龍のひげのブログ -3ページ目

オールドメディアとネット系企業の関係性と世論の形成のされ方について

ということで、いやいやいや、いつものことであるが、何だこの報道の仕方はと、呆れるというか、腹立たしいというか、こんなんでこの国は大丈夫かと不安になるなど色々なマイナスの気持ちに苛まれるが、ともかくも以下のヤフー記事(TBS NEWS)を読んでいただきたい。そしてついでに、その報道について書かれているコメントについても主だったものをざっと目を通していただきたい。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b0742b7e5cdb1531ed570f4ab9a0ec780a806a96

さて、どのような印象を持たれたであろうか。アメリカのウォルツ国連大使が22日、CBSテレビの番組で「日本の総理が海上自衛隊による支援を約束したばかりだ」と話したことに対して、木原官房長官は23日、「日本として何か具体的な約束をしたとの事実はありません」と否定したという内容だ。これだけを読めば、アメリカと日本で、日米首脳会談の場での話し合いの結果について齟齬、対立が生じているような、何かしら不穏な雰囲気を感じられるであろうと思われる。ウォルツ国連大使が、高市総理の発言について曲解したり、誇張して言っているようにも受け取れる。そしてコメントの内容についても、そういう印象に沿ったものの意見が多く見られる。

では実際にはどうであったかと言えば、以下の動画を見て頂きたい。テレ東配信の3月23日午前、木原官房長官定例会見14分23秒ノーカット動画である。じっくりと見て欲しい。

https://www.youtube.com/watch?v=QZht0e3IufY

5分20秒辺りで産経新聞の記者が、茂木外相のTV番組での発言として、日本の機雷掃海の技術は世界最高であることから、停戦状態となり機雷が障害だという場合には、ホルムズ海峡への機雷掃海部隊の派遣を考えることになると言及したが、政府としても同様の考えなのか認識についてお伺いしますとの質問に対して、木原官房長官は現時点において特定の取り組みが念頭に置かれている訳ではなく、また何ら決まった取り組みというものはありませんが、日本としては関係国と意思疎通をしながら現下の情勢をよく踏まえつつ必要な対応を検討してまりますと回答している。

次に8分40秒辺りから、日本テレビの社員が日米首脳会談の直前に発表された共同声明に関して、日本としてはどのような取り組みを具体化してホルムズ海峡の航行の安全確保を図っていくかについて質問している。それに対して、木原官房長官は、我が国は、米国が建設的な役割を国際的な連携の下で発揮するよう引き続き後押ししてゆくという観点から、今回、共同声明に参加することにしたものであります。ホルムズ海峡における航行の安全の確保を含む中東地域の平和と安定の維持というのはエネルギーの安定供給を含め、日本を含む国際社会にとってきわめて重要であると申し上げています。現時点において特定の取り組みというものが念頭に置かれているわけではありませんが、日本としてはこの声明も踏まえホルムズ海峡における航行の安全の確保に向け関係国や国際機関を含めた国際社会と緊密に連携しながら必要なあらゆる外交努力を引き続き行ってまります、と答えている。

そして11分ごろから,問題のTBSテレビが、自衛隊の支援ということで、同じようなことを聞いている。アメリカのウォルツ国連大使はアメリカのTV番組で高市総理が航行の安全確保への支援として自衛隊の支援を約束したと発言しました。高市総理は日米首脳会談後のぶら下がりで、日本の法律の範囲内で出来ることと出来ないことについて詳細にきっちりと説明したと述べておりますが会談内で支援を約束したのか先ず事実関係をお伺いします。また法律の範囲内で出来る支援として想定されているものがあれば教えてくださいと聞いている。それに対して木原官房長官は、日本として何か具体的な約束をしたとの事実はありません。その上で申し上げれば、今般の日米首脳会談においてはトランプ大統領からホルムズ海峡の安全確保は非常に重要であるとして、ホルムズ海峡における航行の安全に関し、日本を始めとする各国に対し貢献の要請がございました。これに対して高市総理からは、ホルムズ海峡における航行の安全の確保はエネルギーの安定供給に関する観点からも重要であるとの認識を示したうえで、我が国の法律の範囲内で出来ることと出来ないことがある旨を伝えこれについて詳細に説明をいたしました。

