龍のひげのブログ -2ページ目

恐るべき日航機123便事故の真相

ということで、本当に衝撃が大き過ぎて言うべき言葉が見つからないのであるが、自分の身体と魂に鞭打つように気合を入れて述べるとするならば、この三日間ほど改めて考え続けていたことがあって、それは私の日航機事故についての長年の疑問でもある。元CA凛子さんのユーチューブ動画を見ても明らかなように、いや見る前からわかっていたことだが、1985年の日航機123便事故についての事故調査委員会の調査発表や政府の公式見解が真っ赤な嘘であることは、100%否定しようのない事実であって、それを今更、根拠のない陰謀論だとか、冒瀆であると言うのであれば勝手に言ってろとしか言いようがないのであるが、未だによくわからない疑問点があって、そのことが私の頭を離れない。それは日航機123便をミサイルで撃墜した戦闘機が自衛隊機であるとするならば、もちろん米軍機である可能性もある訳だが、仮に自衛隊の訓練ミスで標的機が日航機123便の垂直尾翼を破壊したことが事故原因で、その事実を隠蔽し、証拠隠滅のために横田基地への着陸を妨害し、山に追い込んでミサイルで撃墜したということであれば、当然にそれは米軍機ではなくて自衛隊機であろうという推測が成り立つ。そしてその場合に、それではその撃墜を一体、誰が承認したのかということなのである。いくら何でも焦った自衛隊が暴走して、単独の判断でそのような暴挙に出たというようなことは、日本の文民統制の原則の下では絶対にあり得ないことである。常識的に考えれば当時の日本の政治責任のトップであった中曽根康弘総理大臣でしかないということになる。それで実際にネットの情報では、自衛隊幹部が中曽根総理に123便撃墜の許可を求めた電話内容を盗聴したとされるものが以前から出ていた。そのやりとりは以下のようなものである。

