家族という病 2
そもそも私が離婚へと至った家庭内紛争は、(元)妻の兄による私の両親への暴力事件がきっかけであった。私と妻の不和が近親者をも巻き込んで、ある日そのような事件が勃発したのである。警察が出動する騒ぎになったが、妻の兄は高齢の私の母を殴り、椅子を投げつけるなどの暴力を働いたにも関わらずその事実を否認した。それだけではなく妻の兄は、自分が私の両親から暴力を受けたのだと主張し、双方が被害届けを提出する事態となった。私の母は足から出血し顔を腫らせていた。また妻の兄が私の実家に乗り込んで起こした事件であることから、常識的に考えれば妻の兄の主張が不合理であることは明らかであったが、警察は親族間の争いであるということと第三者の目撃者がいなかったという理由で検察にも事件送致せずに長らく棚上げにされてしまったのである。それで止むを得ずに事件の半年ほど後に私の両親は弁護士を立てて民事で損害賠償請求することとなった。
そうしたところ、妻の兄は妻と共同で私の両親と私までも訴えてきたのである。請求の原因は曖昧でよくわからないものであったが、その目的が訴訟を泥沼化させて争点をかく乱させる戦術であることははっきりしていた。その訴えにおける妻の主張の中で、私の妻に対する暴力ということが初めて出てきたのである。準備書面の中で妻は私に殺されかけたとまで主張していた。
結局、その裁判は妻側の思惑通りに双方の訴えが棄却されることとなった。実質的には私の両親の敗訴である。私の両親は控訴したが、認められなかった。
そのような状況であったので当然、夫婦関係は完全に破綻していたし、到底同居に復せるものではなかった。しかし元々の原因が夫婦間の不和にあったものの、破綻の決定的なきっかけが妻の兄による暴力事件であったことと、妻は働いておらず経済的には完全に私に依存していたので、私と妻の下で暮らす息子との交流はそのような状況であってさえ継続されていた。私は子供に勉強を教えるために妻子が住むマンションに週に2回位通っていた。私は当時から離婚を考えていたが、妻の希望は私と同居に戻りたくないが離婚はしたくない(籍は抜きたくない)という私の立場からすれば身勝手なものであった。
そのような不安定な際どい状況で、夫婦間に決定的な出来事がまたもや発生した。当時、私の両親による控訴審判決の数カ月前であったが離婚の話しは妻が意識的に避けていたこともあってまったく進んでいなかった。私自身も子供のことから離婚への気持ちがはっきりせずに揺らいでいた。しかし何とかして膠着的な事態を打開しなければならないというあせりがあった。離婚を正式に求めるとなれば別の事案として調停を申し立てなければならないから、また時間も金もかかることになる。当事者同士で冷静に建設的な話しが出来ればそれに越したことはない。顔を合わせば何らかの糸口がつかめるかも知れない。それである日のことであるが、ちょうど息子が幼稚園の行事で泊まりがけの旅行に出掛けていた夜に、私はその日であればゆっくり落ち着いて妻と話しが出来るのではないかと考えてマンションに赴いた。ところがまたしても最悪の事態を迎えてしまったのである。そもそも妻は離婚を望んでいなかったので話しはまったくかみ合わなかった。かみ合わないだけでなく、妻は自分の立場を正当化するために、私や私の両親を激しく罵倒しなければならなくなってしまった。そこから互いの口論が発展して、なぜか警察に電話する、しないという話しになり近くにあった電話機を奪い合うような恰好になった。それ以前に妻は激高してパソコンやテレビをフローリングの床に投げつけたことがあった。その時と同じような気配を感じたので、またもや電話機(子機)が投げつけられるのではなかと瞬間的に私の身体が反応したのである。電話機が故障したり、床や壁に傷がつく心配もあった。電話機は取り合われる内に子機と一体となった親機のコードを引きずり、白色壁紙をこすりながら黒い線を引いて床に落ちていった。その後、妻は私の腕をつかんだ。私も妻を引き離そうとしてつかみ返した。女とは言え興奮すると物凄い力である。私はその時のつかみ合いで左上腕部にびっくりするような青痣ができた。妻の手が腕から離れると今度は私が着ていた服の襟元を掴んで引っ張り始めた。私はまたもや引き離そうとしたが妻は激しく抵抗した。狭い空間内のことであったので、押したり、引いたり、もみあったりした際に妻は近くにあったテーブルや椅子に身体をぶつけたのだと思う。妻はその時の傷や痣を当日私から激しい暴力を受けた結果だと主張するようになった。