以上である。さあ、どうであろうか。各質問者はそれぞれのメディアを代表して、切り口を変えて聞いているが結局、同じことを聞いているのである。それに対して木原官房長官は、繰り返し丁寧に同じことを述べている。現時点で具体的な支援、取り組みというものはまだ決まっていないが、関係国と連携して、法律の範囲内で出来ることはするつもりであると。要するに何らかの形での支援をすることに関しては、決して否定的、後ろ向きではなく、むしろ能動的な姿勢を示していると言えるであろう。だからアメリカのウォルツ国連大使の発言は決して曲解でも誇張でもないし、日米で齟齬や対立がある訳でもないということである。現時点で支援の内容が具体的に決まっているかどうかは枝葉末節ではないのか。TBSは何でこのような報道の仕方をするのであろうか。典型的に悪質な印象操作ではないか。オールドメディアはこういうことを日常的に何万回、何十万回と繰り返して世論を意図的に作っていくのである。ここにおいて現代社会における情報リテラシーの問題として、オールドメディアとヤフーなどのネット系企業の関係性や世論の形成のされ方について考察すべきであると思われる。たとえば、今回の例で言えば、ヤフーニュースに掲載されたTBSの記事は広告ではなく、著作権が発生しているので、ヤフーがTBSから一次情報を仕入れているということで、恐らくはヤフーがTBSに料金を支払っているのであろうと思われる。よって言うまでもないことだが、ネット系企業とオールドメディアは、対立しているのではなくてビジネスパートナーなのである。それではその関係性がどのように世論の構築につながっていくかということであるが、先ずヤフーなどのネット系企業は基本的には政治的に右、左の思想傾向があるかと言えば、全くないということもないのであろうが、TBSなどのオールドメディアに比べればほぼないに等しいものであると言えよう。ないからこそオールドメディアとのビジネスパートナー関係が成り立つということである。それは必ずしも良いことではなくて、言い換えれば情報の思想性というものを日本ではオールドメディアが独占しているということなのである。たとえば今回の例で言えば、もちろん私の推測なので実際にどうかはわからないが、ヤフーはオールドメディアから仕入れた一次情報の編集には全く関与していないと思われる。見出しはどうであるとか、記事の内容をどうするかと言ったことは、一日に大量の記事を掲載しているヤフーのスタッフが、一々思慮して、決定するようなことはしていないであろうし、する意味がない。恐らくは文字数や画像の制限などを仕入れ元に伝えて記事を作成させ、それを右から左へと公開しているだけである。今の時代は、TVも見なければ新聞も読まない人間が増えているので、オールドメディアにとっては自社に都合の良い印象操作を最も効果的に広める道具が実はネット記事であるということなのだ。これは別にネット系企業を批判している訳ではなくて事実としてそうであろうということである。それでその構造をより強固にさせる仕組みとして、たとえばヤフー記事であれば、そのコメント欄の上位に「エキスパート」の称号がある識者というか専門家の意見が先ず出てくる。恐らくそのエキスパートはヤフーから依頼されて専門家としてのコメントを提供している立場なので、ヤフーからその代価としての料金を受け取っていると思われる。それはまあ当然のことであるが、問題は恐らくはそのエキスパートたちはヤフーから提示された文面の情報を見ただけでコメントを作成していて、その元情報を調べるようなことまではしていないであろうと想像されるということである。今回の例で言えば、木原官房長官の定例会見の動画である。そんなものは検索すれば瞬時に出てくるのでその気になればいつでも簡単に見れるものだが、まあこう言っては何だが、世論の形成のされ方という意味合いで述べていることなので敢えて言うが、そこまで面倒くさいことをするほどの料金をもらっていないからであろうということだ。どういう契約内容かもちろん部外者の私などには全くわからないが、恐らく一つのコメントに対して10万円ももらっていないのではないかと想像される。数万円程度の端金で15分弱の元動画をじっくりと見てからコメントを作り、投稿などしていられないという気持ちもわからないではないし、批判するつもりも毛頭ない。忙しいのにネット記事のコメント程度にそこまでしていられないであろう。しかし問題はそれで確かに日本の世論がある程度は形成されるということなのである。今回の記事に対するコメントを見ていても少なくとも私にはどこかピントがずれているような気がしてならない。元情報の動画を見ていないからである。TBSが作成、出稿した記事がヤフーに掲載され、そしてエキスパートのコメントから一般の大衆へと政治的な印象操作が上から下へと伝播、拡散するシステムが確立されているのである。そういうことをよく弁えた上でネット情報に接するのか、全く無防備に見て何らかの印象を持ってしまうかで、情報リテラシーの質という観点から見れば雲泥の差があると言えるのではないであろうか。まあ、でも私もそうであるが誰しも忙しいのである。そんなことまでやってられないのだ。そうして一人一人の面倒くささの連鎖と蓄積の中で世論が形成され、日本という国家は一部の者の利益のために永久に操作され続けるのである。

