つれづれフォト・日記 -10ページ目

陣馬山登ってきました!

高尾山の稲荷山コースから入って、小仏城山、景信山、

陣馬山と縦走してきました。

あいにくの曇りで景色は残念でしたが

新緑が実に鮮やかでした。小鳥たちの声と共に、

若芽の緑が心を癒してくれました。

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小仏峠では、狸が迎えてくれました。

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午後3時前、陣場山登頂。けんちん汁とおにぎりを食べて

下山開始。JR藤野駅へ降りて、午後6時帰宅。

下山は、まだ元気あり、トレイルマラソン風に、

国道まで約5K、走って降りてみました。


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新幹線と鶴見川

連れ合いが博多へ帰省するので、新横浜まで送っていく。

のぞみである。

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帰り、鴨居で降りて鶴見川沿いを歩く。ララポートヘ行く大橋に、
子どもたち手作りのこいが泳いでいる。

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小机方面へ、川沿いのサイクリングロードを歩く。
花々や桜葉が鮮やかである。

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5年前まで、ここを歩いて職場へ向かっていた。懐かしい道である。
天気がいいと、後方に富士がよく見える。

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新緑が美しい!

通勤の往復の道にある緑地の

林の中です。

新緑が美しいので

とってみました。

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多摩学習センター

この土日は、放送大学の講義を受けてきた。

初めて多摩学習センターへ。

佐藤康邦教授のカントとニーチェ。


「近代哲学における生命概念の考察」

のテーマながら、テーマには沿ってない展開であった。

学習センターのあるところが、いい。


一橋大学国際センター、今はなき父が通っていたところ。

東京商科大学予科の跡地。


設備もよく、家からも近いので、

こちらに、所属変更をするつもりである。

弘明寺、神奈川学習センターは遠かった。


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ダカーポコンサート

横浜の関内ホールでのダカーポコンサートにいって来た。

東日本大震災チャリティコンサートである。


西は鹿児島から北は苫小牧まで、全国からファンが集ってきていた。

石巻の被災者からのメールを紹介していた。


ニュースを聞きたくて、CDラジカセをつけたら、ダカーポのCDがかかって「野に咲く花のように」が聞こえてきた。


懐かしくて何十回となく聴いているうちに、涙が溢れ、生きる勇気が

湧いてきたと。


「その方が、今日、会場に参加されています」と紹介されると、なんと

「私、気仙沼から来てます!」との声。


会場からは、大きな拍手が送られた。心温まるコンサートであった。

ユーチューブのダカーポサイト
http://youtube1.e-lesson1.com/051dakaapo.htm
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炉心溶融は予測されていた!

観月蛍さんのアメーバブログより、転載させていただきました。


共同通信によると、

『経済産業省原子力安全・保安院が、震災当日の11日夜、東京電力福島第1原発事故に関して、3時間以内の「炉心溶融」を予測していたことが27日、分かった。


また翌12日未明には放射性ヨウ素や高いレベルの放射線を検出、原子炉の圧力を低下させる応急措置をとる方針が決まったが、実現するまでに半日も要した。政府文書や複数の政府当局者の話で判明した。


政府原子力災害対策本部の文書によると、保安院は11日午後10時に「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」を策定。炉内への注水機能停止で50分後に「炉心露出」が起き、12日午前0時50分には炉心溶融である「燃料溶融」に至るとの予測を示し、午前3時20分には放射性物質を含んだ蒸気を排出する応急措置「ベント」を行うとしている。


保安院当局者は「最悪の事態を予測したもの」としている。評価結果は11日午後10時半、首相に説明されていた。

この後、2号機の原子炉圧力容器内の水位が安定したが、12日午前1時前には1号機の原子炉格納容器内の圧力が異常上昇。4時ごろには1号機の中央制御室で毎時150マイクロシーベルトのガンマ線、5時ごろには原発正門付近でヨウ素も検出された。