翌日に、妻が連絡したのであろうが妻の兄がマンションにやってきて玄関の補助キーを私に無断で付け替えた。私は自分のマンションに立ち入れなくさせられてしまったのである。私の両親に付いていた弁護士(と言っても弁護士との打ち合わせは全て私が対応していたが)は、その時点で契約関係が終了していた。傷害事件の損害賠償請求が第一審で棄却された際に、その弁護士は控訴してもおそらく勝てないというので、本人訴訟で控訴していたのである。控訴状や証拠書類は全て私が作成して高裁に提出していた。それで数日後、その傷害事件を担当していた地元の刑事に相談に行くことにした。私は、警察が事件を保留にしているからやむを得ずに弁護士を付けて民事で裁判を起こしたが第一審では負けてしまったことと、妻との間でトラブルがあってDV加害者にされマンションの鍵を付け替えられてしまったことを報告した。その刑事には民事の判決文も見せた。刑事は民事の判断が気になったのであろうか、少し意外ではあったが時間をかけて熱心に判決文を読んでいた。それで、読了後にぽつりと言った。
「まあ、妥当な判決やな。」
刑事の感想としては、やはり両親が暴行を受けた現場を見ていた第三者の目撃者がいなかったということと、こちらからすれば当然加害者であるべき妻の兄も同じように被害を訴えているところの親族間の争いであることから、どちらか一方だけの主張を認めることは難しいと思う、ということであったように記憶している。
それでは私のDVはどうなるんだ、と聞くとさすがに刑事は答えに窮していた。夫婦間の暴力に関しても本来は同じ論理で裁かれるべきはずなのである。刑事もそのあたりの矛盾は当然、承知している。但し、一介の刑事を問い詰めても無意味なので、私もそれ以上は黙っていた。その時に刑事は女性のDVの訴えに関してこのようなことを言った。
「何でこんな小さなことをわざわざ警察に言ってくるのか、と思うようなのが多いんや。」
明らかに社会的な扇動の結果である。それで私が、
「そういう状況を放置していたら、世の中が無茶苦茶になるのとちがいますか。」
と言うと、刑事は
「もう、なっている。」と答えたので、私は何とも暗澹とした気持になった。
刑事は私の状況を心配してくれたようで、今のままでは子供と会えないようになるだろうから弁護士を立てろと言ってくれた。迂闊に子供に会いに行くのは危険だから止めておいた方がよいとも言った。
また女性からのDVの訴えに関してはどの警察署もすぐに加害者男性の拘束をかける、現に我々もそうしていると忠告した。その刑事ははっきりとは言わないものの私が妻と離婚した方がよいと思っていたようで、
「離婚しても、子供と会えるやろ。」と言った。
「君の奥さんは、ちょっとぜいたく過ぎる。」とも言っていた。
確かにぜいたくなのである。仮に妻のDVの訴えが正当なものであったとしても、私が所有するマンションの鍵を付け替える理由にはならないはずである。妻の母親は同じ大阪で、100坪位の土地に建つ大きな屋敷で一人で悠々と生活している。(妻の父親は私が妻と結婚した当時には既に亡くなっていた。)妻は、母親の元には戻りたくないと言っていた。しかしそれは妻の勝手な理由である。要するにマンションから避難する緊急性はおろか、必要性すらないことを自ら証明しているようなもので、本来のDV法の趣旨とは随分かけ離れているのである。結局、妻はそのマンションを占拠することによって小さな子供と二人だけでマンションを広々と使うことが出来、私が室内に立ち入れなくなったことによって離婚のいやな話しを私から直接聞かされることもなくなったということだ。マンションのローン代や管理費は私が負担しなければならないし、当然のことではあるが依然として生活費も入れなければならない。おかしな話しではあると思うが、そのようなわがままな拡大解釈もDV法に関しては許されるような雰囲気が司法世界に満ちているせいか、妻に良心の呵責などまったく、さらさら無かった。