龍のひげのブログ -516ページ目

家族という病 4

話しを元に戻すが、私はTを通じてマンション鍵の原状回復を要求し続けた。ところが妻は頑迷に応じようとはしなかった。その時点において既に私も妻も訴訟の当事者として争っていたわけで、夫婦関係を良好に軌道修正させようという気持ちなど双方とも無かったから、自然の成り行きであるとは言える。しかし妻が取った鍵付け替えの方法が道義的に、また法律的にも正しかったのかということだ。しかし私には子供のことがあるので、さほど強腰の態度を取れない弱みがあった。子供には学校や習い事、また近所での友達関係などそのマンションでの生活環境がしっかりと根付いている。実質的に妻と子供は一組のセットになっているようなものだから、妻子をマンションから追い出すという強硬手段は非常に困難であった。しかし状況的に、マンションからの退去要求を想定させて交渉を進めていく以外に、話し合いの余地などまったくなかったのである。私はその後、ぎりぎりの選択を迫られることとなった。

Tとの相談で月々の生活費送金を大幅に減額することにした。本当はその生活費以外に、マンションのローン代や管理費、子供の習い事など私の銀行口座から自動的に引き落とされている合計が結構な金額になるので(それらも当然、婚姻費用分担金であるから)、妻への送金は0にしても良かったのだが、子供のことを考えると最低限の光熱費や食費代までストップさせることはやはり出来なかった。元お嬢様(だったのだかどうか知らないが)の妻を働きにやらせることは難しいし、たとえ本人がその気になったとしても今のようなご時世でパートとは言え、妻に雇い主が見つかるとは私自身、到底思えなかったからである。

一気に書き上げようと思ったが、長くなり過ぎるので続きは次回に回す。

私の気が変わらなければの話しである。

今更ではあるが、何で私はこのような、“どうでもよい”ことを長々と書いているのだろうか。しかしそれを言うなら、何で私はこのような“どうでもよい”人生を生きているのかという根源的な自問に戻ってしまうことになる。生きている限り、何らかの形で表現し続けなければならない。

あなたたちもそうなのか。

私は結局のところ、自分以外のことがよくわからないのである。

家族という病 3

それで刑事の助言に従って、妻との交渉における弁護士を立てることになった。他に当てもないので両親の裁判の時と同じT弁護士に頭を下げてお願いせざるを得なかった。しかしこの選択が大きな過ちだったのである。悪いことは続くものである。T弁護士は元々、大阪弁護士会の法律相談センターで紹介されたのだが、当然弁護士としての基本的な能力は兼ね備えているものだと思い込んでいた。こちらは素人なのだから誰でもそう思う。しかし後に判明したことだがそうでもなかったのだ。というより、かなりひどかった。追々、書いていくことにしよう。T弁護士にマンションの鍵を付け替えられた事情を話したところ、妻の感情的な問題が大きいからある程度時間をかけながら、生活費(婚姻費用分担金)の減額や最悪の場合、マンションからの退去も含めて交渉していこうということになった。その方向性に関しては私も賛成であった。子供との面談についてはT弁護士と、妻側のM弁護士との話し合いで週末にマンション近くの公園で子供の受け渡しをするということになった。私が公園から携帯電話で連絡すると、妻が自転車の後ろに子供を乗せてやってくるのである。それから車で私の実家に連れ帰り、どこかに遊びに連れて行ったり勉強を教えるなどした。当日の夜に夕食を食べさせてから帰らせるか、月に1~2回は泊まらせた。妻に子供を返すときはまた公園で落ち合う。マンションと私の実家の距離は車で5分ほどである。鍵付け替え事件以降も、妻は私に子供と会わせないということは基本的になかったが、私がマンションの近くに来ると恐怖を感じると言い続けた。しかし公園では普通に私と顔を合わせていたし、携帯でも頻繁にやり取りをしていた。弁護士同士の取り決めなので私は真面目に従っていたが、3ヶ月ほど経つと雨の日は妻は濡れるのがいやなのかマンション前まで来てくれと言うようになった。しかしその次の面談日が晴れていればまた公園に戻った。しばらくの間そういうことを繰り返していた。