事態悪化を受け、東電幹部と班目氏らが協議し、1、2号機の炉内圧力を下げるため、ベントの必要性を確認、4時には保安院に実施を相談した。また菅首相は5時44分、原発の半径10キロ圏内からの退避を指示した。


だが東電がベント実施を政府に通報したのは、首相の視察終了後の8時半で、作業着手は9時4分。排出には二つの弁を開く必要があるが、備え付けの空気圧縮ボンベの不調で一つが開かなかった上、代替用の空気圧縮機の調達に約4時間を費やし、排出が行われたのは午後2時半だった。』

首相の視察は、実に最悪のタイミングで行われていたことがわかる。

緊急を要する事故対応の最中、何のために視察を行ったのか。

右往左往するよりも、今後の東北地方の復興策を構想し、優先順位をつけて

提示することが必要なのではないか。

原発の危険性を訴える!

今はなき平井さんという、原子炉で働く労働者の救済に尽力されていた方の手記を見つけました。みんカブメールに紹介されていました。

内容を少し、紹介しておきます。

原発がどんなものか知ってほしい(3)

素人が造る原発

 原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。それは現場にブロの職


人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。机上の設計の議論は、最高の技量を持った職人が施工することが絶対条件です。しかし、原発を造る人がどんな技量を持った人であ


るのか、現場がどうなっているのかという議論は1度もされたことがありません。

 

原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。

 

日本の原発の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。しかし、これは設計の段階までです。施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです。

 

仮に、自分の家を建てる時に、立派な一級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官屋の腕が悪かったら、雨漏りはする、建具は合わなくなったりしますが、残念ながら、これが日本の原発なのです。

 

ひとむかし前までは、現場作業には、棒心(ぼうしん)と呼ばれる職人、現場の若い監督以上の経験を積んだ職人が班長として必ずいました。職人は自分の仕事にプライドを持っていて、事故や手抜きは恥


だと考えていましたし、事故の恐ろしさもよく知っていました。それが十年くらい前から、現場に職人がいなくなりました。全くの素人を経験不問という形で募集しています。素人の人は事故の怖さを知らない、な


にが不正工事やら手抜きかも、全く知らないで作業しています。それが今の原発の実情です。

 

例えば、東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、1歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。


本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大事故につながるかの認識は全然なかったのです。


そういう意味では老朽化した原発も危ないのですが、新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。

 

現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように、工事がマニュアル化されるようになりました。


マニュアル化というのは図面を見て作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、現場で1番と1番、2番と2番というように、ただ積木を積み重ねるようにして合わせていくんです。


そうすると、今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。こういうことも、事故や故障がひんぱんに起こるようになった原因のひとつです。

 

また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。


原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。

これではちゃんとした技術を教えることができません。それに、いわゆ


る腕のいい人ほど、年問の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。だから、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。

 

また、例えば、溶接の職人ですと、目がやられます。30歳すぎたらもうだめで、細かい仕事が出来なくなります。


そうすると、細かい仕事が多い石油プラントなどでは使いものになりませんから、だったら、まあ、日当が安くても、原発の方にでも行こうかなあということになります。

 

皆さんは何か勘違いしていて、原発というのはとても技術的に高度なものだと思い込んでいるかも知れないけれど、そんな高級なものではないのです。

 

ですから、素人が造る原発ということで、原発はこれから先、本当にどうしようもなくなってきます


原発がどんなものか知ってほしい(4)

名ばかりの検査・検査官

 原発を造る職人がいなくなっても、検査をきっちりやればいいという人がいます。しかし、その検査体制が問題なのです。


出来上がったものを見るのが日本の検査ですから、それではダメなのです。検査は施工の過程を見ることが重要なのです。

 

