのかが大いに疑問でした。
また、わずか90年も前であれば、ビッグバンという概念はまだなく(あったとしても根拠のない妄想の域を越えておらず)、宇宙は始まりも終わりもない、普遍的な一定の大きさの巨大空間だと考えられていたのだそうです。
しかし、その常識(宇宙は普遍的な存在である)を覆し、宇宙は一点から始まったというビックバン理論を今の定説としたのは、ハッブル氏でした。
彼が発見したのは、我々を取り巻く銀河はすべて、ものすごいスピードで遠ざかっているということでした。
しかも、遠くの銀河になればなるほど、その遠ざかるスピードは速い、ということが観測により発見されたのでした。
すべての銀河が遠ざかっている - それの意味するところはつまり、この宇宙は膨張している、ということでした。
この宇宙が膨張している、ということはつまり、この宇宙はもともともっと小さくて、それがどんどん膨らんで今の状態となっている、というように考えられます。
そして究極的には、宇宙は一点から始まって今なお膨張を続けているはずである、というのがビッグバン理論、というわけです。
しかし、そのビッグバン理論を受け入れるうえで、最大の疑問は「なぜ無から有が生まれたのか」ということになると思います。
別に1点でも2点でもいいのですが、なぜ、何もなかったところから、何かがある状態になったのかが実に不思議です。。
なぜ時間も空間もない、「無」の状態から、その一点というものが生まれたのでしょうか。。
現在の科学では、当然その謎(無から有になった理由)は解明されていません。
また、もう一つの大きな謎というか障害は、ビッグバン直後の宇宙の膨張スピードです。
計算上、その膨張スピードは、光のスピードよりも速かったことになってしまうそうです。
しかしながら、少なくともこの宇宙では、光よりも速いものは存在しないというのが大原則ですので、矛盾しているように思えてしまいます。
「ビッグバン直後の状態は、通常の物理法則が成り立たない」「空間の広がりは、物の移動という現象とは別と考えるべきで、光の移動速度よりも上になっても矛盾はしない」など、いくつかの見解があるようですが、もちろん、本当のところは分かっていません。
そもそも、この宇宙が唯一無二の存在であり、そのビッグバンという現象がただ一度の現象であったかどうかも疑問です。
現在の科学ではもちろん発見できていませんが、もしかしたら、「宇宙」というものは何千個、何億個、いや無数に存在するものであり、我々のいるこの宇宙はその中の一つに過ぎない、そしてビッグバンという現象も、今もどこかで(もちろんこの宇宙の外で)日常茶飯の出来事として起こっているのかも知れません。
・・もちろんそれは何の根拠もない想像はありますが、この世界が我々が思っているよりも、つまり137億光年という大きさよりも、はるかに大きく大量の宇宙が存在するという可能性はあるかと思います。
今からわずか100年程度前の科学では、この宇宙には銀河は一個しかない、この銀河系(天の川銀河)だけが唯一の銀河だと考えらていたそうです。
もっとも、それでさえも恒星の数が2000億個以上もある、気の遠くなるような巨大な存在なのですが。。
しかし今の科学では、この宇宙には大小さまざまな銀河が約1250億個もあるという証拠が見つかっており、100年前に考えられていた宇宙のスケールの数千億倍もの大きさ(もしくはそれ以上)であると考えらています。
また、わずか400年程度前までは、いわゆる天動説が科学の中心であり、地球より大きい星があることさえも信じられていなかったわけですから、この先、100年もすればまるでスケールの違う宇宙の構造が定説になるかも知れませんし、400~500年もすれば今の定説は基本的に根本から間違っていたということになっているかもしれません。
いつか、この宇宙が実際のところどうなっているのか、そして何のために宇宙があるのか、人類がたどり着けるときが来るといいですね。。
先日、今年最初のワイン会を行いました。(前回のワイン会の記事はこちら)
今回も4人で4本のワインを空けたので、一人平均一本飲んだことになり、デイリーでワインを飲んでいる他のメンバーには日常の量だったのだと思いますが、自分にとっては完全に許容量を越えた量でした。
しかしながら、今回もまた、いわゆる悪酔いをすることはありませんでした。
やはりポイントは、会話が楽しく、彼らの話には深みがあるため脳が程よく刺激され、ボーッとした感じにならなかったことが、悪い形で酔わなかった要因ではないかと思います。
例えば、今回は夢の話(睡眠中に見た夢の話)が少しありましたが、ともすれば夢の話というのは薄っぺらな会話になりがちなのではないかと思いますが、彼らの夢の話からは、(夢の内容自体は、夢だけあって、違う時空に紛れ込んでしまった、みたいな有り得ない話なのですが、)彼らの人生においてどういうところが気になる部分なのか、これまでどういう人生を過ごしてきて、これからどうしたいのかが見え隠れするような、深みのある話で、結構考えさせられたりもして、その場での議論も深くなっていきました。
とにかく彼らとの会話は、(もちろん時にはおバカな話になることもありますが、そういう時も含めて、)大きく言えば 心を豊かにする会話なのだと思います。
それで、今回のワインは以下の4本でした。

一番おいしく感じたのは、右から3番目の、袋に入っている「Clos Fonta」というワインでした。
もしかしたら、値段を聞いて、脳が勝手に「これはおいしくて然るべきだ」と決めてしまったという部分もあるのかもしれませんが(笑)、終始濃い味わいを感じるテイストで、飲んだ満足感が高いワインだと、個人で気には思いました。
実は自分は、お酒に強くない割には、赤ワインは濃い感じのものが好きなので、これは美味しかったです。
