生命の講座 第三講義 VOL15
アダムスキーは「私達のエゴは短気だ」と表現していました。
その原因は私達の心が心地良い事ばかりを求めるのに関わらず、
現実社会では不快と受け止める刺激が多い事、
更には私達は得てして外部からの刺激に対して
短絡的に反応する習慣が出来てしまっている事もその原因だと思います。
つまりは私達の心の在り方やその反応の仕方は
悪い意味で本能的で習慣的で自分勝手だと言う事です。
私達は不快な物事を自らの好き嫌いで作り上げる傾向が強く、
その原因は四つの感覚器官の影響であると言う話を
前講義でとりあげました。
私達が視覚・聴覚・味覚・嗅覚を
誤った使用の仕方をしているがために、
私達は現象を好きと嫌いに分けて認識するために、
嫌いな現象を見るたびに不快な想いをするのだと説明しましたが
その心地悪さこそが怒りの原因でも在ると思います。
そして一方では私達が心にばかり従うために
外部からの刺激、つまり四つの感覚器官の受け止めた現象に関しても
それに対して本能的に好きと嫌いで反応する事にも原因がありそうです。
もしも私達が魂に導かれようとすれば
そこでは外部からの刺激に反射的に反応してはだめで
其の刺激を冷静に分析して正しく理解し
更には其れに対する自分のどんな反応が何を齎す事になるのか
までをも想定できれば満点の行動が出来ると思います。
その事で自分の意識を客観的に判断する機会もできますし
短絡的に怒りの感情をむき出しにすることもなくなるわけです。
つまりは私達が理性の働きと呼んでいるようなものが
十分に機能している状態です。
しかし私達が甘やかしてきた心は
自分にとって不快な感覚をそのまま直接受け止め、
それに不満を感じれば憤りや怒りを表現する事にもなります。
そして自分の中の創造主の意志など省みることなく
刺激に対して好きと嫌い、心地良いと不快で咄嗟に反応するのです。
それがそのまま私達の喜怒哀楽の表現に
繋がっていると思います。
私が生命の科学を始めてから自らに課した数少ない戒律は
この喜怒哀楽を出来るだけ表現しない
若しくは強い感情を出来るだけ抑える事です。
天使達が語っていた事もまさにそれです。
地球社会の人間達は喜怒哀楽を抑える事が出来ず、
とりわけ怒りの意識を抑える事を不得手としている。
そのことが私達の精神の進化を妨害しているそうです。
心のエゴが短気であるという事を私達が理解できれば
今度は如何にそれに対処すべきかも考える事が出来ますし
私達はその事を学んで実践すべきです。
不安や恐怖を持つ事が、私達を心のエゴへと縛りつけ
それがそのまま進化の妨害となるという話を繰り返し記事にしましたが、
不安や恐怖の感情と同様に
私達の進化を妨害しているのはそのような強い感情であると言うことを
是非とも理解して頂ければと思います。
私達の常識では私達は知識を得る時も
目に見える情報や耳で聞こえる情報に拘る事になります。
言ってみれば心を司る器官ばかりが
私達に知識を与えている事にもなります。
本を読む、TVを見る
言うまでもなく視覚からの情報ですし
人から聞く これは聴覚からの情報です。
私達の知識の殆どはこれらによって形成されています。
そして私達の心は自らが心地良いと感じる事ばかりに
私達を導きがちなのです。
其の上に私達は知識や真理はそのような方法でしか
得られないとも考えています。
でも私や兄弟姉妹は知っています。
私達の魂が感じる創造主の世界、すなわち、私達が四次元と呼んでいる
創造主の想いと創造主が作り上げた法則の世界にこそ真理がある事をです。
この宇宙空間が出来あがった時から今に至るまでの
ありとあらゆる情報が、そこには存在しているのです。
それは創造主のあらゆる法則や想いと同様に
私達が共通に認識できるものであり
それを私達はアカシックレコードと呼んでいます。
つまり私達が知るべきあらゆる知識と情報が
四次元には備わっている事になります。
「私達が見た事のないもの、聞いた事のないもの
そんな全てがこの世界が出来上がったときから
私達のために用意されていた。」
その上にありとあらゆる被造物の過去から現在に至る想いや知識や記憶さえ
私達の知識となるためにそんな場所に存在し
私達が意識するのを待っています。
私達がしている勘違い、
ネットや本やTVからではないと知識や真理は手に入らないと言う意識は
私達の持っている価値観の中での常識であって
天使達の世界であれば知りたい事は
宇宙の図書館(アカシックレコード)から引き出す事が
常識とされているはずです。
私達は自分の体一つあれば
魂からありとあらゆる情報を手に入れることが出来る。
だからこそ私達は心を持って学ぶだけでなくて
意識から学ばねばならないのです。
繰り返し引用している聖書のイエスキリストの言葉を
思い出してみてください。
「求めなさいそうすれば与えられるでしょう。
叩きなさいそうすれば開かれるでしょう。」
「子供が魚を下さいと言っているのに
蛇をよこす親があるでしょうか。」
これは言うまでもなく父なる神の
私達に対する想いであり
もっと言えば創造主によって与えられた宇宙に張り巡らされている法則が
そのようなものと成っていると言う事を表現したものです。
私達が真摯な気持ちで何かを求めれば
それはきっと与えられる事になる。
とりわけ知識や知恵に関しては
私達は閃きや印象と言う形でそれを与えられる事になります。
そして其れこそが宇宙が出来上がった時から用意されていた
神から私達への贈り物だと言う事です。
【貴方に無限なる力の祝福がありますように】