龍のひげのブログ -525ページ目

幸福の条件

TVの“やらせ”や“捏造”体質が放送業界内だけの問題だと考える人は社会全体の仕組みが見えていない。マスコミは第四の権力と言われる通り、裁判や警察、政治などと表面的には独立しているが水面下では同じ問題の構造を共有しており、時に同調的に動く。それら各管理者的組織の同調(結託)構造が、国民の幸福や利益を収奪していることを理解できる人間は意外と少ない。私が述べていることは抽象的な理想論ではなく、身近な生活感覚に根ざした具体的な話しなのである。やらせ報道は、冤罪や癒着を生む社会構造の欺瞞的象徴である。

前回の記事に書いた「真相報道バンキシャ!」虚偽報道問題をわかりやすく分析し、以下具体的に例示する。

1、 日本テレビは、謝礼要求がなかったことを信じるに足る理由であったと説明した。謝礼要求の有無は本来、情報の真偽と根本的にまったく無関係のはずである。無関係の要因を適当に結びつけて警察や裁判所が恣意的に判断すれば間違いなく冤罪が発生する。皮相的な尤もらしさの感覚で社会全体が同調することの危険性において日本は遥かに限度を超えている。女性の訴えだからというだけの理由で痴漢やDVを全面的に認めることなどがその典型例である。

2、 岐阜県庁は番組の虚偽報道によって無実を確認するために通常の業務を妨げられ、職員の手間や労力などにおいて損失を被った。それら損失は元をただせば岐阜県民や国民全体の税金に負っているものである。よって筋論で言えば、岐阜県は日本テレビに対して損害賠償請求すべきである。日本テレビは損害賠償すべき道義的責任があり、またその経済的能力も有している。ところが岐阜県は絶大な社会的影響力を有しているマスコミ資本と関係が悪化することを恐れて筋を通すことができない。これは地方格差に基づく不平等な癒着の構造である。

3、 仮に岐阜県ではなく東京都や大阪府のような大都市であれば、今回の虚偽報道に対して敢然と日本テレビに対して損害賠償請求したかも知れない。裏返せば岐阜県は、“裏金”に対して前科のある力の無い地方だから、日本テレビサイドに甘く見られてターゲットにされた可能性もないとは言えない。単に岐阜県が被疑者不詳で刑事告発するような行動に出ることが想定外であったから、このような事態を招いたのであろう。これは正に冤罪発生の常道パターンであり、弱いもの苛めの縮図であるとも言える。

4、 常識的に考えれば日本テレビのような圧倒的な力を持つ大組織が、僅か1~2万円の謝礼金目当ての男に騙されたと考えるのは不自然である。むしろ逮捕された男が僅か1~2万円のはした金で、日本テレビに利用された見る方が自然である。しかし警察は日本テレビに刑事責任が及ぶような取調べを逮捕された男に対してはしないであろう。これは警察組織とマスコミの癒着関係を示すものである。

5、 現に警察や検察組織の“裏金”摘発はタブーであり、大手マスコミが決して触れようとしない領域である。また下手に内部告発しようとするものなら、三井環氏のように別件逮捕されることになるから恐ろしい。これは、冤罪についても同じである。警察組織との関係を重視しようとするマスコミは、大都市管轄の冤罪摘発は明らかに避けている。TVドラマや映画などの興行における道路利用の許認可や、身辺警護などにおいて世話になることが多いので、大都市警察を敵に回すことは出来ないからだと思われる。見せかけの“正義”概念を共有しつつ大衆を支配、管理している点も警察と大手マスコミは共通点が多く、組織としての性質がよく似ている。たまにテレビ朝日が警察の冤罪問題を取り上げるが、いつも高知県などの地方都市が舞台となっている。

6、 「バンキシャ!」虚偽報道問題の報道を見てもわかる通り、マスコミ各社は業界全体に累を及ぼすような危険性のある問題に際しては、互恵的におざなりな報道しかしないものである。「バンキシャ!」に関して言えば、日本テレビはあくまで被害者であり、日本テレビの責任は一人の男に騙された被害者側の責任範囲に留まるものであるという誘導報道に終始するということである。これはマスコミ内部の癒着であるとは言えないか。

