多摩自然歩道-完歩
2回目である。夏の頃、一度歩いたが迷ってしまって、コースが分からなくなってしまった。
今回は、ジャイアンツ球場の裏手から入って、前回とは逆に歩いてみた。

小沢城址とは、反対方向へ歩き始めてすぐの憩いの庭である。後はひたすら、次の目的地である古刹へ向かうが、平地へ降りて、案内板はあるが
どちらへ行ったらいいか迷う。道を歩いてくる学生風の男に道を聞く。詳しく教えてくれ、助かる。
下りてきた山に沿ってもどる感じに、住宅街の急な坂道を上っていくと、お墓が見えてきた。
墓を通り過ぎるとフルーツパークである。川崎市農業技術センターとの表札もある。
なんと、入り口に誰もおらず、記帳するだけで自由に入れる施設である。もったいないようであるが、人件費も出せないのであろう。天下の川崎市にしてこうである。
みかん、なし、ぶどうを栽培しているが、広い園内を自由に散策して、くつろげる場所である。

右は川崎の梨「生水」の原木と梨園である。
温水みかんである。新しいみかんも、下に落ちていて、もらって味見をしたが、まあまあの甘さで旨かった。
園からは、隣接する読売ランドの遊具が見え、若者の絶叫が聞こえてくる。
園を出て 桜並木の大通りを歩いてくると、案内板が立っている。ここを、右折して上がっていくと、菅さくら公園の入り口である。

公園を通り過ぎると、突き当りが読売ベルディのクラブがあり、左折して、さらに歩いていくと、ジャイアンツの寮がある。
ここが問題で、行き過ぎるとまずい。少し手前の人家の脇に下から上がってくる階段があり、ここを降りると、案内板に出会える。多摩美緑地歩道である。

初冬の林である。ただ1本の紅葉である。
前回迷った場所へ、戻ることができた。これで私の中で、1本のルートが
出来上がった。今日は遅いので、明日、写真で紹介しながら報告したい。
読売ランドとジャイアンツ球場をぐるりと1周した感じである。
夏以来の宿題を、ようやく解決することができた。やったぜ!!
吉川英治
文豪・吉川英治は「大衆小説は、民衆の血液の中に入って、生きていくものでなければならない」との信念があり、だから、常に「民衆の中に何が一番欠けているか」を考えていたという。
ちなみに、『宮本武蔵』には、二つのテーマがあった。それは、「信念」と「希望」。当時の社会を見て、最も必要な力として、民衆の中に、「信念」と「希望」が目覚めることを願って筆を進めたという。(草思堂随筆)(名字の言)
私が15歳のとき、昭和40年から連載が始まった『小説人間革命』。45年間の長期連載である。有り難くも、私は、最初から読ませていただいた。
池田名誉会長は、「どう訴えれば、この人が希望をもてるのか、元気になるのか、奮起できるのかー限られた時間の中で、考えに考え、 生命を刻印する思いで、懸命にペンを走らせた」と心情を述べている。(聖教11.14)
ある小説家は、新聞連載を始めるにあたり、「連載小説は寿命を2.3年縮めるよ」と、周囲からいわれたという。日本の連載最長記録を続ける池田先生が、どれほどの命を削る戦いをされてきたか。ただ感謝し、驚嘆するのみである。
デューイと創価教育
社会に果たすべき教育の役割
1919年に日本を訪ねたデューイはそこに市民社会を育むべき文化的な土壌を見出すことができませんでした。しかし、牧口初代会長は教育を通して市民社会を築こうとしたのです。
これは大変に啓発的な出来事です。これこそが、私たちが未来に向けて目指すべき方向であるからです。現在、アメリカを含めた多くの国で、社会の安定、さらには再生に果たすべき教育の役割が見失われてしまっているからです。
デューイと創価教育の共通点
仏教の変毒為薬(へんどくいやく)の法理が教えるように、逆境の中にさえ成長のチャンスがあると考える中に、より積極的で創造的な人生は築かれると思うからです。
ともあれ、デューイの思想、法華経、牧口会長の著作、池田SGI会長の著作を比較研究する中で私はこれらの思想が深く類似していることを発見しました。
とりわけ、デューイの主要概念である「成長」と創価学会の主要概念である「価値創造」との間には、深く響きあうものがあります。
創価の学び舎は「デューイ学校」
私は創価のキャンパスを、しばしば訪れる機会があります。その都度学生たちの情熱とエネルギー、そして、高き理想を目指して進む姿に驚かされます。(中略)
"デューイの教育が真に実践されている所はどこか"と聞かれたら、私は即座に"創価の学び舎"と答えるでしょう。創価の学び舎をすべて「デューイ学校」と名付けたいくらいです。

落葉の哲学
落葉の哲学
職場の木々も、街中の街路樹も、もう9割方、葉を落としてしまった。
今まであったものが、なくなり、今はなんとなく寒々しいが