また、4本目に飲んだ、一番左のワインも結構おいしくて、もしも上記の3番目のワインを飲まずに飲んだらさらにおいしく感じたかもしれません。
このワインも、結構最初から最後まで力強い感じのワインだったように思いました。
4人全員、とても仕事が忙しく、上層部に直接関わることも多い立場のため、なかなかこのような時間を作って集まることが難しい状況ではありますが、ぜひまたあまり時間を空けずに、この会ができたら嬉しいです。
今回も4人で4本のワインを空けたので、一人平均一本飲んだことになり、デイリーでワインを飲んでいる他のメンバーには日常の量だったのだと思いますが、自分にとっては完全に許容量を越えた量でした。
しかしながら、今回もまた、いわゆる悪酔いをすることはありませんでした。
やはりポイントは、会話が楽しく、彼らの話には深みがあるため脳が程よく刺激され、ボーッとした感じにならなかったことが、悪い形で酔わなかった要因ではないかと思います。
例えば、今回は夢の話(睡眠中に見た夢の話)が少しありましたが、ともすれば夢の話というのは薄っぺらな会話になりがちなのではないかと思いますが、彼らの夢の話からは、(夢の内容自体は、夢だけあって、違う時空に紛れ込んでしまった、みたいな有り得ない話なのですが、)彼らの人生においてどういうところが気になる部分なのか、これまでどういう人生を過ごしてきて、これからどうしたいのかが見え隠れするような、深みのある話で、結構考えさせられたりもして、その場での議論も深くなっていきました。
とにかく彼らとの会話は、(もちろん時にはおバカな話になることもありますが、そういう時も含めて、)大きく言えば 心を豊かにする会話なのだと思います。
それで、今回のワインは以下の4本でした。

一番おいしく感じたのは、右から3番目の、袋に入っている「Clos Fonta」というワインでした。
もしかしたら、値段を聞いて、脳が勝手に「これはおいしくて然るべきだ」と決めてしまったという部分もあるのかもしれませんが(笑)、終始濃い味わいを感じるテイストで、飲んだ満足感が高いワインだと、個人で気には思いました。
実は自分は、お酒に強くない割には、赤ワインは濃い感じのものが好きなので、これは美味しかったです。
また、4本目に飲んだ、一番左のワインも結構おいしくて、もしも上記の3番目のワインを飲まずに飲んだらさらにおいしく感じたかもしれません。
このワインも、結構最初から最後まで力強い感じのワインだったように思いました。
4人全員、とても仕事が忙しく、上層部に直接関わることも多い立場のため、なかなかこのような時間を作って集まることが難しい状況ではありますが、ぜひまたあまり時間を空けずに、この会ができたら嬉しいです。
うちの会社に限らず、何か製品を開発して販売している会社には必ず「マーケティング部」もしくは「ビジネスグループ」と呼ばれる部署があると思います
そこでは、一口に言えば製品を企画・展開し、そして目標予算の達成のために様々な角度から施策を打っていくといったことが行われているかと思います。
具体的には、 製品を売り込むために広告を打ったりイベントを企画したり、営業部門の人たちが営業活動を有利に進められるような施策を出したり、また売り上げが予想通りに伸びない場合には改善のためのプランを出したりといったことを行い、最終的にはその製品が目標の売り上げに達することに対して責任を持つ、非常に重要な役割を担っている部門になると思います。
やはりその業務内容の性質上、会社の中でも最も目立つ部署であると言える場合が多いかと思いますし、各方面からの問い合わせが最もく、いわゆる会社の「顔」といってもいい部署ではないかと思います。
そんなマーケティング部門の方々ですが、現在、一緒に仕事をする機会が非常に増えています。
そのような状況の中で、彼らの仕事の実体が少しだけ見えてきました。
そして知れば知るほど、自分には縁が遠い部署だと感じています。。
以下は、自分が主観的に受けている、マーケティング部門の印象です。
やはりなんといっても彼らは忙しいです。
朝8時くらいには出社し、夜11時くらいまではみんな会社にいるようです。
深夜0時すぎに帰っても仕事から離れるということはなく、むしろ、アメリカの本社とのコミュニケーションがとりやすい時間帯になってしまうため、深夜に電話で本社の人達と議論したり、長文のメールをチャットまがいのスピードで打ち合ったりするのが日常で、近年ではスマートフォンの進歩によりどこにいてもメールもIMもコールも出来てしまうため、基本的には片時も仕事から離れることはないようです。
また、製品を売るということに関してハイレベルで責任を持っているため、その売り上げや展開の状況を上層部や本社に対して説明する上で、非常に高いビジネスマネージメントのスキルが必要であり、多くの人がMBA(経営学修士)の資格を持っています。
さらに、お客様に直接会いに行くことも少なくありません。
基本的にお客様への訪問対応は営業部門が中心になると思いますが、非常に大きなお客様で「製品そのものに対して文句がある。製品部の見解を直接聞きたい」といったようなことをおっしゃる場合には、営業の方と一緒に出向いて、怒られて、話を聞いて、説明して、しかしながら製品の仕様などに対して変更する権限は持っていないため持ち帰って本社の開発チームと交渉、といった流れになったりするようです。
当然、担当する製品(なおうちの会社の場合人が足りないため、一人で多数の製品を担当している場合が多いです)について、深く高いレベルでの理解が必要で、また、競合製品との違いについてもロジカルに語ることができなければならないので、高いテクニカルスキルも必要だと思います。