(吉川 玲)

女の度胸が世界を救う

ということで、これから世界はどのようになっていくのであろうか。知らんけど。この知らんけどの用法が正しいのかどうかも知らんけど。ともかくも日米主導会談で高市総理がトランプ大統領に対して、ホルムズ海峡への艦船派遣を断ったことは賢明な判断であった。賢明であっただけでなく、日本の法律の制約を説明して険悪な雰囲気になることもなく断れたことは素晴らしかったと思う。高市総理が「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけだ」と言ったことに対して、日本の左派の言論、朝日新聞などは、見苦しい媚び、おべんちゃらだなどと難癖を付けているが果たしてそうであろうか。今の時代は、何でも差別だ、女性蔑視だなどと特に朝日新聞のような左翼マスコミが批判するので言われなくなったが、俗に「男は度胸、女は愛嬌」であるという。私は高市総理を見ていてつくづくと思うことは、もちろん人にもよるが、日本の政治家の「男」はことごとく全然、ダメだということである。女性の高市総理には愛嬌がある。華がある。その上で言うべきことは言うという最低限の度胸を持っているようにも思われる。一方で日本の男の政治家はどうかといえば、一片の度胸も愛嬌もないような連中ばかりではないか。たとえ見え透いたおべっかが用いられようとも、その場の雰囲気が友好的で華やいだものになって、こちら側の日本の立場が理解される会談になるのであれば、少なくともそれを見ている日本の国民は気分が落ち着くのである。明日に希望が持てるのである。生き辛い世の中であっても何とか頑張って生きていこうという気持ちにもなるのである。それが政治のリアリズムというものである。男がどうだとか、女はどうだなどと言いたくはないが、これがたとえば前総理の石破茂氏であったならば、高市総理のような芸当が果たして可能であったであろうか。想像して欲しい。いや想像もしたくないであろう。石破茂には、度胸もなければ愛嬌の欠片もない。会談の場の落ち着きや安心感もなければ、笑いも生じないであろう。どこを見ているのか、何を言っているのか、何を考えているのかわからない。華がないどころか、はっきり言ってグロテスクなだけである。そういう政治シーンを日常的に見させられていると、日本の国民に鬱病が増えるのである。それもまた政治のリアリズムである。ところがそういう男の、いや男性的な嫉妬が、難癖を付けて誰かの足を引っ張ろうとするものである。石破氏ほどではないにしても日本の男の政治は、度胸もなければ愛嬌もないという点で、もうどうしようもないほどに救いようがないと言わざるを得ない。要するに今の時代の日本の男は政治に向いていないのである。政治とはそういうものであろう。だからこれからは高市総理以後も度胸と愛嬌を兼ね備えた女性の政治家に期待する以外にない。変に男性的な、政治的に劣化、堕落した男の傾向性を引き継いだだけの、何か勘違いしたような女の政治家はいらんけど。

