『アジア開発史』 アジア開発銀行著 澤田康幸監訳 (2021年8月25日第1刷)
第1章 アジア開発の50年:概観① (第1章は①~②まで)
本書は、過去半世紀において、アジア開発途上国が繁栄に向けてたどった道程について概観するものである。ここでは、当該地域の目覚ましい成長と変化に注目し、その主要因を多面的な視点から明らかにするとともに、それぞれの国の固有性と多様性を浮き彫りにする。さらに、政策上の教訓や将来に向けた示唆を抽出する。本書では主に、アジア・太平洋地域でアジア開発銀行(ADB)に加盟する香港、大韓民国(韓国)、シンガポール、台湾を含む46のADB開発途上加盟国・地域の発展の経緯について論じる。必要に応じて、アジアの先進国であるオーストラリア、日本およびニュージーランドの3国についても触れ、1950年代にまで遡って議論する。
1.1 この半世紀におけるアジア諸国の急速な成長と貧困の削減
1960年代のアジアは主に農業を営む村落から成る低所得地域であり、そのほとんどの国や地域は、増え続ける人口のための食料確保に苦しんでいた。しかし、今や多様な輸出製品、成長するイノベーション能力、新興都市、そして増大する熟練労働者と巨大な中間層を抱える世界経済の一大中心へと変貌を遂げた。
1960年から2018年のデータによれば、アジア開発途上国の1人当たり国内総生産(GDP)の年間成長率は平均で4.7%であり、世界のどの地域よりも高かった。1960年、アジアの1人当たりGDPは330ドル(2010年米ドルベース)であった。2018年にはこれが4,903ドルと実に15倍にも増えた一方、世界全体での1人当たりGDPは約3倍の伸びにとどまった。その結果、世界のGDPに占めるアジア開発途上国の割合は4.1%から24.0%、日本、オーストラリアおよびニュージーランドを含めた場合には13.4%から33.5%と飛躍的に増えた。
1960年代には、労働力の3分の2超が生産性の低い農業に従事していたが、現在では、65%超が工業とサービス業に従事しており、一部の国・地域(カザフスタン、マレーシア、韓国、台湾など)ではそれが85%~95%にも達している。1960年代におけるアジアの輸出は農業やその他の一次産品、縫製品などの軽工業製品に限られていた。しかし現在、この地域は「ファクトリー・アジア」と呼ばれており、自動車、コンピュータ、スマートフォン、工作機械、ロボットなど、精密かつ革新的な製品を多く製造し輸出している。
また、交通・運輸とエネルギーの分野に多額の投資が行われたことにより、アジアのインフラは大幅に改善した。アジア開発途上国の電化率は90%にも達している。世界の高速鉄道網の4分の3はアジア地域において
敷設・運営されている。技術的進歩、特に情報通信技術(ICT)の進歩は、近年におけるアジア開発途上国の高付加価値サービス産業の成長の原動力となってきた。
経済協力開発機構(OECD)諸国との経済格差は依然として残っているものの、急速な経済成長や構造転換により、アジアのさまざまな開発指標は大幅に向上した。例えば、2011年の購買力平価で計測した国際貧困ライン(1日1.90ドル)に基づく極度の貧困率は、1981年の68.1%から2015年には6.9%まで低下した。しかしながら、1.5節で論じるように、アジア開発途上国はその成功にもかかわらず、今なお多くの課題に直面している。
1.2 アジアの経済的成功の理由
本書では、戦後におけるアジアの経済的成功は、優れた政策と制度に負うところが大きいということを論じる。第2章以降の14の章で詳述するように、時間の経過とともに、成功したアジアの国・地域は、程度の差こそあれ、以下に列挙したような政策を追求したという共通点がある。
・ 市場と民間セクターが成長の原動力となるものの、市場が効率的に機能しない分野では政府が積極的な開発振興による補助を行うこと(第2章)
・ 農業から工業、さらに高度な生産活動を含むサービス業への構造変化、ならびに都市化の促進(第3章)