検査官が溶接なら溶接を、「そうではない。よく見ていなさい。このようにするんだ」と自分でやって見せる技量がないと本当の検査にはなりません。


そういう技量の無い検査官にまともな検査が出来るわけがないのです。メーカーや施主の説明を聞き、書類さえ整っていれば合格とする、これが今の官庁検査の実態です。 


原発の事故があまりにもひんぱんに起き出したころに、運転管理専門官を各原発に置くことが閣議で決まりました。


原発の新設や定検(定期検査)のあとの運転の許可を出す役人です。私もその役人が素人だとは知っていましたが、ここまでひどいとは知らなかったです。

 

というのは、水戸で講演をしていた時、会場から「実は恥ずかしいんですが、まるっきり素人です」と、科技庁(科学技術庁)の者だとはっきり名乗って発言した人がいました。


その人は「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった。折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチ養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。


そういう何にも知らない人が原発の専門検査官として運転許可を出した。美浜原発にいた専門官は三か月前までは、お米の検査をしてい


た人だった」と、その人たちの実名を挙げて話してくれました。このようにまったくの素人が出す原発の運転許可を信用できますか。

 

東京電力の福島原発で、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した大事故が起きたとき、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と報道してい


ましたが、その人は、自分の担当している原発で大事故が起きたことを、次の日の新聞で知ったのです。なぜ、専門官が何も知らなかったのか。


それは、電力会社の人は専門官がまったくの素人であることを知っていますから、火事場のような騒ぎの中で、子どもに教えるように、


いちいち説明する時間がなかったので、その人を現場にも入れないで放って置いたのです。だから何も知らなかったのです。

 

そんないい加減な人の下に原子力検査協会の人がいます。この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先ですから、全然畑違いの人です。


この人が原発の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知りません。ですから、検査と言ってもただ見に行くだけです。


けれども大変な権限を持っています。この協会の下に電力会社があり、その下に原子炉メーカーの日立・東芝・三菱の三社があります。


私は日立にいましたが、このメーカーの下に工事会社があるんです。つまり、メーカーから上も素人、その下の工事会社もほとんど素人ということになります。


だから、原発の事故のことも電力会社ではなく、メー力-でないと、詳しいことは分からないのです。

 

私は現役のころも、辞めてからも、ずっと言っていますが、天下りや特殊法人ではなく、本当の第三者的な機関、通産省は原発を推進しているところですから、


そういう所と全く関係のない機関を作って、その機関が検査をする。そして、検査官は配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの職人が検査と指導を行えば、


溶接の不具合や手抜き工事も見抜けるからと、一生懸命に言ってきましたが、いまだに何も変わっていません。このように、日本の原発行政は、余りにも無責任でお粗末なものなんです。


詳しく知りたい方は、

http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html#page2t

を開いてみて下さい。

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放射線被害に冷静な対応を!

東京大学医学部附属病院放射線科 中川恵一准教授に聞く

-放射線を浴びることに不安の声が聞かれますが。

中川 放射線は普段の生活の中で誰もが自然に浴びているものです。その量は、国や地域によっても違いますが、世界の平均で年間2.4ミリシーベルトという量を浴びています。イランのラムサール地方ではその4倍で、年間約10ミリシーベルトですが、それでも問題があるわけではありません。

今回の福島原発の事故によって、各地で観測されている放射線量は多少増えてはいますが、健康に影響のある量ではありません。


-どれぐらい浴びると健康に影響が出るのですか。

中川 放射線量が1000ミリシーベルトを超えると、吐き気などの症状が出ます。それよりも大幅に低い100ミリシーベルト程度の放射線量であれば症状もなく、血液検査でも、白血球の数値が下がるなどの異常は見られません。

しかし、この100ミリシーベルトの蓄積があれば、発がんリスク(危険性)は若干高まります。ただ、それはごくわずかで0.5%程度の確率です。日本人はもともと2人に1人、50%の確率でがんになりますが、それが50.5%になるという程度のことです。



