自分が小学生の頃、毎週月曜日の朝は全校生徒が集合する朝礼がありました。
おそらくどこの小学校でも、同じような朝礼があったと思います。
その中で、最も苦痛だった時間は「校長先生のお話」でした(笑)
しかし、そんな校長先生の話の中で、なぜか今でもよく覚えている話があります。それは、以下のような話です
※胸を打ついい話、、ではありません。
「みなさんは、ご飯を食べるとき、どういう順番で食べますか?先生は、まず最初に一番おいしそうなものから食べます。次に2番目においしそうなものを食べ、その次に3番目。。。そうやっておいしい順に食べていけば、最後までおいしく食べられるものです。
ご飯の食べ方一つでも、よく考えて、工夫して行動するのです。」
それを聞いた自分は、言い返したくて仕方がありませんでした。
なぜなら、自分の場合はまず嫌いなものから食べる、という方法をとっていたからです。
なぜ嫌いなものから食べていたかと言えば、嫌いなものを最後まで残しておいたらまず食べられなくなってしまうので、その対策として、空腹時に勢いに任せて、また、好きなものを混ぜたりして嫌いな味を打ち消しながら食べるといった工夫をしなければ、食べられなかったからです。
このことについては、その後もずっと考え続けました。
「なぜ校長先生は、好きなものから食べるという方法がベストだと思ったのだろうか。」「きっと大前提として、嫌いなものというのがないからではないだろうか」
「ではなぜ校長先生および同世代の人達は、嫌いなものがないのだろうか」「彼らが小さかった頃は敗戦直後の時代だったはずだから、食べたくても食べられない、常にハングリーな状態で、とても好き嫌いなど言っていられない時代だったからではないだろうか」
「そして校長先生の世代の人達は、今の子供たちが食べることに関して困っていないこと、そしてむしろ、食べたくないときに食べたくないものを無理矢理食べさせられることで、好き嫌いを冗長していることに、気がついていないのではないだろうか」
「敗戦直後当時の教育を、今の時代に適用するのは無理があるのではないだろうか」
という内容のことを、もちろん使う単語はもっと単純なものでしたが、小学生ながらぐるぐると考え続けていました。
そして、それと同レベル以上のことを、周囲の同級生たちは普通に考えていました。
今にして思えば、自分たち小学生が当時本当に内々に考えていたレベルのことを、大人たちが認識していたかは疑問です。
つまり、小学生の思考能力というものを、もっと単純でレベルの低いものと思われていたのではないかと思います。
ただ、そう思う気持ちもよくわかります。
今、大人になった自分たちは、ひらがなもまともに読めない子供たちを見て、短絡的に「その思考能力も当然相当低いもの」と決めてかかってしまう傾向にあると思います。
しかし、実は子供の思考能力というのは大人が思っているよりもずっと高く、しかも記憶力に関しては大人の比ではない、というのが事実なのではないかと思います。
ただ残念ながら、子供はどうしても自分が思ったこと、感じたことを大人に正確に伝えられる「論理的な表現力」を持ち合わせていないため、いくら頭の中では高度なことを考えていても、結局泣きわめくなどの方法でしか表現できず、大人から見れば「深く考えていない」というようにしか映らない場合も少なくないかと思います。
実際に深く考えていないことも(※大人もそうだとおもいますが)あるため、難しいのですが、少なくとも「子供の考えることは常に単純で、間違っている場合が多い」という固定観念は持つべきではないと、自分に言い聞かせている日々です。