・ 土地改革の実施、「緑の革命」の推進、ならびに農業の近代化と農村における改革の促進(第4章)
・ 海外直接投資(FDI)の誘致、研究開発(R&D)への投資、必要なインフラの建設、および知的財産権の保護等における技術的進歩の支援(第5章)
・ 義務教育、技術職業教育訓練(TVET)、高等教育、予防接種などにターゲットを絞った保健政策、そして国民皆保険等の推進を通じた、教育と保健への投資(第6章)
・ 主に銀行セクター(間接金融)を通じて高水準の国内貯蓄を動員し、生産的な投資をすすめるとともに、資本市場の深化を図ること(第7章)
・ エネルギー、交通、水の汚染および通信分野へのインフラ投資を優先的に実施し、成長を支えるとともに生活水準を高めること(第8章)
・ 開放的な貿易投資体制を導入し、資源配分の効率性を確保するとともに世界市場、外国資本および先進技術へのアクセスを実現すること(第9章)
・ 健全な財政政策および金融政策、ならびに柔軟性を持たせた適切な為替制度の採用等を通じ伝統的・非伝統的マクロ経済政策を通じてマクロ経済の安定を追求すること(第10章)
・ 社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)のある経済成長の達成に加えて、ターゲットを絞った社会扶助プログラムの促進を通じた、直接的な貧困削減の追求(第11章)
・ 教育 (女子就学年齢の向上など)、保健(妊産婦死亡率の削減など)および労働市場への参加におけるジェンダーの平等の推進(第12章)
・ 土地、水、空気など環境問題への積極的な取り組み、そしてより近年では気候変動の緩和策や適応策など、環境問題・気候変動問題への長期的な対応(第13章)
・ 二国間および多国間開発パートナーを発展のプロセスに参画させ、金融および知識の両面で恩恵を享受すること(第14章)
・ 地域協力・統合(RCI)を促進し、貿易とインフラの連結性、政策改革、ならびに近隣諸国との良好な関係を促進すること(第15章)
1.3 アジア・コンセンサスは存在するのか
アジアのサクセスストーリーを説明できる「アジア開発モデル」、あるいは、いわゆる「ワシントン・コンセンサス」とは異なる「アジア・コンセンサス」が存在するかどうかについて、これまで多くの論争がなされてきた。
本書の立場は、「アジア・コンセンサス」のようなものはない、というものである。アジアの発展に大きな役割を果たした要因は、各国が輸入自由化、FDIの受け入れ、金融セクターの規制緩和および資本取引の自由化を漸進的かつ段階を踏む形で実施したことであった。そして、(ⅰ) 政策の有効性を改善するために必要な制度の強化、 (ⅱ) 教育と保健への投資の支援、 (ⅲ) インフラの開発の促進、および (ⅳ) 民間部門の発展に適した環境の整備、に努めた。
産業政策の有効性もまた、激しい論争の的となった。現在では、産業政策は賢明に活用されれば、特に発展の初期段階において(幼稚産業の保護において)効果的でありうるという意見も強い。より発展が進んだ段階であっても、特にイノベーションのような大きな「正の外部性」がある場合や、新しい非伝統的産業を開発する際など「コーディネーションの失敗」がある場合には、産業政策が有益となりうる。産業政策は、成果ベースで競争を促す場合、そして明確な政策目標、効果的な実施メカニズムおよびいわゆるサンセット条項を備えた透明性のある形で実施される場合において、成功する可能性が高い。
1.4 多角的開発の半世紀
■ 市場・国家と制度の役割
開発には効率的な市場、効果的な国家、および強固な制度が必要となる。効率的な資源配分と企業活動への強いインセンティブ付与には、市場、価格、そして競争が不可欠の要素となる。国家は、強固な制度を確立し、市場が効率的に機能しえない場合には介入を行い、社会的な平等を促進するうえで必要となる。強固な制度は、市場の秩序だった機能と国家の説明責任を保証する。
