亀山~鈴鹿~土山 近江入り
少し下ってすぐ一号線に合流。下っていることもあって土山の宿に向って軽やかに歩を進めた。
山賊茶屋・・・。往時は山賊が多かったことだろう。人に悪さする蟹の伝説もある。
幾つか常夜燈、一里塚、鈴鹿馬子唄の碑を見ながら国道に合流し西進。
しばらくして国道を右に分岐し蟹が坂の古戦場を通って田村神社の方へ。
田村川橋から田村神社へ参拝。東海道が神社参道を通っており強制参拝(笑)、板橋は通行料を取っていたらしい。近江商法?まあ征夷大将軍には敬意を表して、通行料払うご利益を鈴鹿峠の旅人も心強く感じた事だろう。浮世絵は春の雨の中、大名行列が橋を渡る姿
が描かれている。
再び国道へ出て道の駅の方へ。東海道関連の情報入手の為にしばし休み、ソフトクリームを頂く。甘党ではないが、東海道を歩くと甘いものを渇望してしまう。道の駅裏から土山の宿の方へ。天候もよく、気分爽快。京都三条大橋までの完歩の手応えあり。
カメラの充電が切れてしまった。第二陣のアイホン、これが切れたらフォーマと続く自慢の布陣。蕎麦屋のうかい屋、ここは当時、街道で2番目に美味しいといわれた夕霧そばの復活を試みているということだ。1番はどこだったかな?
街並み景観の為か、花を飾っている家が多い。
伝馬館、本陣跡を経て、ここで安全面からバス亭の方へ。
ここまで。
考えたら次の国道と交差するところのバス停まで行けば全くロスが無かったのだが。バス停の前に大きな常夜燈。バス時間まで大分ある。次のバス停まで行けたのに惜しかったな、結果論だが(笑)
バスで貴生川まで。貴生川は学生時代に友人と通ったことがある。信楽の実家に帰るのに付いていったのだが、そのときの駅名も覚えている。貴生川、雲居、勅旨、信楽で山に向って約30℃の角度で車輌が登って行ったのを思い出した。
勅旨とか、地名がすごい。
まさかまた通る事になるとは、分からないものだ。大津経由で京都駅へ。
博多行きの新幹線の中で、勝利を確信しつつ、次の日程で京都三条大橋の手前、例えば山科まで到達し、3月31日決算日に仕事を終え京都へ。深夜に山科を出発、4月1日0時0分に三条大橋に到達する計画を練った。
次回は東海道完歩リーチ大作戦。
亀山~鈴鹿~土山 鈴鹿越え
亀山~鈴鹿~土山 鈴鹿越えで近江の国へ
関の街並みがだんだん寂しくなってきたところに西の追分があった。トイレもある。「ひだりハいかやまとみち」の道標。関の宿はここまで。追分を過ぎていよいよ鈴鹿に向う。
それらしい道の方ではなく、国道沿いを少し登って行くような感じ。
甲賀まで27キロ。
程なく右に分岐。奥深い感じに古い家並みが見えてきた。外れには常夜燈。そのところでまた国道をクロスし、左方向へ進むがまたすぐ合流。
筆捨山を見ながら本格的に右へ分岐、坂ノ下の宿の方へ。
紅梅白梅
昼までに坂ノ下へと少し急がねばというタイミングで一人の旅人が無情にも抜いて行った。
旅人が叙々に見えなくなり、視線を畑の方にやると先程から畑仕事をしていると思ってた人が!実は木造?なにも解説板が無いのでギョッ。
沓掛を過ぎて鈴鹿馬子唄会館。ここに五十三次の名が書かれた木柱がズラリと並んでた。
坂ノ下の宿に着く。往時、噂どおり街道一といわれた坂ノ下の宿の面影はまったく無い。
関の街並みから坂下の宿まで結構な道のりだった。思った以上に遠かった。坂ノ下のバス停は12時30分、予定より30分遅れで到着。時間的には昼過ぎになったので若干微妙となってしまったが、思考を前向きにして時間がかかったことが却ってよかったかもしれない。
Yesまたこの道を歩くことにならないようにと躊躇無く一気に前進、前進。
なんせ、関に戻ることになったらロ-カル線で時間待ちしてたらたらと名古屋に帰らざるを得なくなり、鈴鹿越えが出来れば京都方面へ上り(道は下りですが)一目散と。気分的には大違い(笑)。だが、どちらのコースも新幹線の駅までは時間がかかるのであまり余裕が無い。万が一今日中に福岡へ帰れなくなると、明日朝の早出の仕事が大ピンチだ。
いよいよ鈴鹿越えにチャレンジ、誰も居ない。