ここで少し話しが横に逸れるが、妻のM弁護士について書かせてもらうことにする。M弁護士は、両親の控訴審で妻の兄の代理人として初めて登場した。第一審の時の弁護士とは変わっていた。私が妻との交渉においてそれまでの裁判同様にT弁護士に委任すると、自然に妻にもM弁護士が付くこととなった。TとMは昔からの知り合いで心安い関係であったようだ。どういう繋がりだったのかは知らないが、TがMの先輩格で年齢も上であった。それでTはMの個人的なこともわりに知っていた。たとえばMは当時40歳位であったが、未だ独身であったというようなことをである。またMと妻の兄(Kとする)は友人関係であったことから代理人を引き受けることになったとの情報もTから聞いた。私は、Kに弁護士の友人がいることが意外であった。それだけではなくMはKからも妻からも、少なくとも私がTから話しを聞いた時点では無報酬で弁護を引き受けているということであった。(最終的な清算についてはわからない。妻は支払ったと言っている。)いくらなんでも弁護士が友人関係であるという理由で無料で受任するということは少し不自然である。妻はともかく当時のKは父親から相続した財産を回りに見せびらかしながら生きていたような人間なのだ。弁護士が無料で助けてやらなければならない対象ではないはずである。それをTに言うと、「Mには断れない事情があるようだ。」と妙な答えが返ってきた。「MはKに借金でもあるのか。」と聞くとTは「さあ、知らない。」と言って口をつぐんでしまう。どうも私が感じたところTにはその背景がわかっているが、敢えて黙っているというような雰囲気があった。ともかくTの話しから、Mは本心では引き受けたくないが何か断れない理由があって引き受けている、ということだけはわかった。実は私にはKとMの関係について思い当たるところがあった。Kがある慈善団体(R)に加入していることは、妻との結婚直後にKから直接聞いていた。当時、Kが一番年少の会員であったことや、どこそこの市長も会員であることを自慢げに話していた。それで、私がTに「KはRの会員であるがMもそうではないのか。」と聞くと、Tは素っ気無く「それならそうかも知れない。」と言った。Rは警察組織との関係も深い全国組織の団体である。よく似た姉妹組織にLという団体もある。一部ではRやLはフリーメイソンの下部組織であると言われている。RやLは対外的には否定しているようだが、よく似た性質の組織であることは事実である。どちらも会員間の“友愛精神”をモットーとしているものである。フリーメイソンはご存知の通り陰謀論の代名詞にされているが、超国家レベルでの影響力や計画への関与について私のような一個人が断定できる訳がない。しかし日本国内に、フリーメイソン的というか友愛精神を標榜するネットワークが存在することは歴然とした事実である。以下は私の勝手な想像であることを先にお断りしておく。明確な根拠や証拠はどこにもない。私は慈善団体のRやLは実質的にフリーメイソンの傘下に位置しているのではないかと考えている。RやLの他にも、フリーメイソンの支配下にある組織は、相当数あるのではないか。日本は欧米と違って、“フリーメイソン”という名称から受ける一般的な印象があまりに悪すぎるので、例えは悪いが暴力団のフロント企業のように本体との繋がりを隠した組織がいくつか存在するのではないのか。それらフリーメイソン的なる組織の外見は一見、金持ちの社交クラブである。実際に末端組織はその程度のものに過ぎないのであろう。戦争を引き起こし、世界経済をコントロールし、人類を家畜化するなどと言った陰謀論の本で仰々しく語られる内容と社交クラブ内の交友とはかなり隔たりがあるのかも知れない。しかし私は必ずしも陰謀論の本で書かれていることを鵜呑みしているのではなく、フリーメイソン的なる組織に共通したある匂いを直感的に感じ取るのである。それは“悪魔崇拝”である。Kにもそのような匂いがあった。但し正確に表現すると、それは悪魔崇拝というよりも“悪魔ごっこ”である。悪魔を本気で崇拝するほどの高尚さは伺えないが、悪魔ごっこをして戯れるキッチュな気配がそこはかとなく漂っている。どこか子供っぽいのである。しかしそのようなキッチュな雰囲気は悪魔の策略であるとも見れる。なぜなら低俗な“ごっこ遊び”こそが悪魔の目的と力を隠す最良の方法であるからだ。まともな良識のある人間なら誰でもごっこを前にして立ち止まり、それ以上その領域に侵入しようとは思わないであろう。言うまでもなく悪魔はとても頭がいいのである。その上、ユーモラスでさえある。

これ以上の論述は本題から外れすぎるので別の機会に改めて“現代の悪魔論”を書くことにしよう。

要するにMがKの依頼を引き受けざるを得なかった背景には、そのようなごっこ的な友愛精神の縛りがあったからではないかと私は想像している。世間一般では悪魔崇拝など、映画や漫画の中だけの虚構であると考えている人が大半ではなかろうか。しかし悪魔崇拝(ごっこ)はほとんどの人が知らないだけで、本場の欧米ではない日本国内にあってさえ一部の金持ちや資本家、官僚、弁護士、政治家、メディアなどにおいて地下深くでかなり広範に広がっているのではないかと私は危惧している。それらの全体的な流れは極めて巧妙で、とても見えにくいものだ。しかし悪魔ごっこに興じている人間にはある特徴があってよく観察していると見分けがつく。悪魔のしっぽのようなものがあるのだ。先ず第一に彼らの発言には、正義や道徳に準じているようでありながらも、どこか奇異で時代錯誤的な印象がある。第二に彼らは本質的に差別主義者である。友愛の紐帯には民族差別があり、女性差別があり、身体障害者への差別がある。彼らの唱える理念や道徳はそれらの差別思考を隠し、均衡を保たせるための詭弁的な社会支配の手段に過ぎない。第三に、彼らは広範な交友関係を自慢したがる傾向が強い。Kは精神科医とのつながりを吹聴していた。「友人の友人はアルカイダだ。」などというのも同じである。