アジアにおける市場と国家の役割は、各国の歴史的経緯ならびに経済と政策の進展を反映し、過去50年間、著しい変化をとげた。それはまた、世界全体における、開発に関する考え方の転換によっても影響を受けた。
第二次世界大戦直後、アジア開発途上国の多くの政府は強い国家統制を行い、輸入代替工業化政策を採用した。しかし1960年代から、香港、韓国、シンガポールおよび台湾が輸出を振興し、市場機能を補完するような政策へと転換した。これらの国および地域は成長を遂げ、やがて新興工業経済地域(NIEs)として知られるようになった。1970年代には、インドネシア、マレーシアおよびタイが貿易とFDIを自由化した。これらの国もまた、その後の20年間で「高成長アジア経済地域」となった。こうした発展のパターンは、日本を先頭に次々と経済が羽ばたいたことから「雁行的発展モデル」とも呼ばれる。しかし現在、アジアの経済関係は雁行形態というよりも、グローバル・バリューチェーン(GVC)の一部としてのネットワークに近い形態となっている。
1980年代以降、開発を考えるうえで、ガバナンスと制度の質が重要であるとの認識が高まってきている。近年、アジア開発途上国は政府の有効性、規制の質、法の支配および腐敗防止政策を強化する取り組みにより一層力を入れている。
■ 産業構造転換のダイナミクス
アジアの急速な産業構造転換は、戦後の同地域における経済的成功の重要な要素であった。大部分の国や地域は、生産と雇用に占める農業の割合が工業の割合の増加に伴って減少し、続いて「脱工業化」によりサービス業が支配的となるという、高所得国の過去の経験と同じ産業構造転換のプロセスをたどった。
都市化が産業構造の変化とともに進行し、アジアでは過去50年間で都市居住者が15億人以上に増加した。製造業や多くのサービス業は、都市における「集積の経済」の恩恵を受けることが多い。都市化に伴って、多くの多様な企業や労働者が同じ地域内で交流する機会が増え、そのことがシナジーを生み、全体的な生産性の向上に寄与するためである。
サービス業の重要性は高まり続けており、2018年、サービス業はアジア開発途上国の総付加価値の54%を占めている。また、アジアが観光地としてますます人気を集めると同時に、多くのアジアからの旅行者を生み出しつつあるなかで、ツーリズムセクター全体が急速に拡大している。
■ 農業の近代化と農村の開発
「緑の革命」は1960年代後半、灌漑への投資の拡大、高収量を達成するための種子の品種改良、さらには化学肥料や農薬などの近代的投入物の利用によって始まった。この革命によって、アジアの農家はコメ、小麦その他の作物の生産量を飛躍的に増大させることに成功し、広範囲かつ長期に及ぶ食料不足に対する不安が大きく取り除かれた。
緑の革命に続いて、トラクターや収穫機の使用をはじめとする機械化も農業の近代化と構造変化に寄与した。過去半世紀において、アジア開発途上国の1人当たりのコメと小麦(アジアの最も重要な2つの主食作物)の生産量は、それぞれ41%と246%増加した。
アジアの農業と農村経済は変容し続けている。食料消費は、所得の上昇と都市化に伴い変化してきている。特に東アジアで顕著であるが、コメの消費割合が減少している。そして、食の多様性の高まりに伴って、現在では高価値作物と家畜の生産額が主食のそれを上回っている。生産、加工、マーケティング、流通を結ぶ農業バリューチェーンは、市場志向改革と貿易自由化を原動力として、より高度なものとなっている。
■ 成長の重要な原動力としての技術的進歩
開発の初期段階において、アジアの成功は主として資本や労働といった資本動員に基づくものであった。その後、そうした成功は技術的進歩と効率性の向上、すなわち「全要素生産性 (TFP)」の成長に大きく依存するようになった。
アジア各国や地域は外国ライセンスの取得、機械の輸入とリバースエンジニアリングの実施、輸出を通じた学習、FDIの誘致、そして技術協力援助の受け入れを通じて技術を導入した。輸入した技術を習得し、財とサービスを生産していくなかで、各国はR&D能力の構築と産業クラスターの振興を通じたイノベーションに向かっていった。