ということで話しを戻して、ホルムズ海峡のような袋小路に日本の艦船が出向いたとしても、後方支援も何も360度の方位から標的にされるだけで、何も出来ないだけでなく、足手纏いになるだけだと考えられる。そもそも今の時代の戦争は、一昔前のように戦艦が砲弾を受けてから、敵を判別して反撃するというような牧歌的ものではなくて、AIでコントロールされたドローン兵器が瞬時に敵と味方を判断して、予測不能なアルゴリズムによって襲撃してくるものなので、日本の憲法9条のいわゆる専守防衛的な概念そのものが時代遅れというかナンセンスになっていると考えられるものである。敵艦を見つけました。砲撃されました。だから自衛のために反撃します、というような三段論法は通用しないのである。そういう考えで動いている艦船は味方陣営にとって邪魔でしかないといえよう。アメリカのパランティア社が開発している軍事ソフトがそのようなAI戦争に対応したもので、高市総理もパランティアの創業者であるピーター・ティール氏と最近、会っているようだが、仮にその軍事ソフトを日本が高額な金を支払って導入したとしても、実践の場においては憲法9条の制約が足枷になって、おそらくは使いこなせないのではないかと危惧されるのである。だったら憲法改正をしてという流れに本来はなるはずであるのだが、現実問題として自民党が衆議院で3分の2の議席を有しているような状況であってもスムーズにはいかないというか、時間が掛かり過ぎて今の世界の危機のスピードに到底、ついていけないものであることは明らかである。だから私は前回にも述べたように、日本の自衛隊が米国に移管されて米軍になるべきだということなのである。そうすれば、日本が有効活用できないような軍事ソフトを何もパランティアから多額の税金を投入して買わされる必要もなくなるではないか。そういうことなのである。全てはそこに行きつく、行きつかざるを得ないということである。最後に付け加えて言うならば、イランは親日国家である。高市総理はイランとアメリカを仲介するパイプになって、今の危機的な中東情勢を、ホルムズ海峡の封鎖を終結させる役割を恐れることなく積極的に果たす勇気を示して欲しいと願うものである。それが可能なのは今の日本には高市さん以外にはいないということだ。度胸も愛嬌もない男の醜い嫉妬など気にする必要はない。

(吉川 玲)