「私はこんなことをするために総理大臣になったのではない。」

と自衛隊幹部に言った後に

「都市部に墜落しなければいいんだけど。」

「国民に知られないようにするならば撃墜許可をする」

と言い、自衛隊幹部の

「目撃者や生存者がいたらどうしますか」

との質問に対しては

「なんとかしろ。」

と答え、さらにその意味を問いただしたところ

「私をこれ以上人殺しにするともりか。なんとかしろはなんとかしろという意味だ。」

と怒鳴りつけたということだ。

その場面の情景が浮かんできそうなセリフで、それなりのリアリティーはある。それでもう今から10年以上も前のことだけれど、どうしても気になった私は大阪府立図書館まで1985年8月12日の中曽根氏の行動を当日発行の朝日新聞で調べに行ったのであった。そうしたところわかったことは、中曽根氏は日航機123便の事故が発生した18時25分は、軽井沢の別荘に静養に行っていた帰りの特急電車の中にいて、官邸にはいなかったのである。実際に当時のニュース映像で静養先から戻ってきた中曽根氏がどこか駅前で日航機事故についてのインタビューを受けている光景を私は朧気ながら覚えている。それで高濱機長が爆発音を聞いてスコーク77を発信した18時25分から御巣鷹山に墜落した18時56分まで僅か31分の時間しかないのである。携帯電話もないような1985年の当時に、もちろん総理大臣であれば緊急時の通信機器は持っていたのかも知れないが、電車の中で通信状態も悪いであろうし、何の情報もない状態で、実質的に僅か10~20分程度の間に、上記に述べた盗聴されたとされる会話や撃墜の許可が出されたとは、到底、考え難いのである。微かな記憶ではっきりとはしないが、確か中曽根氏は電車から降りたって記者からの取材で、初めて日航機事故を知ったような、どこか白々しが感じ取れる「惚けた」ような反応を見せていた。普通に常識的に考えれば、電車の中で事故を知って、撃墜命令を出したというようなことはあり得ないのであるが、一方で中曽根氏は記者から日航機墜落事故を聞かれて平然とした顔つきで「ほぉー、どこで?」と答えたとされる情報があるのだが、確かにその光景は私の記憶とも一致しているものである。中曽根氏は演技をしていたのであろうか。演技をしていたとすれば、それはどのような意味を持つものなのか。恐ろしい推測ではあるが、仮に日航機事故が自衛隊の訓練中のミスによって偶然にその日時に発生したのではなくて、あらかじめ意図的に仕組まれたものであるとすれば、そしてその情報を事前に中曽根氏が知っていたとすれば、その日時に中曽根氏はわざと官邸を離れていたと考えられなくもないということである。計画を知っていて官邸にいれば、リアルタイムの対応や反応でばれる危険性も高いので当然のことである。また最終的に墜落した現場が群馬県の御巣鷹山であるということも中曽根氏が群馬県出身であるということと関連があるとも見れる。実際に当日の報道では墜落地点が本当はわかっているはずであるのにわからないような、或いはミスリードさせる内容のもので、墜落場所が長野県の御座山(おぐらさん)とされて、そこに夜間に捜索が入っていたのである。長野県が否定していたにも関わらずである。そしてその時間帯に群馬県の御巣鷹山の麓の入山ルートでは群馬県警によって厳重に立ち入り規制がされていたということであるから、中曽根氏にとっては長野県に墜落するよりは地元の群馬県の方が警察を動かせやすいという見方も成り立つということである。そしてその間に実際の現場では自衛隊の特殊部隊か別班が証拠隠滅の活動をしていたのである。尚、私は当日のNHK報道で、今ではそういう報道があった事実そのものが否定されているが、現場の山中かどこかの場所で自衛隊員が何らかの理由で射殺されたとアナウンサーが言ったことをはっきりと記憶している。恐らくは特殊部隊ではない自衛隊員が、墜落場所がわかっているのにどこかで待機命令を出されていて足止めをされているのを良心の呵責に耐えかねて救助に向かおうとしたところを射殺されたのである。しかし私は今まではそこまでは考えていなかった。そこまではという意味は、日航機事故が意図的に仕組まれたものであるということである。はっきりしていることは、日航機が最終的にミサイルで撃墜されたということと、日航機事故が自衛隊の訓練ミスによって偶発的に発生したものであれば、そしてその事実を隠蔽することが目的であれば、必ず誰かの撃墜許可が必要であるということであり、もう一つのパターンの事前に仕組まれた計画であったならば撃墜許可は不要であったであろうということである。これはこの日航機事故の真相を考察する上で非常に重要な視点である。正直に言って私は今までは、意図的に仕組まれた計画であるとは考えていなかったので、日航機の墜落命令を出したのは当時の防衛庁長官であった加藤紘一氏ではないかと考えていた。中曽根総理が不在であれば、そして自衛隊にとっての存亡の危機である緊急事態であれば、自衛隊の幹部にしてみれば無理やりでも加藤紘一氏に撃墜の許可を出させる以外に方法はないからである。そしてそうであったのであれば中曽根氏が言った「真実は墓場まで持っていく」との発言内容とも符合が感じられる。つまり中曽根氏自身が直接的に関与していたのであればそういう発言にはならないようなニュアンスであるというか、事後的に報告を受けた真実を墓場まで持っていくというように感じ取れるということだ。そして加藤紘一氏は2006年に自宅が放火に合って全焼するという事件があったのだが、その放火事件と日航機墜落事故とも関連があるように私には感じられていたということである。

しかし今、改めて思うに、冒頭に述べた通りこの三日間ほど考え続けてきたことであるが、当時の総理大臣であれ防衛庁長官であれ、僅か31分の時間内で、実質的には10分程度の意思決定の時間しかないであろうから、自衛隊の戦闘機に民間の航空機を撃墜させるような大それた決断を日本の政治家ができるとは到底、考えられないのである。ということはやはりこれは事前に仕組まれた計画であったのではないかと、ごく一部の人間だけが事前にその計画を知っていて事後に各方面に圧力を掛けて真実を隠蔽してきたと考えることが自然な見方のようにも思える。では誰がどのような目的でそのようなそのような計画を実行したのかということになるが、自分で書いていて怖くなってきたので、気分を落ち着けるためにも今日はこの辺でやめておくことにしよう。

(吉川 玲)

40年間の隠蔽がもたらした日本の堕落と墜落

ということで、今この瞬間にこの世に生きていても、生かされていても、生きていることに完膚無きまでの馬鹿らしさと無意味さを感じるほどの憤りというものがある。2025年8月12日は日航123便墜落の40年目ということで、何も言わずに以下の動画をしっかりと見ていただきたい。私一人では到底、この動画の衝撃を抱えきれないので、一人でも多くの人々にその重みを一緒に支えて欲しいと願う。カットされていないボイスレコーダーの全文が映像と共に元CA凛子さんのユーチューブ動画で公開された。自民党やマスコミはこれを見ても陰謀論のフェイク動画だと言うのであろうか。削除される可能性が高いと思われるので、命懸けで投稿されたこの動画を一人でも多くの人に緊急に見て欲しいと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=uUm7rCnlaTU&t=149s