ただ残念なのは、あまり長きにわたってその部門にいる人が少ないことです。
あまりの忙しさとプレッシャーの強さから、何年も続けられるものではないということなのか、それとも別の要因があるのかは定かではありませんが、いずれにしても、その世界に飛び込んでいくには相当な覚悟と、そしてその製品に対する誰にも負けない情熱が必要なのだと思います。
う~ん、やっぱり自分にはできそうにない仕事ですね(笑)
もっともそれ以前に、書類審査も通らないと思うので、考える必要もないのですが。
そこでは、一口に言えば製品を企画・展開し、そして目標予算の達成のために様々な角度から施策を打っていくといったことが行われているかと思います。
具体的には、 製品を売り込むために広告を打ったりイベントを企画したり、営業部門の人たちが営業活動を有利に進められるような施策を出したり、また売り上げが予想通りに伸びない場合には改善のためのプランを出したりといったことを行い、最終的にはその製品が目標の売り上げに達することに対して責任を持つ、非常に重要な役割を担っている部門になると思います。
やはりその業務内容の性質上、会社の中でも最も目立つ部署であると言える場合が多いかと思いますし、各方面からの問い合わせが最もく、いわゆる会社の「顔」といってもいい部署ではないかと思います。
そんなマーケティング部門の方々ですが、現在、一緒に仕事をする機会が非常に増えています。
そのような状況の中で、彼らの仕事の実体が少しだけ見えてきました。
そして知れば知るほど、自分には縁が遠い部署だと感じています。。
以下は、自分が主観的に受けている、マーケティング部門の印象です。
やはりなんといっても彼らは忙しいです。
朝8時くらいには出社し、夜11時くらいまではみんな会社にいるようです。
深夜0時すぎに帰っても仕事から離れるということはなく、むしろ、アメリカの本社とのコミュニケーションがとりやすい時間帯になってしまうため、深夜に電話で本社の人達と議論したり、長文のメールをチャットまがいのスピードで打ち合ったりするのが日常で、近年ではスマートフォンの進歩によりどこにいてもメールもIMもコールも出来てしまうため、基本的には片時も仕事から離れることはないようです。
また、製品を売るということに関してハイレベルで責任を持っているため、その売り上げや展開の状況を上層部や本社に対して説明する上で、非常に高いビジネスマネージメントのスキルが必要であり、多くの人がMBA(経営学修士)の資格を持っています。
さらに、お客様に直接会いに行くことも少なくありません。
基本的にお客様への訪問対応は営業部門が中心になると思いますが、非常に大きなお客様で「製品そのものに対して文句がある。製品部の見解を直接聞きたい」といったようなことをおっしゃる場合には、営業の方と一緒に出向いて、怒られて、話を聞いて、説明して、しかしながら製品の仕様などに対して変更する権限は持っていないため持ち帰って本社の開発チームと交渉、といった流れになったりするようです。
当然、担当する製品(なおうちの会社の場合人が足りないため、一人で多数の製品を担当している場合が多いです)について、深く高いレベルでの理解が必要で、また、競合製品との違いについてもロジカルに語ることができなければならないので、高いテクニカルスキルも必要だと思います。
ただ残念なのは、あまり長きにわたってその部門にいる人が少ないことです。
あまりの忙しさとプレッシャーの強さから、何年も続けられるものではないということなのか、それとも別の要因があるのかは定かではありませんが、いずれにしても、その世界に飛び込んでいくには相当な覚悟と、そしてその製品に対する誰にも負けない情熱が必要なのだと思います。
う~ん、やっぱり自分にはできそうにない仕事ですね(笑)
もっともそれ以前に、書類審査も通らないと思うので、考える必要もないのですが。
ここ1~2年で普及するようになり、結構売れているスティック型PCですが、個人的にはあまり必要性を感じていません。
スティック型PCの最大の特徴は何といってもそのボディサイズの小ささで、ほとんどUSBメモリと変わらないような極小のサイズが素晴らしい、新しい分野のPCです。
その最大の用途は、家庭用TVをそのままPCのように使うこと、もしくはホテルのようにTVはあるけれどもPCはない環境でPC環境を手軽に使えるようにするのが用途になると思います。
今どきのTVにはほぼHDMI入力端子があるので、これは有益だと思います。
しかしながら、通常、PCを使うと言えばキーボードとマウスがどちらも必要だと思います。
長文入力をしなくとも、やはりキーボードは欲しいと思います。まあマウスだけでも、スクリーンキーボードを使って入力できなくはありませんが、やっぱり不便だと思います。
最初にパスワードを入れてログインするだけでも、キーボードがないと億劫です。タッチスクリーンがあるなら話は別ですが。
したがって、スティック型PCを使うとしても、結局ワイヤレス接続のキーボードとマウスは必須となるかと思います。
するといくらPC本体が小さくとも、結局けっこうかさばる羽目になってしまいます。
しかも、キーボードとマウスと本体と電源と、ケーブル類がごちゃごちゃとあるような感じになり、意外と旅行や出張に持っていく緊急PCとしては邪魔になると思います。
下手をすると、小型軽量のモバイルノートPCの方がかさばらない可能性さえあります。
ところが、この問題を解決する、非常にいい携帯型PCを発見しました。
それは、キーボード一体型PCです。
要するに、キーボードの下の部分に、スティック型PC相当のスペックのPCが入っているというものなのですが、個人的にはスティック型PCよりもこの方がかさばらなくていいと思っています。