日本人はいかにして生きていくべきなのか

ということで、日本の未来、行く末にとって極めて重要、重大なことでありながら、誰も言わないのであれば、私が言わなければならない。結論から言えば、日本は核兵器を保有すべきである。と、このようなことを言うと、返ってくる反応はある程度、予想できる。今のイランのような戦争状態になってしまうではないかと。破滅にしかならないと。だが、果たしてそうであろうか。日本は、西側諸国の立派な一員である。これまで世界各国に対して資金援助や技術供与などで多大な貢献をしてきているはずである。もちろん日本が西側諸国の同意なしに独走で核開発をして孤立状態に陥るようなことは、絶対にあってはならないことであるし、またあり得ないことである。それでは仮に日本政府が核兵器を持つことを主張するとすればどうなると思われるであろうか。いやその問いも、問い自体が答えを内在させている。ある日突然、唐突にそのような意向をG7などの国際会議の場で日本が言い出せば、気でも狂ったのかと嘲笑されるだけで全く相手にもされないであろう。当然、水面下で時間を掛けてじっくりと慎重に合意の根回しを進めていく必要性はある。それでも日本にその可能性が、つまり核兵器を持ち得る可能性が全く無いかと言えば、そうではないと思われる。それでは質問を変えて、日本が核兵器を持つ方向性に舵を切った場合に、どういう条件であれば、西側諸国は、NATO加盟各国は、いやアメリカは同意する可能性があると考えられるであろうか。アメリカさえ同意してくれれば後は何とでもなるように思われる。先に大前提として言っておかなければならないことは何のための日米同盟なのかということである。このような提案や交渉もできないような同盟などそもそも同盟関係でも何でもないものである。私が考えるに、日本が独自で核兵器を開発し、保有し得る唯一の条件は、核兵器使用の最終決定権を日本が放棄し、アメリカに完全に委ねるということである。そんなことをして何の意味があるのかと疑問を感じる人もいるかも知れないが、大いに意味はある。核兵器は他国からの戦争や侵略への抑止力になっていればよいのであって、使用の決定を誰がするかを分離して考える方が日本にとっては適切であり、またその姿勢が日本という国のある意味では特殊性であるとも言える。そもそも核兵器を実際に使用することなど独裁政治の国であっても、そうそう簡単に決定できることではない。ロシアのプーチン大統領でさえウクライナに侵攻した当初は、核兵器使用の命令を伝達する鞄を常に持ち歩いて今にも発射させるかのように威嚇していたが、今の状況を見ればその可能性は極めて低いと見れる。ましてや日本には100%無理であると言えるものであって、「所有すれども使用せず」は日本に相応しい核兵器との関わり方であると言えよう。そもそもウクライナも1991年のソ連からの分離独立時において、ソ連の核兵器を放棄せずに持ち続けていれば、現在のような地獄の状態を招いてはいないのである。トランプ大統領が、このような日本の提案にどう反応するのかはよくわからないが、仮に日本が核兵器を保有するとすれば、トランプ政権の今しかないし、千載一遇のチャンスであると言えよう。アメリカも大統領が代われば、考え、方向性が変わるかも知れないが、トランプ大統領は世界の警察を止めると言っているのである。莫大なコストが掛かり、アメリカの財政を圧迫させ、アメリカの軍人がアメリカとは直接的な関係のない、他所の地域の戦闘で血を流したり、命を落とすことは割に合わないと言っているのである。自分の国は自分で守れと言っているのである。地球を東半球と西半球に分割して、東側のアメリカ大陸とその周辺にしか責任を持てないと言っているのである。ならば日本がアメリカの同盟国としての立場から、アメリカに使用決定権を付与した核兵器を保有したとすれば、その抑止力からアジアに軍事的な均衡と安定をもたらし、アメリカはより一層の経済の繁栄を追求し得る土台となるではないか。現在の状態は、日本に米軍基地があるといっても、アメリカ本国とは太平洋を跨いで距離があり、中国の軍事的な暴走の危険性を考えると、とてもではないが、均衡や安定が保たれているとは言えないものである。アジア地域の安定のためにこそ日本に核兵器が必要なのである。それもアメリカの核兵器ではなく、日本が独自に開発し、管理することに意味がある。なぜなら最終的に、世界はどのように変化していくかわからないので、中国とアメリカが手を結び、米中の軍事的な対立構造が消滅してしまえば、日本はその狭間で極めて無防備かつ危険な状態に導かれる可能性があるからである。日本は米中両国に都合よく支配され、搾取されるだけの国家になり、究極的には日本という国家の名目上の存在意義すら否定される事態になるかも知れない。もうすでに今でさえ実質的にはそうなりかけているというのに。