本当に心して見て欲しいのだが、このような機長の声がプライバシーを守るためなどというようなふざけた理由で、よくもこれまで秘匿されてきたものだと思う。国民を馬鹿にするのもいい加減にしろということだ。この動画を見て尚、馬鹿げた陰謀論だと見做すのか、それは一人一人に判断していただくしかないので、その中身については説明しないこととする。ただ私の個人的な感想で言えば、遺族である小田周二氏が自身の著書で書かれていた通りである。また森永卓郎氏が生前に主張していた内容とも符合するものである。時間があるなら森永卓郎氏の動画も是非、見ていただきたい。

https://www.youtube.com/watch?v=31GaarV0gME&t=68s

今年の5月1日の産経新聞朝刊、1面に掲載された記事が、あまりにも腹が立ったので、その朝刊を未だに捨てられずに手元においている。見出しのタイトルは、「日航機墜落 陰謀説が拡散」、「自衛隊が関与」許されぬ冒瀆、「自衛隊がミサイルを誤射した」、「撃墜の証拠隠滅を図るために乗客らの遺体を焼却した」、「自衛官らの冒瀆は許されないとの声が高まり、国会でも取り上げられる事態に。」

何が許されぬ冒瀆だ。全て事実ではないか。亡くなった520人もの御霊を冒瀆しているのは一体、どちらの方なのか。何よりも許されないことは、産経新聞社だけではなくマスコミ全体が政府と一体となって平然と国民に嘘をつき、騙し続けているその姿勢である。全体主義的に一丸となった嘘は、それがどれほど罪深いものであっても許されるとでもいうのか。私が前々回の記事から述べている、自民党唯一性の弊害の深刻さというものがこれで少しは理解していただけたであろうか。中国共産党の一党独裁支配と自民党の唯一性にどれほどの差があるというのか、よく考えていただきたい。日本の共産党はそもそも自衛隊は違法な軍隊であるという考えではなかったのか。そういう思想の日本の共産党ですら、本当は疑惑が真実であることをわかっているはずなのに、この日航機墜落問題の真相を追求する姿勢を見せてこなかったということは、共産党ですら自民党の唯一性に協調しているということなのだ。何が、確かな野党だ。毎月、収入の1%を党費として納め、赤旗を購読している共産党員の方々には、嫌味を言うつもりはないが、確かな野党などということの正当性をよく考えて頂きたい。さらに言えば政権与党の立場である公明党の支持母体である創価学会の人々には、学会員以外の人間に聖教新聞の購読や公明党への投票を熱心に働きかけるよりも先ず、この日航機墜落問題で決定的に日本の政治の人道主義というものが棄損されている事実に心を痛めて、真相究明の声を挙げてゆくことが、政治団体とは言わないが政治を支援する宗教組織の在り方として、その存立の意義を問われるほどに重大な事なのではないかと私は思うのだがいかがであろうか。腐った自民党の分身でしかないような立憲民主党や維新の会には、何も言うべき言葉がない。

(吉川 玲)

炎上する外国人問題に我々は何を見るべきなのか

ということで今の時代の多くの人と同じように私もテレビはほとんど見ないが、ユーチューブはよく見る。それで最近の話題で興味を持ったものを挙げれば、芸人の千原せいじ氏とジョーカー議員こと埼玉県戸田市議会議員、河合ゆうすけ氏の外国人移民問題についての対談とバトルにおける千原せいじの暴言による炎上である。河合ゆうすけは近年の埼玉県内の川口市や蕨市、またその両市に隣接する戸田市の不法外国人問題を選挙でワンイシューとして訴え、戸田市議選、歴代最多得票数で当選したものである。千原せいじは河合ゆうすけとの対談の前に実際に西川口の現地に赴き、調査というか地元の人間と1時間ほど歩いて、さほど治安は悪くないし、国籍に関わらず、日本人であろうが外国人であろうと悪いことをする奴はするし、しない人間はしないという印象を持っていた。河合ゆうすけは千原せいじとの対談の前にタレントの田村淳氏ともABEMA.TVで同じ外国人問題の対談をしていて、どちらかと言うと外国人との共生志向が強い、河合ゆうすけの言うところの「左寄り」の田村淳を「ぼこぼこにしてやった」と、つまり徹底的に論破したと発言したことから、せいじの怒りのスイッチが入ってしまって大喧嘩に発展し、せいじが田村淳同様にぼこぼこに論破されそうになってしまったことから逆上したのか、事もあろうに言わなくてもいいような暴言を言ってしまった。その暴言とは「お前はいじめられっこやろ、いじめられっこのオーラが出てるわ」という外国人問題とは何の関係もない小学生の喧嘩のようなセリフであった。そしてそのせいじの暴言が大炎上することになったという、簡単に言うとそういうあらましである。但し、補足して述べれば田村淳は河合ゆうすけとの対談の直後に、実際に河合ゆうすけに指摘された西川口の場所を一人で視察に赴き、せいじのようにぶらぶらと歩いて街の風景を観察するだけではなく、現地の人間にインタビューし、外国人が多くなっていることで住みにくくなってきていることや、女性や子供が夜に一人で出歩くことに不安を感じているという生の声をユーチューブ上で公開している。