このプロセスを支援するために、各政府は、 (ⅰ) 教育の向上とエンジニア、科学者および他の研究者の育成と人材プールの拡大、 (ⅱ) 研究機関、国立研究所、サイエンスパークなどを含む国家的なイノベーション体制の確立、 (ⅲ) 知的財産制度を含む法的および制度的な枠組みの導入、 (ⅳ) 税制上の優遇措置などを通じた民間セクターのR&Dの支援、 (ⅴ) 高速ブロードバンドやモバイルネットワークなどのICTインフラストラクチャへの投資、そして (ⅵ) イノベーションを促す競争的な市場環境の創出に多大な努力を傾注した。
■ 教育・保健と人口動態
2017年には、アジア・太平洋のほとんどすべての国で初等教育への普遍的またはほぼ普遍的なアクセスが達成され、多くの生徒が中等教育へと進んでいる。女子の教育も多くの国で男子に追い付きジェンダーギャップ(社会的性差)の是正に貢献している。
また、アジアは人々の健康状態も大きく改善した。1960年から2018年にかけて、生活水準の向上と公衆衛生への投資により、平均寿命は45.0歳から71.8歳に上昇するとともに、5歳未満児死亡率は6分の1となり、妊産婦の死亡も大幅に減少した。各国では全体的な保健の制度が改善し、多くの国は国民皆保険の実現に向けてさまざまな取り組みを行っている。
当初高かった出生率、全年齢層で減少した死亡率、および平均寿命の上昇は、アジア開発途上国に急速な人口の増加と生産年齢人口割合の上昇をもたらした。1960年に15億人であったアジアの人口は2018年には41億人となり (年率1.7%増)、同じ期間に生産年齢人口は8億5,500万人から28億人となった (年率2.1%増)。生産年齢人口の割合は、いわゆる「人口ボーナス」を生み出し、成長を支える鍵となった。しかし現在、多くのアジア諸国は出生率の減少と人口の高齢化という新たな課題に直面している。
■ 投資・貯蓄・金融
アジア各国は、新しい工場やプラントへの投資のほか、道路、鉄道、港湾などの物理的インフラ、さらには発電所や送電線に大規模な投資を行ってきた。1960年から2017年にかけて、アジア開発途上国の物的資本ストックは3.9兆ドルから176.0兆ドルに増加したと推計されている (2011年米ドルベース)。これら物的資本ストックへの投資は生産能力を向上させ、技術のイノベーションを支えるとともに、産業の高度化を促進した。
域内のGDPに総貯蓄の割合は、1960年代の18.0%から2018年には41.0%まで増大した。1980年代まで、純公的資金流入(二国間政府開発援助 [ODA] および多国間開発融資を含む)は、アジア開発途上国にとって、国内貯蓄を補完する最大の外部資金調達源であった。以来、多くの国や地域が貿易と投資を自由化したのに伴い、対内FDIが最大の外部資金調達源となった。
1997年から1998年にわたるアジア通貨危機(AFC)の後、東南アジア諸国連合(ASEAN)ならびに中国、日本および韓国(ASEAN+3)は協力して、いわゆる「いわゆる2つのミスマッチ」、つまり通貨および満期のミスマッチを最小限にとどめるために、自国通貨建て債券市場を推進した。
■ インフラ開発
官民両セクターが資金を拠出するインフラへの大規模な投資は、急成長を遂げるアジアの最も重要な特徴の1つとなってきている。電力へのアクセス、道路および鉄道、港湾、安全な飲料水、質の高い通信手段はどれも、経済の成長のみならず、人間の幸福に不可欠な要素である。
1971年から2018年にかけて、アジアの発電量(オーストラリア、日本およびニュージーランドを含む)は16.5倍にも増えており、世界全体での増加率(5倍増)をはるかに上回っている。また上水道サービスへのアクセスも改善され、多くの国で1960年代にはそうしたサービスへのアクセスは30%未満だったものの、2017年には90%超に達した。通信およびICTインフラの進歩によって、アジアではeコマース、モバイル決済、ライドシェア、電子公共サービスといった新しいサービスの急拡大が可能となった。
