この国を蝕む自民党の唯一性について
ということで歳を取って来ると、別に何だっていいんだという気にもなってくるのだけれど、参議院選挙も終わって自公が過半数を割り、新興勢力の保守系政党が大幅に議席を増やしている状況にあるのだが、そもそも自民党とか政権与党という存在は基本的な存立の意義として本質的に「保守」であるべきではないのかとも思うのだが、
一体、日本の政治は、国家精神というべきものはどうなっているのかと嘆かざるを得ない。結局、日本の政治は何をどうごまかそうとも自民党の自民党的な政治一択しかないから、たとえばシーソーの両端に共和党と民主党が座ってぎっこんばっこんと浮いたり沈んだりのバランスが取れないというか、自民党という唯一性の大きな果実が瞬く間に腐ってゆくと目の前の食べれるものはそれしかないから、どんなに空腹であっても、餓死しそうになっても選びようがないのである。それが日本の政治空間である。石破総理が辞任するとかしないとかは、どうでもいいことであって石破氏が辞めたとしてもその後に誰がなったとしても自民党の唯一性は、消えないし、死なないし、不滅なのである。長嶋茂雄氏が引退するときに述べた「わが巨人軍は永遠に不滅です」のメッセージと同様に自民党もまた永遠に不滅なのである。日本の非日本的な一つの大きな塊として腐っていく一方なのである。そして自民党の唯一性だけが不滅であって、日本という国家は消失し滅亡していくのである。この根源的な宿痾に向き合わずして、一体日本の政治の何を語るというのか。何を見て、何に精神を向けるというのか。こんな馬鹿馬鹿しいことはもういい加減にやめにしてはどうなのかと言わざるを得ない。繰り返すが自民党の唯一性というものは、仮に自民党が立憲民主党に成り代わったとしても、それは表層的なことであって何も変わらないのである。石破総理が辞任して、高市早苗氏になったとしても自民党が保守に立ち返る訳ではないし、恐らくは何もできないであろう。小泉純一郎氏を真似て誰かが再度「自民党をぶっ壊す」などと高らかに叫んだところで、一つの見世物としてネタとして注目を集めることには成功するかもしれないが、自民党の唯一性は決してなくならないし、壊れないし、不滅なのである。何でそのような明白なことが多くの人々には理解できないのであろうか。見えないのか。あなたたちは誰もがまるでヘレン・ケラーの三重苦のように、見えず、聞こえず、語れないのであろうか。生きていく上で大切なことはという意味である。だったらどうすればいいと言うのか、日本人はどうすべきかと聞かれても困る。どうしようもないからである。どうしようもないのであるが、日本人の多くがこの自民党の唯一性の中で見えず、聞こえず、語れないという状況を腹の底からよく理解するということ、そして冷たい水に手を触れて、それを両手に受けて飲み込み、世界に向けて一言「ウォーター」と言う第一歩を踏み出せるかどうかが全てではないかという気がする。その一言が言えた時に日本人は、自民党の唯一性という暗闇から抜け出して、新たな世界を手探りで構築していくことになるような気がしないではない。抽象的過ぎてよくわからないと言うのであれば、具体的に言うことにしよう。日本の政治空間は今に始まったことではないが、実質的に自民党の一択しかないから選びようがないし、民主主義ではないし、元々の根底において保守も革新もないということである。保守的なものや革新的なものはあるのであろうが、それらも含めてそれがたとえ共産党であっても、日本の統治という大きな枠組みの中においては自民党の唯一性の中に内包されているということである。もっとわかりやすく言えば、政治全体が政党やイデオロギーの違いに関係なく結託して、国民に嘘をつき騙している状況が常態化しているということである。そしてその日本の政治の大きな塊は世界の潮流の中で、民意や世論や選挙結果とはほぼ無関係に腐敗し、堕落し、濁流のような大きな圧力に飲み込まれていく。その背景の元凶がいわゆるグローバリズムである。今回の選挙の争点となったものや、今の日本の問題とされているものは全てそこに行きつくものである。たとえば関税一つにしても石破総理は日本の国益のためだといいながら80兆円もの投資資金(税金)を米国に供与する約束をして、引き下げに躍起になっていたが、正しく言えば国益(国民)のためではなくて、一部の大企業の利益を守るためでしかないことは明らかではないか。そしてそのしわ寄せを国民に引き受けさせようとしているのである。