しかも、キーボードにPCを内蔵したことで、インターフェイスが充実しています。
以下の通り、スティック型PCでは考えられないような多彩なインターフェイスが搭載されており、便利です。
特にホテルでは、今でも結構有線LANのところが多いので、それをWifi変換したりしなくても使えるあたりも有益だと思います。

なお、搭載されているOSはWindows10の32ビット版で、スペックはCPUにAtomのZ3735F (4コア4スレッドの標準1.33GHz、バースト時1.83GHz、キャッシュ2MB)、メモリ2GB、ストレージ32GBということで、ちょっとメインPCに使うには厳しそうなスペックですが、出張時や旅行時にちょっと使うには良さそうです。
ストレージは、マイクロSDで最大128GBのものまで装着できるので、もしも容量32GBが問題であれば、マイクロSDの増設でいけると思います。
また、スティック型PCの場合は本体を小さくするあまり、熱を逃がしきれずに熱くなりやすく、CPUがその本当の性能を発揮できない傾向にあるのですが、このキーボード型PCではスペースが十分にあるため、放熱処理ができていて、CPUが熱によるパフォーマンス低下を招きにくいところもいいところだと思います。
また、キーボード部分にスライドパットもついており、マウスがなくても一応使えるので、メールチェック中心の用途ならばマウスなしでもいいかもしれません。
なお、多分、個人的にこのキーボード型PCがいいと思ってしまう理由は、上記のような物理的な理由だけではなく、心情的な理由もあると思います。
ウン十年前、自分が初めてPCに触れたころ、多くのPCはまさにこの「キーボード型PC」と同じ形態でした。
また、始めて触ったPCも、初めて購入したPCも、やはりキーボード型PCでした。
キーボード下に本体が入りきらないような大仕掛けのハイパフォーマンスPCは、キーボードと本体が分離していましたが、そうでないものはすべてキーボードと本体が一体になっていました。
・・個人的な心情はともかく、冷静に見て、個人的にはやはり、スティック型PCよりも、このキーボード型PCの方が、旅行・出張用途も含めて便利だと思います。
もちろん自分の場合は、旅行も出張も日々の出勤も、重くてもノートPCを持っていきますので必要ありませんが。。
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スティック型PCの最大の特徴は何といってもそのボディサイズの小ささで、ほとんどUSBメモリと変わらないような極小のサイズが素晴らしい、新しい分野のPCです。
その最大の用途は、家庭用TVをそのままPCのように使うこと、もしくはホテルのようにTVはあるけれどもPCはない環境でPC環境を手軽に使えるようにするのが用途になると思います。
今どきのTVにはほぼHDMI入力端子があるので、これは有益だと思います。
しかしながら、通常、PCを使うと言えばキーボードとマウスがどちらも必要だと思います。
長文入力をしなくとも、やはりキーボードは欲しいと思います。まあマウスだけでも、スクリーンキーボードを使って入力できなくはありませんが、やっぱり不便だと思います。
最初にパスワードを入れてログインするだけでも、キーボードがないと億劫です。タッチスクリーンがあるなら話は別ですが。
したがって、スティック型PCを使うとしても、結局ワイヤレス接続のキーボードとマウスは必須となるかと思います。
するといくらPC本体が小さくとも、結局けっこうかさばる羽目になってしまいます。
しかも、キーボードとマウスと本体と電源と、ケーブル類がごちゃごちゃとあるような感じになり、意外と旅行や出張に持っていく緊急PCとしては邪魔になると思います。
下手をすると、小型軽量のモバイルノートPCの方がかさばらない可能性さえあります。
ところが、この問題を解決する、非常にいい携帯型PCを発見しました。
それは、キーボード一体型PCです。
キーボードPC WP004-WH [ホワイト] |
要するに、キーボードの下の部分に、スティック型PC相当のスペックのPCが入っているというものなのですが、個人的にはスティック型PCよりもこの方がかさばらなくていいと思っています。
しかも、キーボードにPCを内蔵したことで、インターフェイスが充実しています。
以下の通り、スティック型PCでは考えられないような多彩なインターフェイスが搭載されており、便利です。
特にホテルでは、今でも結構有線LANのところが多いので、それをWifi変換したりしなくても使えるあたりも有益だと思います。

なお、搭載されているOSはWindows10の32ビット版で、スペックはCPUにAtomのZ3735F (4コア4スレッドの標準1.33GHz、バースト時1.83GHz、キャッシュ2MB)、メモリ2GB、ストレージ32GBということで、ちょっとメインPCに使うには厳しそうなスペックですが、出張時や旅行時にちょっと使うには良さそうです。
ストレージは、マイクロSDで最大128GBのものまで装着できるので、もしも容量32GBが問題であれば、マイクロSDの増設でいけると思います。
また、スティック型PCの場合は本体を小さくするあまり、熱を逃がしきれずに熱くなりやすく、CPUがその本当の性能を発揮できない傾向にあるのですが、このキーボード型PCではスペースが十分にあるため、放熱処理ができていて、CPUが熱によるパフォーマンス低下を招きにくいところもいいところだと思います。
また、キーボード部分にスライドパットもついており、マウスがなくても一応使えるので、メールチェック中心の用途ならばマウスなしでもいいかもしれません。
