シリーズ『毒親』では私の両親のことを色々と書いていますが、Amebloでは、ある意味赤裸々に自分の家族のことを語りながら、『心理学』と自身の経験、体験からの分析と考察、そして、人が見えないものが見える人ではないけれど、強い感受性を持って生きているHSPとしての直感と直観を頼りに、今必要な、今書くべき内容をひねり出し、書き続けているしだいです
それによって、同じ思いを抱えて生きていたり、親からの呪縛や支配による自動思考で悩み苦しんでいる人の気持ちを、少しでも和らげることができれば幸いという思いで書いています。だって私とは比べ物にならない、それこそ大変な家庭環境で生きてきた人なんて山ほどいるわけですからね。離婚、未婚、虐待、心身ともの様々な病気や障害etc.etc.
それを考えると、私は、その隙間にいる人との関わりが多い人生を送ってきました。両親と祖父母(曾祖母もいた)がいる家族で育ち、その両親も祖父母も社会的に信用があり、普通に考えるととても恵まれた環境でした。周りから見ても何が不満なのか、親に感謝こそすれ、恨むなんてありえないと言われることでしょう
本当におっしゃる通りです。もちろん、父にも母にも絶大なる感謝があります。ただ父と母の人生を振り返り、その夫婦関係を考えた時に、私とはまったく違うわけで、そこに関してお手本にするつもりはない、むしろ反面教師で、私は自分のパートナー含む『家族』を一番大切にしようと決めたまで…
『家族』とは、多くを話さなくても自分の気持ちを分かってくれて、すべて明け透けで決して嘘をつかず正直な会話、感じたままの正直な態度を取っても大丈夫ってかだから母は心身ともに病んだのだと、私は考えていますけどねもうあちらに行かれましたので、楽にはなっていると思いますが、「なんで自分の家族に、気を遣わんとアカンのじゃ~」と言うたよね今では違う角度からこの父の言葉を理解することもできるようになりましたが(したくないけどw)、その時、10代の私の心に深く突き刺さったナイフはなかなか抜けないものなんです
だからね、その時に沸き上がった怒りに任せて、愛する『家族』に罵詈雑言を浴びせてはいけない言った方はそれを忘れても、言われた方は潜在意識のレベルで覚えています。まさに「いじめ」と同じ
そしてその『家族』とともに、その後も暮らしていく…ということは、何かのきっかけでそれが何度も思い出され、その時の感情が再現されるわけで、それを忘れたり乗り越えたりすることは、実はなかなか難しかったりします。
これが俗に言う”トラウマ”です
ここで人間にできることネガティブを心の奥底に押し込めず、手段を選んで外に出す。私はノートに書きなぐることにしています
確かに人に聞いてもらうという手段もありますが、これは私達の嘔吐物を、やさしい誰かに浴びせることになってしまう…相手がどれだけあなたの信頼する人で、素晴らしい人であっても、やっぱりそこに喜びや幸福感は生まれませんだから人に依存せず、自分できちんと処理することが大切だと私は考えています。
「話す」ことも人間にしかない能力ですが「書く」も同じで、人間にしかできないアウトプットの方法ですよねでも後者は、周りの人に迷惑をかけないということで「話す」より優れています。「話す」はどうしても、良くも悪くも周りに影響を与えてしまいますから
私は随分、頭が整頓されてきています根本は『心理学』の学びと「書く」という習慣のお陰だと感じていますそして今は大きくなった愛する我が子二人(16歳と18歳)と会話する時、負の連鎖はほぼ断ち切れたことを確信できるのです。
「ママは僕を、特別な子、すごい子と言って育ててくれたもん」
「ママは、がんばってきたと思うで~」
「ママは、いつも褒めて育ててくれたよね」
「ママは、とにかくおもろいわ」
と言ってくれる息子と娘に感謝
一番近くにいる大切な『家族』にかける言葉話す言葉と書く言葉…言葉は人間にしか使えません。だからこそ私達人間は自分で呪縛を解き、何者かの支配から解放され、自由になり、宿命を転換できるのだと私は思うのです
さぁ、今日から自分にできることをやってみましょう私もやりますね