昭和17年8月1日・ひっそりと除籍された「伊号第百五十二」潜水艦 | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

今日から8月ですね。相変わらず暑い一日で、外に出るとすぐ汗だくになります。

 

大東亜戦争における艦船の喪失日を調べるのに、池川信次郎氏の著作で、三好誠氏が監修されている、元就出版社から2004年9月に発行された「戦時船舶喪失史」をよく使っています。

A5版で480ページほどの書籍なので、手に取りやすいんですよね。

 

「戦時艦船喪失史」

 

今日も、この書籍をペラペラめくり8月1日を見て行くと、「戦時中の全艦艇と喪失状況」の表内の、昭和17年8月1日に「潜水艦イ号152 老齢により 除籍」と書かれています。

 

大東亜戦争中に老齢艦が除籍された実績はそう多くなく、調べてみる気になりました。

 

「伊号第百五十二」潜水艦は、大正7年度に立案された「八六艦隊案」により計画され、大正11年2月に呉海軍工廠で起工、大正14年5月に竣工しています。

なお、建造中は「第五十一」潜水艦の名称で建造されましたが、建造中の大正13年11月潜水艦の命名法が変更され、「伊号第五十二」潜水艦と改名されています。

【要目】

 排水量(水上):1,390トン、(水中):2,500トン、全長:100.85m、最大幅:7.64m、吃水:5.14m

 機関:ズルザー式3号ディーゼル機関×2、軸数:2、乗員数:58名

 出力:(水上)6,000馬力、(水中)2,000馬力、速力:(水上)20.1ノット、(水中)7.7ノット

 兵装:12cm45口径単装砲×1、53cm魚雷発射管×6(艦首)、2(艦尾)、搭載魚雷16本

 安全潜航深度:45.7m

 ※出典:世界の艦船「日本潜水艦史」増刊第37集、No.469、1993年8月、海人社、P.45

 

一等潜水艦「伊号第五十二」潜水艦

(引用:「日本潜水艦物語」福井静夫、1994年12月、光人社、口絵P.6、一部加工)

 

「伊号第五十二」潜水艦は、同時期に計画され一足早く竣工した「伊号第五十一」潜水艦と同様に、同型艦は無く試験的な潜水艦として建造されました。

 

なお「海大型」とは「海軍大型」の略称で、水上で高速を発揮し艦隊と共に行動して敵艦隊と対決することを想定して建造された潜水艦です。

これに対し「巡潜型」は、通商破壊戦を主目的とした水上速力の向上と長大な航続力を持つ潜水艦であり、用途が異なります。こちらは以前取り上げた「伊号第一」潜水艦から続く系列です(「Uボート」と同型の「巡洋潜水艦・伊号第一」で起こった痛恨の出来事)。


「伊号第五十二」潜水艦は速力20ノットを超える高速を目指した設計がなされ、その主機は「伊号第五十一」潜水艦では間に合わなかったスイス・ズルザー社製の3,400馬力を発揮する大出力ディーゼル機関を搭載し、公試では速力21.5ノットを記録しています。しかし新型のズルザー機関は故障が多く、実用では19.5ノットにとどまったといわれています。

 

「海大型」は、「海大1型」と呼ばれた「伊号第五十一」、および「海大2型」と呼ばれた「伊号第五十二」による実績を基に、改良した海大3型a・海大3型bが量産され、以後の海大型の基礎を作った画期的な艦と言えます。

 

一等潜水艦「伊号第五十六号」潜水艦(海大3型b、引用:Wikipedia)

(published by 海軍協会 (The Navy Association of Japan) - The Japanese book "軍艦写真帖" (pictures of warships) a revised edition, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=321495による)

 

「伊号第五十二」潜水艦は竣工後、大正14年12月に「伊号第五十一」と組んで第二艦隊第2潜水戦隊第17潜水隊を編成し、主に訓練に使用されます。

 

潜望鏡深度で魚雷を発射する「伊号第五十二号」潜水艦

(引用:「写真 日本の軍艦第 第12巻 潜水艦」1990年7月、光人社、P.39)

 

当時の潜水艦の寿命は17年から20年と短く、所属艦の老巧化から昭和10年11月には第17潜水隊は解体され、「伊号第五十二」潜水艦は呉鎮守府附属となり、昭和14年2月には舞鶴鎮守府に転籍しますが、大東亜戦争開戦時には呉に戻され専ら練習潜水艦として使用されました。

 

昭和17年5月20日には、新造された一等潜水艦の艦番号付与の関係で「伊号第百五十二」潜水艦と改名し、2か月余りを経た昭和17年8月1日付で老朽化により除籍されます。

除籍後は「廃潜水艦第14号」と仮称され、呉軍港内に係留された状態で潜水学校の係留訓練艦として終戦まで使用されます。

 

終戦にともない、昭和21年には播磨造船所へ運ばれ解体、帝国海軍・海大型のパイオニアは姿を消します。

 

 昭和21年・播磨造船所で解体される「廃潜水艦第14号」(左)

(右)は「廃潜水艦2号」(旧「呂号第十三」潜水艦)

(引用:「写真 日本の軍艦第 第12巻 潜水艦」1990年7月、光人社、P.39)

 

なお、「伊号第五十二」潜水艦の名前は二代目に引き継がれますが、この潜水艦については以前ブログに取り上げています(遠く大西洋に眠る「伊号第五十二」潜水艦)ので、そちらをご覧ください。

 

「伊号第五十二」型(丙型改)の「伊号第五十三」潜水艦

 (引用:世界の艦船「日本潜水艦史」増刊第37集、No.469、1993年8月、海人社、P.72)

 

大東亜戦争の激戦の中で、こんな形でひっそりと生涯を終えた潜水艦があったことについて、取り上げてみたくなった今回のブログでした。

 

【参考文献】

 Wikipedia および