ホンダセンターの屋外テントに向かって、ドリンクの列が2列あった。僕はそのうち右のほうに並び、自分の番が来るのを待った。僕の前に居たのは白人のカップル。彼らがドリンクを受け取り、さあ僕の番だ、と思いきや、スタッフがどこかに行ったきり帰ってこない。彼が戻ってくるのを待っていると、何事も無かったのように、そして当たり前のように「キャッシャーがあるのはこっちだから、こっちに並ぶんだよ」と、左の列のスタッフ。いや、ふざけんなし。さっきのカップルはこっちの列でドリンクを買えて、俺が買えないってどういうことだよ。"Thank you for the special Asian treatment"とでも皮肉を言えばよかったかな、と後になって思ったけれど、そんな気の利いた言い回しがとっさに出てくるほどのセンスを、僕は有していなかった。今年8月のことだった。


上述の経験は、米国における人種的マイノリティとしての最初の被差別体験だった。いい人とばかり出会ってきたせいか、あるいは自分が鈍感なせいか、これまでの米国旅行で自分が「差別された」と感じたことはなかったのだ。それだけに、あのキャッシャーこっち野郎がとてもムカついて、クレジットカード認証後にチップの額を選ぶ画面では、当然のごとく0ドルを選択してやった。そうとはいえ、僕が失ったのは、来ることのないスタッフを待った2分程度だ。その一方で、"Driving While Black"(黒人でありながら運転すること)なんて言葉があるように、車を運転しているだけで犯罪者扱いされ、命を失ってしまう人たちだっている。彼ら黒人の苦悩を僕が真に理解する日は、たぶん一生訪れないだろう。それに、日本人男性の僕は、普段暮らしているこの国ではマジョリティだ。だからなのか、ジャスティン・ティンバーレイク(Justin Timberlake)がいまいち黒人コミュニティに認められないのを気の毒に思ってしまうし、ケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)の婚約者がライトスキンだという理由で一部の人々が彼を非難しているのを見ると、彼らは閉鎖的だなとさえ思ってしまう。JTやケンドリックがそう言われる背景に想像力を働かせる前にそう考えてしまう自分が時々嫌になるけれども、それは結局のところ、きっと自己憐憫にすぎない。ヒップホップやR&Bといった、いわゆるブラック・ミュージック(もちろん黒人だけの音楽ではないが)を題材に文章を書く人間として、この態度は正しいのだろうかと、悩むことも少なからずある。その「悩み」が、彼らの苦悩を真に理解できないことに由来するものであることを理解しているから、これって自己憐憫にすぎないよなという、終わりのないループに陥るのである。





アンジー・トーマス(Angie Thomas)の著書『The Hate U Give』(2017年)は、そんな僕にも手を差し出してくれるような小説だった。いささか一方的かもしれないけれども、そう感じた。主人公のStarrは勇敢な(彼女は"brave"という言葉を初めは嫌うけれども)16歳の黒人の女の子で、彼女がいかに明るい未来への希望を捨てていないかを本編最後の言葉から感じ取るとき、僕はひとりスタンディング・オベーションを送りたくなる。同作はなにも偽善と綺麗事で塗り固められたものではないことも、同時に強調しておきたい。どんなに希望に満ちたエンディングを迎えようとも、Khalilは戻ってこない。オスカー・グラントも、アイヤナ・ジョーンズもトレイヴォン・マーティンも帰ってこない。One-Fifteenが起訴されないという判決が下った時、そこにはむき出しの絶望と憤怒がある。「怒りをぶちまけるだけじゃ物事は進展しない」なんていう正論が入り込む余地は、そこにはほとんど無い。母=Lisaの教えに従って付き合うメリットとデメリットを天秤にかけた結果、Haileyの電話番号はStarrの携帯電話から削除される。これは、生きていくうえで切り捨てざるをえないタイプの人間の存在を認めることに他ならない。


『The Hate U Give』はStarrだけの話ではない。マイノリティが声を挙げることの大切さを、彼女だけでなく、彼女の友人=Mayaも教えてくれる。特権階級たる白人は蚊帳の外? そんなことはない。『The Fresh Prince of Bel-Air』とエア ジョーダンをこよなく愛するChrisは、Starrにとってこれ以上ないくらいに心を許せる理解者だ。もちろん、マック&チーズにパン粉を使うなんて言った日には、袋叩きに遭うことを覚悟しなければならないが。


個人的に感慨深く、そして痛快にも感じたのが、ストリートの「スニッチしてはいけない」という掟にも、同作がアンチテーゼを示していることだ。僕はテカシこと6ix9ineを全面擁護する立場にはもちろんないけれども、ストリートを覆い尽くすスニッチへの忌避感を外から眺めて半ば辟易していた身としては、警察を味方につける人々の判断が、建設的で希望が持てるものに思えた。ここでの「希望」には願望も多分に含まれることを、今一度認識しておかなければならないが。



繰り返しになるが、何よりもStarrが(つまり著者のアンジー・トーマスが)希望を捨てていないことが強く伝わってくるからこそ、僕らは前向きな気持ちで『The Hate U Give』を読み終えることができる。それは同作の内容だけでなく、デリバリーにも現れている。Starrの一人称で綴られる言葉のチョイスはいちいち面白くて可愛くて、ページを繰りながら思わず微笑んでしまう。ちょっとシリアスな場面でもユーモアを忘れない——これは、強さだと思う。そして、それは精神論だけでなく方法論としても重要なことだ。だって、彼ら自身が沈んだ顔をしていたら、僕らはいつまでも腫れ物に触るかのように、人種差別や彼らのコミュニティの問題と向き合わなければならなくなってしまうから。


Starrたちが明るくいてくれるのだから、もう自己嫌悪と自己憐憫のループからは抜け出そう。気の利いた言い回しが思いつかなかったにしても、あの日ホンダセンターの屋外テントのスタッフに不満をしっかり伝えられた自分を認めてあげよう。真に理解できない物事にも、絶えず心を寄せる努力をしていこう。今すぐ拡声器を手に取ることができないにしても、自分にできることをやっていこう。タイトルだけでなく、同作の中で何度か言及される2パック(2Pac)は、あるインタビューでこんな言葉を残している。


I'm not saying I'm gonna rule the world or I'm gonna change the world, but I guarantee that I will spark the brain that will change the world.

俺が世界を支配するとか変えるとか言うつもりはない。でも、俺は世界を変えることになる脳をスパークするって保証する。


自分が世界を変えられるなんて思ったことは一度もないけれど、やがて世界を変えることになる誰かの脳を、僕の文章がスパークしていたら、こんなに嬉しいことはない。その可能性に、少しでも希望を抱いてみてもいいんじゃないか——『The Hate U Give』はそう思わせてくれる。本作の内容そのものからはズレた感想かもしれないけれど、自分に当てはめてみたとき、それが率直に感じたことだった。それでいいのだと思う。少なくとも、今のところは。こうやって記事で同作を紹介することも、やがて世界を変えることになる脳をスパークすることにつながる第一歩だし、なにより、Starrの言う"better ending"に向かって希望を捨てないことこそが、同作が伝えてくれる一番のメッセージだと思うから。