これから、冬が深まってくると、
裸の木々も凛とした風格が出てくるものだ。
冬の寒さと戦いながら、来るべき春を準備しているからか。
寒風の中の、1本の枝が、大切な何かを、語りかけている。
「木の葉が落ちてから芽が出るのではない。下から芽が出る
勢いにこらえきれず、木の葉は落ちる」 徒然草
「自然はワイシャツの袖をまくりあげて、下に向かって育っている。
両手に唾をつけて、一生懸命に土を掘っている」カレル・チャペック
「名字の言」(聖教新聞)、「園芸家12ヶ月」(中公文庫)
川崎の偉人-池上幸豊
先日、紹介した川崎三大偉人の一人、池上幸豊について詳しく調べてみました。鎌倉時代の宗教家日蓮の弟子として有名な池上兄弟の兄、池上宗仲から数えて25代目になるようです。
池上家は池上本門寺の檀家筆頭を代々務めるほどの資産家でした。新田を開発しながら自分の利益を得ることなく、利他の精神で殖産興業に生涯をかけた幸豊の実績を見るとき、池上家の家訓に「世のために尽くす」があったのではないかと想像します。
西洋でも言われるとおり"Lofty Ambition"(高尚なこころざし)つまり世の中のために大志をいだく人が洋の東西を問わず尊敬されるべき人なのです。
池上氏は、藤原忠平(880~949)の後胤と言われ、武蔵国荏原郡千束郷(現・大田区千束)に住んでいました。幸豊の24代前の池上宗仲は、日蓮宗大本山池上本門寺(大田区池上)を建立し、曾祖父の幸広は、池上本門寺を再建するとともに、多摩川河口に大師河原稲荷新田を開拓し、この地に一家をあげて移り住みました。
幸豊は、12歳の時に父を亡くし、その跡を継いで、大師河原村の名主となりました。延享3年(1746)には、江戸幕府に新田100町歩(約100ヘクタール)の開発願いを提出しましたが、幕府の許可はなかなか下りず、宝暦2年(1752)になって15町歩の開発が認められましたので、幸豊は宝暦6年より開発に着手しました。
幸豊が新田開発に採用した埋め立て方は、「笹出し」と呼ばれる方法でした。その方法は、干潮の時に海岸に杭を打ち、その周辺に笹をたてて砂が集まりやすくして砂山をつくり、そこに茅や葦を植えて固め、それを徐々に拡大するというものでした。
こうして6年の歳月と767両余りの費用をかけた結果 、面積14町5反余の新田が開発され、宝暦12年に「池上新田」と命名され1村となりました。
また、幸豊は新田開発のほか、和製砂糖や氷砂糖の製造を行ったほか、製塩、ナシ・ブドウの果 樹栽培などの産業開発にも貢献し、川崎の発展に大きな功績を残しています。
坂の上の雲
「坂の上の雲」の時代は、日本の最も輝かしい時代で
あったかも知れません。戦争を賛美するのではありません。
当時の国家のリーダーたちは、武士道の精神とリアリズムを
見事に融合させた、人道的さわやかさと引き際の見事さで
日本を勝利に導いたことを、評価したいのです。
日露戦後の日本は、慢心した国民と国家主義の教育が、
精神主義の鼓吹と軍人礼賛をするのみで、
本来の武士道の精神とリアリズムを喪失してしまい、
軍人の国家支配を許し、太平洋戦争の敗北という
亡国の結末となった。
何がいけなかったのか? 個の群集が、全体の国家を
方向付けるとするならば、個の責任で考え続けるべき
問題であろう。
また、浜田レポート着きました。紹介します。
NHKの「坂の上の雲」が再開しました。
昨年末に5話放映した続編です。原作は司馬遼太郎。
明治維新後の日本、秋山兄弟と正岡子規の青春群像を
基調とした歴史ドラマです。
昨年末、エンディングに流れるサラ・ブライトマンの
澄んだ歌声(Stand alone「:一人立つ」)とアルプスの
稜線の一本道を眺めながら、これから始まる参院選に向け
自分を鼓舞していたことを思い出します。
時代背景となっている日清・日露戦争をことさら賛美する
気持ちはありませんが、「坂の上にたなびく一筋の雲」を
ただ見つめ駆け上がっていく、このような生き方に
ある種の「懐かしさ」を感じるのは何故でしょうか。
来春の新卒就職内定率58%と最悪。第二の「就職氷河期」
を迎えています。90年代からの「失われた10年」を経て
この20年、日本経済の閉塞が続く中、若者に広がる
「心の病」、急増するひきこもり・・・・。
「今日は苦しくても、明日は良くなるさ!」
「まじめにやれば必ず報われる」という「楽天さ」が
持てないと、若者のうめきが聞こえてきます。
公明党が勝ち取った「若者就職支援」、
「ひきこもり対策」など、目の前の対策を拡充するとともに、
根本的にはもう一度、若者が「夢」を持てる社会へ、
この日本を再構築することが時代の要請です。
2030年に向けての次の20年を、再び「坂の上の雲」を
若者が見つめて歩める時代へ!
