2008年8月

薬が少し効いてきたからか、落ち着いた日が増え、このままではダメだと思うように
なり、休みごとに図書館へ通い、鬱について勉強することにしました。
認知療法等色々読み漁りました。そこで出会ったのが「セロトニン生活?」とかいう
本だったと思います。欝はセロトニン不足から来るということで、朝日を浴びましょう
とか、セロトニンを増やす食べ物等が書いてありました。
少しでも良くなるように何か実践してみようと、朝起きたら朝日を浴びるようにしたり
ハニーミルク(牛乳に蜂蜜を入れたもの)を毎晩寝る前に飲むようにしたりしました。

効果は・・・・・・・・・・・・無しカゼ

劇的回復を期待していた自分が悪いのですが、何も効果はありません。本当は
何ヶ月も続けていなければいけなかったと思うのですが、数週間で止めてしまい
ました。

この頃先生には、もっと効く薬、飲んだら明日にでもハイになってバリバリ仕事
家庭生活、何でも楽しく出来る強い薬をくださいと縋る気持ちでたのみました。
しかし、そんな薬はないよと言われ、覚せい剤じゃないんだから、気長にいきま
しょうといわれました。

覚せい剤でもいいから楽になりたい。そんな気持ちでいっぱいでした。この頃飲んで
いたパキシルも、ネットで調べたらいわゆる麻薬の一種にすぎない構造で、今は
飲んでいませんが、あまり良くない薬だったのかなと思います。あまり効いている
気がしなかったし。

少し落ち落着いたからといって、自殺願望がなくなったわけではありませんでした。
平日の日中は常に「死にたい」と考えていたし、症状は大きくないけど目眩・吐き気
耳鳴りは治まらず、微熱も続いていました。

寝る前の酒の量は半端無く増える一方。妻が風呂、トイレ、何か私の目の前から
消えるわずかな瞬間に呑みまくり、妻と子供が就寝したあと浴びるように呑んでい
ました。

鬱のせいか、薬のせいか、記憶力が物凄く下がり、人と今話していた事さえも
記憶していられないような状態にもなっていて、仕事にも支障が出ていました。

鬱・ストレスからか物凄い量の食欲。食べていることが安心できるという状態にも
なっていて、体重は増える一方。普通鬱と言えば落ち込んで食欲もなくなるような
イメージがあるらしく、妻は回復しているように思っていたと思います。

なかなか妻にも本当の事が言い出せず、やっぱり変なプライドが邪魔をして、強
がって見せていました。今にも今日にも死にたいと思っていたのに。

そんな時また倒れてしまいました。今度はお客さんと打ち合わせをした後、駐車場
の自分の車に乗ろうとしたときでした。幸い誰に目撃されるでもなく、目眩が治まる
まで地べたに寝ていて、治まってから自力で会社に帰ることが出来ました。

もう自分で自分の事がコントロールできない。そんな気持ちから今度こそ、明日こそ
死んでしまおうと思っていました。そんなときに限って息子から、保育園に連れて行く
ときに「死なんとってよ」なんて言葉をかけられます。毎朝会社に着くまで涙が止まり
ません。こんなかわいい子を残して何で「死のう」なんて考えるんだろう。自己嫌悪の
塊です。

そんなこんなで8月も過ぎて行きました。
2008年7月

一向に熱は下がらず、睡眠も短いまま。病院の先生からは「お酒の量が多くなりすぎて
いるから、控えなさい。でないと薬も効かないし、肝臓も壊してしまうよ。」といわれました。
分かってはいるのですが、酒を大量に呑んでいるときが一番楽で、気が大きくなって、
この世は自分の為にあるなんて考えれたり、すぐ寝つくことが出来、やめられません
でした。アルコール依存症一歩手前です。先生からは睡眠障害の症状が出ていると
言われましたが、やはりやめる事は出来ませんでした。