-今回の事故で、一部に「東京も危ないから大阪に引っ越す」などの話もあるようですが

中川 過剰に反応する必要はありません。東京の場合、全く問題ありません。

-放射線を一度に浴びた場合と長時間浴びた場合の違いは

中川 例えば、原発の作業員などが、事故で一度に大量の放射線を浴びるようなケースは危険です。

しかし、普段の生活の中で少量を浴び続けたとしても、生物のDNAは、放射線で一時的に壊されてもすぐに修復されるので、人体に与える影響は小さいのです。

例えば、東京周辺では、1時間当たり1マイクロシーベルト(0.001ミリシーベルト)程度の放射線が観測されましたが、この量で先ほどの100ミリシーベルトに達するのには11年かかります。しかし傷つけられたDNAは日々修復されてしまうため、医学的にも影響はありません。

退避地域内 家の中で窓を閉めて

-退避地域内の住民などで、放射性物質を浴びるのを防ぐための注意点は。

中川 放射性物質を体内に取り込む「内部被曝」を防ぐことが大切です。

基本的には、花粉の対処法と一緒です。外ではマスクやぬれたタオルで鼻や口をふさぐ。肌の露出は避け、家に帰ったら、玄関に入る前に頭や着衣をよく払うことなどが大切です。

また、家の中では外気とともに放射性物質が侵入しないように窓を閉めることも大切です。用事がないなら家にいたほうが安全です。

-ほかに注意すべき点は。

中川 とにかく、行政の指示に従って行動すれば、特段注意することなどはありません。

                           (公明党HPより転載)


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細山郷土資料館

仕事の帰り、納会まで時間があったので、

細山郷土資料館を訪ねる。

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消防用のポンプ車。こんなもので火が消せたのか。

気休め程度だったのでは。

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木製リヤカーである。今はリヤカーを知らない人も多いだろうが、

手車(てんぐるま)といった。

地震の影響で、休館中で中に入れなかったので、残念であるが、

外から見える展示品はこれだけ。


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資料館全景。
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1783年の浅間山大噴火の影響で大飢饉になった当時、

近郷の農民に食糧を配った白井治良衛門を讃える。

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納め会には、まだ時間があり、新百合駅前のカフェOBで

しばらくコーヒータイム。ここは、仕切りがしっかりしていて、

個室風で落ち着ける。


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3月11日のこと

職場を終えて帰途に着いたのが、地震があった15分後の、午後3時ごろ。

道路を歩いていると、余震が。建物が、石積みの塀が、電信柱が揺れている。

ハッと気がついて、歩道から車道脇へ出て歩く。

40分ほど歩いて、新百合の駅に着くが、電車は動かず。

携帯を忘れてきたので、公衆電話を探して、自宅へかけるがつながらない。


麻生川に沿って、30分ほど歩き、柿生駅へ。まだ、電車は動かず。

ここでも、近くのスーパーで電話するが、かからず。

少し、食糧を買い込んで、歩き始める。

柿生駅を抜け、麻生川から離れ、鶴見川を探し、そちらに移り、

川沿いを鶴川、町田に向かう。


職場から自宅まで、このルートを自転車で帰ったことがあるので

覚悟して、ジョギングのつもりで走りながら、帰ることにする。

停電で、ゴーストタウンんとなった町田は、店はほとんど閉まり、信号が止まり、警官が手信号で誘導している。トイレを探すがない。

図師町辺りで、ミニストップが開いていて、助かった。トイレを済ませ、すっきりしてしばらくいくと、境川にぶつかる。


境川を相原方面へひたすら走る。6時をすぎ暗くなってきたので、川沿いの道を離れ、車道に出る。車道は、車のライトがあり、助かる。

16号にぶつかり、津久井街道へ。バスも走っていたが、ここまでがんばった意地で、乗らず走り続ける。


午後8時30分、自宅に着く。

自宅は真っ暗、妻は布団に包まって寝ていた。オール電化で暖房なく、布団で暖を取っていた。

それにしても、大変な災害で、しばらくは、余震を警戒して臨戦態勢で過ごすことが必要だ。


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