但しそのようなフリーメイソン的なるごっこを直ちに悪だと断じることは出来ない。少なくとも会員の個人間レベルで見る限りそれは彼らの趣味の問題であって、趣味の悪さを声高に批判することは誰にも出来ないということである。

私もお仲間に入れていただきたいものだ。私ならもっと上質な悪魔ごっこが出来るであろうに。もちろん嫌味に過ぎないが。

家族という病 2

そもそも私が離婚へと至った家庭内紛争は、(元)妻の兄による私の両親への暴力事件がきっかけであった。私と妻の不和が近親者をも巻き込んで、ある日そのような事件が勃発したのである。警察が出動する騒ぎになったが、妻の兄は高齢の私の母を殴り、椅子を投げつけるなどの暴力を働いたにも関わらずその事実を否認した。それだけではなく妻の兄は、自分が私の両親から暴力を受けたのだと主張し、双方が被害届けを提出する事態となった。私の母は足から出血し顔を腫らせていた。また妻の兄が私の実家に乗り込んで起こした事件であることから、常識的に考えれば妻の兄の主張が不合理であることは明らかであったが、警察は親族間の争いであるということと第三者の目撃者がいなかったという理由で検察にも事件送致せずに長らく棚上げにされてしまったのである。それで止むを得ずに事件の半年ほど後に私の両親は弁護士を立てて民事で損害賠償請求することとなった。

そうしたところ、妻の兄は妻と共同で私の両親と私までも訴えてきたのである。請求の原因は曖昧でよくわからないものであったが、その目的が訴訟を泥沼化させて争点をかく乱させる戦術であることははっきりしていた。その訴えにおける妻の主張の中で、私の妻に対する暴力ということが初めて出てきたのである。準備書面の中で妻は私に殺されかけたとまで主張していた。

結局、その裁判は妻側の思惑通りに双方の訴えが棄却されることとなった。実質的には私の両親の敗訴である。私の両親は控訴したが、認められなかった。

そのような状況であったので当然、夫婦関係は完全に破綻していたし、到底同居に復せるものではなかった。しかし元々の原因が夫婦間の不和にあったものの、破綻の決定的なきっかけが妻の兄による暴力事件であったことと、妻は働いておらず経済的には完全に私に依存していたので、私と妻の下で暮らす息子との交流はそのような状況であってさえ継続されていた。私は子供に勉強を教えるために妻子が住むマンションに週に2回位通っていた。私は当時から離婚を考えていたが、妻の希望は私と同居に戻りたくないが離婚はしたくない(籍は抜きたくない)という私の立場からすれば身勝手なものであった。

そのような不安定な際どい状況で、夫婦間に決定的な出来事がまたもや発生した。当時、私の両親による控訴審判決の数カ月前であったが離婚の話しは妻が意識的に避けていたこともあってまったく進んでいなかった。私自身も子供のことから離婚への気持ちがはっきりせずに揺らいでいた。しかし何とかして膠着的な事態を打開しなければならないというあせりがあった。離婚を正式に求めるとなれば別の事案として調停を申し立てなければならないから、また時間も金もかかることになる。当事者同士で冷静に建設的な話しが出来ればそれに越したことはない。顔を合わせば何らかの糸口がつかめるかも知れない。それである日のことであるが、ちょうど息子が幼稚園の行事で泊まりがけの旅行に出掛けていた夜に、私はその日であればゆっくり落ち着いて妻と話しが出来るのではないかと考えてマンションに赴いた。ところがまたしても最悪の事態を迎えてしまったのである。そもそも妻は離婚を望んでいなかったので話しはまったくかみ合わなかった。かみ合わないだけでなく、妻は自分の立場を正当化するために、私や私の両親を激しく罵倒しなければならなくなってしまった。そこから互いの口論が発展して、なぜか警察に電話する、しないという話しになり近くにあった電話機を奪い合うような恰好になった。それ以前に妻は激高してパソコンやテレビをフローリングの床に投げつけたことがあった。その時と同じような気配を感じたので、またもや電話機(子機)が投げつけられるのではなかと瞬間的に私の身体が反応したのである。電話機が故障したり、床や壁に傷がつく心配もあった。電話機は取り合われる内に子機と一体となった親機のコードを引きずり、白色壁紙をこすりながら黒い線を引いて床に落ちていった。その後、妻は私の腕をつかんだ。私も妻を引き離そうとしてつかみ返した。女とは言え興奮すると物凄い力である。私はその時のつかみ合いで左上腕部にびっくりするような青痣ができた。妻の手が腕から離れると今度は私が着ていた服の襟元を掴んで引っ張り始めた。私はまたもや引き離そうとしたが妻は激しく抵抗した。狭い空間内のことであったので、押したり、引いたり、もみあったりした際に妻は近くにあったテーブルや椅子に身体をぶつけたのだと思う。妻はその時の傷や痣を当日私から激しい暴力を受けた結果だと主張するようになった。