また、それによって金融包摂(インクルージョン)すなわち貧困層の金融サービスへのアクセスが改善し、ならびに質の高い保健と教育サービスへのアクセス機会が増えている。
■ 貿易・外国直接投資・経済開放
1950年代から1960年代において、アジアの多くの国・地域が輸入代替工業化戦略を採用したが、1960年代から、NIEsの4つの国・地域は成長戦略として輸出の振興を図った。1970年代以降は、多くの国がその後に続き、同様の戦略を採用した。
その後、1990年代までに、アジアの大半の国・地域は貿易と投資を自由化し、FDIを資本と新技術の源として活用した、輸出とFDIの促進のために、多くの国は経済特区を試験的に設立し、優遇税制など金銭的なインセンティブを提供するとともに、ビジネス環境全体の改善を目的とした改革に着手した。
1960年から2018年の間、アジア開発途上国の輸出と輸入はともに平均して年率11%もの成長率を示し、GDPに対する貿易(輸出および輸入)の割合は20%から53%に上昇した。輸出品の構成についても、ほとんどが原材料から製品へ、さらに軽工業品から重工業品、さらにはハイテク輸出品へと大幅な変化が生じた。現在、アジアは世界で最も人気の高いFDIの投資先の1つとなっている。
■ マクロ経済安定化の取り組み
1997年から1998年のアジア通貨危機(AFC)は、アジアの政策決定者たちに警鐘を鳴らす機会となった。経済および財政上の持続可能性に対する懸念が生じると、それまで流入していた資本の急激な逆流が通貨危機と銀行危機をもたらした。
危機の根本原因の1つは、外国からの借り入れとそれによって資金を調達した非効率な投資に対する、通貨および満期の2つのミスマッチであった。政策決定者たちは、より柔軟な為替相場の採用、中央銀行に対するより高い独立性の付与、そしてより慎重な財政運営によって対応を図った。
AFCを受けた諸改革は、持続的な高成長の基礎となるとともに、2008年から2009年の世界金融危機(GFC)のアジア地域への影響を和らげ、アジア開発途上国におけるマクロ経済的管理と金融規制の強化をさらに推進することとなった。過去10年間、アジアはマクロプルーデンス政策を世界の他のどの地域よりも幅広く活用してきた。地域の金融セーフティネットは、チェンマイ・イニシアティブのマルチ化のもとで、またマクロ経済監視を目的として2011年に設立されたASEAN+3マクロ経済リサーチオフィス(AMRO)により、強化された。
■ 貧困削減と所得分配
アジア開発途上国の急速な成長は、極度の貧困の劇的な減少につながった。1人1日1.90ドルの国際的な貧困ラインでみた場合、貧困率は1981年の68%から2018年には7%未満にまで低下した。13億人を超えるアジアの人々が困窮状態から救われ、アジアは世界の貧困削減に最も貢献した地域となった。
しかし、所得分配の改善という点において、アジア開発途上国での成果は成功と失敗の入り混じったものとなった。1960年代から1980年代まで、東アジアおよび東南アジアの大半の国では急速な成長を遂げつつも、所得格差は安定しているか、あるいは若干の格差縮小が見られた。労働集約的製造業の輸出拡大とインクルーシブな政策から恩恵を受けた、「公平な経済成長」と呼ばれる成長パターンである。同時期、南アジアの所得格差は、その成長のスピードが緩やかだったにもかかわらず、おしなべて安定していた。
1990年代以降の多くの国において、急速な成長と貧困の削減は、同時に所得格差の拡大を伴うものとなった。アジア開発途上国では、技術進歩とグローバル化は、技能のある労働者とそうでない労働者のいずれの所得も引き上げたものの、両者間の相対的な賃金格差の拡大を招き、労働所得よりも資本所得を増大させた。