そもそもグローバリズムというものは世界中に支社や工場や研究施設等を擁する大企業だけが極限まで売り上げを伸ばし続ける仕組みであったり、それを正当化する考え方であるということである。確かにトランプ大統領の関税政策は無理筋であると言えるものである。日本で米国車が売れないのは、政治に問題があるのではなくて末端の大衆が米国車を購入しようと思わないからである。その消費動向を変えるためには米国のフォードなどの自動車メーカーはもっと日本の市場を研究して、日本人が買いたくなるような車を作り、安心できるような購入後のサービス体制を構築する必要性がある。しかしトランプ大統領が世界中を相手にして交渉し、闘っていることの根本は、そういう個別のことではなくて一部の大企業のみが国民全体の本当の国益を犠牲にしてまでも勢力と政治的な影響力を拡大し続ける仕組みに対してである。ロシアとウクライナの戦争を停止させようとしているのも同じでトランプ大統領は人命尊重の人道主義的な観点から戦争を止めさせようとしているのではなくて、恐らくはその戦争での金儲けのために少しでも長引かせようと企んでいる武器商人や利権集団の存在が面白くないということが一番の理由だと考えられる。だから戦争や戦闘が国家的に本当に必要だと判断されればイランをミサイル攻撃するようなことも躊躇わないのであろう。不法移民や外国人問題も最近、日本でも注目度が大きくなっているが、グルーバリズムの観点から見れば、ある国の労働力や消費者がその国の国民でなければならないという考え方は、言って見れば参入障壁にしかならないということである。その国のネイティブの国民の生活レベルの低下や治安の悪化などは、大企業の利益追求のためにはどうでもいいということにならざるを得ないということとなる。特に日本のように人口の減少の流れが食い止めることが難しいのであれば、政治的には生活保護や奨学金を拠出してでも外国人を補填して、本来の国民の利益や生活レベル、治安を犠牲にしてまでも一部の企業の利益を維持する流れとなっていくのであって、これらのことは全て日本の政治が、言い換えれば自民党の唯一性が完全にグローバリズムに飲み込まれていることから必然的に発生している現象なのである。消費税も同様である。社会保障のために消費税が必要なのではない。大企業の研究開発費控除などの優遇税制を補填するために消費税が必要なのであって、結局、日本の政治は端から内需拡大による景気回復など1ミリたりとも考えていないということだ。考えられていることは大企業からの政治献金や選挙協力、官僚の定年後の天下り受け入れのことだけであろう。オールドメディアが喧伝する人権とか交流とか倫理を受け入れる前に、まず日本人は日本の無条件にグローバリズムに飲み込まれる自民党の唯一性や政治風土というものをよく咀嚼して自分なりの言葉を発するべきである。それが日本人全体にとってのヘレン・ケラーが発した「ウオーター」に相当する未来に向けた第一声となるであろう。
(吉川 玲)
予言と現実について
ということでXデーが目前に迫ってきた。日本が滅亡するほどのカタストロフィが発生すると言われている2025年の7月5日のことである。隕石や地震による大津波で未曽有の被害がもたらされるということらしい。
これはいわゆる予言である。ところで皆さんに聞きたいが、予言には2種類が存在するがそれが何かお分かりであろうか。答えは簡単なことで、的中する予言と的中しない予言である。それではさらに聞くが、的中する予言と的中しない予言の違いは何なのかということである。予言者の能力によるのだろうか、それともたまたま当たったりするのだろうか、そもそも予言などというものは全ていい加減なものでまともに論評するに値しないものなのであろうか。そういうことも正しいのかも知れないし、人それぞれに考えはあるであろうが、私に言わせればそうではない。多くの人に注目されている予言は当たらないし、注目されていない予言は全てではないが当たったりするのである。漫画家のたつき諒さんが表紙に書いていた2011年3月大災害の予言も誰にも注目されていなかったから当たってしまったのである。ノストラダムスの予言集においても16世紀のフランス国王アンリ2世の妹と娘がそれぞれ結婚することを祝う宴で行われた馬上槍試合でアンリ2世は対戦相手の貴族の槍が右目に刺さって致命傷を負いその10日後ぐらいに死亡してしまったことを予言詩で見事に的中させているのだが、それもそういう出来事が発生してから予言が的中していたことが後からわかったことであって、事前に予言が注目されていたことではないのである。