少なくともトランプ大統領の政治手法、ディールにはそういう危険性が含まれていることを我々日本人はもっと警戒する必要性がある。日本の存続のためには米中の最低限の軍事的な対立の図式は必要なのである。それを日本の政治家は、いまいち理解できていないように危惧される。日本が使用することを放棄する核兵器を持つようなことは、日本の国家としての独立性を棄損することになるのではないかという意見もあるかも知れないが、それに対していまさら何を言っているのだと言わざるを得ない。そもそも本当の意味での日本の独立など、これまでにもあり得なかったではないか。日本という国が抱えているの最大の問題とは何かお分かりであろうか。それは実質的に自主独立できていないにも関わらず、形式上だけでなく実質的にも完全な独立国家であるかのように国民に見せかけるための政治や報道に全てが終始していて、その矛盾や齟齬が国民生活や安全保障上の様々な問題を生み出しているというところにある。戦後のGHQがそのような日本統治の仕組みを構築したのであるが、戦後レジームからの脱却はトランプ政権の今しかない。理想論を言えば切りはないが、現実主義の観点に立てば、日本は米国からの軍事独立など絶対にあり得ないし、対等な軍事同盟とも到底、言えないものである。これからの時代は国家機能というものを分割して考える必要がある。日本は軍事的にはアメリカに全面的に従属しているべきであるし、それ以外の選択肢はない。軍事の独立を完全に放棄することによって、政治や経済分野において自主独立への可能性の芽が出てくるということだ。これまでの日本は虚構に縋り付いていたせいで、全てがない交ぜ状態で外部圧力からのコントロールを受けざるを得ない状態にあったと見れる。核兵器だけの問題ではない。注目を集めるだけの極論のように思われるかも知れないが、そうではなくて本気で思うところだが、日本に自衛隊は不要である。どういう意味が、何が言いたいのか、お分かりであろうか。不要という意味は、自衛隊は米軍に移管されて、吸収合併されるべきであるということだ。企業間における部門吸収のように、日本の自衛隊は米軍のアジア極東支部になればよい。自衛隊が保有する全ての武器や情報、人員を全て無償で米軍に供与すべきである。これがどのような効果をもたらすか分かるであろうか。効果というよりも日本の全ての問題が瞬時に解決するとも言えよう。日本に軍隊はなくなるのであるから、憲法9条の解釈上の問題も、集団的自衛権の在り方の議論もなくなる。戦後の日本が延々として繰り返してきた神学論争のような不毛で生産性のない対立の図式から解放されるのである、朝日新聞も共産党も立憲民主党も社民党も何も文句は言えないくなるであろう。日本の軍部は消滅して、全ては米軍になるのであるから批判のしようがない。面白いではないか。いやそんなことになれば、台湾有事の際に日本の自衛隊は、アメリカから使い捨ての駒のように出動を命じられて、多数の日本人兵士の人命が犠牲になるだけだと思われる人もいるであろうが、私はそうは考えない。なぜなら自衛隊が米軍の下部組織なり、一支部になれば、当然米軍から兵士や幹部が自衛隊に出向してくることになるであろうから、自衛隊員を消耗品のように扱うことは考え難いということと、そもそもアメリカはかつてのベトナム戦争のように泥沼の地上戦の戦いをやらなくなっている。だから自衛隊は、日本の軍事組織であるよりも、米軍に吸収された方が何よりも安全であるし、強力になるし、日本の様々な矛盾や束縛も雲散霧消することになるので、何も悪いところはないはずである。その上で先にも述べた通り、日本が核兵器を保有すれことになれば、沖縄の基地問題も解決に向かうであろうし、いわゆる思いやり予算というものも大幅に削減することになるであろう。今の日中の緊張状態も、結局のところ軍事力のバランスが取れていないのに、無理やり経済だけを優先させて、見せかけの友好関係を樹立させようとする姿勢が、そもそもの間違いとというか問題の根源であると言えるものである。話しが逸れるが、ウクライナのロシアとの戦い方を見て、日本のリベラル、護憲派の人々は心が痛まないのであろうか。恐らくはそういう人々は本質的な部分では何も考えていないのであろうし、頭の中で具体的に想像する能力もないのであろう。ウクライナのロシアに対する戦い方こそが、日本の憲法が自衛隊の在り方として規定する専守防衛のようなものである。もっぱら自国の領土を守るだけで、長距離ミサイルでロシア本国を攻撃することもNATO諸国から許されていない。日々、多くの若者が死んでいくだけの地獄の消耗戦である。もちろんロシアの兵士もウクライナ同様に、あるいはそれ以上に消失しているのであろうが、攻め込んでいる側(ロシア)は、その地域での戦闘が劣勢になれば、一旦、本国の安全地帯に退避して、仕切り直しをすることが可能だが、攻め込まれているウクライナは、逃げていくべき安全地帯がない。