また、都市部と農村部の所得格差の拡大と地域格差の拡大、ならびに機会の不平等を通じた所得格差の拡大が生み出された。これらの格差拡大の傾向を受けて、近年、多くの国が「インクルーシブな成長」を開発戦略の主な目標として採用している。
■ ジェンダーと開発
アジア・太平洋地域は、教育、保健、雇用などの分野において、ジェンダーギャップと不平等の是正の点で重要な進歩を果たした。これはジェンダーの平等を、より優れた開発成果を達成する手段としてのみならず、公正かつインクルーシブな社会を達成するための本質的な権利・前提条件と認識してきたことによる。
女性および女子児童の教育へのアクセスは大幅に改善された。1960年、アジア諸国の大半で女性の就学年数は男性よりも短かったが、2010年にはおよそ半数の国で、女性は男性よりも修了した学校教育の年数が長くなっている。保健の分野では、女性の平均余命にも大幅な改善がみられた。妊産婦死亡率も一貫して減少してきている。加えて、ジェンダーギャップは依然として残るものの、過去半世紀の間に女性の労働力参加も大幅に増加した。
■ 環境の持続可能性と気候変動
過去半世紀もの間にわたるアジアの経済的な成功は、「成長を優先し、汚染への対処は後で」というアプローチのもと、環境を犠牲にして達成されたものであった。成長は、大気や水の汚染、ならびに土地の劣化の拡大を伴ってきた。これが毎年何百万という人々の若すぎる死、生態系の脆弱化、ならびに陸上および海洋資源の潜在生産力の低下につながった。
こうした課題に直面して、アジア開発途上国は、世界の環境問題、特に気候変動の解決に向けた国際的な取り組みへの関与を深めている。域内のほぼすべての国が、気候変動に関する3つの主な条約や協定、すなわち1992年の国連気候変動枠組条約、1997年の京都議定書、および2015年のパリ協定に参加している。アジア開発銀行(ADB)その他の国際開発金融機関(MDB)は、各国が気候緩和・適応へ努力するために必要な資金の拠出および能力開発への支援を通じて、パリ協定で定められている「自国が決定する貢献 (NDC)」を達成できるように支援を行っている。
■ 多国間・二国間開発資金の貢献
二国間ODAとMDBによる支援は、アジア地域の発展に重要な貢献を果たしてきた。これらは資源の動員に貢献し、技術協力を支え、域内外での知識の共有を促進した。そして次第に保健、教育その他の社会セクターに関する知識を提供するになった。
近年では、開発援助は持続可能な開発目標(SDGs)や気候変動に関するパリ協定など地球規模のアジェンダへの支援にますます注力するようになっている。
■ アジアにおける地域協力・統合の強化
戦後、アジア・太平洋における地域協力・統合(RCI)は進化を続けてきた。RCIの成功事例がASEANである。近年ASEANは貿易、投資の自由化および基準の統一等を通じた「ASEAN経済共同体」の実現に向け取り組みを行ってきた。また、新たな加盟国を招きながら、一丸となって健全な市場志向型の政策を長年にわたり促進してきている。
南アジアでのRCIでは、交通、エネルギー、および貿易の振興を通じた質の高い連結性を促進することが優先事項となっている。中央アジアはインフラの連結性を中心とした協力から、域内経済回廊の開発とさまざまな分野における知識共有へと軸足を移している。太平洋諸国は、貿易、海洋およびデジタルの連結性、共有海洋資源の管理、持続可能な観光、民間セクター投資のための能力開発を優先事項としている。
1966年のADB創設は、RCIの重要例とみなすことができる。それは、地域の発展のために協力に向けたアジア・太平洋内外の人々の強固な意志と努力を反映したものだった。RCIを支援するため、ADBは大メコン河流域圏 (GMS)、中央アジア地域経済協力 (CAREC)、南アジア・サブリージョン経済協力(SASEC)など複数の地域的プログラムを立ち上げている。
第1章 アジア開発の50年:概観② につづく