なお、多分、個人的にこのキーボード型PCがいいと思ってしまう理由は、上記のような物理的な理由だけではなく、心情的な理由もあると思います。
ウン十年前、自分が初めてPCに触れたころ、多くのPCはまさにこの「キーボード型PC」と同じ形態でした。
また、始めて触ったPCも、初めて購入したPCも、やはりキーボード型PCでした。
キーボード下に本体が入りきらないような大仕掛けのハイパフォーマンスPCは、キーボードと本体が分離していましたが、そうでないものはすべてキーボードと本体が一体になっていました。
・・個人的な心情はともかく、冷静に見て、個人的にはやはり、スティック型PCよりも、このキーボード型PCの方が、旅行・出張用途も含めて便利だと思います。
もちろん自分の場合は、旅行も出張も日々の出勤も、重くてもノートPCを持っていきますので必要ありませんが。。
10日くらい前から、右目に変な黄緑色の丸いものが常に見えるようになりました。
現状、その丸いものはほとんど透明ですし、両目で見ていると片方が補って正常な状態にしてくれるためほとんど支障はないのですが、もしもその丸いものがどんどん大きくなり、透明度がどんどん落ちて、、、そして最悪、右目の視力を失うことは、なんとしても避けたいところです。
体の5感の機能のうちで、一般に人間にとってもっとも重要な機能を果たしているのは視覚ですし、自分としては手足が動かなくなるよりも、見えなくなることの方が怖いです。(たぶん多くの人はそう思われることと思います)
なので、無理矢理時間を割いて、眼科に行きました。
そして診断の結果は・・・
ナントカ性網膜剥離、ということでした。(すみません、網膜剥離という言葉にびっくりしてしまい、前半のナントカ性の部分が飛んでしまいました)
網膜の間に水がはいってしまっており、その部分が上記の黄緑色の丸いものとして見えていたのです。
ただ、幸いにして、一般に知られている、ボクサーなどが激しいパンチを頭部に受けることでなってしまうことのある網膜剥離と違って、自然治癒できるということでした。
これになる原因は、激しいストレス、極度の疲労、目の緊張が長期にわたって続くと、これになりやすくなるのだそうです。
心当たりは。。まあ、仕事でしょうね。
ただ、周囲を見ている限り、自分よりもはるかに強いストレスと疲労を受けている人の方が圧倒的に多いです。
特に、直接お客様に対応されている営業系の人たちやサポートの人たちには頭が下がります。
とりあえずは、もう少し仕事に対する取り組み方や、体調管理に対する姿勢に関しては見直しが必要だと思います。
たとえば睡眠時間は今のままでは自分の体は耐えられないことが、この網膜剥離を含むいくつかの状況から、証明されてしまったと言わざるを得ないと思います。
ちなみに今の平均睡眠時間は4時間半です。
・・その睡眠時間で大丈夫な人もいるらしいですが、自分の場合は、少なくとも今の年齢以降においては、それでは足りないのでしょう。
ドイツの哲学者・ショーペンハウエル氏が「睡眠は死への利息払いである」といっているように、睡眠を怠ることは死期を早めることに直結するということですね。
もしも、今の仕事量・今の責任範囲が自分の能力をはるかに越えているということなのであれば、別の道も考えなくてはいけないのかもしれませんが、今の世の中、今の年齢で受け入れてもらえる今より楽な仕事など、まずありませんし、どのくらいストレスのかかる仕事なのかを本当に見極めるには、実際にそこで仕事をして、3ヶ月程度は経たないとわからないものですから、極めて難しいと思います。また、年収が今より格段に下がることはまず避けられません。
しかし、こういう状況になったときにこそ、人間というのは真価を問われるものではないかと思います。
ここであらゆることを諦め、「逃げ」の姿勢に転じるようだとだいたいその後も何をやっても後ろ向きになっていくのではないかと思います。
眼や膝はきっちり治し、仕事においては自分が挑戦したいことと出来ること、社会・会社のニーズとのバランスをよく考え、挑戦するべきところには恐れず積極的に、やるべきではない・やる意味がないところからはきっちり手を引いて、バランスよくやっていくことが重要なのではないかと思います。
現状、その丸いものはほとんど透明ですし、両目で見ていると片方が補って正常な状態にしてくれるためほとんど支障はないのですが、もしもその丸いものがどんどん大きくなり、透明度がどんどん落ちて、、、そして最悪、右目の視力を失うことは、なんとしても避けたいところです。
体の5感の機能のうちで、一般に人間にとってもっとも重要な機能を果たしているのは視覚ですし、自分としては手足が動かなくなるよりも、見えなくなることの方が怖いです。(たぶん多くの人はそう思われることと思います)
なので、無理矢理時間を割いて、眼科に行きました。
そして診断の結果は・・・
ナントカ性網膜剥離、ということでした。(すみません、網膜剥離という言葉にびっくりしてしまい、前半のナントカ性の部分が飛んでしまいました)
網膜の間に水がはいってしまっており、その部分が上記の黄緑色の丸いものとして見えていたのです。
ただ、幸いにして、一般に知られている、ボクサーなどが激しいパンチを頭部に受けることでなってしまうことのある網膜剥離と違って、自然治癒できるということでした。
これになる原因は、激しいストレス、極度の疲労、目の緊張が長期にわたって続くと、これになりやすくなるのだそうです。
心当たりは。。まあ、仕事でしょうね。
ただ、周囲を見ている限り、自分よりもはるかに強いストレスと疲労を受けている人の方が圧倒的に多いです。
特に、直接お客様に対応されている営業系の人たちやサポートの人たちには頭が下がります。
とりあえずは、もう少し仕事に対する取り組み方や、体調管理に対する姿勢に関しては見直しが必要だと思います。
