生命の講座 第三講義 VOL8 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

私を苦しめている中心は朝鮮名誉毀損防止教会なる
組織と其の関係者のようです。


そこに関わっているのは恐らくは創価学会・統一教会
そして在日朝鮮半島の人間達であり
日本社会の中でユダヤを語る同和部落の人間の一部だと思います。


最近のTVを見れば解りますが
そこでは日本の過去は悪く再現され
朝鮮半島のドラマでは彼らは美化されています。


其れが一体何を意味するのか?


言うまでも無く歴史を捏造しては
自分達を美化・正当化している人間達がいるという事です。


世界のユダヤを名乗る人間達が
ユダヤ名著毀損防止協会を作り上げ


日本の創価学会そして韓国をそのまま
自分達の有効組織と看做しているわけですが


それに追従する人間達は今度は
自分達をもユダヤ同様に
美化する策略を実行中という事のようです。


先日の長野の地震。


私はこの悪魔達の関係者が何かをやらかす時に限って
苦しい目に遭わされます。


今回もまさに其れでした。



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生命の講座 第三講義 VOL8


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私達は自分の心こそが自分の実態であると勘違いしています。


そのために、心を持って思考しそれに従うことこそが
当たり前だと受止めてもいます。


おまけにその心は際限のない欲求を求め
一方では自らが心地良い事ばかりを望んでいるのですから


それに従えば私達はどんどんと創造主の意識から
かけ離れる事にもなります。


しかし私達の心は副次的なものであり、その実態は創造主の意識であり、
その意志を実現する事こそが私達の役目だと理解すれば
私達は心を持ってそれに背いている反逆者でもあるのです。


魂を感じる事が出来ないために、
私達は本来与えられた目的を意識から受け止める事もできず
与えられた役目を果たす事も出来ないでいますし、


その上で心こそが真理だと信じてはそれに従って生きています。


しかし真理は魂からこそ告げられますし
私達の肉体はその真理でもある魂を収める器に他ならないのです。


パウロは聖書の中で
「私達が神の神殿であることを知らないのですか」と
表現していました。


更には私達の想いを二つの源泉に分けて
それを”御霊の想い”と”肉の想い”として区別してもいました。


昔ながらの聖書解釈をしている敬虔なクリスチャンほど
パウロの言葉が理解できないかもしれませんが、


パウロは私達人間が同時に二つの意志の経路を持っている事を知っていて
それを表現していたのだと言う事を私達ならば理解できるはずです。


滅ぶべき肉体と滅ばない肉体
地に属するものと天に属するもの


そのような表現を繰り返しては、パウロは私達に
”心”ではない私達の本当の実体である”魂”の存在を示し
それに従う事こそが人としての本当のあり方である事を語ったのです。


私達が従うべきは御霊の心です。


そしてそれを意識して受け止めるように勤める事こそが
私達に求められているのですから
私達もそれを実践して行かねばなりません。


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聖書の中でパウロが宇宙の法則に触れていた箇所があります。

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麦であっても、ほかの種であっても、ただの種粒にすぎない。


ところが、神はみこころのままに、これに体を与え、
その一つ一つの種にそれぞれの体をお与えになる。


すべての肉が、同じ肉なのではない。
人の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉がある。

天に属する体もあれば、地に属する体もある。
天に属するものの栄光は、地に属するものの栄光と違っている。


日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光がある。
また、この星とあの星との間に、栄光の差がある。


死人の復活も、また同様である。


朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、
卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、


弱いものでまかれ、強いものによみがえり、
肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。


肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。

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ここでの”肉”は私達が創造主の意識の分身としての
魂を入れるための器=フォームとしての肉体のことです。


人と言う形態があり、鳥と言う形態がある、獣と言う形態があり
魚と言う形態がある。


つまりこの世界の中では様々な形で創造主の想いが
表現されているのだと語っているのです。


天に属する体というのは、勿論私達が霊魂とか魂と呼んでいるものですし
地に属する体というののは三次元で元素を持って作り上げた
私達の肉体の事に他なりません。


(記憶を失って転生する私達の体と
記憶を持って転生できる天使達の体という意味でも理解できます)


ここでの”栄光”と言う言葉は”性質”とか”機能”と読み替えてください。


「太陽と月と惑星はそれぞれ別の役目を持って存在していて
星にしてもそれぞれ性質や見た目や役割が異なっている」


このように受け止めることが出来ます。


そして死人の復活ですが単純に
記憶を失った転生を繰り返す状態から
記憶を継続した転生を繰り返す状態という事を
示しているだけではなくて、


前講義で触れたように
私達が心だけに囚われるのではなくて
魂の意識をも感じる事が出来た状態の事を指し示す事もあります。
(父の元に帰ることです)


つまりは今までは人生の半分しか生きていなかった、
イエスキリストに死人と言われた私達が
本来の生き方を出来る状態へと変貌する事です。


それは第二講義で紹介したイエスキリストが語っていた
放蕩息子の例えからも理解できるはずです。


私達の社会の常識では理解できない宇宙の法則が
実は2000年前には既にパウロによって
語られていた事になります。


そしてそれをパウロに告げたのは恐らくは
創造主ではなくて転生したイエスキリストだと思います。


私達の社会では未だに理解されていない三次元と四次元、
天と地の関係を、
この時代には既に理解して語っていた人間達がいたわけです。


私達人間の本体は肉の体ではなくて
御霊の体であるということ。


そして私達が受け止めるべきは心から出てくる
エゴ(肉)の想いではなくて魂=御霊の想いであると言う事を
この社会の人間は誰もが理解すべきなのだと思います。


【貴方に無限なる力の祝福が在りますように】