ということでノストラダムスの1999年7の月人類滅亡の大予言も多くの人々が注目しているゆえに外れたのである。では何で予言は誰にも知られていない埋もれたようなものは的中するのに、多くの人々に注目されるような事態となると外れるのかということであるが、そもそも予言というものの性質や真贋についてよりも、我々がよく見極めなければならないことは、その予言が当たったり外れたりするところのこの目の前の現実とは何なのかということなのである。よく知られているように量子論的に考察すれば現実というものに実体性はないのである。ミクロの量子は観察者の視線を意識したように出現したり、消失したりするということである。ということは我々が日ごろの生活の中で当たり前のようにその存在を絶対的に感受している物質の集合としての現実は、ミクロ世界の量子レベルにおいては観察者の意識が映し出している映像かホログラムのようなものであると言えるのである。ここにおいて重要な認識は我々一個人の意識と映し出された映像、ホログラムとしての現実は、1対1の関係性で均衡が保たれているということである。よって誰にも知られていないような予言は、分かり難いかも知れないが、その予言者にとっての個人的な固有の現実であるということである。その個人的で固有の現実が多くの人の目に晒され、注目されるようになると意識と宇宙の1対1の関係性が壊れてしまうこととなるので、その通りには、つまりは予言された通りにならないということである。現実という言葉を使うから分かり難いのかも知れないが、現実とは夢のようなものなのである。夢とはどこまでいってもプライベートで個人的なものであって、多数の人間が同じ夢を見る(生きる)ことはできないのである。また当然のことであるが一人一人が自分の夢を見ているので、夢としての現実は一つではなくて無限に存在するということとなる。我々人間は自分の固有の夢を見ているだけなのに、それを唯一の現実として錯覚し、執着しながら生きているだけなのであろう。しかしそういうことを言うと、次のような反論が出てくるであろうと思われる。それは現実が夢であろうが幻であろうが、いざ実際に天変地異の大災害が発生すれば、多くの人々が否定しようのない悲惨な同じ現実の中に陥って、死や多大な苦しみを被ることとなるではないかと。確かにその通りである。現実がプライベートで個人的な夢であったとしても、我々の人生は他者とまったく別個で無関係の夢を見ている訳ではない。物質世界の堅固な基盤を共有しながら、その全体性のストーリーの中で、他者と類似した夢を見ているということである。だから大切なことは我々の身体も物質であるのであるし、その物質の物質性を否定したり、神秘主義や信仰に救いを求めるのではなくて、これまた分かり難い提言になるかも知れないが、自分が無慈悲で悲惨な現実の夢を選択することに同意しないということだと思われる。無意識なのか超意識なのか、何と呼ぶべきかはわからないが、日常意識とは別のところで同意しているか、或いは同意させられていることの内容によって同一現実世界の、同一時空間においても生と死の、そして悲惨と安泰の違いが生じるのではないかと考えられる。そしてそれは政治的に見れば日本全体の凋落や貧困と深く関連しているように考えられる。予言ではないが、連日のようにTVや新聞のマスコミが南海トラフ地震が数十年以内に確実に発生し、数百万人の人間が死亡し、1千兆円規模の被害が生じるなどと報道されていることの真意がお分かりであろうか。それは時間を掛けてそういう現実に遭遇することを多くの日本人が無意識に同意するように仕向けるための工作活動のようなものなのである。何でそういう工作活動をしているのかと言えば、そうするように命じている存在がいるからであろう。日本の政治やマスコミなどは会社で言えば、中間管理職のようなもので命じられた通りに動いているだけなのである。それで時に不規則的にこれまでの筋書きと異なるトランプ大統領のような人物が登場すると日本の政治やマスコミはどのように対応してよいのか分からなくなってしまって混乱するのである。それが今の自民党の姿である。ともかくも今の日本は全体として悪夢を見ることに同意させる力が強く働いていることは事実だと思われる。現実が夢だとしても、周りの多くの人が不幸で悲しい夢の中で苦しんでいる中で、自分一人だけが楽しい夢を見ることは難しいのである。あなたは今、どのような夢の中で、何を想って生きているのであろうか。