登山道にさしかかる脇に片山神社があった。お参りする暇は無いが、ここで腹ごしらえ(笑)。この時間は必要。腹が減ったら戦は出来ぬ。メニューはよく考えると昨日の朝食と変わらない。野菜好きで卵好きの為かw
例のごとく山道を小走りに登ってゆく。息が切れて歩き出し、また小走りと繰り返しているうちに国道を上に望むところで見通しがよくなった。国道を潜る感じで越え、階段を登って国道を脇に見るところまで来ると踊り場的な広場が有り案内板があった。
更に山道を登ってゆくと馬の水のみ鉢があった。シャッターチャンスは逃さない、立ち止まってパチリ。
そのまま、また走り出すと、一気に。程なくして勾配が緩やかになりやがて峠らしきところに着いた。伊勢の国と近江の国との県境の「界」の道標、看板が。ふと先の方を見ると、大きな万人講常夜燈が。しかもよくみると人も車も。え、これで終わり?なんだあっけない。これくらいだったんだ。敵前逃亡、撤退し二時間かけて関まで帰っていたら笑い話だった。
まだ雪が。
万人講は金毘羅参りの為の相互扶助の講で、金毘羅参り道中の安全祈願で築かれ、常夜燈は5.5m、38トンという大型版。
少し休憩し、峠からの遠景など一通り写真に収め、後は土山目指して一気に下って行く。
鈴鹿越えは公共交通機関がないのが最も悩ましい点だ。昨日、ネット見ていると同じような体験とコメント。しかも出発地点や坂下バス停到着時間もほぼ同じ。
http://tkohara.la.coocan.jp/toukaidou26.htm
この方も状況次第で引き返すべきかどうか、というところでずいぶんと研究されていたようで、今回の私と全く同じだった。スピードもペース配分も同じくらいで、結果的にこの記事からそれほどでもないのが何となく伝わってきたので助かった。
ここまで慎重になったのも、それもこれも箱根が想像通りに厳しかったからだ。笈の中山も思った以上に長かった。宇津の谷峠は天気予報と到達時刻の関係で撤退したが、現実は翌日にあっという間に通ってしまった。もちろん最初から分かっていれば強行したと思う。でもその時点で最悪のことを想定する必要があるので判断は諒、間違ってなかったと思料。
またこの鈴鹿は歌枕でも有名だ。歌枕といえば清原元輔の「・・・・末の松山波越さじとは」が貞観の大津波との関係がいろいろ書かれている。まさに千年に一度、波越さじとは・・・今回は震災直後という事も有って新幹線下り方面は結構混んでいた。お見舞いお悔やみとご冥福をお祈り申し上げます。
亀山~鈴鹿~土山 タイムスリップ
昨日の到達地点、横山タバコ店に到着。鈴鹿向けてスタート。
城下町はやっぱり曲がりが多い。亀山らしい?街並みを通り過ぎたところに京口門があった。亀山の宿はここまで。ここから下るようにして橋を渡って行く。ここがケンペルのいう一つ目の坂と思われる。橋の名前は京口坂橋。
橋を過ぎると一気に往時のロマンが蘇る光景が広がってきた。往時を思わせる静寂な佇まいにここまで歩いてきた感激に浸った。
今日は①この地点、②東名阪自動車道のガードを越えた辺り、③関の街並みなどいずれも今まで味わえなかった東海道を歩く更なる醍醐味にすっかり酔ってしまった。下手な文章はなるべくカットして下手な写真にウエイトを置きたい。
この街並みの中に常夜灯と伊勢うどん。伊勢うどんはお伊勢参りしたときに頂いた。硬いぶちぶちの味噌煮込みよりはなじみやすい味だ。でも個性的w。空腹でもなく、食べる時間もないので残念、通過。しばらくすると3層の建物が。何の店か分からなかったので近づくとブティックで、街並みに見事に調和している。
街並みが途切れかかったところに野村一里塚があった。見事な一里塚、角度を変えデジカメで撮影、名残を惜しんで西進開始、寂しい道が続き少し降る感じで普通の田舎道的なところをしばらく行くと県道が。
分岐して降って行きます。
合流。
間違って直進しそうに。
陸橋で県道を越えそのまま左方向に分岐。
常夜燈
少し幻想的な雰囲気の道に。
やがて横に見えてきたのは普通と変わらない感じの小学校だが、名前が神辺・・・やはり。こんな建物(トイレ?なまこ壁付)が運動場に。
横には鈴鹿川。案内板に
から風の大岡寺繩手吹透し連も力も皆座頭なり (松尾芭蕉)
