11/25でブログを始めて丸5年が経ちました。
月に2、3本のペースなので年数の割に記事数は少ないですが
毎回、精魂を込めて書かせていただいています。
これからもマイペースで取り組んで行く予定ですので
一つよろしくお願いいたします。
現在のご報告から
次回の更新予定の記事に身も心もかなりのめり込んでいる最中で
更新までにまだしばらく時間がかかりそうです。
取り寄せしている資料が手元に届くまでの間に、いつも手元におき少しずつ読んでいる
森有正氏のエッセイを開いたらちょうど気になっていた言葉が目に飛び込んできました。
“パスカルの三つの秩序”
実は森氏の本を手に取る直前に以前に買ったまま中途になっていた
パスカルの「パンセ」の後方にある解説ページを読んだりしていたのですが
“断章の中で「三つの秩序」はパスカルの根本思想を示す一つ”と書かれていて
ちょうど本文のそのページを拾い読みしたばかりでした。
でも大学の卒業論文が『パスカル研究』だった森氏ですし
私が分厚い中公文庫のパンセ(前田容一、由木康 訳)を買ったのも
彼の影響があってのことなので不思議ではないのかもしれません。
ウ~ン。どうもねー
出だしの挨拶文がそうさせたのかついつい…この文体だと自分でないような
よそよそしさを感じてしまうので次の本文からいつもの調子に戻します(笑)
森有正氏のことをご存じない方や関連記事に触れるのは初めてという方は
まずこちらのリンクからご覧いただければ幸いです。
ところで先に挙げた<パスカルの三つの秩序>だがそれについて直接語ることが今回の目的ではない。
それはまだまだ自分にとって手に余る問題だと思われるし、森氏のエッセイの中で自分が理解できたと心から思えるようなものだけを、これからときどき少しずつ紹介していけたらと思っている。
思うに、普通の人々にとって哲学や思想などは、難しい用語を大上段に振りかざしても意味はない。
いろいろある人生、その時々で迷ったり悩んだりするとき、自己啓発本やカウンセラーに頼るのも一つの方法だろうが、最終的に大事なのは自分の頭で考えることなんじゃないかと私はいつも考えている。
私にとってそのきっかけを与えてくれたのが森有正氏の思想的エッセーと呼ばれる本書なのだ。
今回は昨日読んだ部分の中から一つ、「ああ、そうだったのかー」と改めて納得した箇所を一つ、それは森有正という人がどういう人だったのかを伝えるためにちょうど良い機会になると思うのでここに紹介する。
カフカという作家は御存じの方も多いと思うが、それについて始まる文章から少し引用する。
カフカに就いては、ほとんど知るところがない。作品としては「変身」を仏語で読んだだけであり、それには殆ど感動しなかった。しかしこの書簡集は強く僕をうった。リールケがルー・アンドレアス・サロメにあてて書いた、彼の若い日の「フィレンツェ日記」と同様に、ある点では、それ以上にさえ僕をうった。僕は自分の書き続けてきた手紙、あるいは手記の中では、愛の問題、それに関連のある事柄は、意識的にこれを省いてきた。時たま、極めて間接的にそれを暗示したに止まる。しかし、それは僕にとって、根本的な問題であった。孤独の問題は愛の問題にほかならないからである。
「孤独の問題は愛の問題にほかならない」なんて
森氏という存在がいっそう身近に感じられる部分だ。
で、森氏をそれほど感動させた
彼の心をうった作品とはなんであったのか?
それはこの文章の前に書かれている。
「カフカからミレーナへの手紙」の仏訳。
「この厖大な愛の書簡集は僕の魂を根底から揺がした」とも書かれてある。
私が「ああっ」と思った点はもう一つ。
実は自分が「カフカからミレーナへの手紙」の書簡集を持っていること。
(随分昔に古本屋で見つけて買ったもののまだ読んではいない)
例のパスカルの「パンセ」の場合もそうだったが
やっと機が熟したというか読むべき時向き合う時がやって来たのだ!
などと一人感慨に耽っているところである。
これぞ「本との出合い方、向き合い方」じゃないかとも思ったわけなのだ。
まだの方はぜひご一読を
次回は「カフカからミレーナへの手紙」ではありませんが
前回の「O嬢の物語」に引き続き
“恋愛の本質について考える”第2弾の記事の予定です。
ぜひご期待下さい!!
よろしくお願いします