今朝の朝ドラに宮城仙台を想う | 羽生結弦さんの見つめる先を見ていたい

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羽生結弦選手を敬愛しています。羽生さんを応援する素敵ブログ様方を日々の心の糧にしている、ソチ落ち主婦のブログです。(横浜在住)

今朝の朝ドラで、私、フリーズしました。


NHKの朝ドラ『おかえりモネ』を毎朝、楽しみに観ています。

宮城県が舞台ですし、主題歌はBUMP OF CHICKENですし、ご当地宮城でも大人気だとか。

今週は、主人公・百音が何故、高校卒業後に故郷の気仙沼の島を離れ山間部の登米に行ったのか、百音の帰省をきっかけとして、その理由を解き明かしていくストーリーなのですが、それはあの3.11と密接な関わりがあるようだというところまで、話が進みました。

天真爛漫な百音が心を閉ざしたきっかけ。

百音の回想シーン。

仙台の学校の合格発表日は2011年3月11日。

今日の放送のラストで大写しされたデジタル時計は、2時45分を示していました。


現実世界では、この1分後に、あの大地震が発生し、更にその30分後に大津波が太平洋岸を襲うのです。

震源地は宮城県沖、最大震度7、マグニチュード9.0、日本国内観測史上最大の地震が!


もちろんドラマです。

でも、この展開を震災被害当事者の方々はどう受けとめるのでしょう。明日の放送を観るのが怖いと感じたりしないのでしょうか。

羽生くんも観ているかしら。


NHKさんに文句が言いたいわけではなく、ただただ心配なのです。



私はフラッシュバックしました。

今日の放送、ラストのあの時刻を観た途端、どうにも胸がドキドキして、喉がつまるように感じて、しばらく呆然と動けずにいました。


ちょっと私の体験を話させてくださいね。

忘れもしない、あの2011年3月11日(金)、私は横浜市内のとあるJR駅のまん前の店で勤務中でした。

2時46分、突然の激しい揺れ。小さい店舗内に閉じ込められそうな恐怖を感じて、たまらず外に飛び出した私が観たのは、

目の前の駅の高架線路がグラグラ揺れ、大量のホコリが落ちてくるさま。

周囲のビルが揺れ、たわみ、悲鳴をあげるように鈍い音を発するさま。


程なく駅の出入り口のシャッターは全て閉ざされ、駅前に集まった人々が携帯を持ったまま右往左往し始めました…それらがまるでスローモーションのようで…そこでは何も壊れたりはしなかったけれど、でも一瞬にして、非現実的な世界にほうり込まれたように感じたものです。

当時、店内でラジオが鳴っていましたが、番組は全てニュースに切り替わっていました。


駅前には、益々人が増え、携帯がなかなか繋がらないのでしょう、皆、途方にくれた様子でした。

皆、情報を欲しがっていると感じた私は、店の外に椅子を出し、そこに(コンセントに繋いだままの)ラジオを載せて、最大ボリュームでそのニュース放送を周囲に流し続けました。


そして、約30分後、三陸沖に津波来襲の一報が伝えられたのです。


アナウンサーの緊迫した声。伝えるその内容に、震えるしかなかった、あの2時間余。まるで時間が止まったように感じたものです。


3月のあの時節、5時ともなるとあたりは暗くなり、駅前の人もまばらになり、私は店を早仕舞いして帰途につきました。

駅は閉鎖されたまま、バスも大渋滞だったので、徒歩で帰りました。あちらこちら停電が発生していて、街灯も消え真っ暗な中、ただ黙々と。


半月の晩でしたが、この時ほどお月さまのありがたみを感じた時はなかったように思います。


同じように、周囲を大勢の人が歩いていましたが、一様に黙りこくって、…無言の集団はどこまでも続いているようでした。




こんな、震源から遠く離れた横浜でのささやかな体験でさえ、記憶を呼び覚ますのに充分で、

今朝の放送そして明日くるであろうシーンへの想像…それらは、私にショックを与えたのです。


ましてや、東北の方々の心境は如何ばかりか。


どうか、辛い記憶を呼び覚ますだけで終わりませんよう、

希望を未来に託す展開で、来週にバトンを渡して下さいますよう、

ただただそれだけを、明日の放送に願うばかりです。




その願いを、美しい「オトナルさま」に託します






6月4日(金)追記


良かった!

私の心配は、杞憂に終わりました!

直裁的な描写は無く、戻せない過去に対する、百音の心情に重点を置いて、丁寧に描かれていたように思います。そんな百音が「見つけたもの」…空を晴れやかに見上げる百音ちゃんを、背中からギュッと抱きしめたくなるようなラストでしたラブラブ



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