風が吹きすさぶ中、東海道一の縄手、堤の直進道を目があけられない状態で進んで行く雰囲気がよく現れている句である。
縄手道を前進していると東名阪自動車道のガードが見えてきた。鈴鹿川の雰囲気に浸り、暫し佇み、ガードを潜ろうとすると壁全面に三重県の各宿場の浮世絵が。
浮世絵を撮り終え、ガードを出たとたん、更に雰囲気が増し完全にタイムスリップしてしまった。思わず足が止まり、これ以上行ったら戻れなくなってしまう、そんな感覚に襲われた。後で写真を見ても、なかなかその感じは出てないのでもはや行って頂くしかないのだが(笑)、なんとなく雰囲気だけでも感じてもらえば、というところで勘弁して頂くしかない。自らの文章表現力と撮影能力を恥じる次第である。
関西本線を越えて一号線に合流、しばらく歩き、やがて右に分岐。関の宿の案内板があった。程なく東の追分。伊勢別街道との追分で、伊勢まで15里と標示されている。一里塚も同所にあり、猫ちゃんがまったりしていた。追分を過ぎるとまた光景が一変。眼前に関の街並みが。電信柱がなく、空気がまさに時代劇の映画状態。よく見るとテーマパークのようでもあり、街道沿いのいろいろな設備も立派である。歩いているうちに人も徐々に増えてきてお店も元気そうだ。日曜日にこんなに活気あるところは市街地以外では始めてと言っていいくらいだ。
→以下次回の鈴鹿越えに続きます。
PS.関の街並みの画像に関しては番外編で特集したい。
旧街道上の食事ネタ
土日に歩いたせいか、旧道上は開いてる店が本当に少なかった。
一応三食を確実に取る方なので非常に困った。特に大きな道沿いは
閉鎖したまま放置されている店が結構あった。
オイルショック以降急成長した外食産業であったが、昨今は
中食市場に押され気味だ。中食市場は2010年度で約6兆2000億
と言われており、その分だけ外食産業は影響を受けてる筈だ。
そのような状況を実感させられた旅だった。
コンビにでもイートインがあればいいのですが。
冷凍ものにもほか弁にもお世話になってるので、止むを得ないかな。
富田(四日市の手前)~亀山②
友人から、前回の記事に関まで行けるか?と書いてあるけどタイトル見ただけで到達しなかったのがバレてるぞ、とアドバイスがありました。確かに。そこまで深く?見て頂いて有難うございます。
食堂を出ると反対車線側に道標が有った、采女一里塚だ。通常案内板とか見ても正確な位置関係は分からず、この辺くらい?しか把握できない。しかも道の右側か左側か分からないので、結果、よく見落とすことが多い。しかも国道沿いは移設されたりして、あまり遺構として整備されて無いのだが、たまたまラッキー。再び西進開始。左折分岐し、暫くしてまた合流、地下道を通って反対車線に。しばらく一号線、やがて右に分岐、石薬師寺の宿へ。
采女一里塚、ズームで。
左分岐。
再び合流、旧東海道の道案内が。
地下道を通って右に。
石薬師寺宿の道標と信綱(佐々木信綱)かるた道の案内があった。旧東海道の案内も。歩いて行ってもこれはという宿場跡の名残は無かったが、小澤本陣くらい。タイムレコーダーのアマノの創業者らしい家も有った。
旧宿場の街並みを何となく通り抜けていくと橋があり、下を見ると国道があった。その橋を越えた辺に石薬師寺があった。
石薬師寺は聖武天皇治世由来でそれなりの歴史のある寺だった。弘法大師や西行法師から林羅山、松尾芭蕉なども縁があり広重の絵にも描かれている。ただ笠寺も同じだが、トイレがなかなか見つからない上に参拝客のみ使用可という趣旨の断りが書いてあった。すみません、参拝します。意外に小さな寺院が親切だったりする。
石薬師寺を過ぎて、橋を越えたところに常夜灯があった。そこに一里塚。庄野の宿への案内板も。少し迷ったが道標を信じて左折、国道を潜り右折、国道沿いの細い道を西進するが、実は途中で右に曲がらないといけないのに直進してしまった。旧道経由より少し早めに国道へ合流。この辺は関西本線の加佐登駅近くだ。
暫く国道を西進し、信号を右折、程なく左折してやっとそれらしい道へ。庄野の宿の案内板が有った。庄野の宿の街並みを通り過ぎたところ、一号線へ。立体交差らしいガードを超えて、広い道から左折。
東海道らしい道を通ってゆくと、標示杭があった。