(吉川 玲)
ライジン男祭りを見て我思う。
ライジン男祭りを見終わった。GW中もずっと仕事でどこにも行かない私にとってはいい刺激でストレスの発散になった。どうでもいいけれど、格闘技に何の関係もないホリエモンを登場させるなよ。自民党と裏でつながっている大衆陽動の広告塔(のようにしか私には見えない)に場違いな登場のさせ方をして、持ち歌の演歌を歌わせるようなこと自体が格闘技という興行もまた戦後の3S政策の一つでしかないことを如実に物語っているものである。くだらないとしか言えない。朝倉未来については多くの人が予想していた通りに私もまた当初、鈴木千裕に勝てるイメージがまったく湧かなかった。ところが後出しジャンケンのような言及になるが、二日ほど前から未来が勝てる世間的にはまったく注目されていない細やかな要因があるように私は感じていた。それが何かと言うと、未来はこの1か月ほどグルテンフリーの生活をしていたという情報であった。未来はYA-MANや平本蓮にKO負けされたダメージが脳に残っていてパンチに対する反応が100分の1秒程度のレベルで悪くなっているのではないかと私には素人ながら感じていたが、前田日明氏も同じようなことを今回の鈴木千裕戦の予想の中で触れていたのであながち見当違いではないと思われる。それで私はその100分の1秒程度の反応の悪さを未来自身が自覚していないであろうことが決定的な敗因になるであろうと予想していたのだが、グルテンフリーに切り替えて体質の改善に努め始めたということは、未来が身体や脳に蓄積されたダメージを認識した結果なのではないかと思えてきて、もしかすれば勝つのではないかと思えてきたということである。それで今日の試合を見ていると開始当初から鈴木千裕の稲妻パンチにあっけなく被弾して、やられてしまうのではないかとひやひやしながら見ていたが、反応は悪くはなかった。ということで因果関係の程度などわかりようもないが、私にはそのパフォーマンスの向上にグルテンフリーが少なからず影響していたのではないかと思えるということである。大谷翔平もグルテンフリーを実践しているという。人間の限界を追求するようなプロスポーツの世界において最終的には食事の内容というか、何を身体に取り入れて、何を絶つかということは勝敗やパフォーマンスにおいて重大な影響を及ぼすのではなかろうか。ということはプロのスポーツ選手ではない普通の人々においても食事の内容は少なからず健康や生活の質に関係しているということである。そういう私も1年ほど前からグルテンフリーを実践していてパニック障害がなくなった。花粉症の症状もなくなったが、花粉症は元々加齢と共に症状が減じていくと言われているので関係性はよくわからないが、パニック障害が治ったことはグルテンフリーが要因であるとしか考えられない。グルテン(小麦)は内臓を疲労させるのである。日本人は体質的に特にそうだと言われている。それで脳もまた内臓みたいなものだから、グルテンフリーでパニック障害や鬱の症状は治ったり、改善するのである。信じる、信じないはその人の自由なので勝手にすれば良い。また身体に良くないとわかっていても小麦を止められない人がほとんどである。だから大谷翔平や朝倉未来や私のように、自分の意志でぴたっと小麦を止められるという、ただそれだけのことでも平均的な人々よりもはるかに優れているのである。プロのスポーツ選手はそういう自己管理の上でさらに結果を残していかなければならないので大変な世界である。さらに言えばメインイベントのフェザー級タイトルマッチでシェイドゥラエフがコレベル・コイケにKO勝利を収めたことで、私は早速アマゾンで、私の分と高齢の母の分のキルギス産蜂蜜を注文した。何の関係もないので宣伝するつもりはないが、キルギス産の白い蜂蜜は高価だが栄養価が高くてとても美味しい。標高1000メートル以上の高山地帯に生息する蜂は生命力が強いのだという。キルギス出身のシェイドゥラエフの強さには化学物質や添加物に汚染されていない、山岳の自然の中で育まれた純粋な生命力の結晶のようなものが感じられるからだ。未来の勝利でグルテンフリーの効果を確認して、シェイドゥラエフの勝利でキルギス産蜂蜜を注文する。どうだ、私は格闘技を見て興奮しアドレナリンを放出させていても、国民全体を無能化させる3S政策の術中には陥っていないぞ。だから私は自分の意志の自己決定で有害なグルテンを絶つことも簡単に出来るのである。
(吉川 玲)