12年目の3.11メッセージ/ある避難者の方のツイート | 羽生結弦さんの見つめる先を見ていたい

羽生結弦さんの見つめる先を見ていたい

羽生結弦選手を敬愛しています。羽生さんを応援する素敵ブログ様方を日々の心の糧にしている、ソチ落ち主婦のブログです。(横浜在住)

今年の3.11。
羽生くんは沢山のメッセージを発信してくださいました。言葉とスケート、両方で私達は、彼のその「伝えたい思い」を受け取りました。
改めて、覚書として、まとめさせていただきます。🙏

「12年目の3.11」
地元・宮城テレビの『OH!バンデス』さんは、羽生くんのメッセージをYouTube発信してくださいました。🙏

以下に書き起こさせていただきます🙇‍♀️

「僕から生まれてくる言葉たちは、どうしても僕が受けた震災のイメージだったりとか、自分が被災した時の感覚だったりとか、そういったものにどうしても囚われがちなんですけど、でもそれでも自分の目でちゃんと見て、いろんなことを聞いて、僕自身も調べていろんなこと、その上でいろんな発信をしていきたいなっていう風には思います。」

その想いが、『News every.』のスペシャル・メッセンジャー就任という実際の行動になって表れています。本当に有言実行の方なのです🙏


今年、ご自身で福島の富岡町(帰宅困難区域)を訪れ、取材されました。その様子は、↓のニュース記事の中で、【動画】でも見ることができます。



『notte stellata』の翌日、3月13日(月)にはevery.に生出演!

ご自身で福島の富岡町(帰宅困難区域)を取材したニュースを、スタジオで伝えてくださいました。


羽生くんは、この2021年「大震災から10年目の3.11」の際にも、every.に動画メッセージを寄せてくださっています。


以下は、2021年3.11【羽生選手が発表したコメント全文】です。

何を言えばいいのか、伝えればいいのか、分かりません。

あの日のことはすぐに思い出せます。
この前の地震でも、思い出しました。
10年も経ってしまったのかという思いと、確かに経ったなという実感があります。
オリンピックというものを通して、フィギュアスケートというものを通して、被災地の皆さんとの交流を持てたことも、繋がりが持てたことも、笑顔や、葛藤や、苦しみを感じられたことも、心の中の宝物です。

何ができるんだろう、何をしたらいいんだろう、何が自分の役割なんだろう
そんなことを考えると胸が痛くなります。
皆さんの力にもなりたいですけれど、あの日から始まった悲しみの日々は、一生消えることはなく、どんな言葉を出していいのかわからなくなります。

でも、たくさん考えて気がついたことがあります。
この痛みも、たくさんの方々の中にある傷も、今も消えることない悲しみや苦しみも それがあるなら、なくなったものはないんだなと思いました。
痛みは、傷を教えてくれるもので、傷があるのは、あの日が在った証明なのだなと思います。
あの日以前の全てが、在ったことの証だと思います。

忘れないでほしいという声も、忘れたいと思う人も、いろんな人がいると思います。
僕は、忘れたくないですけれど、前を向いて歩いて、走ってきたと思っています。
それと同時に、僕にはなくなったものはないですが、後ろをたくさん振り返って、立ち止まってきたなとも思います。
立ち止まって、また痛みを感じて、苦しくなって、それでも日々を過ごしてきました。 

最近は、あの日がなかったらとは思わないようになりました。それだけ、今までいろんなことを経験して、積み上げてこれたと思っています。そう考えると、あの日から、たくさんの時間が経ったのだなと、実感します。
こんな僕でもこうやって感じられるので、きっと皆さんは、想像を遥かに超えるほど、頑張ってきたのだと、頑張ったのだと思います。すごいなぁと、感動します。
数えきれない悲しみと苦しみを、乗り越えてこられたのだと思います。
幼稚な言葉でしか表現できないので、恥ずかしいのですが、本当にすごいなと思います。 本当に、10年間、お疲れ様でした。

10年という節目を迎えて、何かが急に変わるわけではないと思います。

まだ、癒えない傷があると思います。
街の傷も、心の傷も、痛む傷もあると思います。
まだ、頑張らなくちゃいけないこともあると思います。

簡単には言えない言葉だとわかっています。
言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。
でも、やっぱり言わせてください。
僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。

頑張ってください

あの日から、皆さんからたくさんの「頑張れ」をいただきました。
本当に、ありがとうございます。

僕も、頑張ります

2021年3月
羽生結


2021年3月。世界中が新型コロナのパンデミックに揺れ、ただでさえ心が塞ぎがちだった頃でした。そういった辛い世の情勢に加え、彼自身、選手としての競技生活中は色々と制約もあり、被災地支援の活動の幅も限られていてもどかしい思いがあったことと察せられます。

それでも、

「忘れたくない」「忘れない」「伝えていく」

「頑張って下さい」「頑張ります」

彼のこんなにも素直で、真摯で、誠実なメッセージが、災厄で塞ぎがちである人々の心の力となったり、糧となったりするのだと思います。


プロ転向後の今年ようやく、羽生くんは、自身のアイスショー『notte stellata』や、YouTubeでの動画配信、テレビ出演等を通じて、更に直接的に、更に広く「伝えたい思い」を発信できている。素晴らしいことだと思います🙏