東側から西側にロシアの領土を拡げられていくだけであり、後退は兵士の死や国土の割譲を意味するものでしかない。その精神的な苦しさや戦い続けることのモチベーションを維持することの難しさというものは、攻める側と守る側では雲泥の差があると思われるが、戦争における「専守防衛」の理念など本当に何の意味もないと言えよう。そのような訳の分からない憲法の条文に縛られるのであれば、自衛隊は米軍に移管されるべきなのである。もちろんこのようなディール(取引)に対して、トランプ大統領がどのように考えるかわからないが、もちろん交渉してみる価値はあるのではなかろうか。それが政治というものの本来の在り方ではないのか。それからマスコミの言うことなど、私は相手にする必要性はないと思っている。マスコミは特にオールドメディアは彼らにとっての都合の良い自説やイデオロギーを主張し続ける立場や地位、影響力を既得権益として頑なに守っているだけで、本当にその主張内容が今の世界や日本の状況に合致していて、そこに普遍的な正義や価値があると、心の底から信じ込んでいるかどうかは別問題なのである。純粋に世界に向き合っているのではなくて、そう主張する自分のプライドと自分の後ろ盾(組織)を守っているだけなのである。たとえば朝日新聞の記者が何らかの理由で朝日新聞社を退職すれば、2,3日後はともかくも1年ぐらい経過すれば恐らく考えが変わるであろうし、共産党の政治家が共産党を離党しても、程度の差はあれど同じようなものだと思われる。もちろん読売も産経も同じなのであろうが、左派とかリベラルのイデオロギーの特質は、世界や世の中が実際にどうであるかというよりも、その世界をどのように見做し、解釈するかということの考え自体やそれを主張するところの自分自身や組織に価値を置く、要するに自己反省や内省のない思想なのであって、今のように、世界のパラダイムが転換してゆく変動期や戦争や有事の際には、そういう性質のイデオロギーなり攻撃的言論が社会に与える負荷が大きいということが重大な弊害であると私は常々、考えている。それから最後に誤解のないように言っておかなければならないが、私は何もアメリカが全面的に信用できる偉大な国家であるなどと思っているわけではない。これまでの歴史を振り返って見ても、戦争の原因を自ら作って、戦争を仕掛けてばかりいる陰謀国家であることは間違いない。太平洋戦争末期においても日本が降伏しているにも関わらず原爆を投下しているのだから、野蛮で暴力的な国であるとも言える。今のイランに対する攻撃もやり過ぎだという人も多いであろう。それでもアメリカは政治的自由というものが確かにあり、自由の女神像の如く世界を照らしていることも事実である。アメリカはその自由の理念によって自ら変わり得る国であり、またその自由の価値を守るために戦う国でもある。我々日本も西側諸国の一因として、一義的に何の価値を守るべきかといえばやはり独裁による弾圧ではない個人の自由や人権なのではないかと私は考えるものである。ロシアや中国、イランなどには政治の自由というものや人権を守る価値というものがないではないか。そういう意味で、私は決して内部的に変わり得ないロシアや中国と戦略的互恵などという体裁のよい言葉で飾り立てながら、必要以上の友好関係を構築しようとする政治家を信用できないし、危険だとも考えている。まあそういうことで、確かに考えは人それぞれであって、もちろん自由主義の観念は、独裁政治の国家を擁護したり、共産主義の理念を賞賛する自由も包含するのであり、それらを総合しての自由民主主義であるべきことは言うまでもないことであるが、私が言いたいことは一口に自由と言っても、何でもかんでも一つの鍋に放り込むように自由の具材を入れて、ことことと煮込んでも碌な料理にはならないということである。自由には規律と責任が必要である。社会の事を何も知らない小学生の自由や、狂人や犯罪者の考える自由というものを社会的な規範に組み込まれるべきではないのと同様に、オールドメディアの権威主義的な論調や影響力も、その自由の観念が情報操作によって彼らに都合の良い方向に誘導されたり、制限されたり、色付けされるという意味合いにおいては、決して報道の自由などではなくて単なる社会の弊害に過ぎない。今回、私が述べたことは、前回の記事で述べたように、TVや新聞の情報を拠り所にしていれば、絶対にたどり着けないであろう日本の国家が向き合うべき最適解の一例なのである。自由にはコストもかかるし、余力も必要である。だから自由は大切であるが、自由の乱費や誘導は大きな問題だ。今、我々日本人は自分たちの生命や財産を守るための最適解を絶えず見つけていかなければ、生き残ってはいけないのである。その最適解はAIに聞いても正しい答えは返ってこないであろう。AIに聞いている時点で奴隷である。人間が、日本人一人一人が考えなければならないことである。そういうことだ。それが私の言いたいことである。

(吉川 玲)