「こんな薬なんか気休めにすぎない、全然効いてないじゃないか、自分はうつ病なんか
じゃないのでは?」などとこの頃まだ思っていました。

月のうち何日間は、穏やかな日がありました。今思えば、酒を呑まず薬を飲み、先生の
言うとおりにしていれば、もっと効いていたのかなと思います。

比較的穏やかな日というのは、大体土曜日が多かったかな?次の日は仕事場に行か
なくていいという安心感からかもしれません。日曜日は月曜の事を考えて最悪でしたが。
この頃から眠りが浅いせいか、嫌な夢を毎日見るようになりました。仕事の事・社長の
事、家族がバラバラになる事、そんな内容でした。

会社では、目眩・吐き気・耳鳴りが続き、こんな状態でしたから仕事上のミスも連発、社長
に怒られる日々、「自分が悪い、自分が悪い」そう思い込んで、昼休みは自己嫌悪感に
さいなまれ、「死にたい、死にたい」と思う日々でした。

7月下旬ごろ出勤途中、車の運転中に大きな目眩が起こり、道路路肩の水路にはまって
しまいました。なんとか自力で車を出す事が出来たのですが、そんな気分のまま会社に
いく事が出来るわけもなく、また病院で検査だと嘘をつき会社を休みました。こうでもしな
いと、どうにもならない状況でした。休んだからといって何が出来るわけでもなく、ただ人目
につかない所に車を止め、一日中泣くだけでした。
2008年6月

5月に引き続き忙しい日々が続いていました。6月に入って少ししてから、3日程
ずる休みをしました。会社には病院で検査があると言い、朝は普通に家を出て
妻には出勤しているように見せかけました。その3日間何をしていたかというと
半日は、診療内科へ行き薬をもらったのと、後は海岸の堤防に車を止め、ひ
たすら泣いていました。この時車で堤防を猛スピードで走り、壁に激突して死のう
と何回か試みました。しかし、壁の手前でスピードを緩め激突することは、ありま
せんでした。そんな行動も自分への嫌悪感を呼びますます落ち込んで行く
一方でした。しかしおかしいのが夕方以降、夜になると少し気分が落ちつくという
ことです。
6月の後半になると少し薬が効いているのか、週に1・2日位は落ち着いた日も
ありました。しかし、睡眠は3時間程度、1時間ずつの3回繰り返しでした。

この頃からのタイムスケジュールは、朝4時には目覚め何をするわけでもなく
ただ不安な気持ちのまま7時頃が来るのを待ち、洗濯を乾し、妻の弁当そして
朝食を作り、妻と息子を起こし朝食をたべさせ、8時前に息子を連れ家を出て
保育園に送る。そしていつもの行動、会社になるべく遠回りをして泣きながら
出勤。昼休みは堤防に車を止め弁当を食べ、ぼーっとするか、調子の悪い
時は、激突死を考え行動する。(結局勇気がなくて死ねないのだけれど)
また、泣きながら遠回りをして会社へ帰る。深夜1時まで仕事か、20・21時
頃に帰宅し、深夜1時ごろ就寝というか布団へ入る。(酒を浴びるように飲む
ようになる)こんな感じでした。

変な話し「死のうという気持ち」がなくなるまで、息子に助けられたというか、
そんな出来事が多々ありました。
私の気持ちが、子供には伝わっていたのかもしれません。朝から物凄く落ち
込んでいる日は、そのまま会社には行かず「死んでしまおう。」と思っている
日に限って、保育園に着いて車を降りる息子が私に向って「パパ死なんといてよ」
と笑顔で言うんです。びっくりです。1度や2度の出来事ではありません。
そんな日は、力を振り絞って会社に行くことが出来ました。しかし年明けから
熱の無い日がありません。

2008年5月

半年以上前から決まっていた、妻の妹夫婦の結婚式に出席するため、ゴールデンウィーク
に沖縄に行く事になりました。しかし仕事は忙しく、体調もあまり変化の無い中の強行出発
でした。出発は、神戸空港より朝8時の那覇行きの便でしたが、深夜1時まで仕事をして、仮眠
をとることも無く、四国から神戸へと家族を乗せて走りました。社長には「お前だけ遊んでええのぉ」
みたいな事を言われたと思います。