たとえば睡眠時間は今のままでは自分の体は耐えられないことが、この網膜剥離を含むいくつかの状況から、証明されてしまったと言わざるを得ないと思います。
ちなみに今の平均睡眠時間は4時間半です。
・・その睡眠時間で大丈夫な人もいるらしいですが、自分の場合は、少なくとも今の年齢以降においては、それでは足りないのでしょう。
ドイツの哲学者・ショーペンハウエル氏が「睡眠は死への利息払いである」といっているように、睡眠を怠ることは死期を早めることに直結するということですね。
もしも、今の仕事量・今の責任範囲が自分の能力をはるかに越えているということなのであれば、別の道も考えなくてはいけないのかもしれませんが、今の世の中、今の年齢で受け入れてもらえる今より楽な仕事など、まずありませんし、どのくらいストレスのかかる仕事なのかを本当に見極めるには、実際にそこで仕事をして、3ヶ月程度は経たないとわからないものですから、極めて難しいと思います。また、年収が今より格段に下がることはまず避けられません。
しかし、こういう状況になったときにこそ、人間というのは真価を問われるものではないかと思います。
ここであらゆることを諦め、「逃げ」の姿勢に転じるようだとだいたいその後も何をやっても後ろ向きになっていくのではないかと思います。
眼や膝はきっちり治し、仕事においては自分が挑戦したいことと出来ること、社会・会社のニーズとのバランスをよく考え、挑戦するべきところには恐れず積極的に、やるべきではない・やる意味がないところからはきっちり手を引いて、バランスよくやっていくことが重要なのではないかと思います。
先月の話ですが、部長の代理で深夜の大掛かりな電話会議に参加しました。
その会議は我々の部署の各国、というより各タイムゾーン(アジア・アメリカ・ヨーロッパ)のリーダーが、それぞれのエリアで今問題になっていることを5つくらい説明するというもので、参加者は関連部署のリーダーシップの人たちがずらりと出そろい、80名以上も参加する大がかりなものです。
本来自分のようはヒラがでる会議体ではなく、アジアからは、シンガポールにいる大ボスの部長がアジアの代表として参加するのですが、彼女はその日は参加できないということで、さらに課長たちもどういうわけか皆出られないということで、自分と、もう一人中国の人がアジアの代表として説明することになりました。
事前にその中国の同僚とは話をして、今回は4つの問題をはなすこととし、2つずつで分担しようということにしました。
4つの問題はそれぞれ、オーストラリアのもの、インドのもの、シンガポールのもの、そして日本のものの4つでした。
自分は日本のものと、インドのものをやることとし、中国の彼はオーストラリアとシンガポールのものをやるということで合意していました。
なお、リーダーシップの人たちの会議でなにか説明をすると、徹底的に質問されるのが常ですので、かなりの下準備が必要になります。
日本の問題はまあ答えられるとして、インドの問題はかなり調べておく必要がありました。
そこまではよかったのですが、当日になって、中国の同僚が体調がよくないこと等いくつか問題が発覚し、結局自分が3個(日本、インド、オーストラリア)をやって、中国の同僚は1個(シンガポール)をやる、ということとなり、その日は帰宅後も、急遽やることになったオーストラリアの問題を調べるのに大変な状態でした。
(会議は日本時間の夜11時スタートで、1時終了です)
それでもカミさんが家事まわりのことを色々気を使ってくれたおかげでとりあえず準備は十分にした状態で参加できました。
ところが。
アジアの発表の順番になり、まず自分が3個の問題の発表を終え、中国の同僚にバトンタッチしたのですが、彼の、ネットワークへの接続状況が悪かったようで、彼の発表の声がひどく途切れ途切れになってしまい、みんな何を言っているかわからない状態だったため、後でやり直しということになり、先に残りのタイムゾーン(アメリカとヨーロッパ)の発表をしてもらうことになりました。
しかし結局同僚のネットワークの状況は回復せず、急遽司会者から「あなたがやりなさい」と言われ、ヨーロッパの発表をしている最中に裏で大急ぎでそのシンガポールの問題について調べ、発表する準備をしました。
時間にして、日本時間の夜12時半くらいでした。
隣の部屋で、カミさんと、息子と、ワンちゃんが気持ちよさそうに寝ているさなか、自分はまさに修羅場でした。。
それでも何とか代理の代理の発表を終え、会議を終了しましたが、「その会議がどうなったか説明するように」と上司から言われていたので、忘れぬうちにということで、1時過ぎにレポートを書き、寝室へ向かいましたが、緊張が抜けず、すぐには寝落ちませんでした。
・・もしもまた似たような機会があったならば、今度は自分が発表する予定になっていない件についても、最初からよく調べておくべきだと思いました。
その会議は我々の部署の各国、というより各タイムゾーン(アジア・アメリカ・ヨーロッパ)のリーダーが、それぞれのエリアで今問題になっていることを5つくらい説明するというもので、参加者は関連部署のリーダーシップの人たちがずらりと出そろい、80名以上も参加する大がかりなものです。
本来自分のようはヒラがでる会議体ではなく、アジアからは、シンガポールにいる大ボスの部長がアジアの代表として参加するのですが、彼女はその日は参加できないということで、さらに課長たちもどういうわけか皆出られないということで、自分と、もう一人中国の人がアジアの代表として説明することになりました。
事前にその中国の同僚とは話をして、今回は4つの問題をはなすこととし、2つずつで分担しようということにしました。