前回の記事を書いてから、私の眠りは浅くなった。日本という国は外交的に弱腰すぎると言って批判されることが多いが、国内的には結構恐ろしい国なのである。外形的には共産主義や社会主義国家ではないから、よく注意してじっくり考えないと見せかけの正義に騙されてしまうことが多い。我々の市民生活は悪魔の鋭い鉤爪によって、癒着と冤罪発生のシステムで裏側から強力に束ねられ、抑圧されているのである。長引く景気の低迷も本当は目に見えない日本の悪魔的な管理システムに原因があるのであって、一部の資本や権力とは無縁の我々一市民がもっと賢くなれば、物質的にも精神的にもはるかに豊かな生活を享受できるはずなのである。と言っても日本の民主主義的な洗脳に慣らされた人々に何を訴えても空しいだけである。

空しいだけでなく、正直なところ私は恐ろしい。

生きることが、書くことが。

正義の裏側

やはり、どうも怪しい。怪しいと言うよりは胡散臭いと言うべきか。

日本テレビの「真相報道バンキシャ!」における虚偽報道問題である。当初の説明では同番組内で虚偽の証言をしたとして偽計業務妨害で逮捕された男に“騙された”理由として、不利益を承知で告発していることや謝礼の要求がなかったことなどを“信じるに足る”根拠であったとしていた。騙されるだけの理由があったと弁解していたのである。日本テレビ前社長の辞任会見においても「謝礼等の受け渡しはなかったと報告を受けている。またそうであると信じている。」と述べていた。そもそも裏金の存在を指摘された岐阜県が徹底的に全ての職員を調査して裏金の事実が確認出来ないと判断し、刑事告発までしているのに問題の当事者であるテレビ会社社長の釈明が“受けた報告を信じている”というレベルであれば本当に責任を感じているとは思えない。報告が正しいかどうかの裏づけなど社長であれば簡単に取れるはずだからである。

常識的に考えれば大の大人が時間を割いて番組に出演し、取材に応じるのであればあからさまに要求しなくとも謝礼を期待するのは当たり前である。また番組制作会社も謝礼を支払うことは日常的に行われている自然な業務の流れであるだろう。仮に私であれば一日仕事を休んで大阪から東京のテレビ局まで行って取材に応じるのであれば、交通費以外に1~2万円位の金であれば到底応じる気持ちにはなれないだろう。日本テレビの理屈を裏返せば謝礼を要求された情報は偽物ということになる。しかしそんな馬鹿な話しはない。謝礼があろうがなかろうが真実は真実であり、嘘は嘘である。謝礼の要求事実を真実性の判断基準として弁明すること自体が極めていんちき臭いのである。

その後の情報で虚偽証言で逮捕された男は番組のアンケートサイトを通じて番組スタッフから取材の依頼を受け、謝礼を期待して虚偽情報を提供したとされている。日本テレビはこの取材方法に問題があったと言っているがはたしてそうであろうか。どのような情報源からであれ、謝礼要求の有無に関わらず報道番組を制作する絶対的な条件である“真実”を尊重する、誠実かつ真摯な倫理観があれば本来問題はないはずである。このように金銭的な潔癖感を情報の信憑性に結びつけるところに世論誘導や、“やらせ”隠蔽の臭いを感じるのは私だけであろうか。

日本テレビの社員や下請けの制作会社、ディレクター混成の「裏金」取材チームが逮捕された男に総計10時間にも及ぶ取材を行ったという報告も到底、信じることは出来ない。10分の間違いではないのか。混成チームといったところで局の正社員と下請けディレクターでは力関係に歴然とした違いがあるだろう。混成とは名ばかりで、不景気の影響下、制作費の削減を余儀なくされた制作会社が納期とコストに追い詰められるように番組を制作しているであろう姿が目に浮かぶようである。逮捕された男は、以前から他局の番組にも度々登場していたようだ。マンション耐震偽装の摘発であったりバイアグラの被験報告であったりもしたという。まさに何でもありだ。また男は架空の工事を発注したとして80万円を騙し取った詐欺容疑でバンキシャ!出演後に逮捕されている。そのような男に取材チームが10時間にも及ぶ取材をして本当に騙されるであろうか。裏金の送金記録を記者を外で待たせて自宅で表計算ソフトで作ったとは噴飯物だ。“なぜ日本テレビは嘘が見抜けなかったか”など恥ずかしげもなく、よくもそのような白々しいことを言えるものだ。