翌日に、妻が連絡したのであろうが妻の兄がマンションにやってきて玄関の補助キーを私に無断で付け替えた。私は自分のマンションに立ち入れなくさせられてしまったのである。私の両親に付いていた弁護士(と言っても弁護士との打ち合わせは全て私が対応していたが)は、その時点で契約関係が終了していた。傷害事件の損害賠償請求が第一審で棄却された際に、その弁護士は控訴してもおそらく勝てないというので、本人訴訟で控訴していたのである。控訴状や証拠書類は全て私が作成して高裁に提出していた。それで数日後、その傷害事件を担当していた地元の刑事に相談に行くことにした。私は、警察が事件を保留にしているからやむを得ずに弁護士を付けて民事で裁判を起こしたが第一審では負けてしまったことと、妻との間でトラブルがあってDV加害者にされマンションの鍵を付け替えられてしまったことを報告した。その刑事には民事の判決文も見せた。刑事は民事の判断が気になったのであろうか、少し意外ではあったが時間をかけて熱心に判決文を読んでいた。それで、読了後にぽつりと言った。

「まあ、妥当な判決やな。」

刑事の感想としては、やはり両親が暴行を受けた現場を見ていた第三者の目撃者がいなかったということと、こちらからすれば当然加害者であるべき妻の兄も同じように被害を訴えているところの親族間の争いであることから、どちらか一方だけの主張を認めることは難しいと思う、ということであったように記憶している。

それでは私のDVはどうなるんだ、と聞くとさすがに刑事は答えに窮していた。夫婦間の暴力に関しても本来は同じ論理で裁かれるべきはずなのである。刑事もそのあたりの矛盾は当然、承知している。但し、一介の刑事を問い詰めても無意味なので、私もそれ以上は黙っていた。その時に刑事は女性のDVの訴えに関してこのようなことを言った。

「何でこんな小さなことをわざわざ警察に言ってくるのか、と思うようなのが多いんや。」

明らかに社会的な扇動の結果である。それで私が、

「そういう状況を放置していたら、世の中が無茶苦茶になるのとちがいますか。」

と言うと、刑事は

「もう、なっている。」と答えたので、私は何とも暗澹とした気持になった。

刑事は私の状況を心配してくれたようで、今のままでは子供と会えないようになるだろうから弁護士を立てろと言ってくれた。迂闊に子供に会いに行くのは危険だから止めておいた方がよいとも言った。

また女性からのDVの訴えに関してはどの警察署もすぐに加害者男性の拘束をかける、現に我々もそうしていると忠告した。その刑事ははっきりとは言わないものの私が妻と離婚した方がよいと思っていたようで、

「離婚しても、子供と会えるやろ。」と言った。

「君の奥さんは、ちょっとぜいたく過ぎる。」とも言っていた。

確かにぜいたくなのである。仮に妻のDVの訴えが正当なものであったとしても、私が所有するマンションの鍵を付け替える理由にはならないはずである。妻の母親は同じ大阪で、100坪位の土地に建つ大きな屋敷で一人で悠々と生活している。(妻の父親は私が妻と結婚した当時には既に亡くなっていた。)妻は、母親の元には戻りたくないと言っていた。しかしそれは妻の勝手な理由である。要するにマンションから避難する緊急性はおろか、必要性すらないことを自ら証明しているようなもので、本来のDV法の趣旨とは随分かけ離れているのである。結局、妻はそのマンションを占拠することによって小さな子供と二人だけでマンションを広々と使うことが出来、私が室内に立ち入れなくなったことによって離婚のいやな話しを私から直接聞かされることもなくなったということだ。マンションのローン代や管理費は私が負担しなければならないし、当然のことではあるが依然として生活費も入れなければならない。おかしな話しではあると思うが、そのようなわがままな拡大解釈もDV法に関しては許されるような雰囲気が司法世界に満ちているせいか、妻に良心の呵責などまったく、さらさら無かった。