4つの問題はそれぞれ、オーストラリアのもの、インドのもの、シンガポールのもの、そして日本のものの4つでした。
自分は日本のものと、インドのものをやることとし、中国の彼はオーストラリアとシンガポールのものをやるということで合意していました。
なお、リーダーシップの人たちの会議でなにか説明をすると、徹底的に質問されるのが常ですので、かなりの下準備が必要になります。
日本の問題はまあ答えられるとして、インドの問題はかなり調べておく必要がありました。
そこまではよかったのですが、当日になって、中国の同僚が体調がよくないこと等いくつか問題が発覚し、結局自分が3個(日本、インド、オーストラリア)をやって、中国の同僚は1個(シンガポール)をやる、ということとなり、その日は帰宅後も、急遽やることになったオーストラリアの問題を調べるのに大変な状態でした。
(会議は日本時間の夜11時スタートで、1時終了です)
それでもカミさんが家事まわりのことを色々気を使ってくれたおかげでとりあえず準備は十分にした状態で参加できました。
ところが。
アジアの発表の順番になり、まず自分が3個の問題の発表を終え、中国の同僚にバトンタッチしたのですが、彼の、ネットワークへの接続状況が悪かったようで、彼の発表の声がひどく途切れ途切れになってしまい、みんな何を言っているかわからない状態だったため、後でやり直しということになり、先に残りのタイムゾーン(アメリカとヨーロッパ)の発表をしてもらうことになりました。
しかし結局同僚のネットワークの状況は回復せず、急遽司会者から「あなたがやりなさい」と言われ、ヨーロッパの発表をしている最中に裏で大急ぎでそのシンガポールの問題について調べ、発表する準備をしました。
時間にして、日本時間の夜12時半くらいでした。
隣の部屋で、カミさんと、息子と、ワンちゃんが気持ちよさそうに寝ているさなか、自分はまさに修羅場でした。。
それでも何とか代理の代理の発表を終え、会議を終了しましたが、「その会議がどうなったか説明するように」と上司から言われていたので、忘れぬうちにということで、1時過ぎにレポートを書き、寝室へ向かいましたが、緊張が抜けず、すぐには寝落ちませんでした。
・・もしもまた似たような機会があったならば、今度は自分が発表する予定になっていない件についても、最初からよく調べておくべきだと思いました。
一か月半くらい前、うちのワンコが大変危険な状態になりました。
食べることが大好きだったワンコが、ほとんど何も食べられなくなり、みるみる弱って、何があっても吠えなくなってしまいました。
一週間ほど動物病院に入院して、いろいろ治療を試みていただきましたが、血液検査の状態はどんどん悪くなり、特に腎臓に関係する値がひどくて、先生の診断では腎臓がほとんど機能していない状態だと言われてしまいました。
ほとんど病院でできることがなくなってしまったため、自宅療養に切り替えて、しかしご飯を自分で食べられないため鼻から胃までカテーテルを通して、そこから流動食を一日三回流し込むという方法で対応しました。
また、昼間仕事で付き添えない日は、朝一番に動物病院に連れて行って半日入院を受け付けてもらい、病院が閉まる直前に引き取りに行くという日々を続けました。
しかし、腎臓という臓器は、人間も犬も猫も同じですが、一度機能しなくなると復活するということは基本的には起きない臓器です。
うちのワンコがあと何日もつのか、2月を迎えることさえ厳しいのではないかというのが大方の見解でした。
・・そのような日々の中で考えていたことは、「動物は好きだけれども、別れるのがつらいから、ペットは飼わない」という考え方が果たして的を得ているのかどうか、ということでした。
うちのワンコが厳しい状態にあった時、そのつらさは自分のこと以上でさえありました。
基本的に愛玩動物というのは、かわいくてしょうがないから飼っているわけですから、そのかわいい子が病気で苦しんでいる、どれだけ生きられるかわからないなどという状況になれば、つらくなるなという方が無理というものだと思います。
短絡的に考えれば、そんなつらい思いをするくらいならば、いっそのことペットなんて飼わない方がいい、という考え方に走ってしまうことがあることも、不自然ではないと思います。
しかし、本当に、「かわいいペットの最後を看取るのがつらいから、ペットは飼わない方がいい」という考え方が正しいのか、うちのワンコを見ながらずっと考えていました。
そうして考えていくと、「犬や猫が好きならば、死別するのがつらくなるから犬や猫を飼うべきではない」というならば、究極的には、「この世に犬や猫はいるべきではない」ということになってしまうのではないか、というように思えてきました。
犬や猫が好きな人がそれらを飼えないのならば、誰も飼えないということですから、結局その存在を否定しているに等しいのではないかと思いました。
では結局どうすればいいのか、ということですが、絶対にそのこと(愛玩動物と死別すること)はいつかは起きる以上、その時も含めて一緒にいて、動物たちが愛情に包まれながら新しい世界に旅立てるようにしてあげることなのではないかと思います。(以前、「犬の十戒」というものがあったと思いますが、その中で最後に語られていたことと同じことだと思いますが)
多分、彼らにとって一番嬉しいのは、飼い主の愛情を感じることであり、また、寿命が来て旅立つこと自体はひょっとしたら人間が考えているものとは違う形で思っているのかも知れません。
・・そのように、日々愛玩動物の旅立ちに関して考えていたのですが、うちのワンコは行かないで、戻ってきてくれました。
結局腎臓自体は機能していたようで、感染症により腎臓のフィルターのような部分が細菌でブロックされてしまって、あたかも腎臓が機能できなくなったかのように見えていた、というのが実情だったようです。