ここで、ある方のツイートをご紹介させていただきます。ツイート主であるおもち様は、大震災発生時に富岡町で被災され、今現在も避難されているそうです。

今回の『notte stellata』を会場で観てメッセージを寄せてくださいました。

↓おもち様、感謝してお借りします🙇‍♀️

「優しい言葉をありがとう。

救われました」

おもち様は『プロローグ』の際にも想いを伝えてくださっています。




「ただあの震災を忘れないで欲しい」


おもち様、想いを伝えてくださってありがとうございました🙇‍♀️


このように素晴らしいメッセージの数々も、Twitterの"広大な海"の中では、あっという間に流されてしまい読み難くなってします。それではあまりに惜しいと感じ、僭越ながら、拙ブログに留め置かさせていただいた次第です。🙇‍♀️

奇しくも3/13のeveryでは、一瞬でしたが、この富田町の桜祭りの回想映像が流れました。汗



今は失われてしまった、記憶と記録の中の光景です。汗


↓chieさま、感謝してお借りします🙇‍♀️


毎年変わらずに咲く桜。

ただそれを愛でる人々の帰還が叶わない。


そして、羽生くんの『春よ、こい』は、その懐かしい記憶を呼び覚ましてくださる…🌸🌸

ここに、羽生くんが毎年必ず『春よ、こい』を舞う「意味」を感じます。


羽生くんも、every.も、富岡町の方々のお言葉も、notte stellataも、「春よ、こい」も、…こうしてみると、本当に色々なことが「繋がっているのだなぁ」と実感させられます。🙏



羽生くん、貴方の「伝えたい思い」はこうしてちゃんと、被災した方々の御心を温めています。



あの大震災を体験した方々にとっては12年経過しても、この先何十年経っても完全に傷が癒えるということはないのかもしれません。でも羽生くんのように「決して忘れないで!」と発信し、行動し続けてくれる「存在」がある! その事実、その言動、その存在そのものが、辛い想いをなさっている人々に力を与える元となる…被災者の方々のお言葉の数々に、そのことがはっきりと表れているように感じます。


このおもち様からのメッセージ(手紙)も、羽生くんに届いていますように、と心から願います🙏



私自身は横浜在住ですが、実家は福島県のお隣の茨城県です。

あの日、2021年の3月11日のことを、折に触れて思い起こしています。


今年の3月11日、私は自宅で「News every.」を見ながら手を合わせていました。

「黙祷をお願いします」というアナウンスの後、2時46分ちょうどにサイレンが流れました。その音を聴いた瞬間、涙が溢れてどうしようもなかったです。自分で自分に驚くほどでした。


その直後にライブビューイングに出掛けた私は、その同じ時間、羽生くん達もnotte stellata会場のリンク上で黙祷していらしたと、帰宅後に録画を見て知りました。



宮城県利府町にあるグランディ21・宮城県総合運動公園内に建つ「宮城県総合運動公園総合体育館」、愛称「セキスイハイムスーパーアリーナ」。


↓ばかりんご様、感謝してお借りします🙇‍♀️


2011年の大震災以降も、NHK杯やFaOI等、この体育館には幾度となくアイスリンクが張られ、羽生くんも出場&出演なさっています。

でも、3.11のこの日、リンクに立つのは辛かったことでしょう。

いいえ「辛かった」なんて言葉ではいい表せない程のお気持ちであったに違いないですね。

でも、こうしてこの日、この場で、「舞を奉納することが一番の慰霊になる」と、羽生くんご自身が決断なさったのでしょう。

そのご決断を心から支持します。🙏

おもち様や、ばかりんご様のご両親のように「救われた」「有り難い」と感じている方がきっと大勢いらっしゃいます。


3/13生出演の際に、everyの藤井アナに「心が疲れている」と吐露した羽生くん。

今だけは、しばし心と身体を休めてお過ごしくださいますよう、願っています🙏





また今回、日テレやスポーツ報知を始めとして多くの報道機関が、羽生くんの気持ちを汲んだ報道姿勢を示してくださいました。

改めて御礼申し上げます🙏 


3/14スポーツ報知紙面より↓




私の思い出も少し。

2011年3月11日金曜日。あの晩は半月でした。横浜の我が家の周辺も多くが停電し、街は暗く沈み、やはりいつになく星が良く見える晩だったことを、私も覚えています。🙏


2021年拙ブログの記事です。



​我が家には2011年のカレンダーを貼ったままのスペースがあります。ただ、「忘れたくない」と思うが故です🙏



3月15日は「靴の日」。

2019年に、羽生くんのスケート靴がチャリティーオークションで高値で落札され、また復興支援の一助となりました。





🌸今年の桜の開花は早い。「春の王」が東京を訪れていたからかしら照れラブラブ






今日も羽生くんを全力応援!(ò_óˇ)

羽生くんが痛みなく滑れていますように!

羽生くんが笑ってくださっていますように!

羽生くんの幸せを心から願い、祈ります🙏

 

画像やTwitterや記事や動画は感謝してお借りしました。

 

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