「親」の世代の責任としてもう一度自分を鼓舞し、
浜田まさよし、進めます!
▼浜田まさよしPC用ウェブサイト、これからも
精力的に更新してまいります!
http://www.hamada-m.com/
日蓮とニーチェ
ニーチェと日蓮はとても似ている。
その思想の性格、世人からの誤解のされ方など
似ているところがたくさんあることに驚く。
まず既成概念の全否定と生命の肯定である。
ヨーロッパの哲学に「神」の概念はキーワードであり、
哲学は、「神」の存在を証明するために
発展してきたとも言える。
ニーチェは「神」を否定した上に、
「超人」の思想を説き、「生」を肯定した。
日蓮は、何を否定し、何を肯定したのか。
日蓮は「四個の格言」として、立宗宣言のとき
「念仏無限、禅天魔、律国賊、真言亡国」と
鎌倉時代に流布していた四大宗派を徹底的に
否定したと言われている。
しかし、日蓮はもっと過激な宗教改革を目指していたのである。
実は、釈尊の仏教全てを根本的に否定した上で
自らの日蓮仏法を確立したのである。
そして、釈尊最高の悟りである「法華経」を
生命論、生命の讃歌、生命哲学として読んだのである。
御書全集「御義口伝」に展開されている。
もう一つ、誤解のされ方もよく似ている。
ニーチェでは、ヒトラーに利用され、その真意が
伝わらなかったが、
日蓮では、国家主義に利用され、その普遍性が
隠されてしまった。
ニーチェは、「超訳ニーチェ」で幸いにもその普遍性を
認められようとしている。
日蓮は、牧口、戸田、池田の創価三代の師弟のリレーによって
その真意が、その普遍的哲学性が認識されてきた。
川崎の三大偉人
「地元の箕輪敏行先生から川崎の三大偉人の話を伺ったことがある。
一人目は、埋め立てによる新田開発、今も知名として残る
池上新田を築いた池上幸豊。
二人目は、川崎宿の再建や二ヶ領用水の復興に努め、
幕政への提言「民間省要」を記した田中兵庫(休愚)。
そして三人目は、二ヶ領用水を築いた小泉次大夫
今年は二ヶ領用水竣工四百年の記念すべき年にあたる。
前の二人は小川信夫氏の原作による演劇、
「池上幸豊とその妻」「多摩川に虹をかけた男-田中兵庫-」が
市内各所で上演された。
偉人の業績を後世に伝えるには演劇が分かりやすい。
子供にも親しめる内容となっている。
小泉次大夫氏のみが未だである。ぜひとも実現して欲しい」
(川崎市市会議員 山崎なおふみ氏のぶろぐより)
昨日の講師は、小川信夫先生でした。どの地域にも、
偉大な先人はいるものですね。
郷土の偉人を発掘していくことは、いいことですね。
子どもたちに、身近なところから、夢と志を与えてくれます。
ニーチェ考
ニーチェは「神は死んだ」といった。
神の死、ではなぜ、神は死んだのか。
自殺か? 他殺か? それとも、もともと居なかったのか?
自殺論については、まだわかりませんが、ニーチェは他殺論です。
誰が、ころしたのか? 誰がころがしてしまったのか?
