チーム・バチスタの栄光(上) 「このミス」大賞シリーズ [宝島社文庫] (宝島社文庫 599) チーム・バチスタの栄光(下) 「このミス」大賞シリーズ [宝島社文庫] (宝島社文庫 (600))


これまで結構たくさん小説を読んできたつもりだが、俺で始まる小説はあまり記憶がない。

まあ、それはどうでもいいんだが、全体としてはスピード感があって面白かった。

小説のクライマックスは桐生助教授の目の不調と、

桐生助教授と鳴海助教授兄弟の複雑な関係性を暴いた場面であろう。

桐生が鳴海に感じる負い目と呪縛など中々スリリングな内容だったと思う。

私にとってはその後の犯人探しやそれにまつわる云々は蛇足にすぎなかった。

そもそも、殺人の動機が拍子抜けであった。まさか、快楽殺人的な理由とは。

殺人の方法にしても医療用語にごまかされているような気がしないでもない。

公開中の映画では、俺こと田口がいつのまにか竹内結子演じる女性に代わっているそうだが、

はたしてどんな内容になっているのか興味深い。

乳と卵

本作は好きか嫌いかでいえばあまり好みではないのだけれど、

最近の芥川賞作家の中では最も作家らしい作家だと思った。

それは、受賞のことばからも感じられるのだが、言葉への畏怖というか絶対的信頼のようなものを感じるからだ。川上さんの文には作家としての志が感じられ好感が持てる。

本作も、もちろん老いということが大きなテーマになっているのだが、

言葉というもの、もう少し詳しく言えば伝わらない言葉というものが大きなテーマになっているような気がする。

賞のためでなく、人間をそして言葉をより深く知るために小説を書くという彼女の次回作に期待したい。


東京奇譚集 (新潮文庫 む 5-26)

新刊が出ると、とりあえずまずは読んでみる作家が何人かいる。村上春樹氏もその一人だ。

しかし、村上作品が待ち遠しいほど好きかと言えば、発刊されているのをしばらく知らなかったりする。

面白くて一気に読んでしまうかといえば、辛うじて途中で読むのをやめるということがない程度だ。

嫌いではないないんです。でも何かが足りない。

それでも、読みたくなってしまうのは何でなんだろうか?


死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う


森さんは読者へのどんな効果を期待して、この本を出版したんだろうか。

そんな疑問を感じてしまうくらい内容からはパワーを感じなかった。

結論は森さんらしくていいんだが、あの内容では読者は森さんとは同じ終着駅にはたどり着けない。

森さんは共感を求めているわけじゃないと言うかもしれない。

しかし、事実、何かを感じて欲しいとは述べている。

プロに対して失礼ながら、心に響かないのは問題へのアプローチがまちがっているからだと思う。

その人に会ってしまったから、その人を知ってしまったから救いたいと思うと森さんは結んでいる。

だったらなぜ森さんは個に向き合う過程を書かなかったのか、

制約があって書けないのかもしれないが、

だからといって死刑の表面を撫でまわしただけの生温い取材記では心は動かない。

作中の藤井氏とのやりとりの中で、

ドキュメンタリーは被写体に感情移入しなければ撮れないと述べるている部分がある。

直接的な表現はないので見当違いかもしれないが活字はそうではない、

そうしたくないという森さんの意志を感じた。

しかし、森さんの魅力はドキュメンタリーの手法を活字に持ち込んだところだろう。

今回でいえば岡崎一明氏を中心にした方がもっと死刑の本質に迫れたのではないだろうか。

憲法の本 を読んだ時にも感じたが、

死刑や憲法といった漠然とした大きなものと向き合えるわけはない。

結局は人は人としか向き合えない。

あのA、A2もオウムの映画だったかもしれないが、

森さんの目線の先には荒木氏であり他の信者達がいたはずだ。

被写体に近づくことを恐れるべきではない。

近づきすぎて感情移入してしまうぐらいでちょうどいい。

森さんの魅力は優しさだろう。でも、その優しさを全方位的に見せられては辛い。

一度面会しただけの人に対してまで、知ってしまったから救いたいはちょっと行き過ぎではないか。

その程度では知ったことにはならないはずだ。

次回作ではその優しさを本当に向けられる相手を見つけて欲しい。


バートルビー

辺見氏が著書の中で、確定死刑囚に薦めた本として紹介した一冊。

バートルビーは代書の業務はきちんとこなすのだが、

それ以外の仕事になると写しの確認といった付帯業務までを含めて一切を拒否するのである。

雇い主が何度頼もうが、すべて「やらずにすめば助かるのですが」と拒絶するのである。

そして、その部屋に住み着き、最終的には何もしなくなってしまう。

結局、雇い主のほうが事務所を引越し(考えたらこれもおかしな話だが)、

それでも居座り続けたバートルビーは逮捕され拘置所に入れられてしまうのである。

なんとも狐につままれたような話なのである。

皆が考えるのは何故バートルビーは頑なに拒否し続けたのかということだろう。

最後に配達不能郵便というキーワードらしきものが出てくるが、

そこから導き出される答えは単なる憶測にすぎない。

バートルビーは社会常識さえないしょうもない人間なのだろうか?