本陣跡。
分岐。
暫くして中富田一里塚。
川に突き当たる。いつものように川は渡れないので迂回して橋を越え、旧道へ復帰するといかにも東海道らしい道へ。和泉町公民館レトロ~。歩いている充実感がする。
江戸時代のものと思しき道標があった。右のぼり云々。
別の方向に常夜燈、迷いそうになる。
関西本線の踏切を越えて、井田川駅で小用、亀山の宿の案内看板が。嬉しい。
一号線を歩道橋で越えて、また陸橋を潜るようにして、関西本線の手前を西の方向に進むといよいよ亀山に近づいてくる。
分岐。
案内。
和田の坂に差し掛かる。ケンペルは亀山の町を二つの丘と表現している。その一方の坂と思われる。和田の坂を登り切るところに和田一里塚があった。
和田の坂の説明。
亀山ローソク、有名。
亀山の宿に入る、各家に、旧家の屋号の標示がされている。
お城を模した家。
まだ行けそうだが、だんだん暗くなってきた。途端に腰が痛くなった(気持ちと連動します、笑)のと、マイカメラが電池切れのため今日は終了。何よりも行ける所まで行って途中から交通機関で亀山まで戻るという選択肢は全く無いので断念せざるを得ない。残念。これで明日の奇跡にかけることとなった。明日は出来れば鈴鹿越えにチャレンジして運良く土山まで行ければいいのだが。
でもまあ今日はよく歩いた方だ。なんて総括しながら駅前から食事場所探しながらホテルの方へ。殆ど食堂らしい店が数件。ホテルで食事場所を聞くとは全国チェーンの居酒屋を紹介された。近場で他のチェーン店を探し、入ったが程々にして、先程の食堂らしき店の中ででゆるせそうな焼き鳥や風の店でリベンジ。
藤川小学校 あいさつ運動
御油の宿から岡崎の宿のエントリーのなかで藤川の宿に向ってるとき、
「東海道に復帰してしばらくして先程あった中学校に通う生徒がパラパラ。こんなホームレスか脱走兵ごとき格好なのにその中の一人の女子中学生が「こんにちは。」と元気よく挨拶してくれた。感激!こちらも大きな声で「こんにちは~。」元気をもらい、俄然ファイトが沸いてきた。あまりにも単純。」
という件があったが、近くの岡崎市立藤川小学校があいさつ運動なんてやってることがネットで分かった。そこの出身の生徒だったのかな、確かにあいさつは基本ですね。グダグダ状態だったので本当に助かりました。校長先生、生徒さん改めて有難うです。
富田(四日市の手前)~亀山①
前日から名古屋に宿泊、居酒屋で一杯、きしめんで締め。もう3月に入り、目標の4月1日の午前0時0分の三条大橋着まで残りあと僅かだ。翌日はホテルを早めに出発し、亀山経由でなるべく関まで到着したい。鈴鹿越え次第では東海道にチャレンジする日程をもう一回作る必要があるからだ。
従って、ホテルの食事は7時からなので6時過ぎにコンビニで調達。野菜サンド、野菜ジュース、卵、スープ、豪華な朝食だ。ちなみに奥に見えるワンカップは夕べの。気合入れて出発。
名古屋駅から関西本線に。車窓からの鈴鹿の山々。寒々しい。
7時40分富田駅着。関に向けてスタート。玄関に時計が。
この辺りも尾張以東の東海道沿いと全く変わらない感じ。十四川の桜並木、力石を過ぎ、右いかるが、左四日市の道標が。64号線を越え、羽津の常夜灯へ。鈴鹿は相変わらす雪を蓄えている。
有り難い案内板。現在地が個別に表示。ローコスト方式。
かわらづ(川原津)の松が1本。この付近にはこの松と後に出てくる名残の松と2本しか残ってないそうだ。さすがに津の地名が多い。
一号線に合流。
左折分岐して、すぐ川のところに突き当り、そこに三ツ谷の一里塚。橋を渡りながら左手を見ると海側に四日市の工業地帯が。四日市に来たという感じ。本来なら川を渡る道だが、渡れないので橋で迂回する。しばらく西進してまた次の橋を渡って四日市市街地に入る。
四日市のアーケードの入口。宿場時代からの諏訪神社がある。横を見ると作業着、ユニフォームの会社の看板?オブジェ?壁画?が面白い。旧東海道はアーケードの中を通っている。長い首の出し物が。アーケードは短くすぐ大きな道を横切り、いつものような雰囲気の道へ。
諏訪神社、すわまえ。
作業着以外にシャツや靴のオブジェも。
ゆるきゃら!!ろくろくび、可愛くないぞ!