「朗らかな知識」でニーチェは世俗の人々に笑われながら、神を探し回る男に言わせている。「なんだと。神はどこへ行ったかだと。それなら、俺がお前たちに言ってやる。俺たちが神を殺したのだと。俺とお前たちとだ」
信仰論として見れば、神聖なものへのあらゆる畏れを失ってしまった現代を的確に指摘しているとも言えよう。神は、人生の意味を象徴している。神の消滅は人生のあらゆる意味の消滅を意味する。ここまでで、終わるならばニヒリズムである。
ニーチェはさらに進む。超人の思想、生の肯定の哲学を構想する。
「ヨーロッパ思想入門、岩田靖夫、岩波ジュニア新書」
では、本題の認識論としての神の死について
カントの認識論を否定、超克する形で、「神の死」は提出される。
カントでは、さまざまな生物の認識はそれぞれの感官のありように従って″限定々されている。たとえば、アメーバよりとんぼの認識が、とんぼより犬のそれがいわば限定の度合が少ない。そして人間がいちばん高度な認識を侍つ、と考えられる。しかしこの認識の高度化ということを理念的に
引きのばすと、全く何の限定も受けていない「完全な認識」というものが想定される。こういう認識を侍つのが神だとすると、世界の客観、つまり物自体としての世界は「神のみぞ知る」ということになる。
こうしてカントでは、人間や犬などによって認識される″限定″された「経験の世界」と、神だけが知りうるような「物自体の世界」(=本質世界)が分けられてしまうのである。
ニーチエの考えでは、こういうカント図式から神の持つ「完全な認識」という項がとり払われたと考えればぃい。ニーチエでは「神は死んだ」からである。
するとただいろんな主観の数だけのいろんな認識があるだけだ、ということになる。完全な認識などどこにもないし、したがって「客観世界」というものもない。
あるのは絶えざる生成としてのカオスの世界といったもので、さまざまな生命体は、自分に固有の生のエネルギー(=力への意志)に応じて(都合のぃぃように)このカオスを解釈しているだけだ、ということになる。
とんぼにはとんぼに固有の世界の秩序があり、それと同じ権利で、人間には人間によって解釈された世界がそれなりの秩序(コスモス)を待って現われるのである。
ニーチエはこういう考え方によって、近代哲学のさまざまな前提、「真理」概念、因果論、客観世界、主‐客問題を根もとから否定してしまった。すぐに分かるように、これは世界それ自体の秩序を否定して、むしろその原因を「心」(‥生命体の力への意志)という原理に求める点で、ソクラテスときれいに重なっているのだ。
また、「完全な認識」がなく、したがって「客観」という概念それ自体が背理だと考えた点で、フッサールの先がけをなしているのである。
世界認識の体系の否定、それは、その頂点に位置するキリスト的神の死を意味することになったのである。
そして、ニーチェは生身の人間の「生」と、その内面の「心」の探求へとむかったのである。
さて、ニーチエの「心の原理」をひとことでいうと、本来人間はエロスや美に向かい、力や創造に向かうものだ、ということに尽きる。ところが、そういう人間本来の欲望を十全に発揮して生きられる人間はまれである。
人間は多くの場合自分の弱さにからまれ、他人や社会に対するルサンチマン(恨み)を生きてしまうのである。このルサンチマンは、自分が不遇なかたちでしか生きられないことからくる攻撃欲求を生み、それが屈折して、「悪」や「無」(世界よ滅びてしまえ)への欲望を作り出す。
キリスト教の教義や道徳哲学は、ニーチエに言わせれば「生の否定」の思想であり、それが高じると、聖なるものへの敵意、反動としての「悪」(涜聖)や「無」(ニヒリズム)への欲望が生じることになるのである。
自分を知ることの意味
ソクラテスは「汝自身を知れ」と言ったが、「自分白身を深く知ること」は口で言うほど簡単ではない。それは一種の技術、言葉による技術を必要とするのだ。優れた哲学者たちは例外なく、その技術をわたしたちによく教えてくれる。
だがわたしたちはいったい何のために「自分自身を知る」必要があるのだろうか。わたしの考えではそれはこういうことだ。人間にとって単純に自分の状態を知るということは、べつに大した意味を持たない。自分のルサンチマンや弱さや力の限界をよく知ることはそれなりの意味を侍っているが。
大事なことはむしろ、自分と他人との関係のありようを知るということであり、それを通してしか、自分を深く知るということはできないと考えたほうがいい。
自分を深く知るとは、だから自分が持っている関係を、その原理を深く知るということであり、それを深く知ることは、この関係をつねに豊かでよいものに作り換えてゆくひとつの技術だということである。このことはまた、関係そのものにつきまとうエロスを高めることでもあるのだ。
「哲学入門、竹田青嗣、ちくま学芸書房」
仏教基礎講座
Amebaのブログに訪問いただいた
仏教講師 おかもん さんのブログに訪問。
いい話が聞けました。聖徳太子の
「和を以って貴しとなす」に続きがあるという。
和を実現していくための手立てが書かれているそうです。
そのためには、話し合う努力を粘り強く続けなさいと。
日本の国会議員の皆さん、世界の国のリーダーの
皆さんに聞かせたいですね。全く。
仏教の基礎知識も分かりやすく解説されています。
お勧めブログです。