しかし、拒否するまでもないような瑣末なことまでも穏便にではあっても、

確実に拒否するということは実は物凄いことなのではないのだろうか。

内面の自由はいかなることがあっても侵させないということ。

何から何まで事なかれ主義の現代日本人にこそ必読の一冊なのかもしれない。

手紙


東野圭吾氏の同名小説が原作と聞き、納得した。

東野さんはテーマ選びと、あらすじは秀逸なのだが、如何せん中身がすかすかなのだ。

原作は読んでないので、映画のストーリーとどの程度一致しているのかは分からないが、

映画自体も、テーマにはけちのつけようがないが、

それぞれの登場人物の感情表現に生身の身体を感じることができなかった。

テーマありきで、そういった境遇の人はこう考えるに違いないという机上だけの論理を感じる。

だから、あざとさを感じてしまう。

もしかしたら、あらすじだけ読んでいたときが一番感動するのかもしれない。



辺見コレクション1 記憶と沈黙 (辺見庸コレクション 1)


伊丹空港への帰りの飛行機の中で、録画したNHKのニュースを流していた。

まるでありふれた出来事の一つであるかのように、そのニュースも流されていた。

3名の死刑を執行したというニュースを辺見さんはどのような思いで聞いたのだろうか。


入門書というにはあまりにも重厚ではあるが、まだ辺見庸
にふれていないという方には、

必読の書である。辺見氏が何に取り組んできたのかがよくわかる。


さて、冒頭の死刑執行のニュース。辺見さんは「虹をみてから」の中で、

死刑制度についてこんなふうに述べている。


いったい、忘却する者が、記憶する者を裁くことが許されるのだろうか。

あるいは、忘却する側が、記憶する側を殺すことが許されるのだろうか。

私のようにたくさんのことを物忘れしている輩や記憶のあやふやな者どもが、

ひたすら記憶し、苦しみ、悔いる者、記憶の果てしない反芻を強いられている者を罵倒することができるか。

できはしない。してはならない。

(中略)

逆なのである。私は、むしろ、カインのように悪罵を浴びなければならない気がするのだ。

もっぱら、忘却という、無意識の殺人に等しい罪のために。

殺人が記憶殺しなら、死刑という国家的殺人もまた、組織的忘却強制装置による記憶の制圧なのである。

忘却が記憶に勝つとは、やはり、理不尽なのだ。

だが、死刑執行計画は、おそらく、まだ若い国家官僚らにより、日々練られている。

じつに、無感動に。


戦後日本は戦争をしてきた / 姜尚中/[著] 小森陽一/[著]


実は、この本2週間以上前に読み終わっていたのだが、


中々考えがまとまらずここで紹介することができなかった。


私が何故ブログで読んだ本の紹介をしているかといえば、


別に、売り上げに貢献したいわけではなく、忘却へのささやかな抵抗運動の意味合いが強い。


この本に関しては、忘れる以前に自分の中で消化できないという状態が続いていた。


それが、辺見さんの「記憶と沈黙 辺見庸コレクション1」を読んでいる中で、


何故だか、突然この本の内容がストンと落ちてくるという体験を味わった。




本書はタイトルの通り、日本人がよく言う「戦後日本は一滴の血も他国で流していない」


という言葉が、嘘にまみれた欺瞞であるということを指摘している。


実際に軍隊を派遣しなくても様々な形で、戦争に加担しているのはごまかしようのない事実である。


二人の話題の中心は主に朝鮮について。


姜尚中氏はいまだに朝鮮戦争が終結していないことを指摘する。


当然のことながら朝鮮戦争の大きな原因は日本の植民地支配なわけだが、


当の日本は朝鮮戦争特需で息を吹きかえしている。


これでも我々は戦後戦争をしていないと言えるのだろうかという指摘は胸を打つ。


そしてこの国の指導層は今、北朝鮮の体制崩壊を望んでいる。


それは戦争責任をあいまいにし、謝罪や補償を有耶無耶にしようという意図を含んでいる。


北朝鮮のことを語ると必ず拉致問題の話題が出てくる。


もちろん許しがたいことだし、断固抗議し解決を図っていかなければいけない。


しかし、ならず者国家だからといって、自分たちの過去の悪行が帳消しになるわけではない。


やはり、 姜尚中氏が言う通り、まずは国交正常化を成し遂げなければならない。


その先に拉致問題の解決もある。


しかし、そのためにはまず我々が過去に向き合わなければいけないのは言うまでもない。


果たして日本人にその覚悟はあるのだろうか?

悪い男


純愛映画かと聞かれれば、たぶんそうなんだろうと答える。

愛を伝えるのが不器用な男の歪んだ恋愛表現と言えば聞こえはいいが、不器用にもほどがある。

映像美や伏線の張り方など、非常に良くできた質の高い映画だと思うが、

好きか嫌いかと問われれば、私はあまり好きではない。

うつせみ


映画は「私たちが住んでいるこの世が夢なのか現実なのか誰にもわかりません」

という言葉によって幕を閉じる。不思議な映画だった。