あるときものすごい汚い、いかにも悪いものが入っていそうなウン○が出たのですが、その前後から徐々に調子が戻り、自分で食べられるようになり、元気になり、体重が戻り、走り回るようになり、そして血液検査の結果も改善し、今や病気になる前よりもいい状態なのではないかと思えるほど改善してくれました。
もっとも、このように改善してくれたのは、本人の頑張りはもちろんだと思いますが、それに次いで大きかったのは、カミさんの食事療法だったと思います。
これまでのドッグフードのみの食事から、ワンコの状態に応じて食物繊維を多くしたり水分を増やしたりといった工夫をしながら毎日朝晩、手作りのご飯を作ってくれて、それを食べるようになってからだんだん改善してきたと思います。
また、ホームドクター以外の、全国的に有名な獣医さんを見つけてくれて、その先生に見てもらったことも大きな改善のきっかけになったと思います。
うちのカミさんのように、積極的に本質的な改善のためのがんばってくれることが、上記のように愛玩動物の旅立ちについてウジウジと考えることよりもずっと有意義なことであることを、今回は身をもって学びました。
食べることが大好きだったワンコが、ほとんど何も食べられなくなり、みるみる弱って、何があっても吠えなくなってしまいました。
一週間ほど動物病院に入院して、いろいろ治療を試みていただきましたが、血液検査の状態はどんどん悪くなり、特に腎臓に関係する値がひどくて、先生の診断では腎臓がほとんど機能していない状態だと言われてしまいました。
ほとんど病院でできることがなくなってしまったため、自宅療養に切り替えて、しかしご飯を自分で食べられないため鼻から胃までカテーテルを通して、そこから流動食を一日三回流し込むという方法で対応しました。
また、昼間仕事で付き添えない日は、朝一番に動物病院に連れて行って半日入院を受け付けてもらい、病院が閉まる直前に引き取りに行くという日々を続けました。
しかし、腎臓という臓器は、人間も犬も猫も同じですが、一度機能しなくなると復活するということは基本的には起きない臓器です。
うちのワンコがあと何日もつのか、2月を迎えることさえ厳しいのではないかというのが大方の見解でした。
・・そのような日々の中で考えていたことは、「動物は好きだけれども、別れるのがつらいから、ペットは飼わない」という考え方が果たして的を得ているのかどうか、ということでした。
うちのワンコが厳しい状態にあった時、そのつらさは自分のこと以上でさえありました。
基本的に愛玩動物というのは、かわいくてしょうがないから飼っているわけですから、そのかわいい子が病気で苦しんでいる、どれだけ生きられるかわからないなどという状況になれば、つらくなるなという方が無理というものだと思います。
短絡的に考えれば、そんなつらい思いをするくらいならば、いっそのことペットなんて飼わない方がいい、という考え方に走ってしまうことがあることも、不自然ではないと思います。
しかし、本当に、「かわいいペットの最後を看取るのがつらいから、ペットは飼わない方がいい」という考え方が正しいのか、うちのワンコを見ながらずっと考えていました。
そうして考えていくと、「犬や猫が好きならば、死別するのがつらくなるから犬や猫を飼うべきではない」というならば、究極的には、「この世に犬や猫はいるべきではない」ということになってしまうのではないか、というように思えてきました。
犬や猫が好きな人がそれらを飼えないのならば、誰も飼えないということですから、結局その存在を否定しているに等しいのではないかと思いました。
では結局どうすればいいのか、ということですが、絶対にそのこと(愛玩動物と死別すること)はいつかは起きる以上、その時も含めて一緒にいて、動物たちが愛情に包まれながら新しい世界に旅立てるようにしてあげることなのではないかと思います。(以前、「犬の十戒」というものがあったと思いますが、その中で最後に語られていたことと同じことだと思いますが)
多分、彼らにとって一番嬉しいのは、飼い主の愛情を感じることであり、また、寿命が来て旅立つこと自体はひょっとしたら人間が考えているものとは違う形で思っているのかも知れません。
・・そのように、日々愛玩動物の旅立ちに関して考えていたのですが、うちのワンコは行かないで、戻ってきてくれました。
結局腎臓自体は機能していたようで、感染症により腎臓のフィルターのような部分が細菌でブロックされてしまって、あたかも腎臓が機能できなくなったかのように見えていた、というのが実情だったようです。
あるときものすごい汚い、いかにも悪いものが入っていそうなウン○が出たのですが、その前後から徐々に調子が戻り、自分で食べられるようになり、元気になり、体重が戻り、走り回るようになり、そして血液検査の結果も改善し、今や病気になる前よりもいい状態なのではないかと思えるほど改善してくれました。
もっとも、このように改善してくれたのは、本人の頑張りはもちろんだと思いますが、それに次いで大きかったのは、カミさんの食事療法だったと思います。
これまでのドッグフードのみの食事から、ワンコの状態に応じて食物繊維を多くしたり水分を増やしたりといった工夫をしながら毎日朝晩、手作りのご飯を作ってくれて、それを食べるようになってからだんだん改善してきたと思います。
また、ホームドクター以外の、全国的に有名な獣医さんを見つけてくれて、その先生に見てもらったことも大きな改善のきっかけになったと思います。
うちのカミさんのように、積極的に本質的な改善のためのがんばってくれることが、上記のように愛玩動物の旅立ちについてウジウジと考えることよりもずっと有意義なことであることを、今回は身をもって学びました。