ということで私の率直な感想で言えば、せいじを批判するつもりも擁護するつもりもないが、せいじは時代の微妙な変化についていけなくなってきているような気がする。そしてそれが大炎上の原因というか内因なのではなかろうかと思うのだ。これが3年前なら私は炎上に発展していないようにも思える。どういうことかと言えば、まず最初にタレントの政治的な発言というものについて、その是非や価値をよく見極める必要性があるように感じられる。言うまでもないことだが、元来、タレントは様々な制約や差し障りがあって政治的な発言を忌避する人種であると言える。将来的に政治家志望であればともかくもそうでないのであれば、タレントが政治的な発言をしたところでリスクやデメリットしかないからだ。反感を買ったり、敵を作ったり、広告の仕事がなくなったり、所属事務所から注意されたり、最悪の場合は解雇される可能性もあるというようなことである。でもタレントも人間だから世の中に対して、特に今の日本のような腐り切った政治風土であれば、何か言いたくなることは自然と言うか当然なのである。しかしほとんどのタレントは下手な政治発言をすればメディアや経済界や政治を敵に回してしまって、干されるのがよくわかっているからそういう危険なことはしないのが普通なのだが、中には勇敢というか無謀にもそのようなリスクやデメリットを承知の上でそういう発言をする人物も少数ながら存在する。それが千原せいじや田村淳なのであって、お世辞を言うつもりはないが、ある意味では凄いというか、あっぱれと言うか、自分の保身しか考えられない政治家や官僚などよりもよほど立派であるとも言える。だから芸人やタレントとして希少性や社会的な価値があるとも見れるし、需要もあるということになる。大衆は一見、馬鹿のように見えるが、そういうこともよくわかっているので馬鹿ではないのである。ところが3年前ならその希少性だけである程度は、評価されて、受け入れられたり、許容されてきたものが、今日においてはシビアにその言論の中身が問われるように変化してきているように私には感じられる。その背景はやはり日本の国民生活の悪化や生き難さというものが3年前に比べてもより一層に進行していて、単にタレントの政治発言というだけで面白がったり、受け入れる心の余裕が大衆側になくなってきているからだと考えられる。それで田村淳は左寄りかどうかはともかくも、私の目には頭が良くて、そういう時代の微妙な変化も感受する鋭敏性というか、悪く言えばずる賢さを持っているように見える。一方で千原せいじはどうなのかと言えば、弟のジュニアの方は淳同様の鋭敏性とかある種の賢さを持っているように見えるが、兄貴の方は、馬鹿とは言わないが馬鹿正直と言うのか、思ったことを深く考えずに忖度なしにずけずけと言うことが芸風のようになっていて、元々から際どい紙一重のようなところで勝負している芸人であるように私には感じられる。その際どさが今の時代には裏目に出てしまうのである。たとえば何年か前のことであるが、せいじは日本に謝罪や保障ばかり要求し続ける韓国に対して断交すべきだと発言したことがあった。一人の芸人がそのようなことを言うということは痛快であるし、新鮮でもある。しかし今回のせいじと河合ゆうすけの大喧嘩の元になった対談のテーマが外国人問題であったから敢えて言うが、私が最近ちょくちょく行くバーがあるのだが、そのバーは50歳代の女性が経営していて、その女性は在日の人である。自分ではっきりと在日であることを公言していて、自分は在日だから選挙権がないと言う割には、日本の政治には関心を持っていて、石破総理の悪口ばかり言っている。先日、そのバーに飲みに行って、せいじの炎上の話しになったときにその女性はせいじの韓国との断交発言を持ち出して来て「自分が在日のくせに何を言うとんねん」と憤慨していたのであった。その女性が言うには、千原という姓は在日の名前だということである。私には千原という姓が本名かどうかも知らないし、在日であっても日本人であってもどうでもよいというか、それで見方が変わることはないが、仮にもし在日の人間であるとするならば、日本は韓国と断交すればよいなどと日本の立場で言えることに凄味を感じる。しかしその瞬間に思ったことや感じていることを何の計算や忖度もなくずばっと言うことが一つの芸であるとするならば、往年の横山やすしのような破滅型の天才性は芸人としてあるのかも知れないが、まあはっきり言って今の時代の雰囲気にそぐわないというか、少なくとも政治的な発言をするのであれば、それが左寄りであろうと右寄りであっても、それなりに考えて、それなりに勉強してから発言する方が本人の身を守るためにも、世の中のためにもなるというものである。