鈴木薬局を通り過ぎ、暫くして日永の一里塚。道標しかない。ここを通り越し、名残の松を過ぎてやがて大きな道にぶつかる。ここが日永の追分だ。お伊勢参りと東海道の分岐地点。ここにあるのが東海道で最古の道標ということだ。
追分を過ぎて、暫くして近鉄追分駅を越えてそれなりの道を西進して行くと、やがて追分駅で分岐した道にぶつかる。。
ここで確認しようとしたら詳細地図が無い!ガビーン!アイホンと広域地図を見比べながら西進。采女の杖衝坂の案内板を何回も見ながら再確認。その結果、内部駅の裏道を過ぎて川に突き当たり、そこから左折して一号線に合流。橋を渡ってそして左分岐、杖衝坂へ。
『吾足如三重勾而甚疲』 (わがあしは みえのまがりのごとくして はなはだつかれたり→私の足が三重に折れ曲がってしまったように、ひどく疲れた 『古事記』)
日本武尊は伊吹山で山の神と戦い、疲れ果て、刀剣を杖にしてここを通ったらしい。三重、杖衝坂の地名由来となっている。雰囲気のある道を右左折すると本格的な坂道となった。結構な登り坂だが、長く続くことはなかった。
登りつめた所から平坦な道から少し下るようになり、鈴鹿が一望出来るところで右下に一号線が見えた。一号線は登り、今歩いている道は下るようになりやがて合流。一号線に出た所で采女食堂が見えた。ここで食事に。変わった食事、注文ミス量が多かった。従って炭水化物なし。続く。
鳴海~宮~富田(四日市の手前)②
陸路は名古屋駅からJR関西本線で桑名駅まで。
駅に着くと空腹状態全開。その手は桑名の焼きはまぐりを地元でどうしても食べたかったので、名古屋駅では武士は食わねど状態で我慢、我慢。ところが桑名駅に着いて店を探すも専門店的なところが全く無かった。しまった、やはり名古屋で食ってくればと思ったが、なにか総菜屋さん風の店があった。持ち帰り専門のようだが奥に細狭いカウンターが。コンビニのイートイン並み。妥協してここに入店。ところがラッキーかな、メニューのなかにハマグリが。即、はまぐりとおにーに2個注文。
時間無いので桑名の渡しまでタクシーで。
遥か先の宮の渡しを仰ぐ。
遅れているので早く出発しよう。
しまった、ここで食べればよかったかな?
桑名城城壁
東海道公園(歴史を語る公園)
日本橋
沼津
宮・桑名
坂ノ下、関?
三条大橋
道標
突き当るようにして町屋川、町屋橋へ。
歩くしかない(川は渡れない)
朝日一里塚
朝日駅
朝日駅案内
寂しい道、少し小走り(笑)
東海道!安心!間違ってない事が確認出来る。
踏切とガード 関西本線、三岐鉄道
しばらくしてガード2本、関西本線、近鉄
関西本線は曲線?またお会いした。
一里橋
あまりの寒さに先程から指が曲がらない。体の芯から冷えて来る感じ。富田駅近く、我慢できず終了。駅で電車待つ時間も我慢の限界。電車も真中の席に。駅でドアが開くたびに寒気に身震いがする。今までそこに居たんだと思えば・・・・。
富田駅
いいペースで進んできたが、やはり、七里の渡しのロスが大きかった。とはいっても、寒さが、冬将軍に阻まれた感じ。
帰りに曲がらなくなった指をマッサージしながら東海道弁当を食べる。




























































































































































































































