龍のひげのブログ -526ページ目

報道と真実

日本テレビ社長が、報道番組「真相報道バンキシャ!」における誤報問題の責任をとって辞任した。岐阜県県庁で裏金作りが行われていると同番組内で証言していた男の話が虚偽であったことが発覚し、男は偽計業務妨害容疑で逮捕された。日本テレビ社長は“誤報”の原因について我々に明らかにしようとせず、自らの辞任をもって問題を終結させようとしている。

そもそも報道機関が“誤報”の責任を負うべきなのか。社会に重大な影響力を有する新聞やTVなどのメディアは本来、事実を曲げたり誇張したりせずに国民にありのままを報せる責務を担っているはずである。報道に携わる者は、真実という絶対的な神に仕える敬虔な信者でなければならないとも言えよう。よって“誤報”は神(真実)に背く罪深い過ちだと言えなくもないから、罪悪感を持つのはご当人の勝手である。

しかし真実そのものは神のように不可視である。神の存在がひたすら信じ続けることによって内面的に感得されるものであるのと同様に、“真実”は証拠や状況などから間接的に類推しその本質へと迫ってゆくべきものである。それがジャーナリズムの本道であるべきはずだ。よって敢えて言えば、真実を究めるという誠実さの前において誤報は罪ではない。単に訂正すればよいだけのことである。

民主主義国家の本筋から考えても、市民生活や社会の質に深く関わる役人や政治家の不正について報道機関は、疑うに足るしかるべき理由があれば誤報を恐れず、怯まず積極的に報道するのが本分である。“真摯”に真実を追究することがメディアの仕事であると定義すれば、ある程度の誤報は想定内のこととして社会的に許される範疇に含まれていなければならない。

ところがメディアが何かしら大きな勘違いをしていて、自分たちには神のように真実を作ったり操作できるのだと心のどこかで考えているのだとすれば、その傲慢な思い上がりは万死に値する。もし日本テレビ(あるいは下請けの制作会社)が男の虚偽に騙されていたのではなく、承知していたのだとすれば犯罪の共謀である。社長の辞任と一番組を終了させるだけで済む程度の問題ではない。

ましてや事実の核心を隠蔽しようと画策しているのであれば報道に携わる資格はない。ただちに局として一切の放送業務資格を返上するか、剥奪されるような事態であると言える。

WBC日韓戦

真剣勝負を真剣に見ていると何かしら勝敗を左右する本質的なものが感じられる。WBCの日韓戦をTV観戦していてそのような感想を抱いた。

以前私は、WBCでの日本の戦いは原監督の強運が世界を舞台にどこまで通用するかが見物だと書いた。日韓戦の2試合に関して見れば両試合とも明らかに日本にツキは流れていた。ところが一戦目は日本のコールド勝ちで、二戦目は0対1で惜敗した。この差をどのように考えるべきであろうか。

実は初戦に大勝した直後に観戦記事を書こうとしたのだが、忙しくて書けなかった。今となっては後付の結果論のような文章になってしまうのが残念だが仕方ない。私は強豪、韓国相手にコールド勝ちしたからと言って点差ほどの価値はないのだということを書きたかったのである。韓国には競り勝たなければ勝ち切れたと言えないのである。反対に言えば、韓国は日本を相手に競った時に異様なほど強い。野球だけでなくサッカーも同様である。勝利への気迫というかメンタル的な強さの差が接戦において如実に表れてしまうのである。口惜しいことではあるが事実なのだから認めなければならない。

たとえばもし先日の最終戦で日本がリードしていた状況を想定すれば、2点差ぐらいであれば簡単に引っくり返されていたであろう。正直なところ、日本が韓国相手に僅差で競り勝つということは想像すらし難いことである。それはメンタル的には集中力であり、フィジカル的にはパワーの違いということになるのであろうか。技術的には負けていないはずなのである。

とにかく韓国は強い。当然日本も強いが、強さの質が全然違う。韓国には技術の上に集中力とパワーがある。この二つの要素は日本にとって今後の大きな壁であり、課題でもある。韓国はアーチェリーでも世界一である。集中力を科学的に研究しているであろう国に日本は現状では勝ち切れないし、勝ち越せないであろう。これからの日本は、相手が後進国であれ見習うべき点は謙虚かつ貪欲に学んでいかないとどんどん差を拡げられてゆくのではないであろうか。

とは言っても大会はこれからアメリカラウンドを迎えるわけだから二連覇を目指し、死力を尽くしていただきたいものだ。

城島はとてもいいキャッチャーである。彼にはハートがある。

それだけはよくわかった。


痴漢の取調べ

痴漢(準強制わいせつ罪)で逮捕されていた福岡高裁宮崎支部判事の一木泰造容疑者が宮崎地裁に起訴された。一木被告は容疑を認め、被害者に謝罪しているという。

前回、前々回の記事においてこの事件についての感想を述べたが、私の認識は甘かったと認めざるを得ない。まさか現職の裁判官が痴漢をするとは、正直なところ思いも寄らなかった。想像以上に司法界内部の腐敗は進行しているということであろうか。

しかし痴漢の私人逮捕や警察での取調べに問題があり、冤罪発生の温床となっている事実は依然として変わらない。痴漢被害をでっち上げるだけで、いとも簡単に20万や30万の示談金を手に入れることが出来るのである。もちろん“普通の”女性は絶対にそのような嘘はつかない。しかし世の中には痴漢をする男が存在するのと同様に、そのような悪質な嘘を平気でつく女も確かにいるのである。また元々は普通の感覚の女性であっても金に逼迫して精神的に追い詰められれば、示談金目当てに虚偽告訴をちらつかせることは、今日のような大不況の社会状況では十二分に考えられることである。

表面化していないだけでそのような冤罪事件に巻き込まれ、多額の示談金を支払わされ泣き寝入りしている男性は相当数いるのではないかと、私は想像するがどうであろうか。実際に警察の取調べにおいても、痴漢行為をやったか、やっていないかという事実関係よりも、やったことを認めて罰金もしくは被害取り下げのための示談金30万円ほどを支払った方がすぐに釈放してやることも出来るし、一般人であれば会社や家族にばれることもないというような説得の仕方を恐らくはしているはずなのである。これでは虚偽告訴を誘発するような社会システムにあるといえるのではないか。

今回のように裁判官や学校の教師などが痴漢をするとセンセーショナルにモラルの低下が声高に糾弾される。その点については私もまったく同感だが、もう一方でまったく無実の人間が犯人に仕立てられても痴漢行為を認めざるを得ないような人権を蹂躙した制度に目を瞑り続けることは、やはり日本が欠陥社会の国であることの表れであるように私には感じられる。