最後に私自身の外国人問題の見解を率直に述べるのであれば、以下の通りとなる。それは私が住んでいる大阪市においても、もう外国人だらけである。特に私が住んでいる家の数十メートル離れたところに、東南アジア系の何かの研修センターがあって、そこからぞろぞろと東南アジアの外国人が連れ立って歩いているのが日常的な風景である。それ以外にもどこの国の出身かわからないような、見たところインド人なのかとも思えるような人が自転車に乗っていたり、業務スーパーで買い物をしている姿もよく見かける。繁華街のミナミを歩いていても日本人よりも外国人の割合の方が多いように見受けられる。私は日本の国産腕時計が好きでよくビックカメラやヨドバシカメラの時計売り場を見に行くが、買いに来ている客だけではなくて最近は店員までが中国人になっている。もうまるでリドリー・スコットが描く映画『ブレードランナー2049』のような光景になってきている。但し正直な所、私はそれで治安の悪さとか住み難さというようなものはほとんど感じていない。その点はせいじが西川口を歩いた印象と通じるものがあるような気がする。せいじは正直だから自分が思ったことをそのままに伝えるのである。でもそこで話しが終わるのであれば何の苦労も問題もないということになるが、そういうことではないと思う。私は外国人の多さに治安の悪さや住み難さではなくて、ひたすらに違和感を感じる。問題はその違和感の正体が何なのかということである。大阪市に川口市のようなクルド人がいるのかどうかわからないが、仮にクルド人がいたとしても、或いはそれがベトナム人やミャンマー人であっても確かに生活上のゴミ出しのような問題はあるかも知れないし、外国人によるレイプ被害があるのであれば確かにそれは論外に許されることではない。しかしそれでもそういう問題ではないような気がするのである。はっきり言うが、こう言っては何だが、クルド人とかベトナム人とか何人か知らないがマナーの悪さや犯罪率の高さの問題はあるにしても金のない人間が多少増えたところでさほどの脅威にはならないと思うのである。本当の脅威とは何か、目を背けてはならない事実とは何かといえば、金のある中国人が日本の土地や家などの不動産、企業や山林などを買い漁ってその買収活動が中国共産党の政策と深くつながっている可能性があるということではないのか。そしてそういう事実を日本の国民に目立たないようにさせるために、敢えて日本の政策で中国以外のクルド人や東南アジア系の外国人を意図的に増やしているのではないかということである。まさかと思うかも知れないが、自民党は平気でそういうことをする政党なのである。いやそういうことしかしていない政党なのである。前回の記事が私が述べた自民党の唯一性とはそういうことなのである。私が言わんとしていることがお分かりであろうか。自民党の唯一性とは見掛けと建前はともかくも実質的には日本には自民党の政治一択しかないということだから、その政治体制というものは中国の共産党一党支配というものと極めて親和性が強いということなのである。それゆえに日本の政治が中国に徐々に侵食されていくということはある意味では必然的な帰結なのであって、その日本の中国化というものがグローバリズムというものと複雑に結びついて実態がより一層に見え難くなっている現実があるということである。目の前の現実は大切ではあるが、目の前の光景に騙されてはならない。はっきりと言うが、自民党は、自民党の唯一性は国民の目を暗ませることしか考えていない。そして日本の大衆はそういう政治のために日々一生懸命に働いて税金を納めているということで、自民党の議員など世襲の馬鹿ばかりなのに、哀れというか悲しいというか、何と言えばいいのか適切な言葉が見つからない。

(吉川 玲)