テレビ局や新聞社は、番組制作や読者投稿などにおいていつでも番組内容や記事の意向に沿うような発言をしてくれる人間を常時、複数囲っているのではないのか。真実そのものが尊重されるのではなく、番組や記事内容が、すなわち局や新聞社の意向が真実を巧妙に作り出しているのではないか。このような“やらせ体質”がマスコミだけでなく、警察や司法、行政など様々な分野で通底しながら日本中に深く染込んでいるように思え、私は絶望する。もちろん公共性や社会倫理などと言ったところで、所詮100%の奇麗事で動けない事情はよくわかる。厳しい経済原理に従わざるを得ないから、多少の誇張や誘導、時には捏造も避けられないのかも知れない。しかし、それを言うなら食品会社の賞味期限や産地偽装問題でどれだけの関係者が逮捕され、またどれだけの会社が廃業や倒産に追い込まれたのかと言いたい。同じ構図ではないのか。むしろ大新聞社やテレビ局などのマスコミは業界内で厳しい競争をしていることは認めるが、業界そのものは公共性という観点から保護されているのである。国策的に業界の利益が守られているとも言える。だからこれまで世界市場を席巻してきた自動車会社や電気機器メーカーが赤字に陥っているにも関わらず、大手マスコミはいまだに優に年収平均1000万円以上超す地位を誇れているのである。

メディア業界の問題の本質は、他の民間企業同様に金儲けの論理で動いているにも関わらずそれを認めようとせずに、“正義”を支配してしまうところにある。“支配”という表現が行き過ぎであるというなら、“調整”とも言えよう。だから他業界や政治家の不正報道に比べれば、「真相報道バンキシャ!」の虚偽報道問題への追求は、どこかおざなりというかお手盛りの感じがするのではないだろうか。私はBPOという組織そのものが真に高度な倫理意識を有しているのかどうかよくわからない。高度な倫理意識とは放送業界だけでなく日本全体の各分野の有機的な繋がりのなかから新しい時代に即した総合的な価値判断が出来るかどうかということである。業界内倫理は業界内利益と同義で、結局のところ我々国民を豊かにするものではない。

私はむしろ国会で証人喚問すべき事案だと考える。膿は全て出し尽さなければならない。しかしそうはならないであろう。何かしら国民を目覚めさせないような悪魔的な力が働いているように直感的に私は感じる。だから私は諦めることにする。所詮、私一人の力でどうにもなるものではないし、実のところ私は悪魔の論理もわかるような気がしないでもないからだ。

私が和解すべき相手は悪魔なのかも知れない。この世の物質原理は全て、正義も真実も悪魔の成せる業である。


WBC日韓戦、観戦記NO2

イチローが7回表のチャンスに凡打して追加点を上げることが出来なかったその裏に、韓国のソロホームランで2対2の同点に追いつかれた時には本来、負けモードに入っていたはずだ。私もテレビの前で暗澹とした気分になった。

6 7回あたりで逆転され、後続投手の気迫溢れたピッチングで抑え込まれるというのが日韓戦のこれまでの典型的な敗戦パターンであったからだ。

ところが今日の韓国には序盤からそれほどの迫力は感じられなかった。ミスが多かったし、さすがの韓国も短期間にこれほど何度も日本と対戦するとこれまでのようなハイテンションの集中力は持続できていないのではないか、というような感じがした。結果的に、日本は8回に3点を加えて突き放し勝利を得たが、城島に稲葉、内川に小笠原の代打が続けざまに見事に的中した原監督の采配はちょっと常人離れしていた。あるいは原監督らしいとでも言おうか。

イチローのこれまでの不振は気合が入り過ぎて、微妙にバットコントロールがずれているように私には感じられた。だからちょっと安心したような場面ではヒットを打っている。もう少し意識的に気持ちを静めて、リラックスした感じでバッターボックスに向かえば完全に復調するのではないかと素人の分析ではあるがそう思う。

ともかく勝ててよかったが、韓国は決勝でアメリカと当たりたかったのではないかという気がしないでもない。韓国はおそらくベネズエラに勝つであろう。そのような小賢しい作戦で日本に勝利をプレゼントしてくれたのであれば、日本は是が非でもアメリカに勝って、決勝で韓国に最後の決着をつけて欲しい。

見る方とすれば、もういい加減にうんざりしてきたが。

今日の勝利後に、もしやマウンドに日の丸を立て返すのではないかとちょっと心配したがそのようなことがなくて安心した。そういう挑発行為をしないのが日本の良さだからだ。