現地では、仕事・社長から解放されたからだと思いますが、大きな目眩等もなく、妻の両親
妻、子供とレンタカーで水族館や海水浴場などへドライブに行き、それなりに楽しい時間を
過ごすことができました。しかし、妻そして妻の両親の居ない所で、ふとした瞬間に涙がこぼ
れてきたり、会社のみんなは仕事しているのに、自分はなんて悪いことをしているのだろう
という気持ちになったり、言葉では言い表せない不安感に襲われていました。

最終日は、天気も良くなく嫌な気分でした。帰りの飛行機の座席は、妻と息子とは離れた
席となりました。雨のなか離陸、雨雲を抜けた瞬間綺麗な夕日が窓の外にありました。たしか
に綺麗な夕日でした。今の自分ならとても感動していると思います。満面の笑みで。しかし
感動の涙ではなく、なんとも言いようの無い不安感からボロボロしゃくりあげながら、泣いて
しまいました。隣の席のおばあさんが心配してCAを呼ぼうか?と言ってくれましたが、大丈夫
ですといって、涙を拭き堪えました。妻たちの席は、5・6席前でしたが、気づかれずに済みました。
気づかれたほうが良かったかも。

そして、明けて翌日から仕事です。またあの症状が襲って来るわけです。漠然と「死んでしまいたい」
と思い始めたのも、この頃です。

2008年4月

これ以上会社を午前中だけの出勤にするわけにもいかず、社長からは「どないなっとるんな!」
と言われ、決まった病名があるわけではなく、目眩は治らないけど出勤することにしました。

話は前後しますが、3月の最終日にこれではらちが明かないと思い、心療内科へ行くことを決意
しました。診療内科なんかは自分が行くような所ではないと変なプライドがあったのですが、妻に
促され受診することにしました。診察を受けた結果、うつ病とは言われませんでしたが、パキシル
とワイパックスを処方されました。(うつ病って診断しとるやないかい!)
飲み始めは胃痛がするということでしたが、じきになれてくるからと言われ、この頃は藁にもすがる
気持ちでしたので、薬が効いたらハイな気分になって以前の自分に戻れると信じて飲む事にしました。

4月1日出勤。会社に着く前に訳も分からず涙がボロボロ流れてきました。息をするのも苦しく何度も
引き返そうとしましたが、とにかく今日一日だけ会社で座っていようと決め、なんとか一日を終える事
ができました。会社からの帰りの車の中では、とても落ち着いた気持ちになっていて、「何で朝は、
あんな気分になったんだろう?」と思うほど落ち着いていました。もしかして、早速薬が効いてきた
のかなと思ってうれしくなったくらいです。

しかし、そうは問屋が卸しません。同じ症状が毎日・毎朝私を襲うのです。まるで登校拒否児。
朝、社長の顔を見るだけで不安・吐き気・目眩・耳鳴りが襲って来るのです。新規の仕事が入り
4・5・6月は忙しいことが確定していて、不安で不安でたまりませんでした。

※社長と私の関係。2004年頃上司達か会社を去り、社長と私の二人きりになったのですが、
 上司達がいた頃は、防波堤になってくれ耐えるということなど無く、嫌だなと思うこともあり
 ましたが楽しく仕事が出来ていました。それが二人きりになってからは、やはり私への風
 当たりも強く、ワンマンで口汚い人ですのでそれなりに辛い思いをしました。まあこんな人
 だからしゃあないと思うようにしていました。しかし、私のミスで怒られるのはまだ許せますが
 社長自らのミスも、私のせいにしたり、お客様の前で自分のミスを「こいつがやりました」と
 平気で言ったりするような人でした。何度かは刃向かいましたが、いかんせん零細企業に
 勤める身、しかも二人きり。社長に刃向かうイコール給料に響くという図式が、頭の中に
 ありました。今思いかえすと、病気の発症後は、「お前が悪いと」言われれば自分のせいでは
 無いとわかっていても、本当に自分が悪いんだと思い込んでしまうようになっていました。
 まさにそう思うほうが楽であると思っていて、完全な逃げでした。